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祈桜(6)

 「ア…ルス……」

 宰相デイガンが少年の名を呼び、そして遂に意識を失う。寸前まで大きく見開かれたその隻眼には、明らかに畏怖の色だけが宿っていた。

 「……」

 その場に頽れた老人には一顧だにすることなく、真紅の少年が無表情のまま更にカシャリと歩を踏み出す。

 「――くっ!」

 カカトは少年に気圧され、痺れたように動くことが出来なかった。彼の脳裏にまるで走馬灯のように、公都で“盗み聞き”した情報が反復される。

 コバル公国が召還装置によって異界より呼び寄せた3人の客将。多発する流星雨は、あくまでその召喚の副産物に過ぎない。

 一人は少年、一人は少女、そしてもう一人は――。

 一人目の“少年”という時点で、カカトは公都の貴族達の噂話そのものが眉唾ものだと、精度に関しては参照程度として期待してはいなかった。

 だが――

 (コイツか!)

 カカトは迷うことなく目の前の紅衣の少年をそう断ずる。それはこれまで幾度も彼の危機を救ってきた本能的な恐れであった。


 『――カカト!!』


 切迫した電子音声が突如としてホール内に響き渡る。そのくぐもった声が頭上からのものであると知れた時には、声の主はカカトと紅の少年との間を隔てるようにズドンという重い地響きを立てて着地していた。

 「……」

 ようやく歩みを止めた少年がその紅い三白眼で、目の前を遮る者の貌を冷ややかに見上げた。

 一言で言うならば異形であった。2m程の全長を誇る甲冑を纏った騎士のような上半身。だがその腰から下は人型のそれではなかった。

 どこか蜘蛛を思わせる長く鋭利な四脚。それが蟹の腹のような丸い下腹部から綺麗に四方に伸びていた。

 妖精機士(スプリガン)ナイ=トゥ=ナイ――その胸部甲冑には本来ならば自我に乏しい妖精族の士気高揚を目的として、妖精皇国の象徴である“金色の太陽花”の意匠が刻まれている筈であった。しかし流石に今回の隠密調査の旅でそれを晒すのは憚られる為に、今はその意匠は偽装装甲(オーバーボディ)によってしっかりと覆い隠されていた。

 『カカト!』

 妖精機士が、背後に護った自失気味の青年に檄を飛ばす。手にした巨大な騎槍が紅の少年を威圧するかのように高々と掲げられ、その周囲に白銀の蛍火が渦を巻いた。

 「――!」

 ハッと我を取り戻したカカトが、機士の背中に飛び乗り叫んだ。

 「ヤバい! 出すな! 逃げろ!」

 『カカト!?』

 相方の予想外の反応に妖精機士が驚愕の声を上げ、騎槍の蛍火が四散する。

 しかし狼狽は一瞬。妖精機士はそれ以上カカトの真意を問い質す事はせず、その腰部から勢い良く煙幕を噴射した。

 たちまちの内に周囲を満たす黒い霧。

 その視界を奪う目眩ましの霧の中で、巨大な光の羽根が間髪入れずに広がる。妖精機士の背中から、七色に輝く蝶のような光の羽根が。

 無論、煙幕に包まれた衛兵達に――そもそも既にその殆どが失神していた――その仔細が知れることはない。むしろ奪われた視界に突如として混じる光の粒子が、彼等を更に混乱させるのに一役買っていた。

 一連の妖精機士の行動に惑いの色は無い。カカトが逃げろと言えば即座に撤退を図る、それだけの信頼が両者の間には存在していた。

 そしてそれ以上の想いも。少なくともその片方には。

 鱗粉の様に七色の光の粒子を撒き散らしながら、妖精騎士の躰が垂直に浮上する。腰に手を回し抱きついたカカトを左手で支えつつも。それは衛星ロケットの発射光景めいた、どこか神秘的な趣すらあった。

 採光用の天窓をそのまま突き破り、両者は上空に浮かんだまま一旦上昇を停止する。妖精機士の四脚が後方にピンと伸び、下半身が流線型のフォルムへと変ずる。

 そのまま中空で仰向けとなった妖精機士の背中に、騎乗するかのような体勢でカカトが跨った。それを見届けた後に妖精機士(スプリガン)ナイ=トゥ=ナイは一度大きく光の翼を羽ばたかせ南に向けて飛び立った。

 とは云え、背に乗せた――糸で固定しているので落下の危険性は無いが――カカトの呼吸の問題があるので、高度も速度もそれなりのものしか維持出来ていない。進路上に手練れの射手でも控えていれば、射掛けられる恐れすらあった。

 とは云え、そこまで都合良く追っ手が潜んでいる筈も無く、“旗”より付与された能力(ちから)だとは云え、短時間といえど独力で飛行可能な妖精機士はそれだけでこの閉じた世界(ガザル=イギス)においては大きな優位性を保っていた。

 「……」

 窮地を脱したにも関わらず、機士の背に伏せ気味に跨ったカカトの表情は暗い。

 ただ対峙しただけで矛を交えた訳ではない。だがカカトは本能的に察していた。アレが――あの紅衣の少年が、悪鬼羅刹の類であるということを。

 そしてコバル公国は3人の“客将”を得たという。その内の一人であることは疑いようもなかった。

 (化け物が、アレの他にまだ後2人いるのか……)

