祈桜(12)
「ヴ……!」
迂闊に過ぎたと自分でも思う。惰弱に過ぎたと自分でも思う。
日本人ならすぐに気付くべき有り得ざる光景。だが私は呆けたように身を震わせるばかりで、そこに思い至ることすら出来なかった。
有り得る筈が無いのだ。桜の花の咲く時期と、水田に青々と稲が育っている時期が重なるなどということは。
所詮インドア派の私が知らないだけで実際は重なる地方も有るのかもしれない。しかし私にとっては違和感しかない光景であることには変わりなく、それにすら気付かぬ程に動揺していたのもまた事実であった。
「しょちょーーーーっ!!」
前方に響く甲高く耳をつんざく大音声に、私はビクリと身を震わせた。
声の主――改めて言うまでも無く我が幼主ナナムゥの姿を求め、慌てて視界を拡大する。
館の建つ小高い丘の、ちょうど麓の辺りにナナムゥはいた。正確にはそこに設けられた敷地の正門へと伸びる道の上を、転がるように駆けていた。
丘の周囲をグルリと囲むように小洒落た低い柵が張り巡らされおり、今荷馬車が行く主道もその正門が終着点であった。
そして正門の前に出迎えとして立つワンピース姿の黒髪の女性に、駆け寄ったナナムゥがそのままピョコンと飛びついた。
「来たぞ!」
流石に自重したのか、ナナムゥは興奮した幼児のように絶叫しっ放しということはなかった。私の荷馬車からは彼女の歓喜の声はかろうじて聴きとれるまでに絞られていた。
拡大した私の視界の中で、黒髪の女性がナナムゥの両脇を笑顔で抱き抱え、遂にはその場でクルクルと回り出す。
そこだけを切り取ると割と良くある微笑ましい光景でしかない。だが加えてその場には、どうやっても看過できない違和感の塊が存在していた。
はしゃぎ回る彼女達の両脇に控える、二腕二脚の二体の人型。
ズルいカッコいいというのが、その二体の人型を見た私の嘘偽りない最初の感想であった。
ナナムゥ達と比較すると全長2m半といったところであろうか。一体は深い赤色の本体色に黒の差し色。もう一体はまるで警察車両を思わせる白と黒のツートンカラー。
短めの脚でゴリラのような前傾姿勢の試製六型と比較して、まるでゲームやアニメの世界から抜け出してきたような洗練された外装。私が伝承のゴーレムと同じく石や泥から造られた武骨な巨像がモチーフであるならば、向こうは専門のメカデザイナーの手による主役機体。
外観には、それ程までの差異があった。
ワンピースの女性が“所長”であるのならば、脇に控えるその二体こそがナナムゥの言っていた“クロ”と“シロ”なのだろう。飼育動物の類だろうと単純に予測していた自分の浅はかさは置くとしても、機体色と名前がまったく一致していないということが強く私の印象に残った。
普通はそのような紛らわしい命名はしない。おそらくはその名前に関しては、何か私の大きな思い違いが有るのだろう。私のいつものことではあるが。
今は完全に速度を落とした2台の荷馬車が、笑い合うナナムゥ達の元へと私を乗せてゆるゆると進んで行く。私に出来る事はただ、成り行きに任せることだけであった。
この所長の許で、試製六型は強化されるのだという。コルテラーナの事前の説明だとそうであった。
だからといって、ガッハシュートの域にまで達するなどとは到底思えなかった。
「……ヴ?」
スイと荷台に紛れ込んだ一片の花片に私は目を奪われた。
勝手知ったる桜の花片。私が生身であった頃を思い起こさせる可憐な薄桃色の花片。
それが一片また一片と荷台に吹かれ降り注ぎ、傍らのいまだ正体不明な“彼女”のバイザーの上に止まった。
(まぁ、いいか……)
そうそう悪いようにはならないだろうと、わたしはそれ以上思い悩むことを止めた。太い武骨な指で宙を舞う桜の花びらを追いながら、私はそう確信していた。
*
「所長、コルテラーナは?」
それが、桜の花咲く丘の上のこじんまりとした館の応接室に招かれたバロウルが、最初に口にした言葉だった。
(あ……!)
