帰道(11)
“旗”を持ち、“旗手”となった者は互いが互いの存在を感知することができる。それは全ての元凶である“彼等”が、“旗手”同士の争奪戦が容易に起こり得るように定めたとしか思えない仕様と云える。ナナムゥがバーハラの到着の時点で“旗”の存在を感知していたが故の呟きであった訳だが、いざこうして眼前に“旗”の存在を明かされた事で、彼女にとってもう一つ別の事実も明らかとなった。
(こやつ自身は“旗手”ではないな……)
“旗”を凝視しながらナナムゥはそう確信する。バーハラはあくまで“旗”を携えて来ただけであることを、ナナムゥとミィアーには理屈でなく本能として感知できた。
この世界に六つある“旗”。その全てを揃えることができればあらゆる願いが叶うと言われる“旗”。
ナナムゥが保持する“旗”は、しかしコルテラーナが――否、全ては閉じた世界の最初で最後の勝者となった“旗手”サリアの見る“夢”の産物なのだとガッハシュートは言う。“旗”だけに留まらず、コルテラーナも、ガッハシュート自身すらも。
全てはサリアの儚い“夢”にして『紛いモノ』。例え六つ全て集めたところで何の救いももたらされないのだとガッハシュートが過去と真実を告白し、ナナムゥはそれを聴いた。
所詮は『紛いモノ』の“旗”ではあるが、しかし持ち主である“旗手”になにがしかの特別な“力”を与えることだけは事実である。
六つの“旗”の内、ザーザートがクォーバル大公より奪った二つはガル=アルスに焼かれ失われ、一つはカカトを経てナナムゥに、一つは工作機械獣を経てミィアーに、そして一つは妖精機士ナイ=トゥ=ナイと共に行方が知れず、最後の一つは司書長ガザル=シークエの許にこれまでは不動のままにあった。
バーハラが差し出したのが、その移動図書館が保管してきた最後の一つであることは、彼女に改めて問うまでもなく明らかな話であった。
「司書長ガザル=シークエより、貴方にお渡しするよう授かった“旗”です」
「……!」
バーハラ自身はそれ以上先を語らなかったが、贈り主である司書長ガザル=シークエの意図は明白であった。守衛達の襲来に備え“旗手”と成れ――その為に贈られたモノであることを誰よりも理解していたにも関わらず、モガミはすぐには“旗”である光の珠には手を伸ばそうともしなかった。
所長は不自然に沈黙を保つ己が守護忍者の貌を横目でチラと見やり、そして安堵で胸を撫で下ろした。モガミの眼差しが何かを目論んでいる時のソレであることは、少女の頃から共にある所長のみが看破できることであった。
「御厚意に感謝すると、司書長にお伝えください」
一礼の後、むんずと光の珠を掴むモガミに対し、バーハラは軽く頭を振ってこう応じた。
「見事本懐を遂げられた後に、ご自分の口からお伝えください。その為に、司書長は“旗”を貴方に託されたのです」
「肝に銘じておきます」
モガミが再度、今度はより一層深々と頭を垂れる。あたかもバーハラと、そしてガッハシュートから己の貌を隠すように。まるで腹の内を気取られることのないように。
(“旗手”か……!)
“旗”だけではない。移動図書館の“司書”も“守衛”も全てが“夢”の産物。彼等の見聞したものは、全てが大元である“夢見る”サリアのモノとなるのだという。
であればと、モガミは思惑を巡らす。
司書長ガザル=シークエが“切り札”として寄こしたこの“旗”も、守衛長ガッハシュートが“切り札”として秘匿していた龍遺紅も、全てサリアに――そしてその化身とも云えるコルテラーナに筒抜けだということになる。
(であれば――)
モガミは“旗”の使いどころを思案する。“旗”を持つ者同士が互いを感知できるのであれば、少なくともこの“旗”を手元に残しておけば予告された移動図書館の守衛達の――ガッハシュートの話では、サリアの夢見るかつての“旗手”達の成れの果てであり、故に彼等も“旗”を持つということになる――接近も感知できるだろうと。
(であれば、今の内に“旗手”と化せるか試しておかねば――)
「実は、最後にもう一つ」
謀を巡らすモガミの横合いから、バーハラが殊更に畏まって口を挟む。今度はモガミに対してだけではなく、周囲の皆に聴こえる様な大きな声で。
「本日の日暮れを合図に守衛がここを襲来します」
近々であることは誰もが覚悟していたとは云え、サプライズと呼ぶには余りにも突然の宣告であった。間髪入れずにナナムゥが口を開いたのも、余裕を見せた訳ではなく単なる強がり、負けん気の強さによるものでしかなかった。
「黄昏時か」
龍遺紅の結晶の山と、モガミの手にした“旗”に視線を移しながら、ナナムゥは呆れたように呟いてみせた。
「不運じゃな。わしらの手札もギリギリ間に合ったからには――」
