祈桜(13)
(『観測船』……『瑞穂』……?)
私はミリタリー趣味には縁が無かったので艦船に関する知識は皆無に等しい。知っている船舶の名前としては『戦艦大和』か『南極観測船しらせ』がせいぜいである。
ましてや『瑞穂』なる名前に聞き覚えが有る筈も無い。ただ、その主であろう所長が間違いなく日本人である事だけは分かった。
「さて」
それまでの芝居じみた立ち振る舞いが嘘であるかのように所長は居住まいを正すと、揃えて伸ばした人差し指と中指とで何もない空間の上を二度スライドさせた。
どこか照れさえも感じさせる所長のその仕草に、私は先程の彼女の口上の際に沈黙ではなく何か大げさな反応でも返した方が良かったのかと恐縮した。居たたまれなさまではいかぬとしても、互いに何故か気恥ずかしい何とも云えぬ空気が漂ったのは事実である。
だがそれも束の間、ブンッと云う微かな振動音と共に、所長の目の前の空間に半透明の液晶ディスプレイのような画面が投影される。
「――ヴ!?」
突然の事象に目を見張る私を尻目に、所長が慣れた手付きでその画面の端に指で触れる。するとたちまちの内に室内に――所長の言葉通りならば船内という事になるが――明かりが灯り、暗がりの中の私達を照らし出した。
ゴンドラで降って来た以上、今居る室内が館の建つ丘の更に下、要は地下室に該当する場所であろうことは既に察しがついていた。
だが頭上からの照明の下に明かされた室内は私の予想以上に広々としており、高い天井も合わせてちょっとした講堂並の規模を有していた。
その室内の内で、今の私やナナムゥのいる位置は隅の方、俗に云う壁際の場所であった。翻ってテーブルを挟んで座する社長の背面は開けた空間が広がっており、奥には雑多な設備や調度品がひしめいているのが見えた。
床から浮遊しているツルリとした表面の簡素な四角い台座、透明なカバーで覆われた円筒の診察台、壁や天井から伸びる幾本もの無骨なアーム。
床の上に散見される数台の硬貨型の三型機兵すらも、その異質な機具の一群の中では私にとってはむしろ見慣れた馴染み深い物であった。
(これではまるで――)
私は生粋の文系であり、工学系はまったくの未知の分野である。だがそれでも今目の前に展開している設備や器具が、自分の知る科学知識の範疇から大きく逸脱したものであることは明らかであった。
(まるでアニメの研究所じゃないか……!?)
もう少し洒落た言い回しはできないものかと、自分の表現力の無さに呆れ返る。
それは兎も角としても、先程所長が照明を操作した液晶ディスプレイ調の画面と同一のものが、ラボの空中のそこかしこに浮いていた。加えてそれらの画面そのものが独自の判断機能を備えているかのように、逐次その投影面積を変え、或いは複数の画面が一つに結合したりと目まぐるしく変化していた。
その近未来じみた光景だけでも、所長の手の内にある科学技術が私の知る現代日本のそれを遥かに凌駕していることが知れる。そもそもが彼女の従者として仕える“シロ”と“クロ”なる二体の人型が、私がニュースなどで知る研究開発中の二足歩行の“ロボット”などとは比較にならぬ程に洗練されたものであった。
全ては科学技術ではなく“魔法”の成す技かと疑いもした。
だが設備機器の端々にはその機器名称か或いは注意書きなのか、私が視認できる範囲でもあちこちに英字が表記されているのが見えた。漢字の存在に関しては――このラボ内の機器に関しては英字に比べ稀のようではあったが――改めて言うまでもない。
(どういうことだ……?)
