帰道(8)
*
「何の因果と言うべきかにょー」
自分が事実上の軟禁状態に置かれてから正確に何日が経過したのかを、カアコームは我が事ながら把握してはいない。それどころか、自分が居る場所が閉じた世界のどこであるかのすら定かではなかった程である。
建物の荒廃具合を見るに、人里離れた場所に点在する廃墟の一つを寝所として使う為に最低限の手を入れたものであることだけは何となくは知れた。今のカアコームが寝泊まりしている場所は、そのような隔離された環境にあった。
屋内に厳重に押し込められているという訳ではなく外に出る事も許されている為、緩い軟禁状態というのが一番妥当な表現であろう。食事が三食代り映えのしない保存食であることを除けば、少なくともカアコームにとっては望まぬ待遇だとは一概には言えなかった。
コバル公国軍による商都ナーガスの攻略戦において――性能の話をすれば自らの名を冠する程の自信作である――カアコーム砲は商都の厚く高い防壁を打ち崩すことでその有用性を証明してみせた。
砲台の建造された本来の目的が、天を覆う不可視の“障壁”を撃ち貫く事である以上、カアコームにとっては素直に喜べない称賛であったが、所詮は後援者必須の技術屋家業である。道化の顔をしてヘラヘラと笑って見せるくらいに折り合いをつけることなど、カアコームにとっては手慣れたものであった。
その後、商都の放った決死隊によってカアコーム砲は破壊され、しかしながらその商都も結局のところはコバル公国軍と講和を結び攻略戦は終結を迎えた。
砲台を破壊された時点でカアコームはお役御免となり、彼自身にとっても今後の研究の有り方を見直す良い機会が得られた――筈であったが事態はそう上手くはいかなかった。
侵攻の矛先を妖精皇国に転じた筈の公国軍は突如として――既に巷では“天罰”などと云うあやふやな憶測が語られているらしいが――壊滅した。商都周辺に駐屯していた残留軍の中に紛れ込んでいたカアコームはその難を逃れる事だけは出来たが問題はその後にあった。商都攻略において砲撃という一際悪目立ちする“活躍”を果たした自分が、今後どのような“取引”や“生贄”に使われるか予想できぬ程カアコームは愚鈍ではなかった。
早々に逐電し丘陵の森の中に身を隠したまではいいものの、単身寄る辺も無く進退窮まった彼を迎え入れたものこそ意外にも――と言うよりはカアコームにとってはこれまで縁もゆかりも無い存在であった移動図書館からの司書であった。
彼等によって今の潜伏地に誘われたカアコームは、更に乞われるままにカアコーム砲の再建――あくまで縮小再生産の規模であったが――に取り掛かった。自分という人間の存在価値がそれしかないと痛感した為でもある。
とは云え、無論彼一人の力で砲塔を建造できる訳も無く、監視役も兼ねているであろう“司書”を通して、機兵と呼ばれる機械仕掛けの工兵が配備され作業工程に従事する形となった。言うならば即席の工房である。
そこまではいいと、カアコームも納得する。新たな後援者と当座の隠れ家が向こうからやって来たと考えれば決して悪い境遇ではない。再建している砲塔は本来のカアコーム砲に比べると玩具にも等しいが、移動図書館に対し一門でも形にしてみせれば次の建造と改良に繋がるだろう。それはカアコームの虚勢ではなく、確かな自負によるものであった。
「とはとは言うものの、コレだけは良く分からんのんすのよなぁ……」
屋内にいるのが自分独りであるにも関わらず、カアコームの癖のある独り言は止まらない。困惑する彼の目線は、机の上に無造作に置かれた、小指の爪の先程度の大きさの真紅の結晶の欠片に注がれていた。
結晶自体はカアコーム砲の建造には一切関係ない。そればかりか、これまでの彼の研究自体にも一切関りがない。そもそもが彼の手元にその結晶を持ち込んだ女司書自体が、それまで彼を軟禁し監視している司書達とは違う始めて見る顔であった。明確な上下関係こそ見出せなかったが、それでもその女司書の方が優位な立ち位置であろうことを部外者たるカアコームは敏感に感じ取ることが出来た。
「……」
机上の真紅の結晶を見つめるカアコームの焦点の定まらぬ漠とした瞳が、澄んだ、そして真剣な眼差しへと変じる。
不思議な物質であった。まずは単純に硬く、カアコームの手元にある――監視の司書に用意させた――如何なる刃物をも受け付けなかった。鈍器で砕く試みもまた同様である。紅い結晶を加工可能な硬度を持つのは同じ紅い結晶のみであることをカアコームが確信するのにそう時間は要しなかった。
彼の許にコレを持ち込んだ女司書はその出自を明らかにせず、ただカアコームに一つの依頼を課した。この結晶に秘められた“力”を外部に放出する方法を探って欲しいと。
