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祈桜(4)

 ――北の涯て、コバル公国。


 草原と湖とに恵まれた南方地域とは対照的に深い針葉樹の森と、それを抜けた先に連なる険しい山々からなる険峻たる国である。

 南方に唯一“国”として建つ妖精皇国が農業を主幹とした寄合所帯であるのに対し、工業国家として明確に組織化されたコバル公国とでは、その意味でも実に対照的であった。

 この閉じた世界(ガザル=イギス)に存在する三つの国家の内、産業の面だけで述べるのならば、採掘と精錬を主とするコバル公国それ自体は単なる工業国家の範疇としてさして珍しいものではない。

 しかし施政の面でその実態は、この閉じた世界(ガザル=イギス)で幾世代かを経た“先住者”とでも呼ぶべき古参の一団が“貴族”を称し、新たに堕ちてきた者達を下賤の“新参者”として隷属化し君臨する、無慈悲な世襲制の階級社会であった。


 「大概しつこいな、あいつら!」


 無人の坑道を駆け上がりながら、青年がそれでもどこか愉しげに悪態をつく。

 坑道とは云え、壁や床の土が剥き出しとなった採掘用の通路ではない。四方の壁面に煉瓦を敷き詰め整えられた、いわば“地下迷宮”とでも呼ぶべき要害の一角であった。

 だが今は無人の広い坑道の壁には、何処にも火は灯っていない。その代わりに一定の間隔で鉢植えの様に据えられた夜光茸の淡い輝きが、坑道の中を薄ぼんやりと照らし出していた。

 手入れが行き届いているのであろう夜光茸の輝きは、いくら人間の頭部に匹敵する大きさであるとは云え、あくまで暗闇の中で通路の連なりや曲がり角の存在を教える程度の働きでしかない。

 夜の星明りの下にすら及ばぬその淡い輝きの中では、凝視すれば辛うじて壁面が視認できる程度がせいぜいといったところであり、まして駆け続ける事など自殺行為だと思えた。

 だがその暗がりの中を、青年は唯一人駆け抜けていく。立ち止まり、道筋を確認する事も無くただひたすらに。

 夜光茸の灯りの下に時折照らし出される、まだ僅かに少年のあどけなさを残した利発そうな貌。背後にたなびく青い布のマフラーはその彼の背丈と同じ位の長さを誇り、あたかも尻尾の様に舞っていた。

 (出口まで後少しか……)

 クイと前方を睨め付ける青年の瞳は人間のソレとは異なり、白目にあたる部分が極端に少なかった。マフラーの色と同じその碧眼は生来より暗闇を見通す能力を有し、夜光茸程度の光量でも彼にとって移動するには充分であった。


 『君が考え無しに召還装置を破壊したからだろう』


 どこからか聞こえるくぐもった声。青年は僅かに視線を胸元に向けると、心底心外だという声で返した。

 「アレをそのままにしておく訳にもいかなかっただろう」

 『その場の勢い任せだったくせによく言う』

 青年の固く閉じられた上着の胸元が、くぐもった声に合わせてもぞもぞと蠢動する。

 『いいかい、アレはたまたま運が良かっただけだ。それを忘れるな』

 「まったく手厳しいことで」

 口調こそおどけてはいるものの、青年の瞳は決して緩んではいない。辛辣な声の言う通り、コバル王国の公都地下深くに秘匿されていた召還装置を大破せしめることができたのは、たまたま運良く虚を突くことができたからだということを、彼自身が一番良く理解していたからである。

 (それに……)

 青年の顔が僅かに翳る。

 この世界に召喚された“新参者”はいずれも天から墜ちてくるという“彼等”の定めたルールがあると、彼はコルテラーナより聞き及んでいた。ならばそのルールと異なり地より滲み出て来たアレがなんなのか、その仔細な姿を青年は結局垣間見る事すら叶わなかった為である。

 (ガッハシュートならば、もう少し巧くやれたんだろうか?)

 脳裏に浮かぶ師の面影。別に師弟の契りを結んだ訳では無い。だがいつも不意に彼の前に現れそして拳を交えて去っていくガッハシュートによる訓戒は、青年の心に薫陶となって確かに根付いていた。