判断に、私は窮した。
所長が日本人だという前提がそもそも間違いだったのか。所長に漢字を与えた日本人が更に別に居たとでも云うのか。
或いは所長が日本人であることまでは間違いないが、それはそれとしてこの超技術の諸々を所長が他の何者かより継承したのか。
私が矢継ぎ早に思い描いたそれらの仮説の全てに、なにがしかの矛盾は有った。何か根本的な考え違いが有る事を、私は心の内で理解せざるを得なかった。
激しく混乱する私であったが、しかしそれ以上の詮索は続けられなかった。高い天井から2本の巨大なアームが、私目掛けてスルスルと降りてきた為である。
浮遊城塞の工廠のハンガーデッキで常時吊されていた経験もあり、私は巨大なアームが両側から自分を挟み込む挙動で迫ってきても焦る事はしなかった。壁際ということもあり、そのまま上部から吊られる形になるだけだろうという推測すら出来た。
ここに来た目的が試製六型の機体の強化である以上、今から点検なりオーバーホールなりが始まるのだろうと。
あの未知の設備群を用いて。
男児として生まれた宿命だろうか、実のところ不安よりも好奇心の方が勝ったのは確かである。
「――あ、そうじゃ!」
何を思いついたのか、不意にナナムゥが大きな嬌声をあげる。嫌な予感がしたのか微妙に眉根を寄せるバロウルを尻目に、ナナムゥはテーブルに乗り上げんばかりの勢いで対面の所長へ迫った。
「所長の力で、キャリバーをクロとシロみたいに喋れるようにできんのか?」
「んー」
終始微笑みを絶やさなかった所長の貌が、始めて逡巡の色を見せたように私には思えた。
「そう…そうね……」
言葉を探していると思しき沈黙の後、所長はナナムゥにきっぱりと告げた。
「――無理ね」
「えぇー?」
不満げなナナムゥに対し、バロウルが何かを言いかける。それを片手で制しながら、所長は先を続けた。
「クロウもシロウも私が造った訳じゃないし、機能の追加は私の手に負えるものではないのよ」
これ以上ナナムゥが無茶を言うことを危惧したのか、褐色の雌ゴリラが間髪入れず口を挟む。
「嬢、その話はもう終わった筈――」
「ちょっと聞くくらいいいじゃろ」
そのままムムムと睨み合う二人。所長は僅かに小首を傾げ両者を見比べると、状況が膠着したことを確認し再び口を開いた。
「益が無いから二人ともお止めなさい」
絶えぬ微笑み。凛とした声。直球な言葉。
ナナムゥとバロウルが我に返るには充分なものであった。
ああと、私はその既視感にすぐに思い至った。
私から見るに、バロウルとナナムゥの普段からのやり取りには姉妹然としたものがあった。寡黙な姉とおませな妹。そこに所長が優しさと厳格さを兼ね備えた“長女”として加わることで、漫画などで良く見る“三姉妹”として、妙に収まりが良かった。
「ナナムゥ」
その所長が今まさに“三女”を諭すような口調で告げる。
「私とバロウルは今から試製六型の点検に入るから、貴方は裏のミィアーのお手伝いをしてあげて」
「邪魔になるのか?」
駄々をこねるかと思われたナナムゥだったが、意外にも素直に頷いた。弁えた賢しい子だと、私は改めて感服する。
そしてナナムゥに改めて“仕事”を依頼することで幼女の自尊心をくすぐる所長の手腕にも。
「所長の頼みなら仕方ないのぉ」
勝手知ったる場所なのか、椅子から飛び降りたナナムゥが、既にアームに固定され身動きできない私の横をトタタと駆け抜けて行く。
私の背後の壁面の向こうへと。
ここが予測通り丘の地下に位置するのなら、我々が館からゴンドラで降りて来たルートとは別に他の出入り口も当然有るのだろう。
事実、私の背後で扉がスライドしたのであろうシャッという軽快な音が僅かに聴こえ、去り際のナナムゥの残した言葉が私の耳にも届いた。
「所長、そやつは“試製六型”じゃなくてキャリバーじゃぞ」
