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帰道(3)

 (――ちぃっ!)

 それは、皇室直属の護衛忍者としての勘であったのだろうか。ガザル=シークエの独白めいた言葉が終わらない内に、モガミはそれまで椅子に座した体勢であったにも関わらず床を蹴り飛ばしその反動で宙高く舞っていた。そのまま空中で華麗に身を捻り、会議卓の向かい側に座っている所長の横に着地すると、そのまま己の身を挺して司書長から庇った。

 「ほう」

 モガミのその行為は、招聘者であるガザル=シークエからすれば無作法の極みであっただろう。しかし、そのシノバイドの体術のお披露目――要はモガミにとってガザル=シークエが自分達に対し危害を加える存在だと認識したという表明である――を前に、司書長本人は至って涼しい貌のままであった。むしろ僅かに喜色まで見て取れた程である。

 (分からない……)

 モガミの肩越しにガザル=シークエの挙動を見定める所長の目には少なくともそう映った。

 そもそも今は隣室に控えているとは云え、護衛を引き連れて来た所長とデイガン――所長の護衛であるナナムゥは控室ではなく上階の工廠にいたが――とは異なり、モガミだけは供回りの者を一人も連れては来なかった。彼自身がシノバイドの頭領として己のみならずかつての主君である所長を護るに足る力を有しており、また護衛の責を果たすには単身である方がむしろ都合が良いと判断した為である。

 「“亡者”達に負わされた傷は完治したようだね」

 やがてガザル=シークエがまず口にした言葉は、モガミに対する感嘆であった。

 「その調子ならば、これから始まる試練にも抗し得るかもしれない。君の世界で言うところの、『蟷螂之斧』だとは、私は思わん」

 例えばナナムゥであれば、ガザル=シークエの物言いに「勿体ぶった言い方は止めろ!」と食って掛かったことだろう。しかしモガミはひたすらに沈黙を保ったまま、全身の神経をより一層鋭敏に張り巡らせ、次に起こるかもしれない不測の事態に備えた。

 「おい」

 モガミよりもむしろデイガンの方が、ガザル=シークエに対し説明を求めようと席から腰を浮かしかけたくらいである。直前に目の前で繰り広げられたモガミの“曲芸”に取り乱した様子をまったく見せなかったのは、流石は年の功だと言うべきか。

 「……」

 一旦はモガミ達の出方を窺っていたのであろうガザル=シークエが、訳ありげに天井を見上げる。銀の瞳に憂いの色を浮かべたまま、司書長はフゥという深い溜息と共にその瞳を閉じた。

 モガミがその思わせ振りな所業を見咎める間も無く、轟音が彼等のいる塔そのものを唐突に激しく揺さぶった。

 「なにっ!?」

 デイガンが鉱夫上がりの本能として咄嗟に身を伏せ、会議卓に隠れる。老いたりとは云え鋭い瞳が、射るような視線を天井に向ける。

 (上だと!?)

 ここが坑道であったなら崩落を覚悟する程の爆音であり、その証拠に隣室に控えていた彼の護衛達が慌てて部屋に飛び込んで来る。無論、所長の護衛であるクロとミィアーもまた同様である。

 「ふむ…」

 彼等護衛と入れ替わる形で、会議卓から優美に立ち上がったガザル=シークエがそのまま滑るように部屋を出る。隣の控室を一瞥もせずに通り抜け、更にその先の回廊へと向かう。

 最終的にガザル=シークエが向かう先が“震源地”とでも呼ぶべき上階であることは、改めて問い質すまでもなく誰の目にも明らかであった。

 モガミが、それまで背中に庇っていた所長と目線を交わしたのは、彼女の貌に浮かぶ固い決意を確認する為であった。所長も又、言葉を交わさずともモガミの意図を理解し、コクリと頷いてみせる。

 (致し方ない)

 上層の工廠にナナムゥ達がいる以上、助けに行こうとする所長を如何に引き留めようが無駄なことをモガミは承知していた。その優しさが所長の長所でもあり短所でもあることを、幼馴染みに等しいモガミは充分に心得ていた。故にモガミは所長を先導する形でガザル=シークエの後を追い、黒い機体のクロとミィアーが殿として背後に続いた。

