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帰道(15)

 浮遊城塞に建つ周囲の無人の建物が、タスギの自爆の余波でドミノ倒しの様に撃ち倒される。

 “守衛”を一人撃破の“成果”に対し、シノバイド二人の損失であり、割に合うものではない。

 だが単純な損得の問題だけでなく、シノバイド側には始めから不利な戦いであることは始めから分かっていたことであった。痕跡も残さずに吹き飛んだローガンもまたサリアが夢見る過去の“守衛”の一員である。相応の刻を経た後、再びサリアが“夢見る”ことで魔具“笑顔の大輪”(フリアック)を携え守衛ローガンは再びこの世界に具現化することが可能である。

 尤も、コルテラーナが世界を一度滅しようと決意した今、後日の守衛の復活を恐れ戦く猶予自体が存在しないことも紛れもない事実であった。


 「……!」

 シノバイドと守衛が死闘を繰り広げている頃、所長とバロウルはそこから些かに離れた場所に位置する工廠の、元はバロウルの使っていた一室に施錠した上で潜んでいた。窓も無い――外部を映すモニターは有るが、墜ちた浮遊城塞は既にその機能の殆どを喪失していた――この部屋にまで、シノバイドが自爆する際の衝撃が強い振動となって伝わってくる。

 それも一度だけでは無く、少なくとも三度程。

 「……」

 所長の視線は目の前の机の上に置かれた小さく無骨な背嚢に注がれていた。モガミより手渡されたその背嚢こそ、今シノバイド達が腰に付けている物と同じ物である。すなわち、モガミが商都ナーガスより取り寄せた、元は“黒い棺の丘”(クラムギル=ソイユ)爆破用の爆薬を転用した自爆用装備であった。

 それが所長の手元にも一つあるということは、紛れもなく自決用装備である事を意味していた。

 所長自らが、望んだことであった。

 「所長!」

 自分の名を呼ぶ声に、所長が沈黙を保ったままに声の主に向き直る。

 「何か他の、もっと何か他に良い方法があったのではないのですか?」

 工廠まで伝わる爆発が、シノバイドの命と引き換えのものであることを、声の主であるバロウルもまた良く承知していた。シノバイドだけでなくキャリバーも、その護衛を名乗り出たナナムゥ達も、全てが彼等の自己犠牲を前提とした今回の作戦であった。だからこそバロウルは――事態がここまで逼迫した今に至っても尚――沈んだ面持ちで所長に訊いた。半ば未練であり、所長に無理難題を言っているだけであることは、当のバロウルも心の奥底では自覚していた。八つ当たりでしかないことを。それ故に所長からの回答が返って来ないことも充分に承知していた。


 しかし――


 「……あるのでしょうね。可能な限り犠牲を出すことのない、もっと確実で良い手段が」

 「だったら!」

 予想外の所長の答えに、バロウルが弾かれたように立ち上がり彼女に詰め寄る。

 「だったら何故それを!?」

 「……」

 所長は背筋を真っ直ぐに伸ばした姿勢のまま、バロウルの瞳を正面から見つめた。その哀しみをたたえた黒く深い瞳を前に、半ば涙目であったバロウルも憤りを鎮める他なかった。

 「バロウル」

 椅子に座したまま、所長が対面の彼女の名を呼ぶ。

 「最良の方法が判明するのは、いつも全てが終わった後の事です」

 『鳩が豆鉄砲をくらったような』というのは、まさにこのような表情を言うのであろう。一瞬バロウルの目が点となる。その百面相を前に思わず綻びそうになる口元を、所長は何食わぬ顔で堪えた。

 全て終わった後ならば最良の方法が判明する――所長が口にしたのは至極当然の道理である。全てが済んだ後ならば、何をどうすれば良かったのか分からない方がおかしい。それが故に完全に虚を突かれた形となったバロウルは唖然とし、それが故に我に返った時の憤りはこれまで以上に激しいものであった。

