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祈桜(7)


 ――キュィィィ!


 「……」

 遠くの空だろうか、どこからか鳥の唄が聴こえた。身動ぎ一つできない私の無聊を、まるで慰めてくれるかのように。

 「ヴ」

 私は幌で覆われた荷台の天井へと視線を向けた。幌の向こう側に広がる無限の青い空は、しかし“彼等”なる者の手による有限の檻であった。

 はてしないと見せかけただけの、不可視の防御壁に覆われた牢獄。絶望の坩堝。

 もっともコルテラーナにそう教えられただけの私にとっては、何処か遠い別の世界の話のような、実感として薄い漠とした不安であったのも事実である。

 何よりも私には、この世界の行く末よりも尚勝る、個人的に成さねばならぬ使命があった。妹を――私と同じく石の躰に魂魄(たましい)を移された、おそらくはもう生きてはいないだろう妹を――探しに行くという使命が。

 私は単眼を僅かに巡らし、後ろの幌馬車の荷台に座るバロウルの姿を盗み見た。この石の躰に自爆装置を仕込んだ、私にとって最大の敵となる者を。

 だが当の褐色の雌ゴリラはこの馬車の旅路の間中、終始無言であった。

 ナナムゥを護るよう託されたあの日以降、彼女の様子がどこかおかしな事に、流石の私も気付いてはいた。今にして思うと、ガッハシュートの襲撃を受けたあの“幽霊狩り”の夜から、何か心の内で葛藤しているようでもあった。

 バロウルが私の事をどう思っているのかは分からない。当初は単に私のことを“役立たず”だと目の敵にしているのだと思っていた。

 だが違った。

 何がどう違うのかはわたしには巧く言えないけれど、そうじゃない事だけは分かった。

 私に対する態度はぞんざいであったが、試製六型(このからだ)に対する扱いが真摯で懸命なものであることは素人の私が傍目に見るだけでも明らかだった。

 その意味では、むしろ恥ずべきは私の方なのだろう。ただバロウルの事を単なる“敵”としてしか認識していない私の方こそが。

 だが、所詮は言葉も話せぬこの身である。今更歩み寄りなど、できよう筈もなかった。

 (……この躰が変われば……)

 “所長”なる人物の許で私の躰を強化して貰うのだと、コルテラーナはそう言っていた。“黒い棺の丘(クラムギル・ソイユ)”に乗り込む為の備えとして必須であるのだと。

 (今のこの腑に落ちない状況も、少しは変わるのだろうか……?)

 それは私の詮無き願いなのかもしれない。私はいつもそうだ。言い訳ばかりを重ね、自分自身では無く周囲が変わることを期待してしまう。

 それでも、今度ばかりは予感があった。自分自身の戸惑いの念も含めて、バロウルとはいつか何らかの決着を付けねばならぬのだという事を。

 私が、私自身が自らの手で。

 秘めたる予感。秘めたる決意。馬車を曳く馬が――それが私の知る馬そのものなのか、或いは別世界の近似種なのかは私には判別できない――一斉に嘶いたのは正にその時であった。


 「――ヴ!?」


 “御者”を務める三型の手綱捌きにより3台の馬車が一斉に停止し、屋根の上で無邪気に寝ていたナナムゥの上半身がバネ仕掛けの人形のように飛び起き――そして引き倒されてバタバタともがいた。

 おそらくは箱馬車に自分の躰を固定していた“糸”の存在を完全に失念していたのだろう。荷台に張られた幌と先頭を行く箱馬車の陰に遮られ、私に視認できた光景はそれだけであった。何か道を遮る物でも転がっていたのだろう――私の認識はせいぜいその程度でしかなかった。

 だが、後方の幌馬車のバロウルの切迫した叫び声に、私は障害物の類いでは無い不測の事態が生じたことを悟った。


 「――お嬢!」


 最初に私の脳裏をよぎったのは、それこそ野盗か何かの襲撃の可能性であった。このような呪われた不毛の地でも尚、堅実に耕作に励むよりも刹那の略奪に勤しむ下賤の輩がいるのかと。

 道理を弁えない輩はどこにでもいるのだろう。それはそれとして、襲撃者の数によっては実はかなりの危機ではないのかと私は狼狽していた。

 コルテラーナに老先生、そして所詮は幼女でしかないナナムゥ。私が文字通り手も脚も出ない状態である以上、襲撃者に抵抗できうるのは雌ゴリラ(バロウル)唯一人であった。

 そのバロウルも巨女としての威圧感はあるものの、何らかの武芸の心得が有るのかどうかを私は知らない。

 (――まずい!)