恥ずかしい話であるが、桜を視た衝撃で半ば呆けていた私は、そこで初めて先行している筈のコルテラーナの箱馬車が見当たらなかったことに気が付いた。
簡素な外観の平屋建ての館の戸口に繋がれていたのは、確かに我々を運んできた2台の荷馬車のみであった。
「街から使いが来ました」
手際よく応接室中央のテーブルにカップを並べながら、“所長”が事も無げに答える。
「先に図書館に向かってから来るそうです」
「図書館が……」
彼女にとっては想定外だったのだろうか、バロウルが眉を顰めた様に見えた。
「そうか……」
何を懸念するのか、私が背後から見下ろすバロウルの横顔は心なしか暗い。ただ普段から表情に乏しい彼女の心の機微をその褐色の肌から読み取れる程には、私はバロウルの事に精通してはいなかった。私にとって、彼女は所詮は『敵』なのだから。
「粗茶ですが」
伏し目がちな雌ゴリラとは対照的に明るい声で所長がバロウルと、既に椅子に座って脚をバタバタさせているナナムゥに促す。
お茶会とすら呼べないささやかな一席。手持ち無沙汰ということもあり、私は周囲に油断なく視線を巡らした。
荷馬車を戸口に繋いだ我々が――私の下半身が再び接続されるのを待ってから――案内されたのが、玄関から入ってすぐの位置にある、大きめのテーブルと椅子以外にこれといった調度品の置かれていない簡素な応接室であった。奥に見える扉の先はおそらく炊事場か給湯室の類であろうか、いずれにせよどこか事務的な、生活臭というものが乏しい部屋であった。
それは内装だけに留まらず、建物の造り自体も同様であるように私には思えた。カーテンを備えた窓があり、木製の片開きとはいえ相応の意匠の凝らされた扉があり、窓際には名も知らぬ花の鉢植えが飾られている。
にも関わらず、敢えて言うならばプレハブ造りの一時的な事務所、そういう取り敢えずあつらえた施設のような雰囲気を全体的に醸し出しているように、私には思えてならなかった。
対面の椅子に座りニコニコと見守る所長の前で、バロウルとナナムゥがカップに口を付け茶を啜る。
毎度の事ながら、私はこの巨体故に彼女達の背後に突っ立ったまま待機しておく他にはない。だがそれはこの場に居るものをつぶさに観察できるという利点もあった。
“所長”――その名はコルテラーナを始めとし、ナナムゥからもバロウルからもこれまでしばし耳にする機会があった。その会話の端々から、“所長”なる呼称で呼ばれている人物が女性であろうということだけは朧気に推察できた。
その肩書きの響きにより私は何となく――その貧困な想像力には我ながら失笑ものだが――制服なりスーツなりに身を固めた毅然とした人物像を思い描いてもいた。
だが目の前の女性は俗に云うタヌキ顔ということもあり、それとは真逆のどちらかと云えば親しみやすい、そして同時にどこか浮世離れした独特の雰囲気を身に纏っていた。
肩口に付くか付かないかの長さの緑の黒髪。その目鼻立ちと肌の色は東洋人――それも大陸系とは明らかに異なる日本人のそれにしか私には見えなかった。同じ日本人である私が、他国のアジア人ではなく紛れもない御同輩だと認識出来る程に。
故に、血族以外の女性の顔と年齢の判断が覚束ない私でも、かろうじて所長の齢が三十前後ではあるまいかというところまでは推測できた。
(それよりも、だ……)
私は所長の容貌よりもその立ち振る舞いの方に気を惹かれた。先程の歓待の準備の様子が――カップを並べ茶を注ぎナナムゥへと目配りする、その動作の一つ一つが洗練されたものであり、所長なる女性の手際の良さと――おそらくは――育ちの良さが明らかに見て取れた。
私自身は――どんなに良く言ったところで――せいぜい中流の家庭環境で育った為、礼儀作法の本格的な手解きなど受けたことはない。逆にそれ故に、所長の自然な動作一つ一つが、自分の育った世界とは無縁な手の届かぬ高嶺の花の領域であることを肌で感じ取ることが出来た。
要は、かなり良いところのお嬢さん――女性は幾つであろうとお嬢さんである――ではあるまいかと、私はこの時点で少なからぬ畏怖の気持ちを抱いていた。
「――?」
