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祈桜(8)

 「どうするもなにも、“はぐれ”を野放しにしておく訳にはいくまい」

 ややあって口を開いたバロウルの尻馬に乗って、ナナムゥがフンスフンスと相槌をうつ。

 「わらわ達を襲ったのが運の尽きじゃ、『猟獣は乗馬に先んずる』じゃ!」

 おそらくはこの世界の格言を前に、コルテラーナも老先生も特に異論を挟まなかった。行きずりの旅の途中の襲撃ならば兎も角、今まさに浮遊城塞と妖精皇国との間で荷駄隊が行き交っている以上、このまま放置しておく訳にもいかないということは私でも判る。

 その意味では老先生の『ドウスル?』という問い掛けは、『誰が行くのか』という確認でしかない。更に加えて言うならば、今のこの面子で『誰が』に該当する選択肢が、そもそも有るとも思えなかった。

 私が既に脳裏の声無き声へ猿人の情報を先んじて問うたのは、要はそういう理由であった。

 (――酷いな……)

 脳内に提示された猿人の情報をざっと一読しただけで私は慄き、そして言葉を失った。

 “獣人(ヒバルブ)族”――それが、私が勝手に“猿人”と呼称していた蛮人の、この世界での正式名称であった。

 忌まわしい事に“種族”である。この閉じた世界(ガザル=イギス)において、それはすなわち個体ではなく集団として認知されるだけのまとまった数が存在するということを意味していた。

 単に文化水準の低い蛮族というだけであるのなら――少なくとも土地や資源に逼迫していない今ならば――ある程度の棲み分けは出来たのかもしれない。

 だが先程の襲撃が示すように、そしてその“獣人”という呼称が示すように、彼らは人と云うよりも獣の類に近い、好戦的かつ取り決めなり約定なりの交渉の余地もない、殺伐を絵に描いたような排他的で厄介な種族であった。

 この閉じた世界(ガザル=イギス)の南方区域が平原と森と湖とに恵まれた肥沃な土地でありながら、大集落として妖精皇国ただ一国だけが存在している理由もそこにある。

 猿人――今更“獣人(ヒバルブ)”と呼称するには私の中で“猿”のイメージが強くなり過ぎた――は南方奥地の大森林に巣くい、徒党を組んでは定期的に人間の居留地を襲い略奪を働く、まさに無法の害獣の群れそのものであった。

 “彼等”によってこの世界に墜ちて来た者は、異種族間であっても子を成すことができるよう躰を造り変えられる、それがコルテラーナがかつて私に語ったこの世界の理である。

 それがどれ程忌まわしい所業であるのかを、私は今ようやく思い知らされた。

 猿人は襲撃の際は女子供を好んで拐かし、そして攫われて戻って来た者は記録上は皆無である。後追いで救助に向かった者達も含めて等しく。

 だが攫われた者達の悲惨な末路はあくまで夜語りの噂話としてではあるが、恐怖と共に綿々と伝えられていた。私が脳裏の声無き声から提示された淡々とした情報の羅列もまさにその一端であった。

 猿人達の無法は、やがて中央にほど近いヤハメ湖の畔に妖精皇国が建ち、“黄金の太陽花”を旗印とする(おう)が配下の妖精機士(スプリガン)を頭として討伐軍を組織したことでようやく終焉を迎えた。

 組織だった妖精皇国の軍勢との攻防の末に猿人は最南部の大森林まで押し込められ、点在する居留地が大規模な襲撃に襲われることも無くなった。

 それでも今も尚、浮遊城塞オーファスが着水しているルーメ湖を南限として、そこより先に人々が定住することはない。

 猿人の群れは滅びた訳で無く、その脅威は依然として健在であった。集団による略奪は抑えられはしたものの、先程我々の一行を襲った“はぐれ”のような存在が、依然として脅威が残っていることの証でもあった。

 故に、単体の“はぐれ”だろうと放置する訳にはいかないというバロウルの意気込みももっともである。

 そして私も猿人の悪しき習性を知ってしまった以上、ナナムゥは無論の事、如何に雌ゴリラだとは云えバロウル一人に対処を押し付けるという訳にはいかなかった。

 「――ヴ」

 私は己が単眼に肯定の意である青い光を明滅させた。正義感ではなく、義務感と言っても良い。コルテラーナがそれに、深く頷いて返した。

 「よし、決まりじゃな!」

 腕を組んで我が意を得たりと頷くナナムゥ。しかし私は――そして間違いなくこの場の誰もが――追撃の手に彼女を同行させるつもりは無かった。先日のガッハシュートとの闘い(じゅうりん)の際に心労を強いてしまったという負い目もある。

 「お嬢はコルテラーナと留守番だ」

 これまでと同じように、バロウルが間髪入れずにナナムゥを嗜める。しかし憤慨して食って掛かるかと思われたナナムゥだったが、意外にもそうはせずにただニマァと笑うに留まった。

