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帰道(2)

 「……」

 浮遊城塞の中央にそびえる三つの塔の内の左の棟、すなわちナナムゥ達が今居る塔である訳だが、その工廠のある階層から更なる上層へと繋がる扉は、今は固く閉ざされていた。

 その場所こそ、かつて浮遊城塞オーファスの実質的な長であったコルテラーナが占有していた階層である。工廠でバロウルの作業の終了を待つ間に、ナナムゥも先んじて“糸”を用いて塔の外壁を登ってはみたが、出窓を始めとした全ての開口部には重い鎧戸が降りており、生半可な手段では上階に侵入することは叶いそうもなかった。それこそ手段を択ばなければ、力尽くで鎧戸を打ち破る手段もあっただろう。だがわざわざ“封印されているものをこじ開けるのは”色々な意味で危険であり、準備不足であるのは明白だった。

 あの思い返すだけで震えの走る、ガルアルスがザーザートと“亡者”の群れを打ち滅ぼしたあの日。流浪の“龍”の降臨したあの日よりコルテラーナと老先生の両名は自分達の前から姿をくらませたままである。理由は兎も角、こうまで長くその身を潜ませる場所となると、移動図書館内部か浮遊城塞内で占有していた“聖域”のいずれかしかあるまいと、ナナムゥは見当を付けていた。他の心当たりが皆無であるというのが正直なところの、消去法による心許ない推測ではあったが。

 だがナナムゥとしては本命であった移動図書館内部にコルテラーナがいない以上――同じ“旗手”である司書長ガザル=シークエの誓いの言葉を素直に信じるならであるが――残る可能性は頭上の塔の“聖域”の中ということになる。こうして侵入経路のことごとくが封じられている事実も、ナナムゥの推測を強く後押ししていた。

 だからこそ破れない。迂闊には破れない。

 身を隠したままだということは、何かやましい事をまだ隠しているからだとナナムゥは断じていた。

 “隠し事”は誰にでもある。それはいい。組織の長ならば当然だと理解もしよう。だが、ナナムゥにとって良き友人――“姉”であると言ってもいい――であるバロウルに“隠し事”を強要し、その心を傷付けていたことをナナムゥは決して許してはいない。それが彼女をして改めてコルテラーナと対峙せねばならないという強い決意に繋がっていた。

 ナナムゥが早々に浮遊城塞に帰還した表向きの大きな理由は二つある。城塞での会談に赴く所長の護衛役として同行して来たからが一つ目。同じく工廠でキャリバーの整備をするバロウルの手伝いをする為というのが二つ目。

 そして完全にナナムゥの個人的な目的として、コルテラーナが隠れ潜んでいないか調査する為というのが、秘められた最後の三つ目の理由であった。

 実際、こうして厳重に“封”を施していることは確認できた。コルテラーナ自身の身柄か、或いは露見すると都合の悪い“何か”を隠しているのであろうとナナムゥは踏んでいた。

 会談が終わり、気落ちしたバロウルが落ち着いてからにはなるが、独りここに残ってでも本腰を入れての封印階層の調査をナナムゥは誰にも告げず秘かに心に誓っていた。

 最終的に強引に押し入る事ができたとしても、内部には機兵(ゴレム)か或いはそれに類する“護り手”がおり、それを相手に大立ち回りとなることは充分に予想できた。ナナムゥにしては珍しく、企てを心に秘めるに留め直ちに実行には移さなかったのはそこに理由がある。今まさにこの浮遊城塞で行われている――ナナムゥにとっては縁遠い話ではあるがおそらくは――重要な会談の真っ最中に、自らの手で不測の事態を巻き起こす事を良しとする程、ナナムゥは無分別では無かった。

 (茶番で終わらず、少しでも益の有る話し合いであれば良いが……)

 ナナムゥは頭上のコルテラーナの領域から視線を逸らすと、次に階下の密室で続いているのであろう首脳会談に対し、やや否定的な気持ちで思いを巡らせた。

 移動図書館司書長ガザル=シークエが招集し、そして移動図書館そのものが迎えに現れた『首脳会談』の面子は、少数精鋭と言えば聞こえはいいが片手の指で事足りるだけの人数でしかなかった。

