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祈桜(5)


 「――チェスッ!!」


 気合一閃、青年――“青のカカト”が両腕に握った“旗”の変じた棍を槍のように構え、大ホールの両開きの扉を勢い良く突く。

 轟音と共に半ば吹き飛ばされるように開け放たれる扉。その乾いた硬い音は山彦のように、彼らが元来た背後の通路にまで響き渡った。

 「はっ!」

 カカトは開放された大ホールへ肩口からゴロゴロと転がり込むと、そのまま部屋の中央まで一気に移動した。

 そしてすぐに身を起こし、腰を低く落としたほぼ四つん這いに近い体勢で間隙なく周囲を見渡す。

 遥か頭上の採光用の天窓から差し込む陽光と、そして何より壁面に一定間隔で据えられた樹油カンテラの灯りによって、それまでの夜光茸頼りの坑道とは比較にならない程にホールの中は明るい。煉瓦敷の壁面の向こう側に穿たれた換気用の通風孔のおかげで、坑道に漂っていた鬱々とした息苦しさとも無縁の空間であった。

 “地下迷宮”の只中に設けられた、さながら砂漠の中のオアシスのような快適な中継拠点。

 飛び込んだカカトを扇状に取り囲む、刺股などの長物を構えた屈強な衛兵が10人程待ち構えていなければ。

 それぞれの長物の柄は短めであり、また衛兵達自身が短躯の種族であるとはいえ、これだけの大人数が坑道内で大立ち回りするような装備ではない。始めからカカト達をここで待ち構え捕縛する備えであったことは明白である。

 「まぁ、そりゃそうだ」

 対するカカトの貌にも別段の焦りの色は無い。ここが敵地である以上、そして逃走経路が坑道という定められた道筋を行くしかない以上、こうなることは自明の理、あくまで予想の範疇であった。

 カカトにとっても、そして追手を束ねる長にとっても。

 「やらかしてくれたな、小僧」

 衛兵達の中からズイと踏み出してきた初老の男の顔に、カカトは見覚えがあった。

 カカトの拠点である浮遊城塞オーファスは、表向きの生業はあくまで“隊商”である。

 主たる販路は南の地の妖精皇国から農作物を荷駄として預かり、この閉じた世界(ガザル=イギス)の中央に位置する――それでも、真の中心である“黒い棺の丘(クラムギル・ソイユ)”からはずいぶんと距離を置いているのだが――商都ナーガスへの輸送である。そして今度は北部製の金物を始めとする日用品を受け取り、妖精皇国への帰路につくのが常であった。

 儲けの事は、カカトは知らない。オーファスが請け負うのはあくまで輸送だけであり、売買は妖精皇国とナーガスの商店間で直接行われていることすら漠然としてしか意識していない。

 拾われる前の幼き頃の森での暮らし――池の水を啜り蟲を囓っていた頃とは違い、飢える事が無いのでそれで良いというのが彼の認識であった。

 そのような、彼にとっては管轄外と言ってもよい隊商としての日々の航路であったが、そんなカカトでもオーファスが商都ナーガスより北へは決して向かわない事には流石に気付いていた。

 原因は明らかである。

 浮遊城塞オーファスには大地に降り立つと底面が自重に耐え切れないという致命的な欠点があった。それ故にオーファスが降下する際は、相応の湖面に着水するしかない。

 そもそもが険しい山脈からなる北部一帯には安全に着水できる湖がほぼ無いことと、何よりも“浮遊城塞”が軍事的な面で――地面には降りられないと公言しているに関わらず――強く警戒されている為に、これからもオーファスが直接コバル公国に乗り込むことはないだろう。

 しかしそれはそれとして、カカトはオーファスの表向きの長として、そしてコルテラーナより“旗”を譲り受けた六旗手の一人として、北の重鎮と顔合わせをしておくことが義務して求められた。

 かくしてカカトはコルテラーナを後見人として、緩衝地帯としての役割も兼ねている商都ナーガスにて公式・非公式を問わず、クォーバル大公その人を除くコバル公国の重鎮達と一通り顔を合わせる機会は幾度かあった。

 目の前に立つ初老の男がその内の一人、コバル公国の宰相デイガンである事にカカトはすぐに思い至った。

 政治的なやり取りにはさして興味の無いカカトが、デイガンの事を憶えていたのには無論理由がある。

 荒淫にふけり――あくまで口さがない噂であるが――表舞台に出て来ることの無くなったクォーバル大公に代わり、表立って公務の一切を取り仕切っているのが、この白髪頭の初老の宰相である。とは云えその外見は“宰相”という肩書からイメージされる官僚肌の人物像とは真逆のものであった。

 率いた衛兵達と同じく小躯ではあるが、服の上からでも分かるがっちりとした肉体。盲いた右目を眼帯で覆ったその厳つい風貌は、如何にも叩き上げの老兵といったそういう趣があり、それだけにカカトの記憶にも強い印象を残していた。

 「やらかしてるのは、得体の知れないものを呼び出そうとしている、そっちの方じゃないか?」

 飄々とデイガンに軽口で返すカカト。しかしその碧眼は、周囲に油断なく警戒の視線を巡らせていた。白眼の極端に少ないカカトの瞳には、視線の動きを相手に悟らせにくいという利点があった。

 (――数は16、爺さん入れて17、後ろに子供――子供!?)

