帰道(17)
包囲――まさに包囲網である。彼女達二人の“旗手”を円陣を組んで取り囲む妖精機士の一群。それは、同じく“旗手”であるナイ=トゥ=ナイを筆頭に、幽鬼の如くその姿を現し寄り添う鋼の妖精機士の群れであった。
否、それは果たして本当に妖精族が乗り込んだ正規の妖精機士であるのかとミィアーは訝しむ。妖精皇国で長く所長の侍女を務め、それ故に妖精機士とも接する機会がそれなりにあった彼女が俄には信じ難い事態だと疑念を抱いたのには相応の理由がある。
妖精族は一握りの例外――それこそナイトゥナイのような――を除いてそもそもが自我に乏しい。主命に殉ずる為に自我を殺す自分達シノバイドとは根本的に異なる意志の稀薄さである。他者から与えられた使命に対し、むしろ嬉々として固執する傾向が妖精族にはあった。
妖精機士とは妖精皇国の長である所長直々に公国の護り手として任命された妖精族である。大仰な拝命の儀式を介した経緯がある以上、その『主命』を簡単に放棄してナイトゥナイに付き従うとは思い難いものがあった。
(まして今のナイトゥナイは――)
ミィアーの鋭い目線が、いまだに未練がましくカカトの名を泣き叫ぶだけのナイトゥナイを見据える。常軌を逸した今のナイトゥナイに、他の妖精機士が自分に追従する様に仕向けるだけの説得ができるともそもそも思えなかった。
「あのバカ、よくもあれだけのガラクタをかき集めたものじゃ」
「――!」
まさか自分の心を読んだ訳でもあるまいと、ナナムゥの呟きに対し心の中でミィアーは驚愕する。ましてシノバイドたる自分の表情から心中を読み取ることなど不可能である。こうして動揺しながらも、それすらミィアーは胸中に押し留め無表情を保っているのだから。
妖精族の気質に対するそれとは異なり、ミィアーには機兵や妖精機士の機体そのものに関する知識はついては門外漢と言っても過言ではない。だが、所長の侍女を務める関係上、それら機体の廃棄部品を浮遊城塞の実質的な主であるコルテラーナが回収し集積しているという話は耳にしたことがあった。それを組み上げた物をコルテラーナがナイトゥナイに授けたのだろうと、ナナムゥは推測を口にしたのである。
内部で操縦している者が何者であるのか定かではないにせよ、それが正解であろうとミィアーも同意する。なまじ妖精族の半端な知識があるだけにそれに付随する疑念に引っ張られてしまったと、ミィアーは己の未熟さを恥じる。
早急にナイトゥナイを制圧しなければならない以上、謎のままの操縦者を訝しんだところで仕方がない。その全てを殺す事に変わりは無いのだから。
「――来るぞ!」
周囲を取り囲む妖精機士の一体が、開始の合図も無しにいきなり両者目掛けて機体ごとぶつかってくる。
それを難なく躱した両者であったが、今しがたの疑念に対し共に一つのことを確信していた。
先程から、ナイトゥナイ自身を除く妖精機士達の動きは実に単調なものであった。直線的とでも言うべきか。それはすなわち、機体内部にいるのはやはり妖精族ではなく、何らかの傀儡的な方法で動いているに違いないということである。
ナナムゥとミィアーが互いに目配せを交わして二手にバッと別れる。そのまま両者はナイトゥナイを挟み込むような形で地を蹴り跳ぶように駆け出した。
シノバイドとしての脚力の差か三呼吸分程先んじて、ミィアーが手にした守裏遣太夫の射程の内にナイトゥナイを捉える。
その彼女の眼前に、防壁のように子機とでも呼ぶべき妖精機士の一体が横合いから滑るように割り込んで来る。だがそれもミィアーには認識済みであった。
「っ!」
その子機の肩を踏み台にして、一気にナイトゥナイの懐に飛び込み守裏遣太夫を叩き込む――本来ならばその流れであった。
「――!!」
