祈桜(1)
あれから、2週間の刻が過ぎた。
2週間――この閉じた世界における2週間である。1週間は6日で構成されているので、私の居た日本で換算すると12日後にあたる。
ちなみに1ヶ月は5週間、1年は12ヶ月。閏年は無いようなので――本当に無いのか、或いは有るのだがその誤差を算出する術がまだないのかは分からない――1年はちょうど360日ということになる。
転じてより短い単位、すなわち時間の区切りの方に目を向けてみると、こちらも私の知る『1日』との大きな差異は認められない。元の世界の時計でもあれば秒単位での比較もできたのであろうが、あくまで私の体感として1日の長さは元居た日本とそう変わらないように思えた。
実際のところ、声なき声からの情報では『1日』は『24時間』で構成されていた。
『分』や『秒』に関しては、もし『60』単位でなかった場合にそれを自分の中で処理できる自信がないので、敢えて訊かずに曖昧なままにしておいた。秒刻み、分刻みの生活を強いられている訳でもないので、大きな支障もないだろう。
少なくとも今はまだ。
出来過ぎていると、自分でも思う。まるであつらえたかのように、この閉じた世界の暦は元居た地球に酷似していた。
無論、自分がこの世界の中心だ、自分の為にこの世界があるのだ、などという世迷言を云うつもりもない。単なる偶然にしては出来過ぎている、故に何らかの理由が有るという、ただそれだけのことだろう。
推察ではあるが、この世界が“彼等”なる者達によって用意された遊戯の盤であるのならば、その“駒”の選別条件の一つではないのかと、私は思う。
もしも、俗に云う“異世界”なるものが数多に存在するのなら、その中から『1年』の日数が近しい世界の者を選別してこの閉じた世界に墜としているのではあるまいか。
何らかの“彼等”なりの公平を期する為に。
後日となるが所長の見解も私と同一であった。結局、皆考える事は一緒だということであろう。完全に余談となるが自分の推察がそう的外れでは無い事を知った時は、正直嬉しかった事は付記しておく。自惚れではあるが。
話を戻す。
それで、この2週間私が何をしていたのかというと、基本的には幼主ナナムゥの護衛兵として扉の前で直立して控えていた――という訳でもない。
主であるナナムゥが活動的なこともあり、浮遊城塞の他の子供達に混じって雑用をこなすという大変勤勉で健康的な生活を送っていた。
そうして日々を過ごす一方、この世界について何も知らないという危惧は常に私に付いて回った。それ故に時間が許せば私は雑用と同様に、子供達の授業を後ろで拝聴するよう心掛けていた。
文字の勉強を除いて。
それが一番重要ではないかと非難されるであろう自覚はある。だが自己弁護を許してもらえるならば、その理由を直ちに複数列挙することは可能である。
一つは、脳裏の声なき声が脚注を表示してくれるので日常生活では直ちに支障が無い。
一つは、学んだことをメモする手段がない。
一つは、『YES』『NO』の意思表示の手段を――その顛末に関しては後述する――得る事ができた。
一つは、そもそも私自身が英語――というか外国語全般――が苦手で偏差値50有るかも怪しいレベルなので、異世界の文字を憶えることがそもそも不可能だと推測される。
キリが無いのでこの辺にしておくが、まだまだ余裕で倍の数は理路整然とした理由を列挙できる自信はある。
分かってはいる。どのような苦労を重ねても識字を習得しておいた方が良いことを。今は良くても、いつか必ず後悔する日が来るであろうことも。
だがコルテラーナには読み書きよりもまずこの世界の理に慣れることを優先するよう諭され、バロウルに助力を請うことは非常に――とても非常に――躊躇われた。
今更隠してもしょうがないが、外国語に限らず私は暗記の類が苦手であった。国語だけならば、設問を読んでその場で答えを考えれば良いのでそれなりの成績を収めることはできたが、それだけである。
幼き頃から物語を読むのが好きでその流れで雑学にも明るい方だとは思うが、詳細な原理や理論となるとさっぱりである。
故に私がこの“閉じた世界”で知識や知恵で貢献できることなど有る筈もなく、コルテラーナ達もそれを私には望まなかった。
そのような次第であり、私はこの浮遊城塞オーファスがルーメ湖に着水したまま2週間、与えられた仕事をこなしつつ穏やかな日々を過ごしていた。
決して暇という訳ではなかったが。
*
「キャリバー!」
「キャリバー!」
私の周囲で、私を囃し立てる子供達の声が響く。男女入り混じったその声は、どれも皆明るい。
冷静に考えると『馬鹿野郎』と連呼している訳なので、子供の教育に悪いのではないかとも思うが考えないことにした。
「――ヴ!!」
私は子供達の声援に応える為に、持ち上げた乗用車の残骸を高々と頭上に掲げてみせた。石の躰である以上その必要はないのだが、全身に力を込める小芝居を混ぜてみる。
湧き上る子供達の歓声。人間に瓜二つの子もいれば、小鬼じみた青味がかった肌の子など、その姿は多種多様である。
単純な男だと我ながら呆れるが、それでも子供達が笑顔を浮かべる様が堪らなく嬉しかった。この子達の笑顔を護りたいと思った。
この“地獄”と断じた“閉じた世界”で。
ある夜に私が墜ちて来たという、浮遊城塞オーファスの中庭で。
その意味で、今居るこの浮遊城塞こそ、私の第二の生の始まりの地でもあった。
同時に、妹を喪った地でもある。
