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帰道(16)

 ドタリという人が倒れる音が別方向から響く。それは痺れの残った身体を必死に捩った所長が椅子から転がり落ちた音であった。それをチラリと冷めた視線で見下ろすイグラッフとは対照的に、床面から見上げる所長の瞳には反抗の炎が静かに燃えていた。

 「無駄に怪我したくなければ大人しくしてなさいよ」

 所長の表情が気に食わなかったのか、イグラッフが大仰に鼻で笑ってみせる。

 「安心なさいな。効き目の弱い“香”を使ったから直に痺れも取れる筈。後遺症も無いし、これでも気を遣っているのよ?」

 そこまで慇懃無礼な口調で話していたイグラッフであったが、その顔が不意にまったくの別方向に向く。誰もいない筈の、工廠の天井へと。

 「……ああ、そういうこと」

 イグラッフの声にあからさまな苛立ちの色が滲む。

 「妙にグダグダと馬鹿な話をすると思ったら、時間稼ぎをしていたって訳――」

 イグラッフの言葉が終わらぬ内に、先程そのイグラッフ自身が穿った天井の穴より、新たな黒い影がズドンという重々しい音を上げて降り立つ。

 「“旗手”…よね……?」

 イグッラフの呟きが半分疑問形だったのには理由がある。乗り込んで来た者が“旗手”であることは、互いの“旗”を感知できるという“旗手”の特性により間違いは無い。その“旗手”の姿形が何の情報も無い初見のものであったが故であった。

 一見すると、甲冑の騎士に見えないこともない、全身が艶の無い漆黒の色をした鋼の騎士。

 強化型装甲鎧(パワードスーツ)――もしもイグラッフがコルテラーナと見識を共有できていたならば、すぐにそう識別できていただろう。だがガッハシュートとは異なり、コルテラーナとイグラッフにはそこまでの結び付きは無かった。サリアが夢見て生まれた“守衛”という同一の存在でありながらも、両者を隔てる明確な差異。それこそが“夢見る”前のサリアの想い入れの強さの差であったのだろう。個人の“夢”の産物であるということは、不滅でこそあれ自然の摂理に反する歪な出自である。それが故に生じた不具合であった。

 「貴様……!」

 怒気を隠そうともしない黒騎士の声が響く。それは紛れもなくモガミ・ケイジ・カルコースの声であった。冷徹を常とするシノバイドの頭領ではあったが、周囲の空気が歪んで視える程の殺気を纏っているのは確かであった。

 イグラッフによって散々痛め付けられ倒れ伏していたバロウルが、残された力を振り絞りモガミの声のする方を見上げる。

 (アレは…クロ……?)

 黒騎士の“甲冑”の外観の諸々にバロウルには見憶えがあった。意識を喪う寸前の霞む視界ではあったが、それでも見紛う筈はない。バロウルが直接整備する機会は無かったとは云え、その腕部も脚部も胴体も、形状の何もかもが所長の護衛機であるクロそのものであった。ただ一つ大きな相違点を上げるとすれば四肢と胴体のバランスが異なる、より詳細に述べれば頭身が上がっている点にあった。

 そのクロが、モガミの声で喋っている。

 妖精皇国の妖精機士(スプリガン)と同じく、クロの内側に操者としてモガミ本人が居るのであろうことは機兵(ゴレム)の技師でもあるバロウルにもすぐに判った。だがクロにその様な機構が秘められていた事などバロウルは所長から聞いたことは無い。

 おそらくは所長とモガミにとって、それこそが秘匿中の秘、最後の切り札であったのだろうと、白濁する意識の中でバロウルは推察する。

 一つだけ確かな事は、黒騎士(モガミ)が窮地に陥った自分達にとっての救世主であるということ、彼が駆け付けてくれると信じて所長は我が身を張って時間を稼いでいたということである。

 「ここだと所長を巻き込む。それは貴様の望むところでもあるまい」

 モガミの立ち振る舞い自体はあくまで静謐なものである。だがもしバロウルの意識が混濁を始めていなければ、その言葉の端々の鋭利さだけで、気弱な彼女は身をすくめてしまっていたに違いない。

 表に出ろ――次なるモガミの言葉はおそらくはその様な類いのものであったのだろう。薄れゆくモガミの声を聴きながら、バロウルの意識は完全に闇に沈んだ。


        *


 爆発四散した“早馬”から逃れたガッハシュートと、その彼に抱き抱えられたバーハラが目的地で目にした光景は、異様と云うよりは奇天烈(シュール)と呼ぶ方がしっくりとくるものであった。