指先で触れただけで仄かな熱を感じるその結晶を起爆させる手段の確立は、まさに試行錯誤の連続であった。カアコーム砲の再建の方が片手間に化したといっても過言ではない程である。
カアコームが最初に擁立した起爆手段は、粉末状にまで砕いた結晶を、彼の故国であるコバル公国の焔蓄石という稀少鉱を加工する際に用いる――同じく公国産の――クランベル溶剤に練り込ませた欠片に加工し、その欠片同士を打ち付けた際に発生する“火花”で着火するという、非常にまどろっこしいものであった。一度爆発さえさせてしまえば、更なる大きさの欠片をそのまま誘爆でき、それを導火線の様に繰り返すことで理論上は任意の大きさの結晶を爆発させることが可能だというところまでは実証できた。
あくまで理論上であり、カアコームが実証して見せたのは親指程の大きさの結晶を起爆させるところまでであるが。
カアコームがそれ以上の実験を実践しなかったのは、その際に生じる爆発が膨大なものとなることが明らかであった為である。実験に相応の隔離施設が必要なことは言うまでもなく、また女司書もある程度の予想はできていたらしく、結晶の欠片を彼に託す際に小規模で良いとわざわざ注意を促した程である。
時間さえ掛ければ、もっと効率の良い、或いはもっと利便性の良い起爆法を確立できる手応えはあった。だがそれ以上に、カアコームは一つの大きな疑念を抑えきれなくなりつつあった。
肝心の紅い結晶の出処である。
鉱業国家であるコバル公国で育ったこともあり、カアコームはこの閉じた世界で産出する鉱物を網羅している自負はあった。だがその彼の知識をもってしても、既存の鉱物類で近しいものには思い至らなかった。
難しく考えずに単に新たに採掘された希少種という可能性も考えはしたが、それにしても女司書が彼の許に持ち込んだ紅結晶は手桶一杯分は有った。“実験用”としてそれだけの量を自分に提供してきたということは、女司書の手元にもまだある程度まとまった量を確保できていると考えるのが当然の帰結であった。
少なくとも山のひとつ、都市のひとつは余裕で消し飛ばすことも可能なだけの量を。
ホトホトという控えめなノックの音がカアコームの取り留めない思考を断ち切ったのはまさにその時であった。
「どおぞう」
おどけた口調で入室を促しながらも、カアコームは予定外の来客が誰なのか予想できていた。
「失礼します」
彼の予想に違わず、彼の許に紅い結晶を持ち込んだ女司書が寝室かつ研究室に足を踏み入れる。
「依頼した結晶の起爆に成功したと聞き参上しました」
バーハラと名乗る女司書――カアコームにとっては司書の名前など興味も無いが――が謝意を述べる。しかし彼はそれに対して軽く聞き流すと、逆にバーハラに対してまずは苦言を呈した。
「いい加減、コレの名前だけでも教えて欲しいんじゃが」
不満気にカアコームは身を揺すり、卓上の紅結晶の欠片を指差した。
「別に型番とかでも構わにゃいんが、全くの名無しだと取り回しに色々と困るんよね」
珍妙なカアコームの物言いにも、バーハラが眉を顰める様子は微塵も無い。むしろ女司書は不満を述べるカアコームに対し、穏やかな微笑を浮かべて見せた
「それは奇遇ですね。この件の依頼主から、ちょうど名称が定まったと伺ったところです」
「……ふんむ」
鼻を鳴らすカアコームに対し、バーハラは守衛長ガッハシュートが命名した紅い結晶の呼び名を口にした。かつて、彼女にこの結晶片の回収を依頼したのもまたガッハシュートであったのだ。
「――龍遺紅」
*
浮遊城塞オーファス――
「起きたか」
「……!」
卒倒の眠りから醒めたバロウルの目に最初に飛び込んできたのは、安堵の表情を浮かべ自分を見下ろすナナムゥの大きな瞳であった。
今はお主が倒れてから一晩明けたところじゃと、バロウルが口を開くよりも早く、ナナムゥが今の置かれた状況を説明する。
それを聞いたバロウルが、即席の寝床の上で両手で顔を覆う。ナナムゥの耳に、迷惑をかけたという、か細い詫びの声が届く。
「……」
ナナムゥが聴こえなかった振りをしたのは、いわゆる武士の情けであったのだろうか。それまで寝床の端に腰掛けていたナナムゥはヒョイと立ち上がると、逆に手近の机の上に置かれている水差しとパンとをバロウルへ指し示した。
「わしは最後の作戦会議に行ってくる。お主は大人しく休んでおれ」
「――!」
ナナムゥには、バロウルに何も告げずに部屋を出るという選択肢もあった。事実、バロウルが目を醒ましさえしなければ、そうするつもりであった。だが正に部屋を出ようとするのを見計らったかのようにバロウルは目覚めた。