 「後から分かるなんて当たり前の、そんなふざけた事を言っている場合では――」

 「バロウル」

 鼻先が付かんばかりに自らに詰め寄る褐色の巨女を、再び所長がその名を呼び抑える。その淑とした声と佇まいには、旧き血統に受け継がれてきた威厳が確かに宿っていた。

 彼方より、幾度目かの爆発の衝撃が再び工廠の壁と床とをビリビリと揺るがす。それは黙祷であったのか、一度深く目を瞑った所長が再び口を開くまでしばしの沈黙を要した。

 「……こうすれば良かった、ああすれば良かった。人生というものは後悔の連続だと、私は思っています」

 語り始める所長の脳裏に、少女の頃から自分の身辺を護ってくれた青年の後ろ姿が過ぎる。

 「どんなに願ったところで、過去の選択をやり直すことは叶わない。人生には後悔だけが積み重なっていく。それを知りながらも人は、より良い方法を求め、より良い方法だと信じて、懸命に生きています」

 「……」

 「諦めないこと、望みを捨てないこと、それこそが人の生の尊とさだと、私は思います」

 「……所長」

 所長はバロウルの手を取り、慈愛に満ちた微笑みを浮かべた。

 「貴女も良かれと思ったからこそ、キャリバーに『恐怖』を取り除いたと嘘をついたのでしょう?」

 所長の口振りは優しいものであったが、反面バロウルの顔からはみるみる血の気が退いていった。褐色の肌でありながらもそれが分かる程には、所長の指摘は覿面なものであったのだ。

 「どうしてそれをっ!?」

 「私も試製六型機兵(キャリバー)の内部は見ているのですよ」

 所長が敢えてコロコロと笑って見せたのは、これ以上バロウルに心理的圧迫を与えない為の配慮からであった。

 「あそこまで内側が紅い水晶に侵食されてしまっていては、手を加えることができる状態で無いのは誰が見ても分かります」

 その言葉にバロウルがハッと表情を一変させる。驚愕の表情に。

 「もしかして、キャリバーもそのことに気付いていたのでは!?」

 機兵の機体整備が既に自分の手に負える状態では無い事は、責任者であるバロウルが一番良く知っていた。キャリバーに最後の頼み事をされた時点で、である。

 自分がどうすべきであるのかを、バロウルは決断できなかった。だからこそせめてもの慰めにと、彼女は望みを叶えたと最後にキャリバーに嘘をついた。

 “怖れ”の心が無くなったという後押しをキャリバーが何よりも欲しがっていたことを、バロウルは――それだけは――痛い程に理解出来た。彼女もまたキャリバーと同じく、心弱き者であったから。

 だが、所長にはそれを見抜かれていた。ならば自分がついた嘘は同様にキャリバーにも見抜かれていたのではないのか。そうであれば最後まで、自分は何の役にも立てなかったことになる。その恥辱は耐え難いものであった。

 「……キャリバー自身は自分の中身があそこまで埋まっていることを直に見る手段が無かった筈なので、気付いてはいないと私は思います」

 実際のところキャリバーが本当に気付いていなかったのかどうかは、流石の所長でも知る術は無い。それでも彼女が気付いていないだろうという願望を願望ではなく推測として口にしたのは、これもまたバロウルに対する慰めであった。

 「案外キャリバーはとぼけたところも多かったことですし」

 所長が母親の如く優しい微笑みを浮かべた時であった。バロウルが返答を発するよりも先に工廠の天井、すなわち彼女達の頭上からリンゴンという鐘の音が響いたのは。


 「――みいぃつけたぁ」


 頭上から響くねっとりとした女の声。所長にもバロウルにもその女の声は聞き覚えの無いものであった。声が止むと共に天井に何か鈍器を叩き付けるような巨大な音が二、三度響き、天井が打ち砕かれて大きな穴が空き破片が降り注いだ。

 「――!?」

 二人の目の前に、声の主が天井からフワリと瓦礫の上に降り立ちその姿を現す。

 「――何者です?」

 椅子に座したままの、所長の第一声がまずそれであった。

 (所長!?)

