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祈桜(14)

 「なっ!?」

 「ヴッ!?」

 虚を突かれた私とバロウルが思わず動きを止める。

 私にとっては聞き覚えのあるサイレンの音色。それは“シロ”の両肩の辺りから発せられた、その赤い機体にあつらえたかのような消防車のサイレンの音色そのものであった。

 大音量で発せられたサイレンは、決して狭くはないラボの――後で聞いたことだが、私が居た場所はまさしく観測船『瑞穂』の研究室(ラボ)の中であった――密閉された空間に幾重にも反響して鳴り響き、我を忘れる程に憤慨していたバロウルと私とに揃って冷や水を浴びせる形となった。

 「そこまでになさいな」

 サイレンの音が止み、シロの背中から所長が顔を覗かせる。伸ばした人差し指を耳の穴から抜きながら。

 その程度の防御法で問題なさげなところを見るに、サイレンの音には何らかの指向性があったのかもしれない。

 「所長……」

 まるで張り詰めていた何かが切れたかのように弱々しく呟いたバロウルの貌が、一瞬、ほんの一瞬ではあるが僅かに涙ぐんでいるかのように私には視えた。

 (馬鹿な……)

 あの鼻持ちならない雌ゴリラに対して、刹那とは云えそのような錯覚を抱くとは、私も焼きが回ったものである。

 「バロウル、貴女……」

 所長はバロウルを前に些か狼狽した素振りを見せると、次いで私へと視線を移した。その黒い瞳に私を咎める色が浮かんだのも仕方の無い事だとは思う。所詮私は彼女達から見れば新参の余所者なのだから。

 「所長、私は――」

 ハッと顔を上げ何かを言いかけるバロウルを片手で制し、所長がゆっくりと頭を振った。

 「貴女達の間にこれまで何があったのか私は知りません」

 凛とした所長の声に、私もバロウルも身動ぎ一つ出来なかった。

 おそらくは持って生まれたものなのであろう、高潔にして抗い難い毅然とした佇まい。生身の躰を失くした私ですらも、所長から発せられる圧を感じ取り気圧される程であった。

 所長がバロウルと私を交互に見比べ、滔々と先を続ける。

 「それでも2人揃ってここまで話が拗れているのなら、これから先も差し障りがあることは分かります。それは、貴女達自身が一番良く分かっているでしょう?」

 明らかに場慣れしている所長の流れるような物言いに、元より萎縮気味のバロウルは勿論、今日初めて会った私までもが一切の口を挟めず首を垂れて黙って聴いている他なかった。

 「そこで――!」

 所長が、いつの間にやら手にしていた扇子を、折り畳まれたままの形でピシリと私達へと突き付ける。その瞬間、カコーンという子気味良いししおどしの音が、所長の背後より鳴り響いた。

 空気が一変したなと警戒する暇すらなく、所長の御宣託が我々の頭上に響き渡る。

 「私の国の神事で白黒を付けなさい。私が立ち会いを務めます」

 (『神事』……!?)

 一連の有無を言わさぬ裁定の中で様々な疑問も浮かびはしたが、私が最も気に掛かったものが所長のその物々しい言葉であった。

 所長が日本人であるという私の認識に間違いがないとすれば、彼女の云う『神事』に該当するものは盟神探湯(くがたち)くらいしか私には咄嗟に思い浮かばなかった。

 今やすっかり己を取り戻し再び能面のように表情を固めたバロウルが、先程まで激昂していたのが嘘のような辛気臭い声で所長へと尋ねた。

 「『神事』というと……?」

 「そう」

 所長が我が意を得たりとばかり大きく頷くと、私とバロウルへ高々と宣言した。

 「お相撲よ」


        *


 (得体の知れないことになった……)


 もし、忌憚のない意見とやらを求められたならば、私は迷わずそう答えただろう。

 結局のところ、私がラボの固定用アームから一旦解放されたのは、それから小一時間程後のことであった。

 いくら『神事』と宣ったところで最優先とはいかないところが――“閉じた”とは云え――世界に生きるまっとうな“大人”のあり方である。私は浮遊城塞の工廠に居る時と同じ様に幾つものコードを接続され、バロウルと所長によって何がしかのデータを手際良く抜かれていった。

 ただその一連の作業の中で一つだけ、工廠での作業とは大きく異なる点があった。

 工廠内では私もバロウルも互いにそれなりに歩み寄り、しばし会話を交わす機会も稀にはあった。だが今のバロウルは感情の無い昏い瞳のままに、私に対しては一切話しかけて来ようとはしなかった。