 木々の合間にポツンと開けた空き地の中央には、どこか四肢を丸めて蹲る獣を思わせる巨大な砲塔が設置されていた。それ自体は、かつて商都ナーガスの城壁を粉砕する猛威を振るったカアコームの巨大砲に近しいものであった。

 奇天烈(シュール)さの原因は、砲台の基部に所在なさげに独りたたずむ美丈夫が、大仰なマントを羽織っている相乗効果もありあまりにも場から浮いてしまっているところにあった。

 「これはまた、何と言うか……」

 流石のガッハシュートも控えめな苦笑いに留めた惨状であるが、彼等の到着を認めた美青年――司書長ガザル=シークエは丸眼鏡のブリッジをクィと指先で持ち上げてみせた後、その澄ました表情を変えることなくただ淡々と現状を口頭で伝えた。

 「砲台の設営までは司書も私の指揮下にあったのだがね。その後は移動図書館ごと全て館長(コルテラーナ)に掌握されてしまったという次第だ」

 「我ら守衛と違い、司書はコルテラーナの制御下になく個々の判断が優先されるというのが特色だった筈だが?」

 ガッハシュートの揶揄に対しても、ガザル=シークエは眉一つ動かすことなくこう返した。

 「今回の反抗に際して、分が悪い賭けだと言ったのは君自身だと記憶しているが」

 「確かに言った」

 「ならば、そういうことだ」

 守衛長と司書長の間にしばし重い沈黙が漂う。

 ガッハシュートの腕の内から地面に降ろされ成り行きを見守っていたバーハラが両者の間を取り持とうと一歩前に出ようとする。だがそれよりも早く、一同に向けて甲高い男の声が唐突に響いた。

 「何をやってるんす!? 時間押してるんだから、さっさと手伝いの準備するするっ!」

 砲台の影からパンパンと手を叩きながら砲術技師のカアコームがヌッと姿を現す。彼がヒステリックに声を張り上げているのも詮無きことではあるのだろう。その細身の風体に加え、酷い目の隈とこけた頬がより一層幽鬼めいた印象を強める。その焦燥具合は体調をわざわざ尋ねるまでもなく明白であった。

 守衛の長と司書の長の二人を前にしても臆することなく早口で捲し立てるカアコーム。その勢いにガッハシュートですら思わず気圧されて後退る。結局バーハラが間に立って取り成してくれなかったならば、かなり混沌とした状況で時間を無為にしてしまったことだろう。

 コバル公国の軍勢が壊滅し、カアコーム砲を破壊され商都ナーガス付近の砲台陣地に取り残される形となっていたカアコームはその後に移動図書館に拾われた。司書長ガザル=シークエの指示である。そして彼が司書達を使役し砲台陣地に残された補修用の部品を流用して小振りの砲塔を何とか組み上げたのはつい昨日のことである。

 即席の、しかも細部をだましだましの建造である。そのおかげで試射すらも実行できない一発限りの仮設砲台であった。

 カアコームが一晩掛けてようやく計算の終えた発射角に砲身を固定する作業を、彼の指示の元に勤しむ一行。とは云え実作業の殆どはガッハシュートが担当した訳であるが、作業の目処が付いた頃に、カアコームはそのガッハシュートの頭から爪先を無遠慮にジロジロと見回した。

 「ほーん」

 唸り声とも感嘆ともつかない珍妙な声を発しながら、カアコームは次いで砲台基部の横に置かれた円筒形の“籠”に視線を移す。

 「オタクらが撃ち出せというから撃ち出しはするんけども」

 その“籠”にガッハシュートを詰めて撃ち出す――それが司書長ガザル=シークエからの砲術技師カアコームへの依頼であった。

 「……」

 カアコームは一つささやかな溜息をつくと、普段使っている奇妙な語尾を止め、襟を正し、真顔でガッハシュートに訊いた。短い言葉で、ハッキリと。

 「死ぬよ?」

 「承知の上さ」

 ガッハシュートは涼しげに笑うと、更に戯けた口調で先を続けた。

 「何なら念書でも書いておこうか?」


        *


 ドスンドスンと地響きを立てて、石の巨人が独りで駆け抜けて行く。その足取りに迷いは無く、ただただ一心不乱に前に進んで行く。走る速度自体は人のそれを逸脱してはいない程度の速さではあったが。

 (……)

 (お兄ちゃん、大丈夫……?)

 先程から無言のままの兄に対し、妹が心配気に声を掛ける。兄の疲労が蓄積していることは明らかであった。肉体が朽ち事実上精神しか存在していない自分達にとっては“心労”と呼ぶべきなのかもしれないが、そこに拘るような妹ではない。

 (……瑞兆だと思いたいな)

 それまで沈黙を保っていた兄の思念が不意に妹の中に流れ込んでくる。

 (ずいちょう?)