何か予兆があった訳では無い。それでもミィアーが咄嗟に想定とは逆に地を蹴り大きく後方に跳び下がろうしたのは予感――シノバイドとしての純粋な本能による動きに他ならなかった。
子機の装甲の繋ぎ目から、眩い閃光が漏れ、一瞬の間を置き機体が爆発する。
幾ら後方に下がったとは云え、そこまでの距離を稼ぐことが出来なかったミィアーの体を爆発の余波が襲う。咄嗟に巨大手裏剣である守裏遣太夫を盾代わりにして前面を庇ったとは云え、破片の混ざった爆風の勢いだけは殺すことができなかった。
背中から地面に激しく叩き付けられ、ミィアーが短く喘ぐ。“旗”より与えられた“力”により彼女に肉体に対する痛覚は無い。しかし気管支への衝撃だけは如何ともし難く、痛みは無くとも呼吸の阻害に対してはまったくの無力であった。子機の自爆が例えそこまでの副次被害を計算したものではなかったにせよ、ミィアーがまったくの無傷では済まなかったと云う意味で確かに有効打に違いはなかった。
「……くっ!」
流石に元はモガミの秘蔵っ子である。ミィアーが我を取り戻し大地より跳ね起きるまでに要した時間はほんの数秒程度の短い空白に過ぎない。だが残る妖精機士の子機が彼女に殺到するには充分な致命的な空白であった。
ミィアーの右手が懐に忍ばせたワイヤーに伸びる。だが子機の群れの自爆から逃れる手段としては到底間に合わない――そもそも脱出用にワイヤーを投擲すべき高台そのものが存在しないことは彼女自身が最も承知していた。
絶体絶命のミィアーの耳元に、ギャイーンという高らかな弾奏が届いたのはまさにその刻であった。
響き渡るその音が、ナナムゥの繰る電楽器の音色であることをミィアーは知っている。だが、その弾奏を合図にそれまで自分に攻め寄せて来た子機の群れが一斉に踵を返し、その矛先をナナムゥへと転じた理由については確たる理由に思い至らなかった。
だが、その一方のナイトゥナイに対する効果は覿面であった。その執念はミィアーの予想を遙かに上回るものだったのだ。
「――カカトォ!」
妖精機士の内部で吠えるナイトゥナイの声がスピーカーを通じて外部に響く。電楽器こそ、かつてカカトよりナナムゥに受け継がれた“旗”の顕現。電楽器の奏でる音色こそ、かつてカカトが高らかに奏でた戦の合図。
全てはナイ=トゥ=ナイにとっては忘れ得ぬ思い出。
全てはナイ=トゥ=ナイにとっては忘れ難き音色。
「阿呆めが……!」
呆れ果てそう吐き捨てるナナムゥ。直前のミィアーのあわやの危機に果たして彼女はどこにいたのか?
電楽器の音は、手近な林の中から流れ出たものである。奏者であるナナムゥの姿は、その内の大樹の枝の上にあった。直接の目視は叶わぬまでも今もナナムゥが後退しつつあることが、遠ざかる電楽器の音量からミィアーにも分かった。
無論、ナナムゥは無責任に逃亡を決め込んだ訳ではない。苦言を口にしたその唇にはしかし、してやったりという確かな笑みも浮かんでいた。
「カカトォッ!」
絶叫し追い縋るナイトゥナイのどこまでが正気でどこまでが狂気であったのかは定かではない。追い詰めた筈のミィアーへの執着をあっさりと捨て標的を変えはしたが、ナイトゥナイがただ衝動のままにナナムゥを追って動いたとも思えない。その証拠に露払いとして林の中に先行して飛び込んだのは、ナイトゥナイ自身の四脚の妖精機士ではなく、子機である半壊したお供の妖精機士達であった。
最後尾として林に突入するナイトゥナイの更にその後に、ミィアーが僅かによろめきながらも気力を振り絞り走り出す。
身を隠し、状況を立て直す為の言わば苦し紛れの時間稼ぎ――ミィアーの見立てではそうであった。だがすぐにナナムゥのその目論見がまったくの無意味であることに思い至る。例え林の中にどれだけ巧妙に身を隠そうとも“旗”を持った“旗手”同士、互いの位置は目に見えずとも感覚で分かる為である。
(ならば狙いは――?)