あからさまに単眼を動かさぬよう留意していたとは云え私の不躾な視線に気付いたのだろうか、所長が私の貌を見上げ、そしてニコリと笑った。
コルテラーナと同じ、見る者を惹き付けて止まない魅惑の微笑み。しかしコルテラーナの微笑が見る者の庇護欲をかきたてる、この女性を放っておく訳にはいかないと危惧させる“陰”のそれだとすれば、所長の微笑は見る者に安寧を感じさせる、生まれながらにして備わった“陽”の笑みであった。
暗闇に射す月の光と青空の元の太陽の輝き――気取った言い回しをすれば、そのような差異であろうか。そしてそれは決して交わることのない真逆のものであった。
「ヴ」
所長に訊きたい事、訊かねばならぬ事は山のようにあった。
私は改めて彼女と、そして案内された応接室を見渡した。私の見知った画風の掛け軸が、壁の一方に吊られているのが見えた。
(水墨画か……)
浮遊城塞オーファス内でもこれまで幾度か目にした漢字の意匠を持つ小物。機兵を始めとする、私の知る元居た世界のものと酷似した数多の名称。それらが点在にすることにより私はこの閉じた世界に自分と同じ日本人が居た――或いは今も居る――ことを確信していた。
それが今、ようやく推測ではなく現実のものとして目の前にあった。所長の容姿もそうであれば、応接室のささやかな調度品もそうである。紛れも無い日本の香り。これで見立てが違っていたらショックで立ち直れないという奇妙な自信すらあった。
(同族意識というやつか……?)
この見知らぬ異世界で、自分が心の奥底で同朋を求めていた事に私は初めて気付いた。喪った妹の“代替品”を無節操に求めているのだろうかと、我が事ながら情けなかった。
「所長、そろそろ……」
一息ついたのか、既に暇を持て余し気味のナナムゥを一瞥した後に、バロウルが向かいに腰掛け相変わらず笑みを絶やすことのない所長を促す。
「そうね」
所長が頷き、応接室内部ではなく戸口の所に立つ白黒二色の機体色の人型に声を掛ける。
「クロウ」
ん?と、私がその呼び名に違和感を覚えた瞬間、ガクンというくぐもった音と共に床が軽く振動した。
「ヴ!?」
慌てて中腰で衝撃に備えたのは私だけであり、他の面子は至って平穏であった。ナナムゥに至っては、背後の私へと振り返り明らかにはしゃいでいた。
そのままゴンゴンという音と共にテーブルを中心とした応接室の床が丸ごと沈み込んでいく。結果として、戸口に立ちこちら側を見守っていたクロなる人型だけがその場に残る形となった。
要は巨大なゴンドラである事に私は気付いた。一旦落ち着いてみると降下速度もそれ程早いものではなく、八畳敷き程の広さの床が丸々沈み込んでいるため、端から転げ落ちる心配も無い。
とは云え柵が無いことには変わりなく、加えて初見の私にとっては奈落の底に招かれているようなものであった。その場で四つん這いの無格好な姿勢でバランスを保つと、私はようやく視界を暗視モードに切り替えた。
流石に吹き抜けの中をゴンドラが降りていくなどという危険な構造にはなっていないことに、私はまず安堵した。周囲四方はきちんとした壁面となっており、落下の危険は皆無であった。
まずそれを確認した私の頭上で、四角く口を開けていた元居た応接室の床面が――今は天井にあたるが――スライドして完全に閉じる。
(――なにっ!?)
周囲が完全に闇に閉ざされた事に、私は狼狽した。私もナナムゥも夜目が効くが、無論光源の全く無い真の闇の前には無力である。
ましてバロウルも夜目が利くなど聞いたこともなく、更に私の予想通り所長が日本人であるならば尚のこと暗闇を保つ意味が無い。
と、パチンという指を鳴らす音が暗闇に響いた。
それと同時に頭上より、スポットライト状の照明がテーブルを中心として我々一同を照らし出す。
涼しい顔で、右腕を掲げた指を鳴らしたポーズを保ったままの所長。その芝居じみた立ち振る舞いから、暗闇も含め全てが彼女の演出であることを私は知った。
「――改めて、ようこそ観測船『瑞穂』へ」
それまでとは打って変わった所長の凜とした声が周囲に響く。
所長の背後の暗闇より、それまで姿の見えなかった赤い方の人型が彼女を護るように歩み立つ。
「歓迎します。コルテラーナの新しい子よ」