 大人気ない話だと、私は胸中で嗤った。

 バロウルに対しても、彼女と寸分変わらぬ態度で返す自分自身に対しても。


 『ここまで2人揃って拗れているのなら、これから先に差し障りがあることは分かります』


 耳に痛い所長の言葉。このままでは確かにコルテラーナの計画に支障を来たすであろう事くらいは私にも分かる。

 しかしバロウルを赦せるかどうかはまた別の話であった。

 差し当たっての調査は終了したのか、私を拘束していた巨大なアームが試製六型(わたし)の躰だけを残し元の天井へと戻っていく。

 「では行きましょうか」

 依然として一言も言葉を交わすこともなく、ただ所長に促されるままに私とバロウルはラボを後にすることとなった。

 先程推測した通り、私が吊られていた背後の壁にはスライドする機械式ドアがあり、そこを抜けると天井と照明が一体化した広めの通路に出ることが出来た。

 本来の私ならば、ラボと同じ様に近未来的な造りの通路を興味深く眺め回し、そして幾ばくかでも情報を得ようとしただろう。単なる好奇心からだけでなく、明らかにそうするべきであった。

 だが今の私にとっては、それすらも煩わしい些事であった。バロウルに対する怒りの念はそれ程までに大きく、私の心を昏い憤りの炎で充たしていた。

 死した人の魂を玩ぶ、そのような悪鬼の所業を決して赦す訳にはいかないと。

 そのような勇ましい(ヒロイックな)熱い感情は自分には無縁のものだと思っていた。妹がらみでも無い限り、自分は何事にも常に一歩引いた、傍観者を気取った小賢しい生き方しかできないと思っていた。

 だが違った。バロウルに対してだけは、私は自分の怒りを抑える事が出来なかった。

 物事には押し並べて“原因”と“結果”がある。故にバロウルへのここまでの“負”の昂ぶりに原因を求めるとするならば、死者の尊厳を踏みにじられたことへの義憤以外に思い至るものはない

 父と母を早くに亡くしたことがそうさせたのだろうか。私には分からない。

 無言のままに通路を先へと進む一行。通路の行き止まりは壁面がそのまま巨大な扉となっており、所長が手をかざすだけで重々しい音を立てて上下二つに分かれて開いた。

 その扉をくぐり行き着いた先はそれまでのSFめいた異質な通路とは異なり、支柱と壁が剥き出しの鋼材で組み上げられた踊り場の様な造りとなっていた。

 実際に素材が鋼鉄製なのかどうかは別として、今まで進んできた通路があくまで観測船『瑞穂』の船内の一部であったとすれば、目の前の踊り場は後付けで据えられた独立した場所であることは明らかであった。

 更にその先へと続くであろう向かい側の巨大な両開きの扉も、それまでとは違って閂を備えた武骨な造りを隠そうともしていなかった。

 エアロック――と云うのは良く言い過ぎだとしても、この踊り場の使用目的だけは何となく察することは出来た。学生の頃に倉庫で簡単なアルバイトをしたことが有るが、トラックへ荷物の積込を行う場所(ホーム)がちょうどこのような感じであった。

 (となると、この先は……)

 正面の巨大な両開きの扉の脇には、人が一人通れる規模の簡素な別の扉もあった。

 どちらにせよ試製六型(わたし)もシロとクロもそこをくぐることが出来ない為、所長の号令一下にシロとクロが大扉の閂を抜いた。そして軋む音と共に外部へ開け放たれたその扉の先は、私の推察通り外界へと通じる最後の門であった。

 傾きかけた陽の眩しさに、私は一瞬自分が石の躰であることを忘れた。

 地の底から、なだらかな小高い丘の麓に私達は立っていた。やはりと云うべきか、荷馬車を繋いだ正門の裏側に当たる場所だということは、頭上からハラハラと舞い散る桜の花片からも察せられた。

 我々一行の前には広大な敷地が広がっており、遠くに境界線として柵が打たれているのが見えた。足下の芝生も庭木の類も全て手入れが行き届いていることは――素人の私が見ても――明白であった。

 そしてその一方、柵の向こう側には建物や畑すらも一切隣接しておらず、近隣は柵の内外を問わず丘の上の館を中心とした完全な私有地なのではないかと思われた。

 翻って再び柵の内側へと目を向けると、左手に広がるヤハメ湖から水路が引かれており、錦鯉でも泳いでいそうな大きな庭池へと直に通じていた。

 右手には煉瓦造りの類であろうか、くすんだ焦げ茶色の外壁を持つ長い平屋が少なくとも三棟は存在していた。最初に案内された丘の上の“館”が社屋の応接室のような無味乾燥な造りであった所を見ると、こちらが本来の居住区なのかもしれない。

 所長が“ラボ”の中で寝泊まりをしていなければの話であるが。

 (アレか……)

 裏庭に通路として引かれた、人が3人程並んで通れる石畳を所長を先頭に進む私の目にも、目的の場所はすぐに知れた。庭池や居住棟へと何ヶ所か分岐しつつも、石畳の道は真っ直ぐにそこへと続いていた。

