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祈桜(15)

 「何事もあからさまに言わないのが私の国の流儀なのよ」

 フフと所長が笑うと、それが合図であったかのように出囃子の太鼓の音が周囲に流れて来る。それは土俵の上の屋根からなどではなく、クロとシロの二体の衛士の両肩から発せられるものであった。

 ラボで私達を圧倒した消防車のサイレンの音と云い、そういうスピーカーとしての機能を元々有しているのだろう。何かの折にナナムゥが“喋る”と言っていた気もする。

 それは兎も角、耳に馴染のある軽快な太鼓の音を聴いたからといって、望郷の想いを掻き立てられ私の心が静まったかというと、無論そんな事はない。私の闘志は、憤怒は、いささかも揺らぐことなく、対峙したバロウルを赤光の単眼で昏く睨め付けていた。

 ナナムゥが土俵脇から指摘したように、いくらバロウルが巨女の類だとは云え、試製六型の私が負ける要因など何一つ無い。

 バロウルにとって頭頂の差は勿論、重量の差が如何ともし難い壁になることを私は勝負の前から確信していた。いくら『柔よく剛を制す』にしても限度がある。例えバロウルが相撲技巧者であったとしても、只でさえ脚が短く重心の低い私をどうこう出来るとは到底思えなかった。

 「所長!」

 先程から顔だけは見る機会のあった例の半袖メイド服の少女が、快活な声を上げながらどこから持ってきたのか小振りの軍配を抱えて土俵へと駆け寄ってくる。

 「ありがとう、ミィアー」

 少女から軍配を受け取った所長が、次に私達を顧み土俵入りを促す。私とバロウルは最後にもう一度視線を斬り結ぶと互いの端から土俵へと上がった。

 (ん……?)

 おかしな話ではあるが、バロウルへの憤怒に満ち満ちていると言いながらも、土俵に捲く塩の山が準備されていないことに不意に私は気付いた。

 土俵入りの際は必須だという、日本人としての本能がそうさせたのだろうか。キュイと単眼を巡らし土俵の周囲に盛り塩がないか探す私に対し、所長が目聡く気付き話しかけてくる。

 「清めの塩?」

 所長の問いに、私は“肯定”の青い光を単眼に灯し応えた。

 ナナムゥといいコルテラーナといいそして所長といい、私が出会ったこの閉じた世界(ガザル=イギス)の女性は――名前を上げなかった者も含め――総じて聡明だと常に驚かされてきた。言葉を話せない私の意図を、明確に汲んで応対してくれるのである。ありがたいことに。

 その意味では、既に周知のものとして無意識に“肯定”である青い眼光で応えた私の方こそが、最もこの世界で愚かな男であったのだろう。

 当然その意味を知らぬ所長が、僅かに小首を傾げる。

 「青が『はい』で、赤が『いいえ』じゃぞ、所長」

 これまたすぐに状況を把握したナナムゥが、すかさずそれを補足する。所長は合点したように頷くと、何故か値踏みするような視線を私に向け――それも眺め回すのではなく如何にも日本人的にさり気なく視線を泳がせて――少しの間を置いてから、私へと答えた。

 「塩は貴重品だから、流石に大会でもない限りそう易々と撒く訳にはいかないわね」

 なるほどと、私も合点した。合点したところで、塩ひとつ自由に撒けぬこの閉じた世界の窮状を再確認させられただけのことではあるが。

 太鼓の出囃子の音が、いつしか格調高い琴の音に変わる。その曲自体を私は聴いたことがなかったが、如何にも和風と云ったゆったりとした曲調であった。

 所長はナナムゥとメイドの少女――ミィアーと呼ばれた日焼けした少女――を土俵際より下がらせると、改めて高々と声を張り上げた。

 「見合って、見合って!」

 なかなか堂に入った仕草で、所長が軍配を掲げる。それに引っ張られるかのように、私もバロウルも二本の仕切り線の前に両腕を突いた。


 「――八卦良い!」


 頑張れというナナムゥの声援は、私とバロウルのどちらに向けられたものだったのか。


 「――のこった!!」


 今更ながら一つ告白をするならば、どこに出しても恥ずかしくないインドア派であった私が相撲など、まともにとった憶えすらない。

 そもそもが私は無論の事、バロウルもいつもの作業着のままであり、互いにマワシひとつ付けてはいない。故にこの取組で出来ることと云えば――ここに辿り着くまでに猿人相手にそうしたように――威圧の意味で両腕を大きく振り上げ、真正面から立ちはだかることくらいであった。