これも何かの巡り合わせであろうと、ナナムゥは甘受する事にした。友として、疑似的な姉妹として共に過ごしてきた事への義理を果たす意味もあった。
「いくら何でも無策でキャリバーを“丘”に送り込む訳にはいかん。コルテラーナの守衛を囮を使って陽動せねばならんが、その為の最後の打ち合わせじゃ」
「本気か?」
バロウルはよろめきながらも上体を起こし、ナナムゥに詰め寄ろうとした。
「本気でキャリバーを犠牲にするつもりなのか!?」
「……」
「諦めずコルテラーナを説得すべきだ。 きっとあの人も、世界を滅ぼすなんて馬鹿なことを止めてくれるはずだから……!」
「……わしらの説得に耳を貸すわけがない事くらい、お主の方がよほど分かっておるじゃろ?」
ナナムゥは、彼女にしては珍しく少し棘のある言い方をすると、ベッドのバロウルに背を向けそのまま部屋を後にしようとした。
その足が、戸口で止まる。
「わしなりに色々考えてみたが、他に手は無い」
「嬢っ!!」
まだ幼女の時のナナムゥの愛称を叫びつつ、バロウルは彼女に追い縋ろうとしたが、できなかった。
いつ仕込まれたのかは定かではない。自分の体が不可視の柔らかい“糸”に絡めとられている事にバロウルが気付いた時には、既に彼女がナナムゥを追うことは不可能であった。
「わしは死にとうない」
戸口から消える際、振り返ることなくナナムゥは静かにこう告げた。
「死なせとうない」
絶叫めいたバロウルの声を背に、ナナムゥは遂にその場を後にした。未練を断ち切るように居住区を小走りに駆け抜け、打ち合わせの場である中央の塔に向かう。
(許せとは言わぬよ……)
バロウルが、バロウルだけがキャリバーの犠牲を許容することができないことをナナムゥは予期していた。だからこそ彼女に包み隠さず告げたのだ。他に打つ手が無いという残酷な事実を。その罪を背負う覚悟を。
だがそんなナナムゥにも一つだけ、口には出さずに胸の奥に仕舞ったままの決意があった。
(キャリバーだけを、死なせはせんよ……)
*
「ちょっと待てぇい!」
最終と銘打たれた作戦会議の場でナナムゥの素っ頓狂な声が響いたのは、彼女が入室してすぐのことであった。
「そんな話、わしは聞いておらんぞ!」
「お前はバロウルの看病に付きっ切りだったからな」
涼しい顔でガッハシュートが嘯き、モガミもまた無言で頷く。
『最終作戦会議』と書くと如何にも物々しいが、今この場にいるのは対峙しているナナムゥとガッハシュート、それを見守る所長とモガミ、所長の護衛であるクロ、そして渦中のキャリバーのみである。
そもそも自我の無い護衛機械であるクロを除けば片手の指で足りるだけの人数でしかなく、加えて今更作戦を大幅に変更できるような余力も無い。ましてコルテラーナの“涙”が降り注ぐまでという時間の制約もあるとすれば尚更である。
にも関わらずナナムゥが驚愕の声を上げたのは、その全てを引っ繰り返すに等しいガッハシュートの発言にあった。
「わしらの計画が全て相手に筒抜けとはどういうことじゃ!?」
「どうもこうも、そのままの意味だ」
流石に些かばつの悪そうな貌をしたガッハシュートが先を続ける。
「俺が見聞きしたものは全てコルテラーナに否応なしに共有されるということだ」
あまりの事に絶句するナナムゥに対して、ガッハシュートの語った説明は以下の通りである。
所謂サリアが夢見た存在でしかないガッハシュートの言動は、全て“夢”の一部としてサリアに還元される。サリア本人の似姿であるコルテラーナにとって、サリアの“夢”は自分の“夢”でもある。かくして同じ“夢”を見ている以上、ガッハシュートの言動どころか思考まで事実上筒抜けに等しい。
「まあ落ち着け」
みるみるうちに顔を紅潮させるナナムゥを制すと、ガッハシュートは芝居がかった仕草でクッと親指で自分自身を指し示して見せた。
「俺もまた、サリアにとって無二の存在であるメブカの似姿だ。サリアの“夢”は俺が見る“夢”でもある。つまり、コルテラーナの考えている事は俺にも共有されるという訳だ」
「……!」
ガッハシュートの説明を聞いて、それこそ茶番ではないかと騒ぎ立てることをナナムゥはしなかった。別の機会であれば――何らかの猶予でもあれば騒ぎ立てただろう。
だが今回の“丘”の中心部に殴り込みサリアを爆破するという計画が止むに止まれぬ消去法の果てであり、尚且つ分の悪い賭けであることはナナムゥも初めから分かっていた。
後が無い一世一代の博打である。全てを賭ける他に無く、今更ガッハシュートに不信感を抱く猶予も無い。
覚悟を決めた少女の紅潮した貌が、スッと策士のそれへと変わる。
「そこまで言うのなら、わしらが囮となる作戦もバレているということじゃな?」