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鬼轟(21)

 (あぁ……)

 いざ死に臨んで私に実際に遺せたものは、只の大きな嘆息でしかなかった。悔しさもあるが、何よりも自分自身がひたすらに情けなかった。

 結局のところ、自分は何の役にも立たずに死んでいくのだと。

 こちら側に向かって所長達が揃って駆け寄って来る姿が視界の内に映る。それが私の萎えかけた心に最後の喝を入れてくれた。

 今、この切迫した局面において、私が死に逝かんとしている様を誰にも気取られる訳にはいかない。何一つ成し遂げることもないままに朽ち果てる事自体は自業自得だとしても、己の最期を看取って貰う為に皆に時間を割いて貰うことなど恥でしかなかった。

 「一体何が起こっているのです!?」

 この手で触れることすら可能ではないのかと錯覚するまでの強い“圧”を発したまま浮遊するガルアルスに対し、まず率先して口火を切った所長の胆力には改めて感服する。そしてその様な呑気な感想がまず浮かぶところが、いよいよ混濁し始めた自分の意識が成せる末期症状だということも何とか認識できていた。

 全てを放棄して独り永遠の眠りに逃げ込む事だけは、何としても避けねばならない。それがせめてもの最後の意地なのだから。

 そう己を鼓舞し、まずは現況を把握に努める。

 “亡者”の領域である地の穴に呑み込まれた私達をガルアルスが救い上げてくれたことは間違いない。だが無事に生還を遂げたとは云え、後は翌朝に水晶球(ルフェリオン)の準備が整うのを待つだけで大団円とはいかないことを、この場に居る者全てが悟っているだろうということも――単なる憶測であるにも関わらず――私は強く認識していた。

 無論、まずはこの場から公国軍を追い払わねばならないことは改めて言うまでもない。しかし事がそれだけで済まないことを予感させるだけの強烈な怒りの“圧”が、不可視でありながら私達の肌を強く打ち、えも言われぬ恐れによってこの場に釘付けにした。

 ただ一人の例外を除いては。

 「ガル、もういいの!?」

 所長の問い掛けを完全に黙殺したガルアルスに対し、続けてファーラが大声で呼び掛ける。随分と間の抜けた言葉遣いではあったが、緊迫した場の雰囲気を少しでも和らげようとするファーラなりの心遣いであったのだとも思う。立ち尽くすしかない私達にとって、ガルアルスの怒りの矛先が自分達に向いている事態はそれ程までに苛烈なものであった。訳も分からずに恐れおののく他ないその様は、あまりにも不条理であったと言える。


 “準備は全て整いました、ファーラ様”


 無機質な声がスッとこの場に入り込んで来たのはまさにこの刻であった。人の胸元程の高さを滑るように移動して来た青い水晶球が、そのままファーラの左肩の上に浮かんで止まる。

 「お主、持ち場はどうした!?」

 大きく目を開いたナナムゥが水晶球に対し殊更に大きな声を上げたのも無理はない。そもそも私達がこの墜ちた浮遊城塞から撤退せずに留まっている理由こそが、この水晶球(ルフェリオン)を護る為であったのだから。

 ナナムゥの自室において、不安定なこの密封世界(ガザル=イギス)を固定するという術式に水晶球が専念するにあたり、私達が事前に聞かされていた所要時間の見込みは明日の明け方辺りであり、それまではここから移動すらできないという話の筈であった。

 その動けない筈の水晶球が、今まさにここに居る。それも誤差どころの話ではない、予定よりも遥かに早い時間であるにも関わらず。考えられるとしたら唯一つ、水晶球(ルフェリオン)が進捗を破棄し撤退を選択したという事しか考えられなかった。

 クロやミィアーを伴い今は私達と合流を果たした所長もまた、同じ危惧を抱いたのか顔色が変わっていた。先に水晶球を問い詰めたナナムゥも無論のことである。

 しかしその水晶球を肩に浮かべたファーラは、フヘヘといわんばかりの罰の悪い顏を私達へと向けた。

 「えーと、あのね、そのままじゃ時間がかかる困った場所をガルが直接治しに行くって言いだしてね……」


 そのまま口籠るファーラの言葉を水晶球(ルフェリオン)が引き継いだ。


 “結論だけ言えば、この世界を固定し障壁を粉砕する準備が整いました”


 「先に言わんか!」

 ナナムゥが血相を変えてファーラの両肩を掴み、揺する。グワングワンと頭を揺らしながら、ファーラは慌てて弁明を口にした。

 「色々煩わしいからガルが黙ってろって言うから――」

 例えいまだに刺すような“圧”をその身に纏っていたとは云え、ガルアルスが帰参を遂げた事で袋小路の現況が打破できると見込んだのであろうか――実際、“亡者”の群れは余さず地に逃げ込んでしまっていた。例えそれが一時的なものであったのだとしても――ナナムゥとファーラによる姦しいやり取りが暗く淀んでいた周囲の雰囲気を僅かながらに和らげる。

 (良かったと…思っておこう……)

 すぐ近くで騒ぐ彼女達に対し私が無言を貫いたのは、自分が死に逝く身であることを彼女達に悟られないようにする為である。抗いようのない死の運命であるならば、せめて今の光景を騒ぐことなく少しでも目に焼き付けて逝きたいと願う。

