起動(3)
と、幾度目かの殴打の最中に、巨人の動きが不意に止まった。右の拳がダラリと下がり、その五指の何本かが弾け飛んでいるのを垣間見ることができた。
正直なところ、腕の一本だけで良いから肘の先からでも砕け折れてくれないかと、虫の良い展開を期待していたことは事実である。
だが流石にそこまでの硬度差は無かったようだ。或いは私の中の私に問えば、石壁の硬度に関する詳細な“応え”を得ることができたのかもしれない。
とはいえ、それで文系の自分に数値の羅列が理解できたかは疑問である。少なくとも今の私にとって、遂に巨人の拳が潰れたという事実の方が他の何よりも重要であった。
ここまでは、その場凌ぎとは云え自分が描いた策通りの展開だった。
ここまでは。
このまま巨人が壁を殴り続けてくれるのならば、いつかは期待通り前腕部も砕けるだろう。或いはその前に――巨人が本当に狂っているのならば望み薄ではあるが――退いてくれるかもしれない。
祈りが通じたのだろうか。固唾を飲んで次の挙動を注視する私に対し、巨人は不用心にも背を向けた。そして何事もなかったのかのように、無言のままに歩み去る。
今ならば、巨人の背後からの逆襲も可能だっただろう。だが――
(『まだいけるはもう危ない』……!)
RPGの鉄則を念仏のように唱えることで、私は己自身に言い訳をした。逆襲するための脚も無く、何よりもそのような度胸も無い自分の無力さを誤魔化す為に。
しかし私の淡い期待に反して意外と早くに巨人は立ち止った。大きな廃棄物の山の一つの前で、あたかも値踏みするかのように単眼を巡らす。
周囲に連なる廃棄物の山々が、巨人に――そして今の自分とに――類似した人型の部位が無造作に積み上がったものであることに、既に私も気付いていた。全てが人型の残骸という訳ではなく、得体のしれない物の占める割合もかなりのものではある。しかし今いる場所が自分にとって墓場に等しいということを、打ち棄てられた残骸が否が応でも私に想起させた。
だが、私に与えられた感傷の時間はそこまでだった。
巨人が、廃棄物の山の中から何かを掴み取ったのが視えた。派手に山が崩れる音が、私の不安を掻き立てる。
しかし、すぐに私は自分の警戒が過度である事に思い知った。既に指が破損し欠けている巨人の掌中より、掴み取った何かが当たり前のようにボトリと地に転がり落ちる。
油断は無論していないつもりだった。私はキュイと可能な限り単眼を凝らしてみたが、私の視界は自分が期待していた程の望遠機能は有していないようであった。せいぜいがオペラグラス程度の拡大倍率であろうか。だが、巨人が取り落としたそれが太い棒状をしているということだけは辛うじて見て取れた。
棍棒か、或いは何かそのような武器の類ではあるまいか?
私は身構え、どこか出口がないものかと懸命に周囲を見渡した。
だが、次に起こった出来事は私の予想の範疇を遙かに超えたものであった。
ボトリと、今度は別の何かが巨人の躰から地に落ちた。損傷した右腕が肘の先から、重い音を響かせて。
もげて落ちたというよりはもっと意図的な、部品を切り離したと云った方が妥当な落ち方であった。剥き出しとなった右腕の関節部から伸びる2本のワイヤー状の“紐”は、私のもげた左脚の膝から伸びるそれとまったく同一の物に見えた。
まさに同型機であった。私と巨人とは。
忌々しいまでに。
だが次に巨人がとった行動は、私にとっては未知の、そしてそれ以上に理解不能なものであった。
巨人の肘から弛む“紐”が2本揃って蛇のように鎌首をもたげ、先程取り落とした足元の棒状の何かへ向かってシュルシュルと伸びていった。
そして棒の片側の節に潜り込み、ようやくその動きを止める。
“紐”が再び肘の奥へと引き戻されたのは、ほんの僅かの間を置いて後であった。ちょうどカメレオンが伸ばした舌を口中に戻すかのような動き。先端に例の棒状の部位を――五指を備えた新たな腕を保持したままに。
損傷した腕部の換装。
結果として私は、巨人が容易く腕の交換を終える様を手をこまねいて見ていただけの形となった。
(馬鹿な……!)