 “紐”さえ伸ばせば私は自力での四肢の接続が可能である。だが肝心の手脚の部位が私の手近では無く、バロウルのいるもう1台の幌馬車の荷台に積んである以上それは不可能であった。

 「キャリバー!」

 怒声にも似たナナムゥの声が響く。それは私に助けを乞う悲鳴ではなく、私に対する警告のそれであった。

 「――ヴ!?」

 身構える事すらできない無力な自分。

 それに歯噛みする間もないままに、何者かが幌を突き破り私の据えられた荷台に飛び込んで来た。

 「バロウルちゃん、馬を――!」

 箱馬車から外に――我が身の危険も顧みず――出たのであろうコルテラーナの切迫した声。だが私にとってそれは、どこか別の世界の出来事のようにゆっくりとしたものに聴こえた。

 これがゲームの話だとしたら、待ちに待った戦闘シーンとしてどんなに心躍ったことだろう。しかし私が直面したこの遭遇戦(エンカウント)は完全にホラーゲームのそれであった。

 せせら笑いとしか思えない下卑た表情を浮かべつつ、その闖入者が顔を傾かせつつ私の貌を覗き込む。

 私が予測したような野盗野伏せりの類ではなかった。それどころか予想よりも更に醜悪奇っ怪なものであった。

 「ヴ……!」

 何故かやたらと高い場所を好むナナムゥの事を、私はまるで子猿の様だと無礼を承知で微笑ましく見てきた。だが今私の目の前に降り立った闖入者の姿こそ、まさに野猿そのものであった。

 黄ばんだ乱杭歯に全身を包む薄汚れた体毛。だが落ち着いてて見回してみると猿と云うよりは穴居人と呼ぶ方が妥当ではないかと思わせる程度には“人間”にも寄っていた。

 今の私に腕は無い。腰から下も丸々無い。しかし四肢接続用の3本の“紐”は健在であり、私の肩口から垂れ荷台の床の上でとぐろを巻いたままであった。

 わたしが驚きと気持ち悪さのあまり、思わずその“紐”で“猿人”の横顔をビンタしてしまったことも仕方の無いことだと思う。

 「キャリバー!!」

 今度はバロウルより、はっきりそれと分かる罵声が飛んだ。おそらくは私の名を呼んだのではなく、その由来である『馬鹿者(キャリバー)!!』と叫んだのだろう。

 脳裏で一人そう合点していた時には、既に私の上半身は宙に高々と跳ね上げられていた。

 「――ヴ!?」

 馬車の荷台から路肩の向こう側の灌木の茂みへと、まるで大カブを引っこ抜いたような軌跡で私の上半身が投げ出される。私の“紐”を掴んだ猿人が力任せに後ろに放ったからであるが、文字通り手足をもがれた私では抵抗することも適わず成すがままであった。

 (くそっ!)

 単眼の発光機能による目眩まし――投げ出された私がその場で咄嗟に思い付けた策はその程度であった。単眼をカメラのフラッシュの様に発光させることで猿人の気をこちらに惹く。巧くいけば畜生の哀しさ、予期せぬ光に怯えて逃げ出してくれるかもしれないと。

 だが結局のところ、私がその思い付きを実行する機会は訪れることはなかった。荷台の奥から何者かが、猿人の顔目掛けて飛びかかったからである。

 ギャンと悲鳴を上げて、猿人が顔に張り付いたそれを振り落す。

 (――三型か!)