 妖精皇国の妖精皇こと所長。

 商都ナーガスにて壊滅した古参の会合衆に代わり事実上の元締めとなったモガミ・ケイジ・カルコース。

 そして、急逝したクォーバル大公の代行としてコバル公国を率いることとなったデイガン老宰相。

 この三名と、彼等がそれぞれ僅かに連れた供回りの者達だけが、打ち捨てられた浮遊城塞跡で密談が行われている事を知る者全てであった。

 建前上は『妖精皇の護衛』であるナナムゥにとっては誰かに改めて言われるまでもなく、所長とモガミが旧知の間柄である事を知っている。それをして彼女の先程の、今回の会談が馴れ合いの茶番に終わるのではないかとの杞憂の要因となった訳だが、それに加えて残るデイガン宰相の存在についてもナナムゥは並々ならぬ危惧を抱いていた。

 元よりナナムゥのコバル公国そのものへの不信感と不快感は根強いものがあった。如何に大公の名代であるザーザートの策動によるものだとは云え、その尻馬に乗って公国の貴族達がこぞって攻め寄せて来た事実は否定しようがない。それに加えて、また別の話になるとは云えナナムゥ自身も公国の公都まで捕囚として連行され、挙句の果てに公都最下層の“奈落”にまで墜とされたのならば尚更のことである。

 (じゃが……)

 しかししかしと、己の中に湧き上がる確かな感嘆に、ナナムゥは自ら戸惑い眉間に皺を寄せる。デイガンがあの北の山脈地下深くの公都からこの浮遊城塞に赴いて来たということは、自分達と同じ様に移動図書館の空間跳躍の恩恵を受けたという事である。“恩恵”とは言うものの、あの得体の知れぬ移動図書館に己が身を委ねた老宰相の覚悟は、ナナムゥをして評価に値する行為であり、渋々ながらも一目置く気に成らざるを得ない行為でもあった。

 そもそもナナムゥにとってデイガン宰相には奇妙な縁があった。共に捕囚として公都に連行されたバロウルを庇護してくれたのがデイガン宰相の管轄するケーン洞であり、そしてバロウルを伴い公都からの脱出の手引きをしてくれたのもまた、宰相の孫であった。少なくともナナムゥはバロウル当人より、その小太りの男の事をそう教わっていた。

 (話の通じる相手と思いたいものじゃが……)

 正直なところ、ナナムゥの頭を悩ませる問題は山積みのままである。どれもが明確な解決策を見出すことが出来ず、ただいたずらに首を突っ込んでいるに等しい現況であることを自分でも認めざるを得ない。だが、それが簡単に曲げることも叶わぬ己の性分だということも、ナナムゥは同じように心得ていた。

 故にナナムゥはまずはバロウルに励ましの言葉をかけるべく、いまだに落ち込んだままの褐色の巨女の許へと向かうことを選んだ。

 無論、最も問題が深刻であるのはキャリバーの機体(からだ)の変調であろう。身も蓋も無い言い方をしてしまえば、後どれだけの“余命”があるのかという問題である。

 しかし現状それを嘆いたところで如何ともし難いことは誰の目から見ても明らかであり、ナナムゥはその問題についてクヨクヨ考えることだけはしないようにしていた。

 見捨てた訳ではない。誇りを胸に、立ち止まらない覚悟を決めたのだ。例えどのような結末を迎えるにしろ、それが一番悔いの無い生き方であるとナナムゥは信じていた。信じたいと思っていた。

 既に自分よりも先にバロウルを慰めているキャリバーの姿を見ながら、ナナムゥは改めて自身に誓う。キャリバーの内の、特に『兄』が生き急いでいるようにしか見えない事をナナムゥは鋭敏に感じ取っており、それは彼女にとって決して良い予感を与えてはくれなかった。


 ――共に生きよう。どん詰まりの閉じた世界ではあるが、それでも懸命に、それなりに楽しく。


 そのナナムゥの想いはキャリバーにのみ向けられたものではない。バロウルにも、所長にも、その他彼女を取り巻く諸々の人々に対して向けられた真摯な願いであった。

 更に加えて、自分の前から姿を隠したままのコルテラーナとガッハシュートにも。願わくば。

 (今は待つしかあるまい……)

 所長が今まさに挑んでいるであろう会談に再び思いを馳せながら、ナナムゥはバロウルの許に歩み寄った。


        *


 「――救世評議会の長である“旗主”ザラドがコバル公国のクォーバル大公を極秘裏に謀殺した。ザラドはそのまま大公の側近“方術士ザーザート”として長年に渡り大公の詔を偽り、遂には公国貴族を扇動し商都と妖精皇国に攻め込ませた」

