祈桜(18)
動力素――この館において、私とバロウルのそもそもの諍いの始まりとなった大小様々な円筒。
この世界では人が死ぬと――それが余さずであるかどうかまでは私はまだ知らない――“幽霊”と化すという。それを捕えて加工し、筒に詰める悪鬼の御業。死した人の尊厳すら奪う羅刹の所業。それが動力素。おそらくは。
「貴方が想像しているように、あの円筒は心を失くした幽体を浮遊城塞で蓄電池として精製したものです。主として機兵の電源として。それを動力素と私達は呼びます」
「ヴ……」
予想と何ら違わぬ真実。だが改めて所長からそう告げられはしたものの、バロウルの時とは違い私は激昂に駆られはしなかった。
むしろ冷静であったと云ってもいい。
私をみつめる所長の瞳が真摯であったこともある。墓前で荒ぶる訳にはいかなかったこともある。
何よりもバロウルとの相撲の中で、燻っていた私の憤怒など跡形も無く霧散してしまっていたというのも大きい。浄化などと気取るつもりはない。心の内から消え失せた、ただそれだけのことであった。
「コルテラーナの語るところによれば、“幽霊”とは『盤上に晒された敗者を示す駒』。非業の死を遂げた者が、心も体も喪ったまま虚ろに彷徨う哀れな存在として形となったものだと聞いています」
「……」
私も、今日の昼間に遭遇した猿人の“幽霊”の出現の場面を思い起こした。意志も知性も微塵も感じさせはしない、朧気で歪な忌まわしい人擬き。
「ヴ!?」
今、ようやく私は理解した。真に死者への冒涜とはなんであるのかを。真に悼むべきはなんであるのかを。
静寂に包まれた墓所の闇の中に、所長の穏やかな声が隅々まで響く。
「死者の魂すらあのような無残な形で縛りつける“彼等”の目的がなんであるのか、私には推測することしかできません。“彼等”の愉悦を充たす為の悪趣味な動く的であるのか、墜ちた私達を怯え絶望させる為の幼稚な威嚇なのか、或いはその両方なのかもしれません」
(馬鹿だ、私は……!)
所長が敢えて私と共にこの墓地に留まり、そして『約定』とやらに抵触してまで説明しようとしているその意味を、私はようやく理解し始めた。
そしてあまりの悍ましさに打ち震えた。己の察しの悪さと読解力の無さに。バロウルへの敵意にのみ囚われていた己自身の狭量さに。
何故この墓地を見渡した時に、最初に気付けなかったのだろうか。正確に数えると23基の墓標が並ぶこの墓地の静けさを前に、何故それ以上の考えに及びもつかなかったのか。
この世界の人間は死ぬと“幽霊”となり、晒し者として半実体を得て彷徨い出る――猿人の“幽霊”を前に、そう説明を受けていたにも関わらず。
「カカトとバロウルは」――そこで所長は少し言葉を切ると「ナナムゥも」と小さく付け加えた――「その“幽霊”達を狩り集めて動力素として昇華しているのです」
所長はそこで一旦口をつむぐと、周囲の墓標の幾つかに視線を巡らせた。まるで在りし日の何かに想いを馳せているかのように。
「『昇華』ではなく『成仏させている』と言った方が、日本人である私達には理解し易いでしょうね」
「……ヴ」
己の不明を恥じ、ただ頷く以外に何が私に出来るというのだろう。私の苦悩を知ってか知らずか、所長の説明は尚も続いた。まるで死者への手向けでもあるかのように。
「動力素による昇華で本当に死者の魂が浄化されているのか、それは誰にも分かりません。もしかしたら単に“幽霊”としての形状を保てずに、この閉じた世界の中を霧となって漂っているのかもしれません」
「……」
「それでも――」
所長が周囲の墓標を悼むかのように、再び目線を巡らせた。
源となる遺体を移動させた場合に、発生した“幽霊”がそれを追って来るのかどうか私は知らない。だが少なくともこの墓地は、“幽霊”が徘徊することもなく静謐に包まれていた。目立った雑草も無く隅々まで良く手入れされていることが分か周囲の様相からも、死者に対する強い敬意の念を感じ取ることが出来た。
「何もしないよりはずっと…ずっとましだと、私は思います……」
「ヴ……」
それが、禁を犯してまで所長が私に伝えたかったことなのであろう。口をつぐんだまま佇む彼女が、私の考えがまとまる時間をくれたのだと、私もすぐに気付いた。
所長が幾度も口にする『約定』とはどのようなものなのか、コルテラーナとの間に交わされたものであろうということ以外は私には分からない。
だが何らかの取り決めとして成立している以上、所長の動力素と“幽霊”に関する説明も必要最小限のものだったのだろう。或いはまだ他に伏せられている“真実”もあるのかもしれない。
だが、それはいい。問題とすべきは、そこではなかった。
(――何故バロウルは弁明しなかった?)
胸中に沸いた疑問は、しかしすぐに自己解決できる類のものではある。
私がバロウルのことを“敵”だと認識していたように、バロウルもまた私に同じ態度で返していた。
大の大人2人が大人気も無く互いに互いを拒絶していたという、クスリとも笑えない、ただそれだけの話である。その筈であった。
(――本当にそれだけなのか?)