 「止めておけ! 危険だ!」

 背後に響くデイガンの制止の声に所長は一度だけ脚を止めると、背後を振り返りデイガンに対して丁寧に会釈した。そして再びモガミ達と共に、ガザル=シークエが向かったであろう上層へと続く螺旋階段の方角を目指す。

 (まさか、引き留めてくれるなんて……)

 デイガン宰相の心遣いは所長にとっては意外な事であった。彼女がこれまで伝え聞いた範囲では、デイガン宰相はコバル公国における厳格な身分制度を推し進めた張本人であり、奴隷階級を良しとする冷血漢だという印象しか持ち得なかった。今のたった一声で相手の善性を過信するのが迂闊であることは所長も心得てはいる。だが、それでもデイガンの心根を知れた、それだけでも今回の密談に参加した意義があったと所長は心中で微笑みを浮かべた。

 「無謀に過ぎる。馬鹿どもが」

 袂を分かった形となったデイガンであったが、毒づく口調とは裏腹にその貌には苦笑めいたものが浮かんでいた。当座の揺れが収まったと見て取った老宰相は、流石に自らも同じようにガザル=シークエの後を追うような真似はしなかった。彼が指示したのはいつ崩壊してもおかしくはないこの塔からの撤収であり、彼の子飼いの護衛達は迅速にその責務を果たした。


        *


 「ええぃ、忌々しい!」


 固く閉ざされた大扉を前に、ナナムゥの叫びすらも虚しく弾き返される。

 実のところナナムゥは、工廠の上層を占めるコルテラーナの占有区に招き入れられたことは一度としてない。より正確には工廠のすぐ上階のこの大扉をくぐった事すら無かった訳であるが、それはより“暗部”をコルテラーナと共有していたバロウルですらまた同様であった。

 予想もしていなかった轟音と振動に襲われてすぐ、ナナムゥはその震源地である上階へと通ずる螺旋階段を駆け上がっていた。“糸”を用い、文字通り宙を舞い上がったと言ってもいい。だがその様な異変が生じても尚、ナナムゥに対し大扉が門戸を開くような都合の良い展開は生じなかった。

 それでも何か付け入る間隙はないかと扉と壁面を探っている内に、バロウルとキャリバーが螺旋階段を上り終え彼女に合流する。とは云え、三人揃って扉に遮られた状況には変わりない。

 結局、固く閉ざされた扉を物理的に排除しようと、ナナムゥがその手に電楽器(エレキ)を顕現させる。

 「何とかなるじゃろっ!!」

 バロウルとキャリバーが止めに入る間もなく、扉の前で電楽器を大きく振りかぶるナナムゥ。しかし彼女の“旗”による一撃を制止したのは、背後から唐突にかけられた慇懃無礼な男の声であった。


 「蛮族かね、君は」


 「――!」

 ナナムゥが、声の源である背後を物凄い勢いで振り返る。螺旋階段の上り口を。

 そこには螺旋階段が構造的に形成する“円”の中央の空白部を上昇して来たのであろう、小さなゴンドラがあった。声をかけた主こそがそのゴンドラの内から歩み出て来た司書長ガザル=シークエであり、彼の背後には同乗していた所長とモガミの姿もあった。

 何故このような取り合わせとなったかには理由がある。

 所長達に先行していたガザル=シークエであったが、意外なことに螺旋階段の入り口で彼女達の到着を待っていてくれたのである。それどころか指を鳴らし存在する筈の無い小型のゴンドラをその場に顕現させ、更には澄ました貌で同乗まで誘う始末であった。

 とは云え――そもそも司書長の誘いに乗るのが罠である可能性自体もあったのだが――小型のゴンドラにその場に居る全員が載る訳にもいかず、モガミはミィアーとクロに周囲の警戒と退避場所の確保を命じた次第である。

 そのような経緯は兎も角、ガザル=シークエは優美な足運びのまま扉の前でナナムゥの横に並んだ。渋面を浮かべるナナムゥとは対照的な涼しい貌で、彼は右腕を胸の高さで真っ直ぐに伸ばした。まるでそれ自体が何かの神聖な儀式の一端であるかの如くに。