 淡々と、ただ淡々と、商都ナーガスの代表であるモガミ・ケイゴ・カルコースは自らがまとめた手元の覚書を読み上げた。数時間に及ぶ会談の“結論”であり、読み上げるモガミの声にも当然の事ながら個人的感情の類は一切含まれてはいない。

 「かの悪逆の徒が天より下された裁きの雷にて討たれ滅びたのはまさに報いであり僥倖である。そして此度の忌まわしい争乱が、全て“旗手”ザラドの悪しき野望によるものであったことの何よりの証である」

 そこまで読み上げた後に一呼吸おいてから、モガミは正方形の会議用(テーブル)を囲んでいる残る三名に対し、厳かな口調で問い掛けた。

 「以上を宣言するということでよろしいか?」

 「異論はありません」

 最初にモガミに頷いてみせたのは妖精皇国の代表である“妖精皇”こと所長であった。

 「私は立会人として意見は控えさせてもらおう」

 次の発言が上がらぬことを見て取ってから、移動図書館司書長ガザル=シークエは優美な立ち振る舞いを崩さぬままにそう答える。それが事実上の同意であることは誰の目にも明らかであった。

 「……」

 即答を控えた最後の一人こそ、コバル公国のデイガン宰相である。その貌には、憂悶を示す眉間の深い皺が終始刻まれたままであった。

 『立会人』を自称するガザル=シークエは兎も角、モガミと所長がそれを見咎めなかったのは、今こうして“戦犯”に全ての罪をもっともらしい理由を付けて背負わせる事に対する後ろめたさが多分にあったことに起因する。

 それに加えて――シノバイドの諜報網により――軍監の名目でザーザート率いる公国軍に同道したデイガン宰相の孫もまた、あの真紅の龍による赤光によって亡き者となったという実情を聞き及んでいたということもある。

 自らが率先して軍を焚き付けたのなら兎も角、半ば隠遁に追い込まれた身でありながら今更ながらに矢面に立たされる羽目になったデイガン宰相に対しては、孫を亡くした事も含め多少の同情の念は所長だけでなくモガミにもあった。それを言葉にしてしまうと却って失礼になる為に、両者とも胸の内に留めておいたに過ぎない。

 無論、デイガン宰相の立場がどうあれ、コバル公国軍による侵略は許し難い。所長にとっても、モガミにとっても。にも関わらず、コバル公国という国家そのものではなく、より小さい“戦犯”という個人が元凶だと責任の所在をすり替える為に、各『国家』の代表が額を突き合わせて密談をしている。これこそ茶番の際たるものであった。

 「……コバル公国としても異論は無い」

 ようやく、デイガン宰相が重い口を開く。一見しただけでは単に勿体ぶった仕草にしか思えない態度であったが、デイガン宰相の心の内は所長達の予想よりも遥かに忸怩たる思いに満ちていた。

 自ら軍監としてザーザートの元に真意を問い質しに赴きたいという孫の我が儘を許してしまった悔恨。そして、かつて“洞”(かめい)とその相続人である実の孫を護る為に泣く泣く切り捨てたザーザートとティティルゥの姉弟。孫同然とまで目を懸けていた事もあったそのザーザートを、自業自得とは言えその悪名を死後も永遠に辱める事に同意する己の情けなさと浅ましさと。

 最後に、真紅の少年アルスを半ば盲信して孫を任せた己の軽率さを。

 だが今は、今だけは妖精皇国と商都の長の提案に迎合せねばならない。泥を啜ってでも耐え忍ばなければならない。

 何故か?

 多くの兵を失った今、妖精皇国の妖精機士団が報復の為に逆に攻め寄せて来たとして、対抗する術が無い。流石に全ての“洞”が全ての兵を出した訳ではない以上、地下要塞めいた公都に立て籠ればそれなりの抵抗は可能であろう。だがそれが何になるというのか。各々の独立の気概の強い“洞”をクォーバル大公が“旗”の力を用いて力づくで支配下に置いたのが『コバル公国』のそもそもの始まりである。いざとなれば内乱の様相を帯びるのは目に見えていた。大義名分が相手にある以上、コバル公国の民もまた被害者であるという体裁が整うのならば、それに乗るしかないのが実情であった。