 今の私の躰は3m近い石の巨体であり、相対するバロウルもまた2mはある巨女である。必然として狭い土俵の中央で、初速も稼げないままにぶつかり合うこととなった。

 ナナムゥの歓声が上がる。

 「くっ……!」

 「ヴ!」

 互いに掌を押し付け握り合う、俗に云う手四つの形がそこにはあった。素人同士の悲しさか、がっぷり四つといった私の持つ相撲のイメージとはかけ離れた、プロレスの試合のような有様であった。

 甘いなとは、自分でも思う。

 極端な話、このままバロウルの側に倒れ込んで質量で押し切れば良いだけのことである。勝つだけならば。

 バロウルも馬鹿ではない。押し潰される危険を悟った時点で流石に降参するだろう。

 (くだらん……)

 無論そのような無体、いくらバロウル相手であったとしても、して良い筈も道理も無い。加減して当然――いくら雌ゴリラ相当だとしても――の話であり、私の男としての矜持の問題であった。

 (――ん!?)

 不意の既視感に、私は身を震わせた。“嫌な予感”と言ってもいい。

 (なんだ……!?)

 私が生身であったなら、震えと共に滝の様に冷や汗を流し、それを止める事が出来なかっただろう。そう確信させる程の焦燥感が不意に私を襲ったのである。

 その原因に、私はすぐに思い至った。

 あの夜のガッハシュートとの死闘。あの時も、今と同じ手四つの体勢であった。

 結果だけを見れば痛み分けなのかもしれないが実際は成す術も無かった私にとって、それは強いトラウマとなって心の内に刻まれていた。それを私は今更ながらに実感した。我が事でありながら。

 「ヴ!」

 取り乱すまではしない。それでも我知らず、腰が引けた。ジリジリとバロウルを押していた両の腕の力もまた同じ様に。

 私が思うよりは防戦一方だったのであろう、それまで伏せ気味であったバロウルの顔が、私からの圧が緩んだことにより始めてキッと上がった。

 「この…馬鹿(キャリバー)……!」

 怒りに充ちた灰色の瞳。その眼光に私が怯むよりも尚早く、先程のラボ内での逆切れの時と同じ様にバロウルの肌の上を淡い燐光が走った。

 網の目のように。ひび割れた大地の様に。

 「この世界のことを――」

 その褐色の貌のみならず、バロウルの両腕の肘から先にも同様に燐光の網が灯る。ギリギリと私の腕を押し戻すその力は、しかし膂力が増した訳ではなく、その気迫の賜物であった。

 「何も知りもしないくせに、馬鹿(キャリバー)!!」

 「ヴヴッ!?」

 バロウルが吠え、私の脳裏に亡き父の3つの教えの内の一つが鮮明に蘇る。

 田舎の出身の、勢いだけで世の中を渡って来たような父。躾も母親に任せっきりであったが、それだけにその父の数少ない教えは私にとってある種特別なものとなっていた。


 ――女を敵に回すな


 若い頃は浮き名を流したという――あくまで母の恨み言なので真偽は定かではない――父がしみじみと語ったその言葉。

 バロウルの射るような眼光を前に怯む私の脳裏に、その教えが幾重にもこだまする。認めたくはないが、正直私は畏怖していた。本能的に、“マズイ”と悟っていたのかもしれない。女を怒らせる、その意味を。

 (私の方が、悪いと云うのか!?)

 罪悪感に押し潰されぬよう、私は胸中で懸命に叫んだ。何に対する罪悪感なのかも判らないままに。

 不条理だと思った。不公平だとも思った。弁明する口も、弁明する機会も与えられずに、一方的にバロウルから怒りをぶつけられるこの瞬間が。

 (私にだって、言いたいことくらい……!)

