「流浪の龍の物語」
数多の次元の交錯する“吹き溜まり”、或いは時と空間の束縛から外れた因果地平の涯を、聖機士ア・ルフェリオンは孤独に漂っていた。
尤も既に“閉じた世界”から消え去った――あの世界の住人から見れば、であるが――時の白銀の機士の姿はとっていない。今のア・ルフェリオンは人の似姿を捨て、頭部と四肢を収納した巡行形態とでも呼ぶべき艦艇めいた姿に変形を終えていた。
実のところ、ア・ルフェリオンにとっては機士の姿をとる方が稀である。特に次元の狭間を流離う現在の環境では、移動手段と居住区を兼ねた巡行形態での運用が主となるのは当然と言えた。
その巡行型ルフェリオンの、艦橋とでも呼ぶべき広々とした一室に据えられた“操縦席”に、ガル=アルスは依然として感情の読み取れぬ貌のまま無言で座していた。
彼の目の前には聖機士の中枢である水晶球ルフェリオンが浮遊しており、また彼の後部にしつらえた長椅子にはファーラ・ファタ・シルヴェストルがくーかくーかとやや鼾めいた寝息を立てながら熟睡していた。
一見したところ平和裏な光景の中、ルフェリオンだけが寛大に過ぎるという熟考を延々と重ねていた。
『水』を司る自分を含めた六体の聖機士を創造したのは、古の大魔導士達である。彼等が何を意図して自分達機士に『人』を模した自我を与えたのかをルフェリオンは知らない。まったくの“無”から魂魄を創生できるという魔導の御業を誇示する目的があったのか、或いは大魔導士達すら予期しておらぬ、まったくの偶発的な自我の芽生えであったのかもしれぬ。
何れにせよ、大魔導士達は六体の聖機士に次いで更に純粋なる“魔”の化身である三体の聖霊魔精を創生し、それ故に滅んだ。如何にルフェリオンと云えど、今となっては真実を確かめる術は無い。
そのルフェリオンが寛大に過ぎる――要は『甘い』と断じるのは、先の閉じた世界という名を持つ“世界”におけるガルアルスの、更に特定するならば試製六型機兵キャリバーに対する過度の干渉を指しての事であった。
ガルアルス本人に直に問い質したところで、『気紛れ』以上の理由付けが出て来ることは無いであろうとルフェリオンも心得ていた。如何に『気紛れ』ではぐらかそうとも、介入するだけの理由がガルアルスの内に確かに存在したであろうことも。
ルフェリオンにしても、その理由をまったく推察できないという訳でもなく、ある程度の目星も付いていた。おそらくはキャリバーに施されていた精神制御、すなわち“恐怖”を始めとする負の感情を抑圧する措置がガルアルスの勘気に触れたのだろうというのが現時点でのルフェリオンの見立てであった。
それはガルアルスにとってある種の“負い目”として常にあるのだろうともルフェリオンは推察する。
“恐怖”を遮断する精神操作――それこそがガルアルス自身がファーラに施した、意に沿わぬ心の枷であったのだ。
次元断層に呑み込まれ、終わりの見えぬ流浪の身と成り果てた今の境遇も、元はと言えば捕囚であったファーラ自身が引き起こした愚行が発端であった。それ故に自業自得であるとは云え、元より定命の運命でしかないファーラにとって、異世界の旅は常軌を逸したものであった。
真紅の龍と白銀の機士に護られていたとは云え、それまで培った“概念”など通用しない旅路において、ファーラの精神にかかる負担は過酷の一言で足りるものではなかった。例え“人”や“人の似姿”が闊歩する別世界に漂着したところで、既知の外にあるという疎外感は却って増すばかりですらあった。
加えて、彼女と共にある真紅の“龍”は、定命の者達を無造作に塵芥に変えた。一人であろうと数多であろうと等しく迷い無く。少なくとも龍と機士にとって理由無き断罪は一度たりとて無かったが、所詮は定命の姫――如何にその胸の内に恒星の如き輝きを秘めている無垢の少女といえども――の精神にヒビを入れるには充分に過ぎる蛮行であった。