 私は己が不明を恥じた。護衛の姿が見当たらないことを、同行の必要もない安全な旅路なのだろうと、したり顔で一人勝手に納得していた自分の浅はかさを。

 “護衛”は居たのだ。その為の三型が荷台の私の横に。浮遊城塞オーファスのあらゆる場所に鎮座していた時と同じ様に密やかに。

 後で知ったことだが、この時の三型は底面から電撃ショックのような一撃を猿人の顔面に喰らわしたのだという。さながら移動するスタンガンといったところだろうか。嗅覚を持たない私には分からなかったが、猿人の毛の焦げた臭いが周囲に充満していたのかもしれない。

 それは兎も角として、出現した時と同じように唐突に猿人は逃げ出した。顔を押さえながらほうほうの体で側道に飛び込み、灌木を揺らしながらやがて木々の奥にその姿は消えた。

 「大丈夫か、キャリバー!」

 狼狽したナナムゥがこちらに駆け寄ってくるのが見える。

 (野盗と怪物は馬車路の華か……)

 いささか――かなり――不謹慎なことを考えつつ、私は猿人の逃げた林の奥を見つめていた。嵐のような不意の喧騒。結局投げ飛ばされただけに終わった私にとっては、何だったのかというのが正直なところだった。

 みすみす無能を晒しただけだとも云えた。いつもの事ではあるが。

 一行の再出発の準備には意外と時間を要した。

 ざっと見立てたところ、人的被害も積荷の被害も――幌が破られ私が投げ飛ばされた以外は――見受けられなかった為、私はすぐにでも妖精皇国に向けて出立できるものだと思っていた。せいぜいが私の無事を確認したナナムゥがすぐにでも林の奥に消えた猿人の後を追おうとして、バロウルに阻まれたくらいである。

 「あんなの、わらわとキャリバーの二人だけで充分じゃ!」

 抱え上げられたバロウルの手の中でバタバタともがくナナムゥ。いつの間にか私も追撃の頭数に入れられてしまっているが、問題となるのはそこではない。

 我々一行が出立できない本当の理由は馬にあった。

 訓練が行き届いているのか、流石に馬達は暴れ出しはしなかった。しかし盛んに首を振り、落ち着かなげに足踏みを繰り返しているその様は、このまま馬車を引かせるには不安である事は素人の私にも察せられた。

 例え――ナナムゥの言うように――猿人を追い討伐したところで、馬の機嫌が治るかどうかはまったく別の話である。

 普通の人間の御者なら兎も角、操馬用に特化しているであろう御者役の三型が、そこまで馬の機微に通じているとは到底思えなかった。そもそも三型には“自我”が無いので尚更である。

 御者不在による弊害は、しかし意外なところから解消された。

 「バロウルちゃん、お願い」

 コルテラーナに促されたバロウルが、馬の扱いに多少は心得があるのか、一頭の馬に語りかけその注意を惹く。その隙にコルテラーナは鼻息の荒いその馬の首を撫で、次いで馬の額にそっと手を当てた。

 何かの弾みで噛まれるのではないか、そう危惧した私であったが、その心配は無用であった。

 側道に投げ飛ばされたままの私の拡大した視界の内で、コルテラーナが馬に対して二言三言呟いているのが視えた。そして馬の額を擦る手の平が淡い輝きを放ったことも。

 「ヴ?」

 馬の身震いが覿面に止まる。それを見届けたコルテラーナはすぐに隣の馬に移ると、まったく同じ作法を繰り返した。

 「あれがコルテラーナの何とかという術じゃ」

 まったく同一の流れで馬が宥められる光景を訝しげに見ていた私に対し、ナナムゥがドヤ顔で解説を始める。

 「えーと、なんじゃ、人の心をどうにかこうにかできるんじゃと。夜泣きする赤子とか一発でおとなしくなる便利もんじゃぞ」

 「……ヴ?」

 元居た世界でいうところの療法士(セラピスト)のようなものだろうかと、私は解した。

 そういえば、確かに以前自己紹介として本人から聞いたことがあった。コルテラーナが私の魂魄の保持を担当していると。

 全ての馬が落ち着くのを見計らったかのように、荷台から出て来た合計3台の汎用三型が放り投げられたままの私の元に集結する。そして蟻が獲物を巣穴に運ぶように、上半身だけの私を元居た幌馬車の脇に運んだ。

 かくして全ての準備は整い、旅路も無事に再開される――という訳にはいかなかった。

 遠くから風に乗って響いてくる、まるでこちらを嘲笑っているかのような忌まわしい吠え声が聞こえてきたためである。

 確認するまでもなく、あの猿人の咆吼であった。

 「サテ、ドウスル?」

 たどたどしい老先生の問い掛けに、私は思わずバロウルと顔を見合わせた。

 「どうするもこうするも、そんなの決まっておる!」

 問われた我々の返事を待たずに独りいきり立つナナムゥを前に、私とバロウルは思わずもう一度顔を見合わせた。

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