まるでミィアーの疑念に同調したかのように樹上にナナムゥがその姿を自ら現し、更には電楽器を高らかに掻き鳴らす。
それが露骨な誘導であることはミィアーにとっては一目瞭然であったが、少なくとも子機達にとってはそうではなかった。鋼の機体が一斉にナナムゥの待ち構える大樹目掛けて殺到する。その群れに異変が生じたのはその直後であった。
木々の間を抜けて行こうとした子機達の内の、ある一機は大きく体勢を崩し転倒し、ある一機は奇妙に固まったまま明後日の方角の樹の幹に衝突した。
「フン」
樹上に仁王立ちしたまま、ニヤリとナナムゥがほくそ笑む。戦果に対し、賭けの要素が無かったと言えば嘘になる。ましてやそれは一つではなく二つもあった。
一つは体勢を崩した子機がこの場で直ちに自爆しないかという点。それは電楽器を爆発に巻き込むような真似をナイトゥナイは良しとはしないだろうというナナムゥの憶測が前提にあった。賭け以外のなにものでもない。
残る一つはこれからの事である。よろめく体を幹に預けたナナムゥの顔には既に笑顔ではなく強い焦燥の色が浮かんでおり、その呼吸は明らかに喘ぎが混じっていた。
妖精機士の子機達が変調を起こしたのは、ナナムゥが樹と樹の間に不可視に近い“糸”を張り巡らし即席の罠を仕掛けておいた為である。
無論、半壊した子機と言えども相応の質量を持つ妖精機士が相手の罠である。その鋼の機体を絡め取る程の太目の“糸”を幾重にも精製するなど、幾ら“旗手”であるナナムゥとは言えども容易な事ではない。しかも演奏によって標的を釣り出すまでの短い猶予の間にである。
無謀とも言える大量の“糸”の精製は、文字通りナナムゥにとっては命を削る行為であった。それを無理矢理果たした今、これからどの程度自分が動けるものなのか。それがナナムゥにとっての二つ目の賭けであった。
「――!」
迫り来る気配を感じ取りキッとナナムゥが顔を上げる。妖精機士の子機はあくまで前座に過ぎない。本命にして最大の脅威は言うまでもなくナイトゥナイである。同じ“旗手”である四脚の妖精機士が、半壊した機体でありながらも光の翼を広げ、地を掠めるような低空飛行で迫り来る。その手には“旗”の顕現である光の槍が握られていた。
樹林の中に響き渡る轟音。それは光の翼と光の槍、そして何よりも真っ直ぐにナナムゥ目掛けて強襲する妖精機士の機体により木々が薙ぎ倒される音であった。流石に幹がへし折れるまではいかにものの、次々と斜めに傾く大樹の路。その代償として脚の1本が膝からもげ落ちる。
既に樹林の中に逃げ惑う鳥や小動物の姿すら無い。ミィアーも全力でナイトゥナイの後を追って走るが明らかに間に合わず、最初の出遅れが致命的であると言えた。
ギャインと高らかに電楽器で一小節を掻き鳴らしながら、ナナムゥが猿のように樹木の上から上へと飛び移る。
「カカトッ! カカトォッ!!」
ナイトゥナイが半狂乱で機体の挙動をねじ曲げその後を追う。しかし木々に体当たりを重ねることでその突進の勢いは明らかに落ちていく。推力を奪われた妖精機士は今や樹林の中に誘い込まれた形となった。そればかりか電楽器の音に右往左往するナイトゥナイの機体は、最初の“糸”の罠を脱し追従してきた周囲の子機を自らの光の翼で跳ね飛ばし、或いは残った脚部で蹴り飛ばしさえした。流石に子機の損傷まではナナムゥの想定外の戦果ではあったのだが。
ナナムゥの策略自体は先程と寸分変わらない。木々の間に張った“糸”で蜘蛛の巣のように妖精機士を絡め取り無力化する。それはナイトゥナイを殺めたくないというナナムゥの信念からであったが、それは彼女がカカトの記憶を受け継いだことが要因ではない。ナナムゥ自身がそうしたいという情を強く抱いていたが故であった。
「――!」