相も変わらず私に対する庇護欲をナナムゥは持っているのだろう。その言葉の響きは宣教師じみた決意をも感じさせた。
バロウルが依然として私の事を『六型』としか呼ばないことも、ナナムゥのその想いを反って掻き立てていたのかもしれない。
と、ナナムゥの気配が消えたのと入れ替わるように、ガラガラという大きな音が私の背後より迫り来ていることが知れた。
これ以上ないと言わんばかりの原始的な車輪の響き。この雑多な人種と風習と文化とが入り交じる閉じた世界の成り立ち上、何が出てきてもおかしくはない。
それでも、白黒二色の人型である“クロ”が大きな台車を押してラボに入ってきた時には、まるで自分が元居た世界に一瞬戻ったような、何とも妙な気分になった。
そのまま車輪のガラガラという重い音と共に、クロの押す台車が私の脇を抜けてテーブルの方へと向かう。
所長とバロウルの前で停止したその台車が運んできた積み荷は、私にも見覚えのある物であった。
金属製のくすんだ色の箱――強いて云うならば形状も大きさもトランクに近いその箱は、荷馬車によって私と共に運ばれてきたものであり、それが台座の上に二連三段で積まれていた。
「所長」
バロウルが腰のポーチから四つ折りの書類を取り出しテーブルの上へと広げる。そして台車の横に歩み寄ると、最上段の箱の表面へと触れた。
「受け取り印の前に、中身の確認を」
バロウルの指先に僅かに燐光が漏れ、箱の蓋が文字通りトランクのように上部にガパリと開いた。
これまでもバロウルの褐色の肌に刺青の様な微細な紋様が浮かび上がる様を、工廠で幾度か目にする機会はあった。だが、これまでそれが何かを訊くことはしなかった。バロウルが素直に答えてはくれまいという確信があった為である。
ただ、美しいとは常々思っていた。その燐光のような輝きが。決して本人には伝えはしないけれど。
(それよりも、だ……)
私は、箱の中身が何かを知らされてはいなかった。故に、興味を惹かれたのは当たり前のことだろう。
幸い、アームで固定された今の私の位置からでも視界を拡大して箱の中身を覗くことは出来た。
箱の中身を知らぬとは云え、コルテラーナが手ずから運ぶ以上それなりの物であることは予測できた。興味本位で尋ねるのも無作法に思えて、本人に訊くのが躊躇われただけである。そういう次第で、覗き見のような形となり些か不本意ではあるが、ようやく私は謎に包まれたその中身を目にする機会を得た事になる。
(――カプセル?)
一見したところ、そうとしか見えなかった。サイズこそ乾電池大の物からペットボトル大の物まで幾種類か有りはしたが、その全てが薬のカプセルと同じ円筒型の形をしていた。
ガラスを思わせる透明な筒の中に充たされた白い液体。それはまるで濃霧のように筒の中で渦巻き蠢き、同時に私に強い既視感を思い起こさせた。
「確かに……いつもより、だいぶ多いようだけど」
どこからか取り出したペンでテーブルの上の書類にサインしながら、所長がバロウルに尋ねる。
「妖精皇国が借り受けている機兵の数が増えたとは聞いていないけれど」
ペンを置き、指で箱の中の円筒をひのふのみと数える所長の生真面目な顔が、ふと憂いを帯びたものに変わる。
「ナイ=トゥ=ナイの提示通信の通り、いよいよ戦争が始まるのですか?」
「違う!」
まったく想定していない問い掛けだったのか、バロウルが慌てて弁明に走る。
「先日ナナムゥが張り切って計画数以上の“幽霊”を狩ってきたから――」
間が悪かったと、言うべきだろうか。それともわたしに言わせれば悪い事は出来ないということなんだろうか。
冷静沈着を常としている――それでも私相手には敵意を隠そうともしていないが――バロウルが思わず口を滑らしたのも珍しいことならば、普段は察しが悪い私がその言葉の意味することにすぐに気付いたのもまぐれ当たりの様なものであるのだろう。
(ナナムゥが…狩ってきた……?)