 「……嬢?」

 訝しげなバロウルに対し、ナナムゥが指に挟んだ“柔糸”をこれ見よがしにひけらかす。

 「わらわを連れて行くと、探す手間が省けるというにな」

 ナナムゥは天を仰ぎ、これ以上ないというくらい大袈裟な溜息をついた。

 「あー、せっかくわらわが“糸”をくっつけておいたのに、このままだと大事な“糸”が切れてしまうのじゃー」

 率直に言って、酷い棒演技である。未だ胸部と頭部のみで据えられている私の横で、バロウルがギリギリと歯噛みする音が聴こえてきてもおかしくはなかった。

 (勝負あったな……)

 武士の情けとして、私は渋面のバロウルから視線を逸らした。私も他人の事をどうこう言える立場では無いが、それでもバロウルは賢しいナナムゥを相手取るには生真面目過ぎた。

 「話シハマトマッタナ?」

 抑揚の無い老先生の言葉を合図に、その手押し車の上に鎮座していた専用の三型が長い蛇腹腕を私目掛けて伸ばしてくる。それはさながらクレーンのように私の上半身を吊り上げ停止した。

 その横で、荷台に積んであった護衛用の三型が、働き蟻のような動きで切り離されていた私の手脚を運び込む。

 (これ、重心はどうなっているんだ?)

 文系の私でも、手押し車から長く伸びた蛇腹腕それだけで、本来ならば老先生ごとバランスを崩して倒れ込むであろうことは分かる。

 しかし私の知らない何らかの未知の力が働いているのだろうか、私の巨体を固定したまま揺るぎもしない手押し車を疑問に思いながらも、私は老先生にこの躰を任せる他なかった。

 「デハ組ミ上ゲヲ始ジメヨウ」

 抑揚の無い筈の老先生の声がどこか愉しげに聴こえたのは気のせいであったのかどうか、私には分からなかった。


        *


 ガシンガシンという足音に、驚いた鳥が飛び立ち木々がざわめく。

 (良くないな……)

 林の中の道なき道を先頭に立って進みながら、私は胸中で不安に苛まれていた。アマゾンのジャングルに秘匿された敵基地を探るロボットアニメを観たことがあるが、それですら隠密行動をとろうとしていた描写はあった。

 「こっちじゃな」

 背面の専用座席ではなく私の右肩の上に器用に立ったナナムゥが、手に操る“柔糸”を頼りに進むべく方向を指し示す。

 始めからステルス機能など備えていない騒々しい試製六型(わたし)の後方に、槍を携えたバロウルが続く。林の中のような障害物が多い場所では槍のような長物は振り回せないとは良く聞くが、長身のバロウルが長槍で突くだけでも威圧感が半端ないであろうことは私にも判る。

 あくまで“技師”でしかないバロウルにとって、武器のリーチが長いに超したことは無い。あくまで私の素人考えでしかないが。

 それよりも気にかかるのはバロウルの手にした長槍が、刺叉の様な捕獲用具ではなく刃の付いた殺傷用の武器であることだった。

 猿人が文字通り害獣に等しいことは私も既に知った。だが――


 (できるだろうか、この私に……)


 ガッハシュートの襲撃の際に、覚悟は決めたつもりだった。闘うと云うこと、生命を奪うと云うことに対して。

 しかし人はそこまで劇的には変われない。まして私のような小心者なら尚更のこと。

 浮遊城塞オーファスで過ごした心穏やかな日々が、再び私の心を竦ませた。

 (そもそも、私に勝てるのだろうか)

 敗北に敗北を重ねた苦い記憶。この試製六型(からだ)が戦闘用の機兵ではないということを加味しても、恥ずべきものであった。

 性差別だ偏見だ前時代的だなどという話はどうでもいい。男として産まれた私にとって、それは耐え難い屈辱であることだけは確かだった。

 まして今追っている猿人が、声無き声からの教えの通り女子供にとって筆舌し難い忌まわしい存在であるならば、決して敗北は許されない。必ず息の根を止めねばならない。

 私でも理屈では理解できていた。理屈では。


 『自信を持ちなさい、私のキャリバー』


 私の戸惑いを察したのだろうか、追撃の直前にコルテラーナが私に掛けてくれた言葉を思い出す。


 『貴方こそ、私とバロウルちゃんが造った新たな希望の先駆け。今は少しずつ、前に進んで行けばそれでいいのよ』


 「近いぞ……」

 ナナムゥの囁きが、私の意識を現世へと呼び戻す。スンスンと鼻を鳴らしているところを見ると、独特の獣臭とでも云うべきものが漂ってもいるのだろう。

 前方には、これまで木々の木漏れ日しか差していない薄暗い林の中と異なる、明確な陽の光が認められた。視界を最大限に拡大して見た処、どうやら広場とでも云うべき木々の茂っていない更地のような場所が開けているようであった。

