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祈桜(9)

 (――ままよ!)

 私は意を決して、無造作に転がされた人影の待つ空き地へと脚を踏み入れた。

 躊躇している内に私に何か不都合でもあったのかと、バロウル達が追い縋って来る事態だけは避けねばならなかった。

 単眼を左右に巡らす。依然として動くものは何も無かった。失神でもしているのか微動だにしない、一見すると潜水服か何かに見える例の人影を除いては。

 (嫌な予感しかしない……)

 恐る恐る歩を進めながら、私は既に後悔の念に苛まれていた。

 脳裏の声無き声との接し方については、私なりにある程度は勝手が分かってきたつもりであった。声無き声による警告の有無もその一つである。

 浮遊城塞オーファスの地下廃棄場で目覚めた時の同型機(いもうと)との闘いの際には、声無き声による接近の警告が随時有った。その一方、ガッハシュートの襲撃を受けた際は向こうから声を掛けられるまで一切の警告は無かった。それどころか、ガッハシュートに関する情報提示の要求すら拒絶されたくらいである。

 何らかの決まり事が有るのだろう。私が与り知らぬ何らかの指針が。

 故に私は既に、ある程度の諦めの境地に達していた。

 

 いきなり後頭部を強打された、今この瞬間には既に。


 (なっ……!?)

 己の躰が傾ぐ感覚に身を震わせながら、私は歯噛みしていた。

 臭覚さえあれば、猿人の悪臭さえ嗅ぐことができていれば、ここまで無様に不意打ちを食らうことも無かったのではないかと。

 また無様な敗北を晒す羽目にはならなかったのではないかと。

 背後から獣じみた下卑た哄笑が聴こえた。樹上に身を潜めて窺っていたとしか思えなかった。

 何とかして後方のバロウル達に危機を知らせないと――ドゥと両手を地に付けながら、私は虚しくあがいた。例え声が出せずとも、せめて鐘の類でも携帯しておくべき備えを何故怠ったのかと、今更ながらに自分を責めた。

 だが全ては後の祭りである。

 私はまた護ることが叶わなかった。何一つ…何一つも――


 「――ヴ?」


 違和感が私を包んだ。もしも私が生身のままであったなら、頭部を構成する血肉の全てを地面にぶちまけていたことは間違いない。

 だが今、確かに衝撃だけはあった。にも関わらず、はっきりとした意識もあった。天に召されたという訳でもなく、今この場に。


 『自信を持ちなさい、私のキャリバー』


 コルテラーナの励ましの言葉が私の脳裏に蘇る。柔らかくもたおやかな、私にとっては何よりの力の源として。


 「――ヴ!」


 私は項垂れた頭部をガバリと跳ね上げた。呆けている場合ではなかった。

 結局のところまた私は、誰かの言葉によって救われたということになる。

 いつものことだ。私がよほど頼りなく見えるのだろう。皆が皆、私を励まし力をくれる。幼き頃から、この異なる世界においてすら。

 ありがたいことだと思う。本当に。心から。

 (恩を受けるばかりだ、私は……!)

 地に付けた両の手を支えに私は立ち上がり、躰ごと後ろに振り返った。

 その目線の先に猿人はいた。私の頭部を痛打した棍棒を構えながらも、その貌は怯えているようでもあった。少なくとも、ギュイとその貌を拡大した私にはそう見えた。

 「ヴ!」

 私は両腕を大きく掲げると、猿人に覆い被さるようにズイと一歩を踏み出した。小柄(チビ)だった私は、巨躯の相手がそれだけで畏怖を与える存在なのだという事を、この身をもって知っていた。

 巨体であることが“初体験”であるが故に、本当に威圧できているのかは分からない。何にせよ、見下ろす形ではあるがようやく私は猿人の全身をくまなく仔細に観察することができた。

 何かの動物の皮であろう粗末な腰巻。それとは対照的に手足や首を始めとする全身のいたるところに、猿人は色とりどりのスカーフ状の布を巻き付けその身を派手に飾っていた。

 幌馬車内で最初に遭遇した時に私が穴居人めいた印象を持ったのも、この布の装飾が俗に云うインディアンを連想させたからかもしれない。

 (いける……!)

 私が一歩にじり寄ると、猿人がその一歩分を後退る。猿人が私に気圧されているのは明らかであった。

 それが油断に繋がったのかもしれない。或いは本能的に、絶対的な優位にあることを理解出来ていたのかもしれない。何をされても揺るがぬ程の差が存在することを。

 何れにせよ、追い詰められた猿人が唐突に棍棒を振り上げ私の胸部を強打した時には、私には避ける暇は無かった。

 否――避ける気にはならなかった。

 棍棒が根本からへし折れ、逆に両腕を襲った反動の衝撃に猿人が文字通り獣のような咆哮を上げる。この騒ぎを聞きつけ、ナナムゥとバロウルが危険を顧みずにこちらに駆け付けて来るのではないかという懸念を最初に抱く余裕すら、今の私にはあった。

 硬い巨体。優れた膂力。様々な機能を兼ね備えた単眼(ひとみ)