電楽器の誘導によりまさに本命の罠に誘い込まれた妖精機士が“糸”に絡み取られその動きがゼンマイの切れた人形のようにぎごちなく止まる。
「きぇぇぇっ!」
猿のような雄叫びと共に、始めてナナムゥが攻撃に転じる。妖精機士の腹部目掛けて勢い良く振り下ろされた電楽器が、しかし鈍い轟音を響かせて装甲の前に弾き返される。
「ちぃっ!」
舌打ちするナナムゥであったが二撃目は不可能であった。妖精機士の背中の光の翼が張り巡らされた“糸”を薙ぎ切る。同じく出鱈目に振り回された光の槍を避けようとしてナナムゥは大きく体勢を崩し、何とか辛うじて地に転げ落ちることだけは免れた。
側転の形で後方に転がったナナムゥが、手近な木の幹を蹴った反動を生かして再度ナイトゥナイ目掛けて跳ぶ。
「そこじゃっ!」
彼女の指先から射出された“糸”が狙ったのは、妖精機士の半壊した肩口の装甲の間隙であった。先程の電楽器による殴打が通用しなかった事実が示す通り、操縦席である腹部の装甲はいまだに強度を保ち付け入る隙が無い。それ故に、肩のひび割れから侵入した“糸”が内部機構に巻き付いたのは、現状打破の“糸口”としては間違いではなかったのかもしれない。両者に追い縋るミィアーの目から見ると、如何にも苦し紛れの策であったとは云え。
だがそれはナナムゥにとっては諸刃の剣であった。妖精機士が大きく機体を振り払う動作をしたが故に、逆にその“糸”がナナムゥを引っ張りその身を空中に跳ね上げる。
既に自由となった子機の内の一機が、その振り回される形となったナナムゥへと迫る。それを阻止したのが、更にその後ろからようやく追い着いたミィアーの働きにあった。懐から取り出したワイヤーが投擲され、その子機に絡み付き突進を封じたのである。
だがそれは、ナナムゥに迫る直下の危機を防いだだけのことでもあった。
狂気に蝕まれたナイトゥナイの動きのどこまでが計算の上であったのか。その動作の巡り合わせがあくまでも偶然の産物であったのならば、神に見放されたのだろうとキャリバーの内の『兄』はしたり顔で呟いただろう。
半壊したとは云え鋼の妖精機士である。質量の差は如何ともし難く、ナナムゥの身体は軽々と振り回され、為す術無く大樹の幹に受け身の姿勢もままならないまま叩き付けられた。
「がっ!?」
ナナムゥの絶叫。その手から電楽器が離れ、飛んだ。
エレキギターを模っていたナナムゥの“旗”が、所有者の手を離れたことで本来の光の珠へと姿を変える。それだけに留まらず、弾け飛んだその“旗”の行方こそが運命の悪戯だと言えた。
ナナムゥの“旗”が転がった先は、この場に駆け寄ろうとしていたミィアーの足下であった。
「!?」
好機――まさに好機ではあった。ミィアーにとっては。
ナナムゥの“旗”を自らのものとすることで彼女は“旗”を二つ有する“旗手”と成る。かつてザーザートがクォーバル大公から“旗”を二つ奪い取り、この閉じた世界への“復讐”を実行に移したように、それにより彼女もまた強大な“力”を得る筈であった。満身創痍のナイトゥナイを一蹴することなど容易いまでの。
だがそれは、今まさにナイトゥナイの前に風前の灯火であるナナムゥが、“旗手”ではない只の『ナナムゥ』と化すということを意味していた。
刹那の間であるとは云え、ミィアーは逡巡した。してしまった。モガミより厳しい指導を受けた元シノバイドの身でありながら。
非情に徹することができなかったのは、彼女が所長の許で穏やかな日々を過ごしその高潔な人柄から改めて薫陶を受けたが故に生じた甘さであった。
その躊躇いはしかし、致命的な遅れと化す。自らが放った“糸”が互いの身を繋ぎ止めている為に、ナナムゥは後退することすら出来なかった。
ナイトゥナイが手にした光の槍ごと、ナナムゥの体を刺し貫くべく明確な殺意と共に突撃する。
おびただしい鮮血が宙を舞い、ナナムゥの苦悶の叫びが樹林の中にこだました。