世の中は不条理で溢れている。幼い頃からそれは見知っているつもりだった。だが自分が懸命に考えた策がこうもあっさりと無意味なものと化すのを見るのは、かなりの精神的なショックが大きかった。
“試製六型”――同型機である以上、私にも同じ芸当が、四肢の交換が可能な筈だった。現に、私が念じると左脚の膝から伸びる3本の“紐”が、巨人のそれと同じく鎌首をもたげ、代わりの脚を求めて虚しく地を掻いた。
ならばと、私は手早く周囲の地面を注視した。巨人が数ある山の中から当りを引けたということは何らかの探知機能が備わっていると考えるのが妥当であった。ならば、それは同型である自分にも可能であるということだった。
だがいくら脚の存在を念じても、周囲からは何の反応も返ってはこなかった。頼みの綱の声なき声も、“応え”を返さずただ沈黙を守るのみであった。
助けとなるものは何も無い。喪失した脚の代わりとなる部位も、現状を打破してくれる、物語で御馴染の失われた武具も、何一つとして見つからない。
考えるまでもない。この周囲に何も無いからこそ、巨人はわざわざ私から身を離したのだろうから。
彼方では廃棄物の山の中から巨人が残る左腕の換装を終えたところだった。その赤い単眼の光が真っ直ぐに私の方を射貫く。薄暗がりの中、その輝きは決して獲物を逃がすことの無い猟犬のようであり、私はこれからの己れの運命を憂い震えた。
惑い動きを止めた中、巨人の脚が遂に私へと目掛けて歩みを進める。
考えろ!――私は自分で自分を鼓舞した。
死の恐怖そのものはどこか他人事であるかのように稀薄であった。或いはもう既にその辺りの感覚は麻痺していたのかもしれない。
今はただ無念だった。
こんな地の底で守るものもないまま、一方的に破壊されていく末路を受け入れなければならない事が。
せめて、せめて一矢――それは男としての最後の矜持だったのだろうか、私は必死の思いで周囲に単眼を巡らした。壁に、天井に、そして足元に。
「――ヴ!」
灯台下暗しとは良く言ったものだ。
私は見つけた。私に残された、たった一つの私の武器を。これまでと同じく、後に続かぬ泥縄式ではあったけれど。
逡巡している余裕は無かった。私は手早く前準備に取り掛かった。
ヴヴヴヴヴ――低い唸り声をあげて再び巨人が私の眼前に現れる。そそり立つその巨体の動きは緩慢であり、あたかも勝利を確信したかのように余裕めいたものすら感じさせた。
(……なんだ?)
改めて対峙した今、私は巨人の外観に著しい違和感を覚えた。その原因はすぐに分かった。巨人が換装した両腕のうち右腕のみが、それまでとは一回り小振りな貧相なものであった為である。それが逆に、私に歪で禍々しい印象を与えたのであろう。
そして私は同時に、今のこの躰である“試製六型”の換装機能の汎用性にどこか惹かれていたのもまた事実である。どのような運用を想定しているのか、或いは単に設計者の浪漫の結晶か、興味は尽きなかった。
私にとって“試製六型”の四肢の換装機能は今の窮地を招いた負の元凶ではある。だが裏を返せば適当な脚さえ奪取できれば自分にも逃走可能の芽が出てくるという、僅かな希望の裏返しでもあった。
巨人が両腕を左右に広げ、覆い被さるような動きで私へと歩を進める。これまでと打って変わり殴打を仕掛けてこなかった事を不審に思う間も無く、私は手にした武器を振り上げた。
切り離した己が右脚を。高々と、棍棒のように両腕で掲げて。
右脚を完全に分離した訳ではない。依然として股関節から伸びる“紐”を可能な限り延長させたまま――それは私の予想を良い意味で裏切り、2m近い延長を可能としていた――右脚への接続は未だ健在であった。
“紐”は人間で云うところの神経にあたるものではないかという私の推察は的中した。胴体から切り離した右脚は“紐”を経由して私の制御下のまま保持可能であった。鈍器として申し分のないよう、力を込め関節を伸ばすことで振り回しやすい棒状の形態を保つ。
これで脚が長ければバットを振る感覚で振り抜くこともできただろうが、残念ながら太く短い脚は漫画に出てくる棍棒のようにどこかコミカルなものであった。
「――ヴ」
これが本当の正念場であることを私は確信していた。
作戦としては非常に単純なものであった。脚のない非常に不安定な体勢であるが故に、渾身の一撃で巨人の脚を殴りつけ横転させ、しかる後に頭部に連打を加えその機能に障害を発生させる。
先程の巨人の殴打がそうだったように、武器があるとは云え私の攻撃でも巨人に致命傷を与えることは不可能だろう。しかし頭部に単眼がある以上、それを潰せば新たな進展が望める筈であった。自分がこうして外界を視認して行動している以上、視界を奪うことは大きなアドバンテージの筈であった。
逆に言えばこれで撃退できなければもう後など無い。次善の策も有りはしなかった。