 デイガンの背後に、影の様に佇む小さな紅い影。その仔細を確認する前に、デイガンがカカトの気を引いた。

 「口の減らん小僧だ」

 ニィと、デイガンが笑う。宰相となる前は鋳造所の長として自ら金槌を振るっていたというだけあって、気風の良いカラッとした笑みであった。

 吊られてカカトもつい苦笑いを浮かべる。奥歯に物が挟まったかのような言い回ししかしない他のお偉方と異なり、彼はデイガンにはそれなりに通じるものを感じていた。それもまた、カカトが――彼にしては珍しく――デイガンの事を憶えていた一因であった。

 それはそれとして――


 (匂うな……)


 事を急かぬデイガンのその尊大な振る舞いに、逆にカカトは一抹の不安を覚えた。

 地下に秘匿されていた召還装置は確かにこの手で破壊した――つもりであった。床一面の化粧石に彫り込まれた紋様も、先端の空洞に鐘の据えられた幾柱もの石の御柱も、そのほぼ全てを傷物にし、倒壊せしめた筈だった。

 しかしそれは自分の勝手な思い込みだったのでないか。口振りとは裏腹にデイガンが憤怒の素振りすら見せぬのが、その証なのではあるまいか。

 カカトは脳内で手早く可能性の糸を手繰ってみせる。

 “召還装置”の復旧そのものが容易なのか、或いは既にその役目自体を終えたのか。

 多発する流星群。これまでとは比較にならぬ頻度で北に向けて墜ちていく哀れな新たな来訪者達。

 その原因を探る為に、カカト達はこのコバル公国の公都まで二人で密かに旅をして来た。

 そして密やかな“声”を拾う為に公都に密かに張り巡らせた“糸”を通して、彼らはこの“地下迷宮”の存在と、既に3人の客将を得ているという情報を得た。

 事実上の奴隷制に胡坐をかいた公国の“貴族”や“貴士”の杜撰さの表れであるとはいえ、あまりにも機密情報が筒抜けであったことに、罠ではないのかという疑念を捨てきれなかった。

 今にして思うと、やはり罠だったのかもしれない。懐に潜ませたお目付役(フェアリー)の少女とのお忍びの二人旅だったとは云え、道中の公国貴士達のあまりに非道な振る舞いを見過ごせず、ついついヤンチャなお節介をし過ぎたのも事実である。

 それも幾度も。気取られても不思議ではない。

 故に、既に客将を招きその役目を終えた召還装置を餌に、自分達をこうして誘い出したのではあるまいかとカカトは思う。

 彼の持つ“旗”を奪う為に。

 真偽の程は判らない。どちらにせよ、このような所で捕まる訳にはいかないことだけは明らかであった。


 「――カモン!!」


 突如としてホール中に響き渡る、カカトの発した異郷の言葉。彼が掲げた右腕の“旗”が、再び蛍火に包まれ棍からその形状を目まぐるしく変化させる。鋭利な面で構成された、煌めく青(メタリックブルー)の輝きを放つ異郷の弦楽器の姿へと。

 デイガンの命があるまでその場に控えていた衛兵達が、流石に慌てて手にした長物を構える。

 しかしその時カカトは既に“演奏”の準備を終えていた。所長の所で飽きることなく幾度も繰り返して見た記録映像。その魅せられた演出そのままに。

 六旗手の手にした“旗”は、その名とは異なり『旗』の形をとってはいない。あくまでも六旗手が“旗手”であることを示す為に『掲げる』、その意味での『旗』であった。

 故にその形状は可変不定であるが、それでも旗手達は各自がそれぞれ特定の形状を成す事を好んだ。

 まるで“旗”自身にそう導かれたかのように。あたかもそれが、彼等自身の御旗であるかのように。

 そして今、カカトが叫ぶ。既に変じた己が“旗”の名を。愉悦の貌と高々と掲げて。


 「――電楽器(エレキ)!!」


 “旗”の変じた“エレキ”の7本の弦の上を、カカトの長い指が奔る。

 

 『また知りもしない異郷の真似事かい。私は正直感心しないな』


 いつもならそう苦言を呈する相方の妖精は、既に通風孔の奥に消え彼の胸元にはいない。

 「取り押さえよ!」

 流石に只ならぬ気配を察したのか、デイガンが衛兵達に指示を下す。

 カカトが奏でるアップテンポな硬質の楽曲が響く中、衛兵達が長物を突出し彼へと殺到する。

 「遅ぇよ!」

 ギャィーーンという一際高い音響が、カカトの手にした電楽器(エレキ)からまるで雷鳴の様に鳴り響いた。

 「なにっ!?」

 衛兵と、そしてその背後に立つ宰相デイガンはこの時ようやく気付いた。既にホール中に、不可視の“糸”が張り巡らされていることに。

 それはこの“地下迷宮”の情報そのものが罠であることを危惧したカカトが、侵入時に予め床に潜ませておいた“柔糸”であった。彼が“旗”を掲げエレキへと変じた時に、それまで床でたゆんでいた“糸”が蜘蛛の巣の様に中空に張り巡らされたのである。