 無常感に力が萎え、私の躰は圧され始めた。


 それが幸いした。


 ガコンという大きな音の出処がどこか、私には咄嗟には判別できなかった。それが自分の両肩から発せられた音だということを、無意識の内に認めたくなかったのかもしれない。

 もしも力が抜けた状態でなかったら、私はこの時点で反動によりバランスを崩し、土俵の上で無様に尻餅を付いていただろう。

 バロウルが固く口を結んだまま、それまで手四つの姿勢だった両腕を下側に勢いよく振り落す。まるで何かを力任せに引っこ抜くかのような動きで。

 本来ならば、幾ら勢いをつけたとは云えその重量差で微動だにしない筈の私の石の両腕が、肩の付け根から綺麗に抜け落ちた。

 肩口から伸びる三本の“紐”を残して。

 まるで蟹の脚から茹でた身だけを引っ張り出したかのように。

 「――ヴ!?」

 先程のガコンという音の正体をようやく知った私に対し、バロウルが虎の様な瞳のままに、両手に掴んだ私の腕――肘の先から掌までの部分――を土俵の下に投げ落とす。関節を節目としているのか、私の右の二の腕の部分だけは本体から完全に分離できずに、“紐”の途中で引っ掛かったままであった。


 「キャリバーーーッ!」


 背後で、ナナムゥの悲鳴にも似た声が響く。私の劣勢は土俵の外から見ても明らかであったのだろう。

 (くっ……!)

 私は右肩を揺すると、単に無駄な重しと化した二の腕の部分を自ら土俵に落とした。これが相撲でなければ“紐”の途中に敢えてその部位を残したまま、鎖鎌の分銅の様に振り回し牽制する事も考えなかった訳でも無い。

 だが、これはあくまで相撲の取組である。まさかそういう殺し合いに雪崩れ込む訳にもいかなかった。

 「理解したか、これが私の“力”だ」

 勝ち誇る訳でもなく、ただ淡々と私に告げるバロウル。だがその瞳には依然として憤怒の炎を宿したままである事が、相対する私の単眼にはハッキリと映っていた。

 両腕を奪われた以上、もう私にはまともな相撲の取組は望めない。だがバロウルにとっても、相撲の決着はまだ付いていないのだ。

 (どうする……!?)

 所長の軍配が上がらない以上、取組自体も続行なのだろう。奪われ土の付いた私の腕も、躰から分離した時点で体の一部ではないと判定されたのかもしれない。どちらにせよ、行司である所長の胸先三寸である事だけははっきりしている。今はそれについて思い悩むだけ時間の無駄である。

 そえりょりも問題は、バロウルの云う“力”であった。

 その褐色の貌に、両腕に、刺青を思わせる燐光を依然として浮かべながら、バロウルが再びレスラーのように腰を落とし胸の前で両腕を構える。

 取組の前に、ルールを憶えているのかとバロウルに訊いた所長の本意が今判った。結局のところ日本人ではないこの世界の住人にとっては、“相撲”とは単なる果し合いの場でしかないのだろう。それでも決してルール無用の“死合”ではないのだと、所長は念を押していたのである。おそらくは。

 (覚悟の差か……!)

 如何に雄々しき雌ゴリラとはいえ、如何に死者の魂を玩ぶ憎むべき相手だとはいえ、私にとっては勝手知ったる相撲の取組である。

 生命のやり取りをする場ではないという妙な先入観が私にはあった。その体格差故に無意識の内に手加減もしてしまった。

 そのつまらぬ男としての矜持の結果が今の窮地であった。

 その燐光を放つバロウルの指に掴まれただけで四肢の結合が強制的に解除されるなど、予想だにしなかった。

 否、予想など出来る筈もなかった。

 (……言い訳だな)

 自嘲であった。そうすることしか、今の私には残されていなかった。

 バロウルが試製六型(わたし)の躰の整備をする際、しばし指や肌に燐光を灯す場面を見る機会は幾度も有った。

 それが何の現象なのかを私は尋ねはしなかった。バロウルとの間に明確な一線を引いて、必要以上に立ち入らないようにしていた。

 “敵”だと意識していたからである。

 (本当にそれだけ……?)

 心の中で、もう一人のわたしが自問する。

 本当は分かっていた。確かに私には口は無い。それでも言葉を交わす機会は有ったのだ。整備の際、常に繋がれていた端末の画面を通じて。

 だが私はそれに気付かないフリをしていた。自分とバロウルの2人しかいない整備の時間を、敢えて無味乾燥に過ごすようにしていた。

 そうして自ら一切を拒絶していたにも関わらず、私はバロウルに裏切られたと思った。強い憤りと共に。

 それが何故かが分からない。


 「どうする? 続ける?」


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