私の脳裏に今再び、バロウルの涙に滲んだ顔が浮かぶ。彼女は言わなかったのではなく、言えなかったのではないのかと。
それが如何なる理由であれ、死者の遺した“幽霊”を捕え破砕してきた彼女なりの矜持と贖罪ではなかったのかと。
言い訳をするという行為自体が、彼女にとって耐えがたいものではなかったのかと。
だが、私の詮無き推測もそこまでであった。
ツツツツツという初めて聞く細やかな音が、所長の手首の辺りから響く。
「催促も来ましたし、あの娘達が迎えに来る前に戻りましょうか」
所長がその場で軽い伸びをしながら、私を促した。
月こそ顔を出していないものの星明りの降り注ぐ墓地の丘の上は、夜の暗闇には程遠いものであった。来た時と同じ様に所長の手にあるペンライトの光に先導されながら、私達は徒歩でゆっくりと元来た館への帰路に就いた。
完全に失念していたが、明日には館で私の機体の強化とやらが行われるであろう。
と、言葉を交わすことのない私達の頭上を、突如として一陣の強い夜風が薙いだ。もう間近まで迫った館の丘陵に咲く桜の花片が、吹雪となって夜の闇の中に舞い上がる様が見えた。
「――天薄紅」
先を行く所長が桜吹雪を見上げながら、ポツリとその名を呟いた。
「元々は宇宙環境での観賞用として造られた品種ですが、わざわざ短い期間で散花する儚さにこだわったと聞いています」
元より学者肌なのであろう。わざわざ私に対し長々と説明する所長のその瞳は、充足した輝きを纏っていた。
「花片の清掃と後処理のコストを考えるとあまりに非合理ではありますが、関係者はそこだけは頑として譲らなかったそうです。短く咲き誇る花の生命に」
フフと所長は微笑み、そしてどこか遠い目をして桜を見上げた。
「そのおかげでこのような閉じた世界でも、私はもう戻れない日本の風情を偲ぶことができるのですけど……」
「ヴ……」
所長はとうに気付いているのだろう。流石の私でも気付いた程なのだから。
同じ『日本人』であるとはいえ、私と所長の間には紛れもなくかなりの刻の隔たりがある。この閉じた世界が様々な異世界と端的にでも接しているのならば、それは時間の壁すらも意味を成さないものなのかもしれない。
四次元がそうだと聞くように。
そしてそれがもし事実であるとすれば、この閉じた世界の障壁を開放したところで、捕囚が元居た世界に戻れる確率など無いに等しいということを意味していた。
空間だけでなく時間軸すら可変であるのならば、一体どのような方法で捕囚各々が元の世界の元の時代に戻れるというのだろう。
例え“彼等”の言うように6本の“旗”を集めることで任意の時空への帰還が可能になるのだとしても、それだけの神に等しい“力”を持つ“彼等”を出し抜くことなど不可能であるのだろう。
最後に残されるのは諦念のみである。
「――キャリバー」
不意に所長が先を行く足を止め、私の方に振り向いた。
「バロウルのこと、貴方が護ってくださいね」
「ヴ!?」
ズルいやり方だと、私は愕然とする。不意に女性からそのような頼まれ方をしたら、“肯定”の青い眼光で応える以外に私にどうしろと云うのだろうか。
私を“サムライ”だと見込んでくれた、淑女然とした女性の願いを前にして。
「バロウルは必死に否定しましたが、遠からずコバル公国から戦の火の手が上がる、それは間違いのないことでしょう」
話の内容に対し、所長の口振りは淡々としたものであった。或いは既に覚悟を決めていたのかもしれない。
「六旗手であるカカトも、浮遊城塞の継承者であるバロウルも、その導き手であるコルテラーナも、そして私も皆、否応なしにその渦中に巻き込まれてしまうでしょう」
「……」
「だから、この世界に生まれたばかりでしがらみの薄い貴方が、バロウルのことを護ってあげてくださいね」
「ヴ」
流されるままに単眼の青い光で“肯定”の意を示してしまう私は、本当に愚か者だと我が事ながら思う。
フフと満足げに笑った所長が、再び軽やかな足取りで歩み出す。その後ろを寄り添う様に歩きながら、私は胸中で盛大に溜息をついた。
かつてバロウルにナナムゥのことを頼まれ、そして今また所長にそのバロウルのことを託された。
ただ巨大で固いだけの無力な私に。
いつ約束を違えるのかも知れぬ無力なこの私に。
(どうしたものか……)
私は夜空に舞い散る桜吹雪を、祈るような気持ちで見上げていた。
願わくば、彼女達を見捨て単身逃げ惑うような醜態だけは晒さずに済むようにと。
「そうでした。最後に一つ苦言があります」
所長からの突然の呼び掛けに、つい身構えてしまった私に対し、声の主が屈託のない笑顔を浮かべる。
「ずいぶんとぞんざいに接していたようですが、バロウルも普通の年頃の女の子なんですよ? 優しくしてあげてくださいね」
単眼に赤い光を宿し両手の平を胸の前に掲げ、思わず『まさか』のジェスチャーで返してしまった私を誰が責められるというのだろうか。
顔をそむけ笑いを堪える所長を前に、私はそう確信していた。
だが私は、そして所長ですらもこの時は知る由はなかった。
私とバロウルとの闘いが、まだ前哨戦に過ぎなかったということを。
ここまでお付き合いいただきありがとうございます。
話のオチまでのプロットは建てているのですが、恥ずかしいことに当初予定していた三章の予定の半分も書けておらず、次章にずれ込む事になりました。
コルテラーナのキャラ掘り下げも全然手つかずで、反省することばかりです。
週一更新の頻度だと五千文字は欲しいという意見を耳にしましたので、試しにそれを目処にしましたが、どうにも十日以上かかってしまいます。
従来通り四千字弱だと何とか週一更新を堅持できそうなのですが、どちらが良いのか思案中です。
取り留めの無い事を書き連ねてしまいましたが、目を通してくださっている方々に改めてお礼申し上げます。