そればかりか、すんでのところで精神が粉砕される直前にまで彼女を追い込んでしまっていた。
故にガルアルスはファーラの精神に干渉し、“怖れを抱く心”を封じた。そればかりか彼女の為に、定命の者の命を奪わぬ『約束』まで交わした。
ファーラに及ぼした一連の顛末をガルアルスが本当に“負い目”として捉えているのかどうかはルフェリオンにも断定はできない。しかし同様の精神制御を受けていたキャリバーをその抑圧の軛から解き放ったということは、少なくともガルアルスにとっては面白くない状態であったということだけは確かであろうと言えた。
だが、実のところここまでのキャリバーへの干渉は――憶測も多分にあるとは云え――ルフェリオンにとっても理解と容認の範疇ではあった。数多の世界を彷徨う中で、ガルアルスが定命の者に干渉した似たような前例はこれまでも幾度かあった為である。
ルフェリオンにとって真に不可解であったのは、これまでの前例とは異なり特にファーラへの“貸し”があった訳でもない試製六型機兵キャリバーに、更なる特別な加護を与えたことにあった。
その石の機体の奥に収められた二人の半屍人に、龍の爪をそれぞれ一つずつ埋め込むという加護を。
定命の者の言葉を借りるのならば、それは『慈悲』と呼ぶべきものであるのだろう。その呼称はどうあれ、ガルアルスが自らの身体の一部を与えるなどという厚遇を見るのはルフェリオンにとっても初めての事であり、率直に言ってそこまでする程の価値が試製六型機兵にあるとも到底思えなかった。
もし、真紅の龍を相手に読心が通じたならば、ルフェリオンはその心の内にオズナ・ケーンの影を覗き見る事ができたかもしれない。その命を散らした寂寥を感じ取ることができたかもしれない。だが、“龍”に読心など元より通ずる筈もなく、ルフェリオンは試製六型機兵そのものではなく、自分の与り知らぬ何か別の要因が龍の『慈悲』をもたらしたのだろうと推測するのみであった。
ガルアルスが真に気紛れで動くことはない以上、そこに理由があるのは確かである。だがその龍の口から真相が語られる事は未来永劫訪れない、それもまた確かなことであった。
故にルフェリオンは答えを得ることの叶わぬ長考をようやく断ち切ると、次の懸案に思考を切り替えた。
とは云え、試製六型機兵などより遥かに重要な事案であるが故に、まずは現状の確認に留める。
元居た世界に至る帰路を喪失したのは、あってはならぬ事とは云え紛れも無い事実である。偶発的に帰り着くことの叶わぬ、永遠の流浪の旅である事は間違いない。だがガルアルスの従者であるリリム=アルスの盾=02が、世界への“帰路”を保持したまま自分達を追って来ているであろう事は疑いようが無かった。
リリムとは、そういう存在であった。
逆に言えばリリムと合流するまでは、この流浪の旅が終わらぬということでもある。だが“龍”であるガルアルスの痕跡を追う以上、その威光を見失う筈も無く、合流までさして時間を要すまい――それが当初のルフェリオンの予測であった。
だが、数多の異世界を巡った今現在に至るまでリリムとの合流が果たされていないのは、ガルアルスが“龍”として覚醒する度に次元の断層を飛び石の様に渡ってしまっていることに起因していた。リリムが追いつくまで一つの世界に留まり待つだけの話ではあるのだが、何の因果か一度たりとも上手くいかないことが、ルフェリオンにとっては悩みの種であった。
或いはそれこそが、無益に流浪する星の巡りこそが、定命を超越した存在でありながらも定命の世に留まるガルアルスが支払う“代価”であったのかもしれない。
「――ルフェリオン」
座席に身を置いたまま、姿勢を崩すことなくガルアルスが水晶球の名を呼んだ。実に唐突に。依然としてこちらに一瞥すら与えぬとは云え、真紅の青年の方からルフェリオンの名を呼ぶのは珍事には違いなかった。
“何か、気に掛かることでも?”