 「――ヴ?」

 道の終点に辿り着いた私は、驚愕に単眼()を見開いた。

 目的の場所に設置されていたのは紛れも無く、私の良く知る“土俵”であった。壁の無い四柱によって支えられた屋根が有り、流石に周囲に桟敷こそ設けられてはいなかったが、それが本格的な土俵であることは私でも知れた。

 一時的なものではなく、恒常的な使用を目的とした施設であるのだろう。だが何より私の気を引いたのは土俵そのものではなく、そこに沿うように設けられた異彩を放つ一角であった。

 土俵より少し離れた場所に設けられたちょっとした高台。一見するとちょうど劇場の二階席のように、土俵周辺に収まりきれない観客の為の気の利いた観戦スポットのように思えた。

 だが、そうではなかった。本来ならば座席の一つでも置かれているべきその場所にそびえていたのは、紛れもなく誰かの墓標の類いであった。

 (なっ……!?)

 まるで土俵を見下ろすように設けられた“墓地”にしか見えず、私は我が目を疑った。慌てて視界を拡大してみたが今居る土俵からは見上げる形となるので、“墓地”の全容は定かではない。しかし目視できた墓標の数は一つや二つといった数ではなかった。

 問える所長(あいて)は居るとしても、問うべき為の口が無い。そして少なくとも今は、間違いなく日本式の“墓地”に固執している余裕も無かった。

 「なんじゃ!?」

 突然、背後の棟の扉がバンと開き、エプロン姿のナナムゥが勢い良く表に飛び出て来る。

 「なんじゃ、なんじゃ、なんじゃ!!」

 幼児特有の甲高い大声を撒き散らしながら、ここぞとばかりに土俵目掛けて駆け寄って来るナナムゥ。その後ろから、半袖のメイド服を身に纏った色黒の少女がドアから顔を覗かせる。私にとっては初顔合わせとなる少女ではあるが、それも含めて全てが些事であった。

 全てはバロウルと決着をつけて後の事である。

 誰に指示された訳でも無いが、私とバロウルは自然と互いに対面となる様に土俵の縁に動いた。空いた面にはシロとクロが、まるで審判の様に仁王立ちする。

 独り土俵に上った所長が、まずは能面のように硬い貌をしたままのバロウルへと尋ねた。

 「相撲のルールは憶えているわね?」

 固く口を結んだまま、ただ頷くバロウル。所長の貌は私からは見えなかったが、嘆息しているようにも思えた。

 「では『キャリバー』、貴方に相撲のルールを――」

 私の方に向き直りそう言いかけた所長を遮るように、私はその場で軽く四股を踏んでみせた。

 普段の私なら、そのような無作法で急かすようなまねは絶対にしなかっただろう。それだけ胸中に思うところが有るのだろうと、どこか他人事のようにわたしは思った。

 珍しいなと。良くはないなと。

 「……」

 私の四股を前に、何か思惑が有り気な表情を見せる所長。だがそれもすぐに消え失せると、これまでと同様ににこやかな笑みを浮かべたまま私へと尋ねた。

 「そちらは、準備万端の様ね」

 (速攻で終わらせてやる)

 ノソリと土俵に上がりながら、私は所長が垣間見せた奇妙な表情への疑念を頭の中から振り払った。

 この世に『絶対』などというものは存在しない。しかし一方、この相撲で負ける要因など何一つ存在しない。

 だからといって、この相撲に勝ったところで何がどうなるものでもない。

 (煩わしい……!)

 この勝負によって、私の溜飲が下がる事など有り得ない。どれだけ一方的に、どれだけ完勝したとしても。そんな事は、私自身が一番良く分かっていた。

 だからこそ、全てを土俵の下に投げ飛ばす他にない。バロウルへの憤怒も、自分自身への嫌悪も、何もかもまとめて投げ捨てる他にない。

 「今から相撲をとるのか?」

 土俵の縁まで走り寄ったナナムゥが、流石に土俵の上に飛び乗ったりはせずにその場から所長に声を掛けた。

 「そんなの、体の大きいキャリバーが勝つに決まっておる。なんか知らぬが、今無理してこんな無茶な相撲をとらせんでも――」

 「小兵が巨躯を制するのも相撲の醍醐味の一つなのよ。それにね」

 腰をかがめ、目線をナナムゥに合わせながら所長が応える。ナナムゥだけにではなく、私とバロウルの耳にも届かせようとしているかの如くゆっくりと、しかし力強い口調で。

 「こういうの(・・・・・)は早い内に済ませておいた方がいいのよ。今を逃すとまた心の奥底に溜め込んでしまって、取り返しがつかなくなることもあるから」

 所長の言葉に、ナナムゥは訝しげに眉根を寄せた。

 「所長の言うことは、いつも分かりにくいの」

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