 ガッハシュートの目的は判らない。コルテラーナやバロウルも、それについてはただ黙するだけであった。

 ともあれ、心の内を示す今の青年の真摯な貌など、胸元に潜むくぐもった声の主から見える筈もない。

 『茶化すんじゃない! 私は君のお目付け役として――』

 坑道の片隅に密かに這わせてある一筋の柔糸を辿りつつも、青年が悪気無い一言でその苦言を断ち切る。

 「お前も他の妖精のように、もうちょっと可愛げがあればいいのに」

 『……!』

 いつもなら、間髪入れずに返ってくる筈の小言めいた反論。それが両者の馴染みのいつものやり取りである。

 しかし今はそれは無い。返ってきたのはただの沈黙のみ。

 その理由に青年はすぐに思い至り、ばつの悪い貌でその碧眼を伏せ、詫びた。

 「――すまん」

 「いいさ」

 困り顔の青年の胸元から、モゾリと人形じみた大きさの少女が始めてその顔を表に出す。

 金剛石のように滑らかで白く輝く長い髪。切れ長の、紅玉のような大きな赤い瞳。暗がりの中でも尚目立つ、絹のような細やかな淡い肌。

 人呼んで“妖精(フェアリー)族”――もっともその名は、妖精皇国に居を構える“所長”がその元居た世界の伝承に基づいて命名した新たな呼称に過ぎない。

 本来の名で呼ぶならば“奉仕種族”、或いは“愛玩種族”。

 整った顔立ちと丈夫で――(ナニ)をしようが――壊れにくい肉体。そして“飼い主”の指示に唯々諾々と従うように造られた、従順な気性を持つ種族であった。

 その“可愛げがあって当然”な成り立ちを知らぬ青年ではない。

 己の意志を表立って示すことができるようになった極々僅かの例外を除き、現在は妖精皇国で生真面目に農業に従事しているのも、全ては妖精達が頂いた“(おう)”の達しによるものに他ならない。

 (馬鹿だな、俺は……)

 青年は目の前に口を開ける支道の入り口の一つに転がるように駆け込むと、ようやくそこで脚を止めた。そのまま僅かにしゃがみ込むと、両の手で己の頬を挟み込むようにピシャリと叩く。

 「どうした?」

 「気にすんな」

 懐の内から自分の貌を見上げる人形のような妖精の少女に照れたような笑みで返すと、青年はすぐに元いた坑道へと身を翻した。胸の内で自省した事をわざわざ口に出すなど、彼にとっては恥ずべきことであった。

 女の様に細く長い指が手探るのは、床の片隅を這う細い糸。青年が山腹に穿たれた大ホールよりこの“地下迷宮”に潜入する際に撒いておいた、彼自らが錬成した“糸”である。

 それを辿りさえすれば、この“敵地”である“地下迷宮”でも道に迷う恐れはない。その反面“糸”そのものを喪失する危険が有る為、支道の奥へと逸れて一時的に追っ手から身を潜める選択肢は捨てねばならなかった。

 (さほど差は詰められていないな)

 片膝を付き、本道に伸ばした手の2本の指先で“糸”を挟みながら、青年は独りごちる。

 “妹”であるナナムゥの“糸”が――コルテラーナの受け売りであるが――魔力・霊力と云った胡乱な“力場”を伝導するのに対し、彼の“糸”は音や光といった、より即物的なものの伝導に特化していた。

 単に個人差によるものか、或いはもっと広義に男女の差によるものなのかを青年は知らない。

 彼とその“妹”はこの閉じた世界(ガザル=イギス)の中心点である“黒い棺の丘(クラムギル・ソイユ)”、その周囲を取り巻く“黒い森(クラム・ザン)”の奥でコルテラーナによって見出されるまでは、たった二人で獣のように生きて来た。

 何処とも知れぬ刻に何処とも知れぬ世界から墜ちて来たのであろう、“糸”を繰る名も定かでない一族の最後の生き残りとして。

 故に彼は知らない。自分の“種族”の特性などは。

 幼少期に教えられずとも“糸”を繰ることが出来たのも、魔の巣くう“黒い森(クラム・ザン)”で生き延びる為の本能的なものであった。

 (追っ手は二騎のままか……)

 地を駆け進む追撃者の発する音の情報を“糸”を通して手繰り寄せながら、青年は手早くそう判断する。

 今いる秘匿された“地下迷宮”のみならず、地虫のように鉱山を穿ち建てられたコバル公国の公都は、それ自体が巨大な地下城塞のようなものであった。その天井の低い公都を守護する騎兵の一団は、穴熊と呼ばれるアリクイのような長い顔と壁面を伝う強く長い指を持つ獣をその乗騎としていた。その穴熊の特徴的(リズミカル)な足音を捉える事は、青年にとっては実に容易い事であった。

 しかし穴熊がその名の通り穴ぐらを進むことに特化し、人の走る速さとそう変わらぬ速度しか出せぬとは云え、高い持久力と良く効く鼻を持つ侮れぬ追跡者であることに変わりはない。お目付役に言われるまでも無く、油断は厳禁であった。

 (だが、追い付くとこまではいかないな……)

 そこまで現況を把握したところで、青年が再び上層に向けて走り出す。召還装置の据えられた――そもそもが“装置”なのか、そして後から“据えられた”ものなのかはコルテラーナの判断を仰ぐしか無いのだが――大空洞は“地下迷宮”の最深部である遥か地の底に位置していた為、そこからひたすら昇り続けるだけの単調な逃避行ではあった。

 警報のようなものも無く、今の追っ手の二騎も巡回中のものに出くわしただけである。少なくとも、待ち伏せではなかった。

 そしてそのままさしたる障害も無いままに、彼等は巨大な吹き抜けとして構築された目的地である大ホールに辿り着こうとしていた。

 『予測通りだ、備えろ』

 邪魔をせぬよう再び青年の胸元に潜り込んだ妖精少女が、青年に注意を促す。

 「了解!」

 合いの手も鋭く、青年が右腕を高々と掲げる。その右手の平を中心に蛍火のように青い輝きが集い、そして一本の長い棍と化して実体化した。

 六旗手が一人“青のカカト”――その証である“旗”の、それが顕現であった。

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