私の中で個々の点と点が結ばれ一つの仮説が浮かび上がる。
機兵用――電池のような円筒――白い霧――ナナムゥが狩った――“幽霊”――
(ああっ……!?)
先日、私がナナムゥと共に狩り集めた“幽霊”は、揚陸艇に収納され浮遊城塞オーファスに運び込まれた後、二度と城塞内で見掛けることは無かった。
知るべき時になれば自ずと明かされるだろうと、私は特にその行方を詮索はしなかった。それ程興味を惹かれなかったというのも無論ある。単に多忙であったという理由で先送りしていたと言ってもいい。
その答えが明かされる時が今来たのだとしたら。
無関心を装ってきたツケを今払う時が来たのだとしたら。
かつてコルテラーナはこう言っていた。瀕死の私のこの魂魄を、試製六型の機体に移し替えたのだと。
それはこの閉じた世界においては、“魂”の存在とそれに関するなにがしかの制御法が確立されているということでもある。
何よりも妖精皇国に至る道中でこの私自身が、死んだ猿人が“幽霊”と化す場面を目撃している。
ならば私が狩り集めた“幽霊”と化した魂は――白い霧が人型と化して蠢く“幽霊”は――あの円筒に詰められているものは――
「ヴヴ!」
忌まわしい仮説。受け入れ難き仮定。
だがそれが導き出された“真実”であることを私は確信していた。故に私は、“否”の意を示す紅い眼光を激しく明滅させた。さながら警告用の回転灯のように、赤光がラボの白い壁を断続的に照らす。
――裏切られた!!
おかしな話だと、自分でも思う。あれだけ“敵”だと認識していたつもりのバロウルに対し、まず抱いた思いがそれであった。
何故だかは、自分自身でも定かではない。所詮は人の子である以上、全てが論理的という訳にもいかず不条理な思いを生じさせることもあるのだろうか。私には分からない。
だが、いきなり無防備な横面を強打された、そんな気がして私は自分の中の憤りを完全に抑えることがどうしても出来なかった。どうしても。
「どうしたの!?」
私の異様な行動を前に赤色の“シロ”に庇われた所長が、それにも構わず前に出てバロウルに尋ねる。
「まさか、『リンカーソウル』の事をまだ教えていない――」
「こいつには不要な情報です」
キッとバロウルが柳眉を逆立てて私を睨め付ける。
「死んだ人間の魂を動力素に還元していると知れば、この気弱な男の事だ、うだうだと悩み出してコルテラーナの役に立たなくなる!」
バロウルの感情に直結しているのだろうか、褐色の肌を下地にしながら輝く紋様が完全に浮き出て露わとなる。まるでバロウルの心自体がひび割れでもしているかのように。
ナナムゥかコルテラーナがこの場にいれば、バロウルもここまでは取り乱さなかったのかもしれない。
普段の寡黙な態度からは一変して一方的に捲し立てるその様は逆切れ以外の何ものでもなく、それが更に私の心を苛立たせた。
もしも私に口があったのならば、おそらくは売り言葉に買い言葉で口汚い言葉をバロウルへと返しただろう。そのような無様を晒す羽目にならなかった事だけはありがたかった。目の前の褐色の醜く無様な裏切り者の雌ゴリラとは違って。
「そもそも私は反対だったんだ! こんな甘い男を“黒い棺の丘”に送り込むなど碌な事には――」
何かのスイッチが入ったのか、そのまま私を貶めるバロウル。痛いところを突かれてはいるが、それを笑って流すことができる程に私は聖人君子ではない。私は“敵”に対してそこまで優しくはなれない。私は――
敵意に充ちた喧騒を断ち切ったのは、耳をつんざくサイレンの音であった。