そこまで口にしたところである一つの推測に思い至り、ナナムゥは険しい目線をガッハシュートへと向けた。
「まさか、コルテラーナは……!」
「そうだ」
いきり立つナナムゥとは対照的にガッハシュートは淡々としており、それ故に発した答えは殊更に非情であった。
「こちらの準備が整うのをコルテラーナは待っていた」
「待っていてくれた、要はそういうことじゃな」
ナナムゥの乾いた笑い声が周囲に響く。
「ふざけおって!」
怒髪天としか形容しようのないナナムゥの憤慨を前に、そこまで感情を素直に露呈できる強さが羨ましいと、キャリバーの中の兄は掛け値なしに思う。
一方、指揮を執る立場であるモガミとガッハシュートは、対照的に淡々と新たに行動を開始した。割り切っていたと云うべきか。
「直ちに工廠を稼働させねばならん。ミィアー、バロウルを寝床から引き摺り出してこい」
ナナムゥを刺激して無駄な手間が発生せぬよう小声で指示を出してから、モガミは次にガッハシュートに手短に尋ねる。
「龍遺紅をキャリバーに積載する件は任しても良いか?」
「無論」
ガッハシュートは苦笑と共に最後に小声でこうも付け加えた。
「ついでにナナムゥの面倒もみておくさ」
*
浮遊城塞オーファスの墜落と、更にはコルテラーナの“台座”の浮上によって工廠が大きな被害を受けたことは間違いない。
それでも大掛かりな装置は諦めるとしても、持ち出し可能な工作機械を筆頭として、ある程度の設備が稼働可能な状態で保たれていることもまた事実である。モガミが工廠の長であるバロウルを――半ば無理矢理――工廠へ引き摺り出したのも、そのような使用可能な工作機械の判別をさせる為であった。
今、そのモガミを筆頭とするシノバイドの一団は、見繕った工具や移設可能な機具ごと何処にか消え去った。作業に活用できるものは何でも活用する――日没まで時間が無いという理由で、これまで所長の側に控える事が絶対であったクロまで引き連れて行ったのはそれだけ切羽詰まっている証であるのだとナナムゥは思う。
その代理じゃろうと、次いでナナムゥは頭上に意識だけを向ける。姿こそ見えぬが所長の護衛としてミィアーが天井の梁の何れかに忍んでいる事を、同じ旗手として彼女だけは感じ取ることが可能だった。
そして、ミィアーがここにいるもう一つの理由をもナナムゥは推察できていた。
モガミ達が逃げるように姿をくらましたのは、何らかの“奥の手”をガッハシュートの眼に晒さない為であろうと。一方、自分も所長も、その従者であったミィアーも、長くコルテラーナと共にあった身である。無論、“老先生”ことガッハシュートとも同様である。自分達本人に自覚がなくとも、どのような情報漏洩の手段が忍ばせてあるか知れたものではない。実際の可能性としては皆無であろう。だが念には念を入れて敢えてミィアーを所長の側に残したのだと、そうナナムゥは推察していた。
そういう経緯もあり、今のナナムゥは工廠にキャリバーと共にいる。と云うよりも外の“早馬”の許に待機しているバーハラを除き、残った者――ナナムゥとキャリバー、ガッハシュートに所長、そして無理矢理引っ張って来られたバロウル、最後に頭上から一行を監視するミィアー。浮遊城塞オーファスに残された者全てがこの工廠に集ったことになる。
キャリバーの機体に龍遺紅を仕込む作業は当初の予想よりは難航を極めた。試製六型の胸部装甲の下には収納スペースがありそこに詰め込めるだけ詰め込む予定が、機体内部に増殖していた紅水晶にすっかり埋め尽くされていた為である。
見た目が酷似しているだけに、機体内部の紅水晶と龍遺紅が同一とまでは云わねども近しい物質である可能性は十二分にはあった。『龍』の遺物というその由来においても。とは云えまさか起爆の検証を行う訳にもいかず、最終的に龍遺紅を追加装甲のように機兵の胴体に巻くことで話はまとまった。
金属の細長い筒――要は空き缶の形状である――に龍遺紅の欠片を詰め込み、筒同士を繋いで機兵の巨体に帯の様にグルリと巻く。
(何か漫画かヤクザ映画のどちらかで観たな……)
キャリバーの『兄』が思わず胸中で苦笑したように、その出で立ちはダイナマイトを全身に括り付けた、まさに“鉄砲玉”にしか見えない有様であった。
「しかし、本当に大丈夫なんじゃろうな?」
龍遺紅の破片同士を打ち付け合い筒に収まるように小さく砕く作業を進めながら、小姑めいてナナムゥが呟く。強大な破壊力を秘めていると説明は受けたものの、強く打ち付け砕いてみても火花どころか熱一つ帯びることのないその性質に俄かに不信を覚えた為である。
それでもナナムゥが作業の手自体を止めることが無かったのは、ガッハシュートに対する――腐れ縁とでも呼ぶべき――信頼が相応にあるが故であった。
「……」