 バロウルが闖入者そのものよりも所長の詰問に対して唖然としたのは、それがわざわざ尋ねるまでもないことであった為である。

 目の前に立つ闖入者がコルテラーナ麾下の“守衛”の一人であることは今更間違えようのないものであった。

 「肝が据わってること。流石は王家の血統とやらは伊達ではないのね」

 女守衛は――多少小馬鹿にした口調で――嘆息してみせると、外套の腰ベルトに吊した小型のハンドベルをガラゴロと鳴らした。

 「じゃあ、ご高説も終わったところで潔く付いて来てくれないかしら?」

 「迎えの使者ならば、尚のこと名を名乗るのが礼儀というものでしょう」

 頑として動く様子を見せない所長に対し、女守衛はハァと大袈裟に溜息をつくと、腰のハンドベルを今度は一度だけガランと鳴らしてみせた。

 「――“香天花”イグラッフ。移動図書館の副守衛長といったところね」

 (イグラッフ……!)

 聞き覚えのあるその名を所長が思い出すのにそう時間はかからなかった。以前にガッハシュートが語ってくれた、この閉じた世界(ガザル=イギス)誕生の経緯(いきさつ)。の中にその名はあった。

 コルテラーナの源である夢見るサリアが最後に対峙し、そしてメブカを喪う事となった古の“旗手”。

 その過去語りを聞いた時点では、所長の抱いたイグラッフのイメージは派手で下賤な女のソレであった。しかし目の前の女守衛はむしろ――口振りは兎も角――その真逆の、どちらかと言えば事務方でも勤め上げていそうな地味目な顔立ちであった。首から下の全身を灰色の外套でスッポリと覆い隠した装束であることもその印象を更に強めた。

 「じゃあ、名乗りも済んだし、改めてご同行願いましょうか」

 微笑みながら所長の起立を促すイグラッフ。しかし副守衛長に対し、所長は変わらず頑としてその要求を突っぱねた。

 「その誘いには乗れません。貴女達こそ、大人しく退きなさい。もしそれが叶わぬと言うのならば――」

 所長は己が座る机の上に置かれた背嚢の起爆用の紐を此見よがしに握った。その仕草、振る舞いには一切の震えも躊躇いも皆無であった。

 「今この場で自決します」

 一瞬だけキョトンと目を見開いた後、文字通りコロコロとイグラッフが笑う。口元を手で隠し、バロウルが訝しむくらいに大きく長く笑っていた。イグラッフが身を揺するのに合わせ、それまで彼女の身体を覆い隠していた外套が胸元と腰からめくれ、下の素肌や太腿が露わとなる。

 素肌――素肌である。それも外套の合わせ目からチラリと垣間見えただけでもソレと分かる露出度の高さであった。

 如何にも場違いな出で立ちでもあった。

 「――!?」

 その格好の破廉恥さを口実に更なる問答の口火を切ろうとした所長の鼻先を、仄かに甘い香りがくすぐる。そして、それを認識した時には所長の上体は本人の意志とは裏腹にユラリと頽れた。同じ様にバロウルもまた床の上に倒れ伏し大きな音を上げる。

 その音こそが、幸いにも所長の気付けとなる。所長は机の上に突っ伏す無作法を成すことだけは辛うじて踏み止まり、左手を机の上に置き上体を支えイグラッフを睨みつけた。意気だけは盛んであったが、実際はどれだけの威厳を保つことができていたのか。己の全身がイグラッフによる何らかの仕掛けで痺れていることを流石に所長も自覚していた。

 フフとほくそ笑んだイグラッフが右手を肩口から大きく跳ね上げ、それに伴って外套もまた大きく翻る。紐水着めいたイグラッフの肢体が外気に惜しげもなく晒され、そして所長の鼻を突く甘い香りが一気に強くなる。

 (くっ……!)