先程から私は“中庭”と称しているが、学校の運動場と表現した方がイメージとしては妥当かもしれない。
城塞にはちょうどコの字を描くような位置取りで三棟の建築物があった。いずれも上層部には尖塔が伸びているが、基礎となる建物自体は文字通りの“城塞”といった佇まいを誇っていた。
中央の棟は私がナナムゥに“拝謁”した大広間がある最も広大な棟であり、意外にもその殆どを倉庫と工房が占めていた。
そして“中庭”から中央の棟を見上げる場所の向かって右の棟が居住区であり、常時百人程だというこの浮遊城塞の乗組員のほぼ全てがそこで生活していた。
残る左の棟は工廠と“廃棄場”であり、コルテラーナやナナムゥ――そしていまだ名前しか知らぬ六旗手が一人“青のカカト”――はそこに自室を構えていた。要は城塞の幹部格が占める棟である。
私が最初に目覚めた“廃棄場”は正にその地下に位置し、そこから塔の展望台に辿り着くまで他者の姿を見かけなかったのも、そこが居城区ではなかったからだと云える。
ちなみにではあるが、バロウルもまた工廠の向かいに自室を構え、職場と寝室を往復するワーカホリックじみた生活を送っていた。
どうやら公私を分ける事ができない、どちらかといえば私に近いタイプらしい。あまり喜ばしい事ではないが。男っ気が無いのも当然だと、わたしは納得した。
それは兎も角、昼は子供達に混じって雑用をこなし、夜は工廠に戻りバロウルの点検を受けて“眠り”に落ちる、そんな毎日を私は送っていた。
そして今もまた、私は子供達に混じって中庭の一角で――繰り返して云うが、放課後の小学校の校庭で低学年の子供達がワイワイ騒いでいる、そんな喧騒をイメージしてもらった方が判りやすいと思う――自動車を持ち上げ喝采を受けていた。
自動車――自動車である。正確には、元は自動車であった物の残骸だ。
自動車だけではない。“中庭”の隅の方にある煤け抉れた地面――浮遊城塞オーファスの俗に云う甲板の部分は、基本的に土と通路としての石畳で構成されていた――には、アスファルトやコンクリートの残骸がそこかしこに転がっていた。それら焼け焦げた無残な瓦礫を撤去することが、今の私が仰せ付かった仕事であった。
自動車を撤去した後にぽっかりと空いた凹みに、シャベルや農具を手にした子供達がはしゃぎながら群がる。昨晩の内に私と三型とで脇に運び込んでおいた土砂の山を崩して、その穴を埋めていく。泥遊びか何かと勘違いしていた子もいるが、周囲の年長の子に叱られている。
穴埋めも六型や三型で夜の内にでもやれば、確かに効率はいいだろう。だがコルテラーナも、子供達の学問の師である“老先生”も、可能な限り機兵ではなく子供達に作業させるように取り計らっているようであった。
「ヴ!」
騒ぐ子供達を尻目に私は持ちあげた自動車の残骸を、土砂とは別の隅に並べた。こうして撤去した瓦礫を、この浮遊城塞が着水しているルーメ湖に片っ端から投棄してしまえば手っ取り早いのではあるが、それだけはやるなと事前にバロウルからくどい程に念を押されていた。
この閉じた世界の水源が貴重であることは――雌ゴリラにいちいち言われずとも――分かる。こうして一つの学校の敷地並の面積を誇る浮遊城塞を着水させるだけの規模を持ちながら、このルーメ湖の周辺には集落の類は認められない。飾り気の無い未舗装の道だけが、南北に向けて伸びているだけである。
水源が枯渇し、現存する湖の所有を巡って争うまでには至っていないということであろう。
少なくとも、今はまだ。
『壺の中の魚が増えるのと同じなのよ……』
コルテラーナのかぼそい憂い声が私の脳裏で幾重にも響き渡る。
海の無いこの世界で、水と塩が貴重であることは私の乏しい知識でも分かる。ましてそれが有限であることも。
或いはこの世界の、“墜ちてくる時に造り換えられた”住人の躰は私の常識の範囲外かもしれない。水も塩も不要な可能性も無論ある。だが飢えも乾きもある以上、そのような都合の良い話もないだろう。
平和な国の平和な日常。そこでただ穏やかに過ごしてきた私がしたり顔で未来の無い地獄じみた世界だと断ずる事は驕りなのかもしれない。
だが、それでも、救いがあるのならば。救いの道を探す手助けを、私如きでも出来るのならば……。
呪われた世界。造られし過酷な世界。閉じた世界。
石の躰に魂を移されたとは云え、運良くコルテラーナに拾われた私はかなりマシな部類であろう。多くの者は傷付いた身一つで、言葉も通じぬこの異境に投げ出されるのだから。
北のコバル公国に至っては、墜ちて来た者を狩り集め、そのまま鉱山に送っているとも聞いた。保護の名目で。
惨いどころの話ではない。
そのような墜ちて来た“新参者”を拾い上げるのがこの浮遊城塞オーファスの使命だと、コルテラーナは言っていた。今、私の目の前で大騒ぎをしている子供達もその家族も、まさにその流れを汲むのだと。
とは云え、この城塞はあくまで彼等にとっては一時の仮住まいに過ぎない。最終的には地に足を付け自分で食い扶持を稼ぐ――殆どは誼を通じた妖精皇国に受け入れてもらっているという――為の講習期間のようなものだというのが、コルテラーナによる弁であった。
「キャリバー!!」
背後から突然に、私を呼ばわる大音声が響いた。幼女独特の甲高い大きな声の主は、言うまでなく我が幼主ナナムゥである。
「来てやったぞ、キャリバー!」
ナナムゥは全速力で私まで駆け寄ってくると、そのまま私の躰に跳びかかった。
まるでお猿か何かのように、はしっこく私の躰を足場とし背中側の座席へと飛び移る。