 『カカト、大丈夫か?』

 沈み込むカカトの気配を察したのか、妖精機士が心配げに声を掛ける。

 「あぁ……」

 力の無い虚ろな返事。妖精機士は彼の気を少しでも惹こうと、慌てて別の話題を探した。

 『……カカト、所長から一報届いていた。試製六型機兵が起動したらしい』

 妖精機士にとっては苦し紛れの他愛のない話題。それが、この世界の中心である“黒い棺の丘(クラムギル・ソイユ)”、その内に秘められた中心点に達するのだというコルテラーナの宿願の要だという事は、妖精機士も所長から聞き及んではいた。

 だがそのような裏事情よりも今はとにかく“相方”の気を、少しでも晴らしてやりたかった。

 カカトの笑みは彼女にとって“黄金の太陽花”にすら勝るものなのだから。

 「――本当か?」

 妖精機士にとっては単に目の前に表示された便りを読み上げただけに過ぎない。だがカカトにとっては違った。彼にとってはこの呪われた世界の解放への第一歩――コルテラーナの受け売りに過ぎないとは云え、この閉じた世界(ガザル=イギス)の封じられた謎を解く為の、待ち侘びた最初の一歩であった。

 「忌導器を起動させるには出力が足りないと聞いていたが……」

 試製六型機兵に関する己が記憶を探るカカトの貌が、みるみるうちに明るい輝きを取り戻す。その切替わりの早さこそが彼の長所の一つである事を妖精機士は知っていた。

 「良い魂魄(コア)でも見つかったのか、それとも――」

 いずれにせよ、浮遊城塞オーファスへ帰還する頃合いなのだろうとカカトは思う。

 コバル公国が何らかの――おそらくは全ての“旗”を集める為の――行動を起こそうとしている事は明白であった。端的に言えば、戦の準備である。

 少なくとももうこの時点で、カカト達が場当たり的に対処できる範疇を超えていた。


 『カカト』


 相方がいつもの調子に戻ったことを見届けた上で、妖精機士は改めて彼の名を呼んだ。こもり気味の電子音声ではあったが、その声には紛れも無く強い想いに満ち溢れていた。

 

 『どんな相手が来ようとも、私が君を護るよ。これからも、何があっても必ず』


 それは妖精機士(かのじょ)なりの、精一杯の告白だった。ただ与えられた指示に唯々諾々と従うことしか知らなかった妖精機士は、カカトによって護られることの嬉しさ、護ることの喜びを知った。愛しさと、切なさと、心強さも。

 だが一瞬キョトンとした貌をしたカカトの返答は、素っ気ないものであった。


 「いや、お前は所長を護れよ」


 背から伸びる光の翼が千々に乱れ、一瞬妖精機士の躰が傾ぐ。

 『この馬鹿! 君のことなどもう知らん!!』

 賑々しくもそのまま南の空に向けて公都を飛び去る二人。その速度は遅くとも、飛行可能時間の限界に達するまでには追撃の手が届かぬ距離まで逃げ果せるであろう事は明白であった。


 この場に立つ、唯一人を除いては。


 「……」

 カカト達が飛び立った大ホールの天窓の枠に立つ、一つの人影があった。山肌を伝う強風にマントの裾だけをなびかせながら、それでも微動だにしない真紅の姿――宰相デイガンがアルスと呼んだ少年である。

 その右腕が、何かを指し示すかのように真っ直ぐに伸びる。“賊”の飛び去った方角――今は豆粒程の大きさでしかない、カカトと妖精機士へと恐ろしくも的確に。

 少年の指先に紅い炎が宿る。僅かに細められたその三白眼の目線は、既に“点”ですらない彼方のカカト達を正確に狙い定めていたのである。

 まるで弓につがえた矢を引き絞るかのように、伸ばした人差し指と中指とに渡って宿った紅い炎が、急激に圧縮されて紅玉の様に輝く炎の弾丸と化す。

 そして――


 「……そこまでしてやる義理も無いか」


 少年は心底煩わしそうにそう呟くと、カカト達へ伸ばしていた右腕を己が頭上へと向けた。キンという高い音と共に、炎の弾丸が誰もいない直上の天空へと撃ち込まれる。

 「……」

 腕を降ろした少年は、そのまましばし一人佇む。

 風だけが吹き荒れる、長い長い沈黙。やがて遙か上空で、閉じた世界(ガザル=イギス)を囲う障壁に阻まれた炎の弾丸がそのまま爆散する音が、少年の尖った耳にだけ僅かに届いた。

 「……この躰では無理か」

 少年の唇の端だけが自嘲気味の笑みを浮かべる。その貌、その立ち振る舞い、その言葉遣いは、齢10にも満たないのではないかという少年の外見にはまったくそぐわない、得体の知れない凄味に溢れていた。

 「流れ流れてこのざまか」

 踵を返し嘆息する少年(アルス)の最後の呟きが、風に紛れ消えていく。

 「ファーラめ、一体どこで遊んでいる……」


        *


 「出発じゃ!」


 ナナムゥの号令一下、ルーメ湖の畔に停められていた1台の箱馬車と2台の幌馬車とがゆっくりと動き出す。


 「団長、気を付けてー!」

 「お土産買ってくんの忘れんなよ!」


 小猿(ましら)のように箱馬車の四角い屋根の上に仁王立ちするナナムゥに対して、見送りの子供達が次々に大声をあげる。

 (何の“団長”なんだろう……?)