 唯一の肉親である孫のオズナを亡くした時点で、公国がどうなろうと自分に関わり無いことだというのがデイガン・ケーンの紛うことなき本音である。だが、公国を護ることこそが孫への何よりの手向けであろうと思い直し、デイガンは老骨に鞭打ってこの会談に臨んだ。

 公国を保たねば孫の死が真の意味で無駄になる――そう思い込むことで辛うじてデイガンは己の精神の均衡を辛うじて保つことができていた。それは確かにそうであろう。だがデイガンの、名を捨てて実を取るという決意は強固なものであり、それ故に彼はザーザートを貶めることに同意した。

 かつて家名を護る為に見捨てた『孫』を、国を護る為に今一度見捨てたのである。

 自分の死は悔恨と共に訪れるのだろうと、デイガンは既に覚悟を決めていた。所詮は閉じたこの世界で、これまで妖精皇国のお飾りでしかなかった妖精皇も、商都の成り上がり者として死ぬまで陰で冷笑されるであろうカルコース商会の当主も、何れもその基盤は盤石のものではあるまい。政争に破れ隠遁に追い込まれた身でありながら、今更ながらに表舞台に戻って来た自分と同じ様に。それ故に今回の会談――揶揄すれば密談――に臨んだ自分達三者は、『世界の安寧を保つため』というお題目を並んで掲げた、言うならば一蓮托生の身であるというのがデイガンの認識であった。

 (それはいい。我々はそれでいい。だが――)

 ギロリとデイガンが己の正面に座する男に不信の目を向ける。


 「話が纏まったようで、私も安堵している」


 白い手袋をはめた右手の中指で丸眼鏡のブリッジをクイと持ち上げつつ、デイガンの対面に座する細面の青年が、殊更に芝居がかった口調で語り始める。

 「それでこそ、貴殿らに御足労願った甲斐もあったというものだ」

 「……」

 貌と言葉にこそ出さなかったとは云え、何をヌケヌケとこの野郎と、モガミは胸中で静かに毒づいていた。そして渋面を隠そうともしないデイガン宰相の表情を横目で捉え、おそらくは自分と同じ思いであるのだろうと、僅かながらに親近感を覚える。

 そもそもが来訪した司書に告げられた、移動図書館が今後の造幣業務から一切の手を引くという突然の通達が無ければ、司書長ガザル=シークエによる招集に応じていたかは怪しい。それ程までの重大事を餌にされたということでもある。

 この閉じた世界において移動図書館がいつから、そしてどのような経緯で造幣業務を一手に担ってきたのかを部外者が知る術は無い。

 何の因果かこの脱出不能の世界に墜ちて来た数多の者にとって、既に構築された統一通貨の仕組みはこの世界で生きる上で助けにこそなれわざわざ異を唱えるものではなかった。始めからこの世界の内に生を受けた者にとっては尚更のことである。

 移動図書館が造幣を司る権限を人々に誇示し自分達に便宜を図るように求めでもすれば、なにがしかの抵抗は生じていたであろう。しかしその――『館長』がいた以上表向きの――代表である司書長ガザル=シークエは、同時に“旗主”でもあるという噂話が流布されるのみで表舞台に姿を現す事は無かった。そもそも移動図書館の建物自体が、普段は潜み隠れ、その威容をこの世界に露わとする事は稀な神秘の存在であった。

 謎めいた移動図書館こそが、この密閉世界を造った“彼等”に連なる“監視者”である――人々がそう怖れ噂し、貨幣価値の保証という恩恵のみを甘受しそれ以上の関わり合いを持たぬように努めたのも無理のない話であった。

 「ふむ…」

 皆が沈黙を保つ中、不意にそのガザル=シークエが右のこめかみに指を当てた。

 具体的に何らかの音がそこから漏れ聴こえて来た訳ではない。しかし丸眼鏡か或いは彼の額を飾る装飾具か、その何れかを介して外部との通信を試みているのであろうと、モガミは不測の事態に備え神経を張り巡らせた。

 果たしてその推測が誤りでは無かった事を証明するかのように、ガザル=シークエはこめかみから指を離し、自分を取り巻く三名の各『国』の代表に対し物憂げに口を開いた。

 「心苦しくも告げねばならぬ事態が生じた」

 フゥと、芝居めいた吐息を一つ吐いた後に、ガザル=シークエは一同に重々しく告げた。

 「我が盟友が、どうやら説得に失敗したようだ」

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