 「これは!?」

 デイガンを始めとする衛兵達の間に――ただ一人を例外とし――動揺が広がる。

 ピンと張られた“糸”は触れれば斬れるといった鋭利な刃物じみた性質は有していない。だがカカトの演奏に合わせ、その“糸”は増幅器として曲に合わせて振動する。

 まるで張り巡らされた“蜘蛛の巣”の“糸”の1本1本が、カカトの奏でる電楽器(エレキ)の弦そのものであるかのように。

 全ては六旗手として、“旗”より増幅された“糸”を繰る能力(ちから)であった。

 「――がああぁっ!」

 屈強な衛兵達の中から次々に苦悶の叫びが上がる。ある者は手にした刺股を取り落とし、またある者は両耳を押さえ膝から崩れ落ちる。

 「小僧っ!!」

 流石にというべきか、噛み締めた唇の端から血を流しながら、デイガンが腰の小剣の柄に手をかける。

 「大人しく気絶してろよ、爺さん!」

 口調とは裏腹に胸中で感嘆しつつも、カカトは決して演奏の手は緩めない。

 “音響攻撃”――その気になればカカトは“蜘蛛の巣”の結界に取り込んだ者達を、楽曲によって狂死せしめるせることすら可能だった。

 だが彼は、あくまで頭痛により相手を無効化させる程度の曲しか奏でない。

 無駄に生命を奪わない――それが、人と人とが相食むように仕向けられたこの呪われし世界での、カカトが拘る矜持でもあった。

 「おのれっっっ!」

 咆哮と共に、デイガンがついに片膝を付く。

 この世界への“新参者”を有無を言わさず攫い鉱山送りにし隷属化させるというコバル公国のやり方は、カカトにとっては到底納得できるものではない。

 かつて聞いた、鉱物も岩塩も、そして火をくべる薪ですら有限である以上、この世界に住む者を徹底的に管理せねばならぬという理屈に反論できずとも。例え道理を弁えぬ子供の所業だと嗤われようとも。

 だから戦う。だから戦ってきた。

 だがそれはそれとして、今なお小剣の柄から手を離すことなく自分を睨め付ける宰相デイガンを今ここで断罪したところで意味のないことを、理解できぬカカトではなかった。

 (潮時だな)

 衛兵達と、そしてデイガンをも無力化したことを見届けた事で、カカトは躊躇なくそう判断する。背後からの追っ手である2騎の穴熊が到来する頃合いでもあった。

 (旗手を相手にするには、迂闊だったな、爺さん)

 地に転がり伏せ呻く衛兵達を前に、カカトは心中でそう評した。いくら地の利を得ているとはいえ、六旗手を捕縛するにはあまりにも戦力(かず)不足であり、迂闊に過ぎた。

 動かせる手勢がそれしか無かったのか、或いは彼らが主として頂く同じ六旗手であるクォーバル大公が、基準として判断を誤らせるまでに惰弱を極めているのか。

 (意味無いな……)

 己に都合の良い憶測はすまいと、カカトは自らを律する。それが、彼がガッハシュートから学んだことの一つでもあった。

 カカトは気を引き締めると、天窓の所に潜んでいる筈の相棒の方へチラリと目線を向けた。

 後は適度に演奏を緩め、ホール内に張り巡らされた“糸”の上を蜘蛛のように伝い天窓から外に逃れ出る、それだけの事であった。


 が――


 「――なにっ!?」

 “糸”に飛び移ろうとしたカカトが咄嗟に背後に飛び退る。その碧眼が驚愕と警戒とで大きく見開かれた。

 ホールに響く、空気を灼く音。

 彼の目の前で炎の舌が疾走する。幾筋にも幾重にも。

 彼が張り巡らせた不可視の“糸”、その全てを余すこと無く嘗め尽くすかのように。

 全ては刹那。全ては無情。全ての“糸”を焼き切ったその後には、炎の舌はその痕跡を欠片一つ残さずに掻き消えた。

 まるで全てが幻であったかの様に。

 カツンと、何者かがデイガンの背後からその姿を露わとする。再度靴底でカツンと床を鳴らし、影法師のようにゆっくりと。

 「――子供!?」

 カカトが信じられぬといった面持ちで唖然とした声を上げる。

 真紅の髪。尖った耳。側頭から伸びる二対四本の角。

 赤いマントの下に黒い上衣が垣間見えるとは云え、まだ齢10にも満たないのではないかと思しき少年は、正に真紅の化身であった。

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