 子供達の間でのナナムゥの二つ名を聴く度に訝しく思う私であったが、結局尋ねる機会も無いままに今日に至っていた。

 バロウルの施してくれた単眼の発光機能は確かに意思疎通を図る上では効果覿面であった。だがやはり直接会話を交わすことの出来ない不便さ、もどかしさは依然として残った。

 反面、言葉を交せる事による気まずさ、煩わしさとは無縁でもあり、ありがたいことではあった。


 『これから何があろうと、お嬢の傍にいてやってくれ。お嬢を護ってやってくれ』


 あの日――ナナムゥを託されたあの日から、バロウルと端末を介してまともに会話を交わしはしていない。ただ定期的に整備を受けデータを抜かれ、そしてハンガーに吊され眠りにつく日々であった。

 あの日、バロウルの本心に触れた気がしたことは事実である。しかし今はただ、気後れという壁だけが残った。

 もしも生身のままであったなら渋面を作っていたであろう私の耳に、ナナムゥの歌声が届く。

 箱馬車の屋根から降りようともしない幼主ナナムゥは、既にすこぶる上機嫌であった。4頭立ての馬車のガラガラという車輪の音を介しても尚、両脚を投げ出し唄うその歌声が聴こえてくる程である。

 事前にコルテラーナより受けた説明では、目的地である“所長”が居を構える妖精皇国のヤハメ湖の畔まで馬車で2時間程度の、ピクニックめいた旅路だと云う話であった。それもあり、今回の旅の人数は至って少人数で構成されていた。

 箱馬車にはコルテラーナと老先生。そして屋根の上のナナムゥ。

 2台の幌馬車の片方にはバロウル。その荷台には、大人1人が両腕で抱え上げられる程度の金属製の箱が幾つも積み上げられていた。封をされたその中身を私が知る由も無いが、所長とやらへの手土産にしては些か厳重だと思えた。

 そして幌馬車のもう片方の積み荷が、この試製六型(わたし)である。他の者と異なり、“乗員”ではなく正に“積み荷”であった。頭部こそ接続してあるとは云え上半身と下半身は二つに分けられ、四肢も全てが外された、文字通り達磨のような状態である。

 この扱いに抵抗が無い訳ではない。しかし幌馬車にそのまま乗せるには私の巨体が嵩張り過ぎているのもまた事実であった。まして、ヘタをすれば人の走る速度すら出せないこの試製六型の躰である。馬車の横を歩行で同伴する訳に行かず、こうするしかないと云うことは充分に納得できた。

 “幽霊狩り”の時のように、揚陸艇を使う手も無いではない。何よりも妖精皇国自体がヤハメ湖という、浮遊城塞オーファスが停泊しているルーメ湖に比べ一回り小さいだけの着水するには充分な湖に隣接していた。やろうと思えば城塞が直接飛来すれば良いだけの話であった。

 けれどと、事前の説明の際にコルテラーナが補足する。

 いくら妖精皇国と友好関係にあるとは云え、そのような大仰な訪問は住人に対し無用な不安と反感を抱かせるのだと。

 事実であろうと、私も思う。故に私は大人しく積み荷として幌馬車の中でただただ揺られていた。

 3台の馬車の御者台には、いずれも御者は座っていない。その代わり、例の平たい汎用三型とはまた違う円筒状の三型機兵が、短い鋼の腕でそれぞれ器用に馬の手綱を繰っていた。

 舗装された馴染みの道をひたすら進むだけの旅路である。起こり得る様々な障害に臨機応変に対応できるよう、熟練した御者を置く必要も無いのだろうと、私は勝手にそう解釈していた。

 『馴染みの道』――少なくとも、コルテラーナはそう言っていた。事実、まだ出発して小一時間も経たないであろう間に、妖精皇国からの荷馬車の一団と幾度かすれ違っていた。

 浮遊城塞オーファスが請け負った、ここより北方の商業都市へ搬送する手筈の積み荷を降ろし、そしてオーファスの倉庫に保管されていた別の荷を受け取り帰路につく、そういう取り決めなのだという話は私も何度か聞いていた。

 実際、荷馬車が問題なくすれ違うことの出来る広い幅の道は、石畳で舗装された立派なものであった。この手のインフラは整備する者がいないと途端に荒れ果てると何かの本で読んだ憶えがあるので、つまりは『馴染みの道』とはそういうことなのだろう。

 穏やかな陽の光。穏やかな旅路。今はもうナナムゥの鼻歌も聴こえては来ず、幌の合間から箱馬車の上に大の字になって器用に寝ている幼女の姿が垣間見える程であった。

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