 実際、白い手袋に包まれた右手の平が“鍵”の役割を果たしたのか、それまでナナムゥの侵入を頑なに拒んでいた両扉が重い音を上げながらゆっくりと開く。

 ナナムゥの眉間の皺がより一層深いものとなったのは、自分の奮闘を揶揄されたからでも、まるで嘲るか如く扉がアッサリと開いた事に対する憤懣でもなかった。皆無であるとまでは言えはしないが。

 螺旋階段の中心に現れたゴンドラの存在を、ナナムゥは知らなかった。チラリと盗み見た驚愕の表情を見る限り、バロウルもまた知らなかったのであろう事もナナムゥは知った。二人共、この浮遊城塞の住人であったにも関わらず。

 それはコルテラーナが自分達との間に一線を引いていたことを改めてナナムゥに痛感させた。無念だと、彼女は胸中で歯噛みする。今のこの状況でここからガザル=シークエに腹いせとしてウザ絡みする程までに、ナナムゥは愚かではなかったが。

 とは云えガザル=シークエを完全に無視し、扉が開いた瞬間に真っ先に部屋に飛び込んだのは彼女の若さ故の過ちか、或いは持って生まれた性分故か。その一番乗りの代償として、目の前に広がる衝撃的な光景を前に、ナナムゥは立ちすくむ事しかできなかった。

 見るも無残に崩落した石造りの天井。そこから差し込む陽光と、頭上に広がる場違いなまでに青い空。ナナムゥは扉をくぐった自分のすぐそばの壁際に、独りの人影がくずおれていることにようやく気付いた。

 古びたローブで小柄な身体全体を覆い隠した、これまで常にコルテラーナの横に控えていた老先生。直接巻き込まれたという訳ではあるまいが、天井の崩落の余波によるものであろうか、その古ぼけたローブはズタ袋か何かのように激しく痛み、そして破れ裂けていた。

 「――!?」

 そればかりではない。ナナムゥの白目の少ない碧色の瞳が更に大きく見開かれる。くずおれた老先生の足元には、これまで常にその貌を覆い隠していた無貌の仮面が真っ二つに割れて転がっていた。

 わざわざ覗き込むような真似をせずとも、フードの切れ端で辛うじて隠れたその横顔をナナムゥが見紛う筈もなかった。

 (よもやとは思っておったが……!)

 ナナムゥが驚愕の声を漏らすことを堪えることができたのは、見知った顔であったという事と、そして何より心の奥底で薄々予期していたという両方の理由であったのだろう。

 だがナナムゥが動揺を抑えた本当の理由、すなわち最大の懸念は別にあった。

 今まさに、ナナムゥの目の前に。


 「……何故です、貴方まで」


 その嘆きの声は、己に向けられたものではなかった。にも関わらず、暗く漂う悲嘆の余韻に、ナナムゥはゾクリと身を震わせた。“怖れ”というものを改めて知った。


 「私に異を唱えようというのですか、ガザル=シークエ」


 「……」

 問い詰められた司書長ガザル=シークエは無言のままである。

 当初のナナムゥの予想に違わず、これまで姿をくらましていた移動図書館館長であるコルテラーナが、ここに居た。かつての透ける様な白い肌の色は既に死人の域のそれに達し、濁った黄土色の瞳と合わせてまるで幽鬼の如き有様であった。

 特筆すべきは半ば崩壊したこの室内において、コルテラーナが幽鬼めいて立ち尽くす場所に――否、この室内そのものに漂う寒々しい特異な雰囲気にあった。室内に、生活臭を感じさせる調度品の類は一切無かった。或いはコルテラーナの私室として家具の類いは存在しており、今は天井の崩落に巻き込まれ瓦礫の下に埋もれているだけなのかもしれない。そのような憶測は幾らでも可能であるとは云え、今この空間に生活臭が皆無であったのは確かである。

 それに加えて異彩を放っていたのが、コルテラーナが立つその足下の異様な造りであった。

 一言で言い現すならば、それは“台座”であった。屋内であるにも関わらず、それは崩れ、欠け、苔むした石畳によって構成された、本来の床よりも一段高く隆起した小さな舞台のようであった。

 違和感のとどめとばかりに、コルテラーナを囲むように円形に突き立った何本かの細い杭状の物体。コルテラーマの秘匿していた密室において、元から存在していたとは到底思えぬ意味不明のオブジェは、それ故に最たる存在感を誇示していた。ナナムゥ達を追って螺旋階段のゴンドラからようやくこの室内に脚を踏み入れた所長とモガミがそのオブジェを見て最初に連想したのは、奇しくも同じ卒塔婆であった。