おくびにも出さなかったもののルフェリオンが恐る恐る尋ねたのは、この時点で嫌な予感が拭えなかったからである。それもまた己に与えられた“自我”の産物であることをルフェリオンは自覚しており、そのような感情を自分に与えた古の大魔道士達を改めて水晶球は疎ましく思った。
「あの世界は、打ち捨てられたのか?」
ガルアルスの問い掛けは、主語の無い実に簡素にして自分勝手なものであった。それだけに如何様にもはぐらかす術はあったのだが、そこは龍に仕える従者の身の上、ルフェリオンは真実を告げる他なかった。
“いえ。依然として監視の『眼』はあの世界に置かれています”
「そうか……」
ガルアルスの紅い三白眼が僅かにスッと細められる。
「辿れるな?」
“……”
ルフェリオンがガルアルスの確認――否、君命を前に即答を避けたのは、そこから導き出される次の君命の内容を察したが故である。
ガルアルスの言う様に辿る事は可能であった。『眼』の“経路”自体は捜すまでも無く目の前に伸びているのだから。
尤もその終点、すなわち『眼』そのものに行き着くことは不可能である。『眼』の所在は閉じた世界の内にあり、ガルアルスとその『所有物』であるルフェリオンはその世界とは二度と互いに認識できぬという摂理の内にあった。彼等にとって、“経路”の終点は存在し得ないものと化しており、無論ガルアルスがそれを知らぬ訳がなかった。
そこから導き出される結論は一つしかない。すなわちガルアルスが辿ろうとしている先は『終点』にあたる『眼』ではなく、『始点』に他ならないということである。
“なりません”
ルフェリオンが諫言の類ではなく、はっきりと異を唱えたのは初めてのことであった。
“『彼等』と呼称される存在が、時間と空間の摂理の外にあることは既に明らかです。その二つを超越しているということは私が改めて言うまでもなく、『彼等』もまた定命の運命の外にあることをも意味します”
“龍”よりも更に高位の存在である可能性すらある――ルフェリオンがその指摘を飲み込んだのは、『従者』として許される範囲での精一杯の抵抗であったのか。それを口にしたが最後、真紅の青年の『彼等』への闘志を却って掻き立てる結果になることをルフェリオンは十二分に予期していた。
そして自分が如何なる小手先の策を講じようとも、既に手遅れであることも――非常に不本意ではあるが――同程度にルフェリオンは認識していた。
「遺棄しておきながらも手放すことはせず、手慰みとして徒に輪廻を阻む、か……」
その心中は誰にも覗けず、その感傷の源は誰にも知れず、ガルアルスが独り口にした言葉は、如何にも超越者めいた傲岸不遜の極みであった。
「気にくわんな」
“源に辿り着いたところで、ファーラ様の身の安全を保障できません。守りの要たる護符が喪失したのは御存知の筈ですが”
主の道楽阻止の搦め手として、ルフェリオンは彼が執着している定命の少女の名を挙げた。
ファーラの額を飾る青い宝玉に擬態し、彼女の身を護っていたのは紛れもなくルフェリオンである。しかし万が一の為にと、ガルアルスが自身の保持する菱形の、小さくとも強力な護符――ガルアルスの“母”である聖霊魔精リリス手自らの作である――をファーラに与えていたのは事実である。
その護符を、ファーラは事もあろうにナナムゥという名の閉じた世界の少女に託した。護符は結局ファーラの手に再び戻ることはなく、そのまま閉じた世界の所在と共に永遠に失われた。身も蓋も無い言い方をすれば至宝を喪失するという大失態であるが、今のルフェリオンにとってはファーラをだしにする為のある意味僥倖であったと言える。
だが、水晶球の苦し紛れの淡い期待など報われる筈も無く、ガルアルスはさも当然の口振りでルフェリオンにこう言い放った。
「ファーラは貴様に任せる」
にべもない命令にルフェリオンが反論を諦めたのは、『従者』という立場に加えある意味想定通りの結末をそのまま迎えた為でもあった。
諦観のルフェリオンにまるで最後の駄目押しを加えるかのように、それまで熟睡していた筈のファーラがいつの間にやら身を起こし、じっとこちらを見つめていた。
「私も、良く分らないけど、“彼等”って人達を放っておいたら駄目だと思う」
“……”
もしルフェリオンの本体――すなわちア・ルフェリオンが巡行形態ではなく聖機士の姿であったならば、その端正な白銀の貌から盛大な溜息が漏れていたに違いない。
「征くぞ」
ガルアルスの号令に、良く理解せぬままにファーラが右腕を上げて応える。
僅かに間をおいて、最後にルフェリオンはこう答えた。
“――了解です”
次回よりようやく最終章です。
何とか最後まで書き終える目処ができて安堵しています。
それなりに長くはあるので最後までお付き合いいただければ幸いです。