 その“香り”こそがイグラッフの持つ旗手としての“力”なのだと所長は今更ながらに推察する。だが何れにせよ既にイグラッフの術中にあり、抵抗すらままならないことは如何ともし難い事実であった。

 露出狂の様に自ら胸元を大きく開けたまま、イグラッフが所長の身柄を確保しようと大股で彼女に歩み寄る。

 だが、その歩みは早々に阻害された。

 「……?」

 イグラッフの外套の端を掴む褐色の手。それは床に崩れ落ちたまま痺れて動けない筈のバロウルが必死に伸ばした右腕であった。

 「私の香を嗅いで良くそこまで動けたわねぇ?」

 心底意外そうにバロウルの背中を見下ろすイグラッフ。その間にもバロウルは這いつくばりながらも今度は残る左腕で更にイグラッフの足首を掴んだ。

 「ああ、そういえば貴女は浮遊城塞の生体

端末って話だったわね。なるほど、それで香の効き目が薄いのか。まあ、わざと香りを薄くしてはいるんだけど」

 淡々と語りながら一人合点するイグラッフ。彼女が“香”を薄くしているのは、効き過ぎて所長に後遺症が生じないようにである。そしてバロウルを見下ろすその瞳は実に冷ややかなものであった。

 「頑張って私に縋ったわねぇ。でも残念だけど、私が連れ帰るよう言われたのは所長だけ。貴女も浮遊城塞も、コルテラーナが造る『次の世界』には不要ってわけね」

 「……」

 「ま、運が良ければ『次の世界』でサリアが貴女を夢見て“守衛”にはなれるかもね」

 「……が…う……!」

 バロウルは痺れる体で喘ぎ、それでも握った手を離しはしなかった。

 「?」

 些か興味を引かれたのか、それまで視線を向けるだけであったイグラッフは、上半身だけではあるがバロウルに向き直る。

 「何か別の命乞いでも聞かせてくれるの?」

 「違う……!」バロウルが顔を上げ、イグラッフの顔をギッと睨む。「所長を…連れて行かせない!!」

 「……嫌な目」

 スゥと、イグラッフが両の目を細める。単に小馬鹿にしていた面持ちがたちまちの内に四散する。

 (いけないっ!?)

 その急変に気付いた所長であったが、依然として続く身体の痺れは如何ともし難かった。

 次の瞬間くぐもった打撃音が部屋中に響き、バロウルの体が激しく痙攣する。声にならない悲鳴と共に、イグラッフの足首を掴んでいたバロウルの手が流石に緩んだ。

 それと同時に、再び高らかに響く打撃音と共に今度はバロウルの体が床から大きく浮いた。まるで、見えない脚に上段に蹴り上げられたかのように。

 「がっ!?」

 バロウルの口から鮮血が迸り、浮いた巨体が自然の摂理に従って床に叩き付けられる。生体端末である彼女だからこそ耐えられたが、並の人間であれば後頭部を強打しただけで絶命していただろう。

 「何か妙に張り切ってるみたいだけど――」

 苦痛に呻く褐色の巨女を冷ややかな目で見下ろしつつ、イグラッフは急に何かに思い至ったかのように鼻で笑ってみせた。

 「ああ、先程のご高説の影響かしら」

 露出度の高い格好に似合わぬ、生真面目ささえ感じさせるお堅い顔。その唇に浮かぶ冷笑は、これまでの中で最もその顔立ちに不釣り合いな下卑たものであった。

 「甘々の、何だったかしら。『弱いなりに頑張って生きましょう』、だったかしら?」

 己の中のなにがしかの感情を抑えきれなくなったのか、イグラッフは腰に吊したハンドベルをガラガラと激しく打ち鳴らした。

大仰に「作品テーマ」などとは言える程のものではありませんが、それでもまぁ、そんな感じです。

黎明期の俗に云う「なろう系アニメ」をたまたま視聴して「書きたい」と昔に折った筆を再び取ったのも随分昔の話となってしましました。

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