 その言聞き覚えの無い言葉の意味が分からず、妹がきょとんと聞き返す。妹に対してだけは気取った物言いを極力避けていた兄が、今回に限って難しい単語を口にしたのは、それだけ彼の意識が散漫になっていることを意味していた。

 (幸先(さいさ)…ツキが巡って来たと思う。苦労せずにナナムゥ達を撒くことができた)

 兄の説明に成る程と妹も納得する。

 “黒い棺の丘”(クラムギル=ソイユ)に広がる暗黒の空間の中心で自爆する。それによって無論自分達も死ぬ。それ自体は妹も当の昔に覚悟は決めていた。自分達に残された“命”が元々そう長くはないことも承知の上だったというのも無論ある。

 自分達が死ぬのはしょうがない。兄妹が揃って頭を悩ませていたのは自分達ではなくナナムゥについてであった。

 この世界に墜ちて来てから常に共にあった碧眼の少女。彼女が自分達に最後まで付いて来ようと目論んでいることは、直に口に出さずともその態度から明白であった。文字通り、最後の最期の刻まで。

 気持ちは嬉しい。とても嬉しい。だが文字通りの特攻に付き合わせる訳にはいかないというのが、兄妹揃っての決意である。

 それに加えて急遽自分達の護衛を務めることになったミィアーの存在もあった。自分達の自爆の瞬間まで付き合うことは流石にないとは思うが、モガミから何を言い含められているのか分かったものではないというのも、兄妹にとって共通の危惧であった。

 両者を説得することは困難であろうし、そこまで時間を掛ける猶予も無い。それ故にどこかのタイミングで振り切らねばならない訳だが、それはそれで非常に難事だと兄が頭を悩ます様を妹はただ見守ることしかできなかった。

 結局、良い案が浮かばぬままに“早馬”に乗り込んだ次第であるが、予期せぬ奇襲により“早馬”は墜ち、迎撃に出向いた護衛の二人から意図せず離れることができた。

 僥倖以外のなにものでもないと、兄は思う。正確にはそう自分自身に言い聞かせた。

 ガル=アルスの“力”を分け与えて貰ったことにより、自分達兄妹は一時的に命を長らえることができた。そればかりか――おそらく“龍”はそれすら必要になると見越していたのだろうか――暗黒の最深部に単独で乗り込むに充分な“力”を得た。

 この石の機体(からだ)の中を満たす強大な破壊力を持つ紅水晶と、それを守る“力”とを。

 紅水晶が増殖した代償として、“声なき声”――それは移動図書館のバーハラを始めとする司書達による監視の目であった訳だが――の助言と、任意で視界に遅延を発生させる能力は失われてしまった。その一方、遠視や暗視の能力は残った。

 その差異の要因が何であるのかは分からない。調べる時間も無ければそこに拘る意味も無いだろう。自分達兄妹にとってこれが最期の恩返しであるのだから。

 兄が信じてもいない神に願うことは、この与えられた“力”が憶測ではなく本当に闇の最深部に乗り込むに足るだけの力であること、そして本当にこの幸運が最期まで続くことであった。


 (ナナムゥ達、大丈夫かなぁ……)


 妹が心配気な思念を漏らすが、脚を止めて振り返るほど愚かではない。その至極当然な心配に対し、兄は妹を優しく宥めた。

 (ナイトゥナイ相手なら大丈夫だろう)

 気休めではないかと必要以上に妹を不安がらせないよう、その慰めの根拠を兄が続ける。

 (互いに同じ“旗手”である以上、2対1だ。ナナムゥが遅れを取る筈がない)

 (そうか……)

 妹もそう応じ、そのまま試製六型機兵はしばし無言のまま駆け続けた。遠方ではあるが巨大な暗黒のドームがそびえ立っている以上、道のりを迷いようもなかった。


 (――お兄ちゃん!)


 先に気付いたのは妹の方であった。

 遠目に映る三つの人影。暗黒の領域の手前で明らかに自分達を待ち構えてユラリと立つその影が、コルテラーナ麾下の守衛であることは疑いようがなかった。

 (大丈夫だ、ふたは)

 兄は妹の名を呼ぶと、己自身の怯む心を押し殺した。優しい嘘と共に自分達を送り出してくれたバロウルへの手向けとしても。


        *


 「舐め腐りよって……!」

 「……」

 忌々しげなナナムゥの舌打ちに対し、背中合わせで身構えているミィアーは無言のままであった。だが、呆れたわけではなく、その鋭い瞳は自分達を取り囲む敵の一団に向けられていた。

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