ナナムゥから少し離れた工廠の片隅の陰に、所長に付き添われる形で腰かけていたバロウルは、まるで魂の抜けた抜け殻のような虚ろな瞳でその作業を眺めていた。実際には目線が向いているだけで、その光景すら彼女の意識を只々すり抜けるだけであったのかもしれない。
『――バロウル』
そんな腑抜けた巨女の名をキャリバーが呼んだのは、龍遺紅の筒帯の仮装着の終了を見計らってからの事だった。
『最後に君に頼みたいことがある』
返答は皆無であったが、単眼に青い光を灯らせながらキャリバーは言葉を続けた。しかしそれでも尚バロウルは唇を噛み顔を伏せ、応じる気の無いことを態度で示した。
『これまで私にあった恐怖心を無くす仕組みをガルアルスが無効化したと言っていた。それを元に戻して欲しい』
「――えつ!?」
キャリバーの頼み事は、それまで屍のようであったバロウルがギョッとして顔を上げるには充分なものであった。
「なんでっ!?」
驚愕するバロウルとは対照的に、ガッハシュートとナナムゥに所長――要はこの場に居る残りの者達――が平静を保ったのは、キャリバーの真意と覚悟を悟った為である。
『この世界に瀕死で墜ちて来た兄妹は君に助けられ、この機兵の体の中で生き延びることができた』
「それは――!」
『そしてこんな立派な機体を与えてもらったにも関わらず、私はこれまでずっと助けてもらうばかりの役立たずだった』
「キャリバー……」
何か言い掛けるナナムゥをスッと手でガッハシュートが制止する。その真剣な眼差しを前に、流石のナナムゥも抗議の声を上げることができなかった。
『それが今、ようやく恩返しができる機会を得た』
「違う!」
バロウルの黒髪は普段は大きな一房の三つ編みで纏められているが、寝所から引きずり出された今は結ばれてはいない。その長髪を振り乱しながら、バロウルは悲鳴に近い声を上げた。
「そんなことをさせるつもりで私は――」
『バロウル』
六型機兵の単眼の色が青から赤に変わる。
『これも運命とか巡り合わせなんだと、わたしは思うの』
「そんな綺麗事っ! 本当にそれが貴女達の本心だとでも言うのっ!?」
『……』
バロウルの悲痛な叫びに対し、キャリバーはすぐには答えなかった。或いは機兵の内の兄妹の間で何らかのやり取りがあったのかもしれない。やがてその単眼が再び青に変わり、キャリバーがようやく声を発する。抑揚に乏しい機械音声でありながら、その声には照れが含まれていることを、聴いていた者は不思議と感じ取ることができた。
『私は意気地なしの臆病者で、妹も決して気が強い方じゃない。だからバロウル、私達から再び恐怖心を取り除いて欲しい』
三たび単眼の色が赤く変わり、今度は少し愛嬌を帯びた音声が言葉を続ける。
『じゃないと、大事なところで腰を抜かしたり逃げ出しちゃったりするかもしれないからね』
「……!」
ガックリとうなだれ、肩を落とすバロウル。彼女自身も判ってはいた。判っていたからこそ、これまで何もできなかった。
墜ちて来た死にかけの兄妹を、所詮は一時しのぎと知りながらもその命を助けた。それが自己満足でしかないことは初めから分かっていた。分かっていたからこそ、ずっと後ろめたさに苦しんできた。
それでもいいと、兄妹は言ってくれた。それによって、ようやく自分の心は救われたことを知った。
その兄妹が残り少ない命を散らそうとしている。その自己犠牲を果たしてもらわなければ、この世界の全ての住人が死ぬ。
当人達の意思がどうであろうと、やってもらわなければならない。そして当人達も覚悟を決めている。その不条理さをバロウルは悲しいと思う。悲しいと嘆くことしかできないことを、悲しいと思う。
「……?」
自分の眼前にガッハシュートが立っていることにようやくバロウルは気付いた。
普段から陰ながら、そして時には『老先生』として表から自分を気遣ってくれた、言わばガッハシュートこそバロウルにとっての親代わりであった。
「バロウル、俺からも頼む」
そのガッハシュートの言葉は、バロウルにとって何よりも重い願いであった。
「……」
遂に、バロウルは無言で頷いた。
決して納得した訳ではない。他に術が無い事を理解できただけである。
自分に出来る“最善”。試製六型機兵の“恐怖心”を取り除く事。死ねと送り出す事。
それこそが兄妹の願いでもあることに、バロウルは胸中で再び咽び泣いた。
ようやく最後の戦いの前準備が(ほぼ)整ったというところです。
設定的に「賢しい」キャラが多い為に、どうしても「この方法を検討しない訳がない」「なぜもっと確実な方法をとらない(とれない)のか?」というのが引っ掛かってしまい、その理由付けで最終章の10話まで使ってしまいました。
悪癖だと思います。
面白い作品だとそこら辺をスルーして勢いで読ませてしまえるのでしょうが、まあ、もう100万字書いちゃったから・・・