 それが一時的なものかどうかまでは判別できないが、猿人の住処だとみて間違いはなかった。

 口が無い以上、得た情報をバロウルに詳細に伝える術がない。そもそも前方が開けているなど見て分かる情報ではあるが、そもそもが不意を衝けるような構成でもない。或いはナナムゥ一人ならば樹上からでも奇襲は可能なのかもしれないが、まさか幼女一人にそのような危険な役目を背負わせる訳にもいかなかった。

 (となると――)

 結論として――バロウルとの身振り手振りを交えた打ち合わせの末――私一人が先んじて乗り込む事となった。

 策も何もない雑なやり方だと我ながら思う。

 しかし、これが現状で一番良いやり方なのだろうということも確かではあった。ここが既に“はぐれ”とは云え猿人の領域である以上、いたずらにナナムゥを危険に晒す訳にいかないからだ。

 ついでではあるが、もう一人の雌ゴリラの方も。

 分散して二ヶ所から同時に踏み込むという手も考えないでは無かった。しかし生兵法は怪我の元である。素人の私が単なる知識だけで策を練る方が危うい。

 地の利があるのは、猿人の方なのだから。

 「いよいよ見せ場じゃぞ、キャリバー」

 声を潜めて私へと檄を飛ばすナナムゥ。幼女ではあるが堂々としたその立ち振る舞いは、相変わらず私の保護者然としていた。

 私一人が乗り込むと決めた後も、彼女は自分が一緒に付いてやる必要があると頑として譲らなかった。

 「……」「……」

 私とバロウルは顔を見合わせ、どちらからともなく無言で頷き合った。

 「では、作戦開始じゃ!」

 流石に小声で発せられるナナムゥの合図と共に、背後からバロウルが彼女の躰をがっしりと抱え込む。私はそれを最後まで見届けること無く、そのまま目的の空き地へと歩を進めた。

 「ん〜!?」

 大声を出せぬよう口元を塞がれたのであろうナナムゥのくぐもった声が背中越しに聴こえた。

 (後で宥めるのが大変だろうな……)

 どちらかと言えば、猿人を相手にすることよりもそちらの方が頭の痛い問題であった。

 私は胸中で苦笑し、そして己の気を引き締めた。

 念の為に携えてきた1台の三型を護衛としてバロウル達の元に残してきたので、そちらが不意を襲われる心配無いだろう。

 欲を言えば護衛用として各馬車に積んであった3台の三型全てを携えてきたかったのだが、今は道に繋いである無人の荷馬車2台の護衛役としてそれぞれ1台ずつ付けてあるので、結果的に伴えたのはその1台だけである。

 それも本来ならば、大事を取って先に妖精皇国に向かうことになったコルテラーナと老先生の箱馬車に振り分ける筈の1台である。その意味では、1台だけでもこの場に携えることが出来たのは僥倖ではあった。

 (コルテラーナ……)

 当初、彼女達が護衛無しで妖精皇国に向かうという話に激しい不安を覚える私であったが、当のコルテラーナ自身は微笑みと共に三型を私達に託した。きっと必要になると。

 それが道理であるのだから、気に病むことは無いのだと。

 「あの人達なら、心配無い」

 出立する箱馬車を見送りつつ、未練がましく『否』を意味する赤い眼光を明滅させる私に対して、バロウルがポツリと応える。

 (無理に出立せずとも、ここで待っていれば良いだけでは?)

 私としては納得できないし、釈然ともしない。しかしコルテラーナが自らそう決めた以上、私としては――しぶしぶとは云え――従う他はない。

 妖精皇国にて何か先約があるのだろうというのは分かる。そして荷馬車に潜んでいた三型のように、まだ私の知らない身を守る為の何か“隠し球”が有るのだろうと、私は自分自身を無理矢理納得させるしかなかった。

 どちらにせよ、全ては済んだ事である。つらつらと考えあぐねている内にも、私は林の木々と空き地とを隔てる境目の縁まで辿り着いていた。

 その辺りの下生えに潜めるようなコンパクトな躰では無いが、それでも私は身を屈め視界を拡大して空き地の様子を探ってみた。

 (……ん?)

 猿人の姿はどこにもなかった。ただ空き地の中央に無造作に転がされた、珍妙な装いの人影を一つ認めただけであった。

 (どうする……?)

 一見して罠だとしか思えない。それ故に、私は次の手を即断できずに思わず自問した。

 相手が人間では無く猿人だということも、私の判断を妨げた。

職場環境が大きく変わり、その対応を優先させねばならぬので五月一杯は不定期気味の更新になるかと思います。

そもそも読んでいただいている方は非常に少ないのですが。

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