 試製六型機兵(ゴレム)として転生したこの躰が弱い筈などないことは以前から理屈では知っていた。にも関わらず無様に破れ倒れ伏すのは魂魄(わたし)が弱いからだと恥じていた。

 だが、今なら分かる。実感として分かる。理屈としても分かる。

 この閉じた世界(ガザル=イギス)で覇を競う為に、“彼等”によって超常の能力を与えられた“六旗手”。この世界において彼等6人の“旗手”が頂点であることは疑いようもない。

 しかしかつてナナムゥはこうも言っていた。

 ガッハシュートこそその六旗手の一人であるカカトにも引けを取らない存在であると。

 “旗”を持つことも無しに。

 ならば私がガッハシュートに惨敗を喫したのも不思議ではない。むしろ始めから勝てる筈もない相手であった。

 『相手が悪かった』――それは見苦しい弁解などではなく、まさしくそういうことなのだろう。まして試製六型(わたし)は戦闘用ではないのだから。

 負けたとしても必然であり恥ではない――それが曲解に過ぎないとしても、私はそれに縋るしかない――その事実に、私は正直浮かれていたのだと思う。

 私はいつもそうだ。

 今度は私の(ターン)だと、私は思った。思ってしまった。今度は私が“勝つ”番だと。

 私は右手だけを腰の位置に引くと、子供の頃に習った空手の正拳突きの要領で、いまだ恐慌状態にある猿人目掛けて拳を見舞った。

 顔面は避けた。それが自分に僅かに残った良識だったのか、単に獣人という下卑た存在を殴るという行為そのものへの嫌悪だったのかは自分でも分からない。

 心の惑いは拳の軌道に出る。それ以前にそもそもが素人の拳である。結果として私の拳は中途半端に猿人の左肩に当たり、そしてその代償として絶叫が響いた。

 無論、猿人の放った絶叫である。その叫び声はしかし、それまでの獣声と異なり驚く程に人間のそれに似ていた。

 (――なっ!?)

 今更と誹られるのは分かっている。だがひしゃげ、有り得ない方向に折れ曲がった猿人の左腕を前に、私は己が所業でありながら言葉を失った。

 殴った事への手応えはあった。もし私が生身のままであったなら、拳越しに殴った相手の肉のたわみを、骨の固さを、身を持って感じ取ることが出来ただろう。生々しいその脆さと共に。

 しかし今の私の石の拳に響いてきたものは、単なる画一的な反動でしかなかった。まるで物を殴っているような。どこにでもある壁を殴っているような。

 それが私には堪らなく恐ろしかった。罪悪感すら芽生えない、無機質なこの一撃が。

 私はいつもそうだ。

 パニックには至らなかった。むしろ自分でも薄気味悪い程に私は冷静だった。

 故に――それ故に私は、猿人が私の横をすり抜け脱兎のごとく逃げ出そうとする様を黙って見逃した。

 もしも猿人がその場で背を向け私が元来た林の中へ――ナナムゥ達が待機している方へと逃げ去っていたのならば、私も是が非でも追い縋っていただろう。だが――


 『諍いは避けなさい』

 『誰かに傷付けられたとしても、その人を許してあげなさい』


 それが、母が私に幼い頃から繰り返し諭してきた言葉。


 『もしも男として戦うと決めたなら、どんな手を使ってでも勝ちなさい。そして、情けを掛けずに必ず止めを刺しなさい』


 どうしてと、幼き頃に一度だけ母に尋ねたことがあった。許せと言っておきながら、どうして止めを刺さねばならないのかと。

 まだうら若き母の――改めて数えてみると、まだ二十代の末だった母の――哀し気な瞳だけは今でも忘れる事ができない。


 『私はそれで、とても苦しんだから』


 黙って猿人が逃げ出すのを見逃しながら、母が繰り返しそう教え諭してきたその理由を、私は今ようやく理解することができた。

 母は知っていたのだ。己が息子が他者に止めを刺す事すら出来ない惰弱な仔だということを。

 だから教え諭してきたのだ、幾度も幾度も。自分と同じ轍を踏まないように。

 それが叶うことの無い無駄な行為だと、おそらくは分かっていたのだとしても。

 「――ヴ!」

 私は意を決して前傾姿勢をとった。今すぐに猿人の背中に追い縋り、止めの一撃をその後頭部に喰らわせる為に。

 負い目を感じる必要など無かった。何よりも、先に私の後頭部を棍棒で殴打したのは猿人の方である。意趣返しとして何ら恥じることはない。

 何よりも、このまま逃がすといずれまた隊商を襲うであろうことは目に見えていた。

 (やらねば……!)