 その“卒塔婆”の存在を除いたとしても、あまりにも苔むした、長い間風雨に晒されたとしか思えぬ“台座”の異様さを前に、モガミですら詰問の言葉を咄嗟に呑み込んだ。

 一方、最後に部屋に乗り込んだキャリバーの兄側の人格が“台座”を前にまず連想したのはプラモデルのジオラマであったが、それが正解に限りなく近いことなど当人が知る由も無い。

 一同が揃うまで待っていたのであろうか、今は老先生の隣に立つガザル=シークエが長い沈黙をようやく破り、コルテラーナの悲嘆に対する答えを返した。


 「ここにいる者達には、少なくともこれから起こることを知る権利があるでしょう。それ故に、私がこの場に招きいれたまでです」


 ガザル=シークエの発言に伴い、彼とその傍らの老先生に一同の意識が向く。老先生の素顔を始めて目にした所長もまた、その正体を前に口を覆った。

 だが、コルテラーナの声が再び彼等の注意をそちらに呼び戻す。

 「それを知ったところで――」

 己の眼前に勢揃いした面々の貌を、感情の無い黄土色の死んだ瞳で見渡してから、コルテラーナは咎める口調でガザル=シークエに告げた。

 「最期の刻を迎えるまで、怯えて過ごす苦しみが増えるだけでしょうに」

 「世界を…っ」

 それまで死んだように蹲っていた老先生が、初めて呻き声を上げた。これまで仮面越しに発せられてきた抑揚に乏しい造り物めいた声ではない、苦渋に満ちた青年の声を。これまでナナムゥ達が幾度も聴く機会のあった、馴染み深いと言っても良い青年の声を。

 「世界のやり直しはもう止めると誓っただろう……!」

 頭部を覆っていたフードがはだけ、老先生の素顔が完全に露わとなる。金の髪を持つ青年――ガッハシュートの端正な貌が。

 その場にいた一同の中から、驚愕の短い声が上がる。老先生の正体をまったく想定していなかった、キャリバーの上げた声である。

 「……」

 魂無き幽鬼のような青白いコルテラーナの貌に浮かんだのは、悲哀であった。コルテラーナはガッハシュートの決死の叫びに対し、口を固く噤み、二度と言葉を発しようとはしなかったのである。

 クッとガッハシュートは唇を噛み、ガザル=シークエは嘆息と共に首を振った。

 「世界をやり直すじゃと!?」

 真っ先にこの部屋に入り一番最初にコルテラーナに対峙した為か、ナナムゥは他の誰よりも先に我を取り戻し、鋭く叫んだ。

 「……」

 依然として、コルテラーナは沈黙を保った。或いは、何らかの呟きめいたものを口にしたのかもしれない。コルテラーナの唇が僅かに動くところまでは見えたが、その声はこの場にいる誰の耳にも届きはしなかった。

 先程と同じ様な大きな揺れが、突如として再びこの部屋を襲った為である。

 それは一見すると、芝居の上演で舞台上の大掛かりな仕掛けが作動したような奇妙な光景であった。コルテラーナがその足下の“台座”ごと、周囲の瓦礫を跳ね飛ばしながらゆっくりと浮上を開始したのである。元より最初の崩落の時点で青空が覗いていた天井が、その余波で更に容赦なく崩れ落ちる。それは塔の壁面そのものの倒壊に繋がり、轟音と共に地滑りが如く折れ、地に崩落した。

 大惨事である。その崩落の衝撃波がナナムゥ達を襲わなかったのは天運によるものか、或いは“旗手”の一人でもある司書長ガザル=シークエが秘かに護りの手を回したか。

 バロウルにより粒体装甲の発動を禁じられていたキャリバーであったが、咄嗟に前に進み出て巨体全体で崩壊の衝撃から一同を庇う。

 その石の巨人の防壁をすり抜け、宙に舞う者がいた。自分達を護る為に踏み出した機兵の、まさにその肩を踏み台としてナナムゥが高々と飛び上がる。


 「コルテラーナッ!!」


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