 哀れにも腕を引きずり、激痛のためかヨタヨタと逃げ惑う猿人の背中に追いつくのは、鈍い私ですら出来る容易い行為であった。

 故に、それ故に私の脚はそこで止まった。

 (ごめん、母さん……)

 私は心の底で亡き母に詫びる他なかった。もしもあの世なりが有るとして、母がそこに居るとして、この閉じた世界(ガザル=イギス)からは隔絶されているだろうけれども。

 (やはり私には出来ない……)

 構えていた拳がダラリと下がる。

 結局のところ私は、背を見せて懸命に逃げる相手に追い縋って止めを刺すことなど出来なかった。

 生命を奪うことへの怖れ、生命を手にかけることへの嫌悪。理屈付けは幾らでも出来る。

 だが理屈に関わらず、どうしても無理だった。私には。

 最後は転がるように、猿人の姿が林の中に消える。

 あの傷ではもう隊商を襲う事も出来まいと、私は自分自身に強く言い聞かせた。野垂れ死にしてもおかしくない程の深手を負わせたことから目を逸らしながら。

 だが私の戸惑いはたちまちの内にかき消された。予期しない者の手によって。


 “――緑曜石(タングラム)!”


 聞き覚えのある――否、決して忘れはしない低い無機質な音声が響いたのはまさにその時であった。

 「――ヴ!!」

 私が知る限りでは唯一、そして私が知らぬ者を含めてもおそらくは無二の起動音声。

 その声の主の姿を探し、私は身構えつつも忙しなく周囲に単眼を巡らした。

 だがその起動音声は私に向けられたものではなかった。次に私の耳に届いた声は、この開けた空き地ではなく前方から響く、耳を塞ぎたくなる程の凄惨な絶叫だった。

 (なんで!?)

 正直、訳が分からなかった。元々わたしは細かい事を考えるのに向いていない。ただ突き動かされるように絶叫の方に駆け出しながら私は、これから目にするであろう陰惨な光景を予測し、澱んだ気分になった。

 林に踏み込み前方に進む。すぐに死体と遭遇した時には、しかし自分が予期していた程には私は取り乱しはしなかった。

 初めて直に見る死体にも関わらず。何故か好んでスプラッタホラーを観ていた妹とは異なり、その手の“グロ”には耐性が無いにも関わらず。

 予め覚悟していたからだろうか。或いはこの石の躰に生まれ変わったことで、精神の方にも何らかの影響があるのだろうか。

 どちらにせよ私には、そのことで思い悩む暇すら無かった。袈裟懸けに両断された猿人の屍体を間に挟んだ形で、私は右腕からカートリッジの“排出”を終えた青年と再び対峙する羽目になった為である。

 ガッハシュートと。白い衣と銀の鎧を身に纏った青年と。

 「……」

 私を一瞥したガッハシュートは、無言であった。ただ能面のように無表情なその貌と足元の死体とに、私は交互に目をやり出方を窺うしかなかった。

 自分で言うのもなんだが、それ程私にとってガッハシュートとの闘いはトラウマとして残っていた。もし生身のままであったなら、夢を見ることが出来ていた時ならば、毎夜悪夢にうなされていたであろう程に。

 「……」

 それまで沈黙を保っていたガッハシュートの口から最初に漏れたものは、言葉ではなく溜息だった。

 「何故見逃した……?」

 まるで落第生(おちこばれ)を前にした教師のような口調で、ガッハシュートが私に詰問する。

 「自分がしでかした事の意味を理解しているのか?」

 「!」

 “敵”にわざわざ指摘されるまでもない。私自身のくだらない弱さ。それを“優しさ”などと呼ぶことがただの誤魔化しであることは、私が一番良く知っていた。

 「お前一人の目先の情で、結果的に大勢の者が危険に晒される。獣人(ヒバルブ)と誼を通ずる事など出来はしない。コルテラーナの仔でありながら、その道理も分からないか、愚か者(キャリバー)

 脈絡も無く姿を現し、私が見逃したものの生命を奪い、そして長々と頭ごなしの説教を始める、その理不尽さに言いたいことがないでもない。だが紛れもなく正論でもあった。一理有る以上、私としては言い返す事も出来ない。

 怒られている内が華。怒られなくなったら見捨てられたと恥じなさい――母の教えの一つが脳裏をよぎったことも無論ある。

 自省の意も込めて身動ぎしない私に対し、ガッハシュートが僅かに苦笑を浮かべたようにも見えた。

 「カカトと足して割れば、ちょうどいいんだがな……」


 「――キャリバー!」


 ガッハシュートの呟きに、幼女の大声が重なる。

 反論の一つも出来ずただ居たたまれずに佇むだけの私を救ってくれたのは、今度もまた背後から――例の空き地の方から――聞こえてくる、ナナムゥの幼女特有の大音声であった。

 私の意識がそちらに一瞬逸れた時には、再びガッハシュートがスティックを再装填した低い起動音声が響いていた。


 “――灰雲母(ミルメリス)!”


 「ヴ!?」

 反射的に身構える私を尻目に、ガッハシュートの掲げた左腕から霧吹きの様に何か白い粉塵が噴射される。それはすぐに濃霧の様に私の周囲を包み込むと、ガッハシュートの躰を霧のカーテンの奥に隠した。

 「迷うな。迷いは破滅をもたらす」

 霧の中から、ガッハシュートの凛とした声だけが響く。

 「死ぬべき運命の者には死を与えろ。生き延びた者も終生苦しむ事になる、それだけは憶えておけ」

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