 それもまた、一つの未練であるのかもしれないが。

 その意味で、私が最も恐れたのはナナムゥがこちらに話を振ってきて瀕死であることに気付かれる可能性であったが、それはまったくの杞憂で終わった。

 ナナムゥでなければ所長でも、ましてガルアルスでもない。私にとっての思いがけない手助けは、それこそ敵陣の中から発せられたのである。

 「――アルス!」

 突如として轟く苛立った声は、コバル公国軍の深部からであった。高台と化した浮遊城塞の縁に集っている為に、自然と見下ろす形となっている私達の前で確かに公国軍は狼狽し浮足立っていた。夜空が狂気に彩られ、唐突に静まったこれまでは。

 しかしその青年の声を境に公国軍の動揺は――少なくとも表面上は――治まり、そしてその軍勢が左右に別れた。

 まるで海を割り割いて進むモーセの様に、その花道めいた間隙に声の主が歩み出る。

 「ザーザート……!」

 それまでモガミの傍らから離れることのなかったティラムが、その仮面の男の名を呆然と呟く。わざわざ姿を現したその真意を図りかねた事もあるのだろう。

 だが、当人であるガルアルスは依然としてこちら側、すなわちコルテラーナを見据えたまま、背面に現れたザーザートに対しては一瞥すらも向けようとはしなかった。

 只の一言だけがその口から洩れる。

 「失せろ」

 ガルアルスの吐き捨てるが如きその呟きは、しかし不思議にも私も含めこの場にいる全ての者の耳に等しく届いた。それがガルアルスの有する不可思議な何か(・・)によるものであったのか、或いは実際に直接私達の心に対して念じでもしていたのかは、私如きに判る筈も無い。

 片や、判らないと云えばザーザートに対しても同様であった。右手に長杖を携えた仮面の男。その長杖こそが彼を“旗手”たらしめる“旗”であることは、私達も既に把握していた。

 先程の、何かの悪夢の如く目まぐるしく様相を変える夜空。その一端として突如として射し込んだ煌めく陽光によって“亡者”の群れは全てが身悶えと共に地中に逃れた。それは見事なまでの遁走であり、我々は――のみならず攻め込む側であった公国軍においてすらも――“亡者”による死の行軍が瓦解してしまったのだと本能的に理解していた。

 だが、その認識は誤りであったことを、ザーザートはそれを告げる為に現れたのだということを私達は思い知らされることになった。

 「……」

 突如としてガルアルスが、宙に浮いたままグルリとその身を翻す。

 前触れも無く地を割き飛び出て来た漆黒の触腕の一本目と二本目を、紅い手刀が薙ぎ払う。正確には触腕に直接触れることはなく、ただ腕の一振りによって触腕は縦に二つに断たれその場で四散消滅した。

 間髪入れずに襲来する三本目の太い触腕を蹴り飛ばして消滅させた時には、ガルアルス当人は無論のこと、傍観する他ない我々の目から見ても明らかな事実が一つあった。触腕が狙っている対象が、ガルアルスではなくその背後にいるファーラであるということが。

 「貴様……!」

 今やこちらに完全に背を向け、尽きることなく地より吐き出される幾本もの触腕を弾き飛ばしていたガルアルスが、始めてザーザートに向けて忌々し気な言葉を吐き出す。

 そしてその呟きは、私達と同じようにザーザートを始めとする公国軍の者達にも等しく届いていたとしか思えない。ザーザートの放った号令は、まさにガルアルスの呪詛に対する意趣返しとしか思えぬタイミングであった。


 「民兵、前へ!」


 呟きでしかないガルアルスの言葉が我々の耳に届く不可思議な現象は依然として続いていた。或いはその現象は“力”ある者の威光を我々に知らしめる為の先触れの鐘の音のようなものであったのかもしれない。

 そしてそれと同様に――更なる不可思議な現象として――ザーザートの声もまた、仮面を通しているにも関わらずこの戦場に朗々と響いていた。私達の耳元にまで明瞭に響くその“声”が彼の繰る方術によるものではないのかと推測は可能である。それはそれとして、その『前へ!』というザーザートの号令により、公国軍の中より文字通り新たに前に踏み出す一団が登場した。

 元々、一口に公国軍と纏めたところで揃いの軍服に身を包んでいる訳でもない。それどころか使い込まれた作業着の上に持ち込みであろう様々な防具を身に着けた統一性の無い出で立ちこそが公国軍の特徴であうとすら言えた。

 だが、ザーザートの号令により前に進み出た新たな一団は、明らかにそれとは一線を画した装いをしていた。

 一言で表せば洒落っ気があった。自己主張が感じられるとでも言うべきか。

 『民兵』と呼ばわれてはいたものの、彼等が商都ナーガスで補充されたという傭兵の類いであることはすぐに察しが付いた。そこまではいいとしても、募兵に応じた傭兵にしては弓を構える手の動きがどこかぎごちなく必要以上に不自然なものに感じたのは、自分の命の火が尽きようとしているが故の視界のぶれによる錯覚であろうと、私は一人合点していた。

 だが、それは早計であった。

 「お前は殺しはしないと吹聴していたな!」

 誰とも知れぬ青年の顔を模した仮面を付けているにも関わらず、明らかにそれと判るザーザートの哄笑が高らかに響き渡った。その声が不自然なまでに私達の耳にも届く現象は確かに方術か何かによる産物であったのだろうが、そもそも何故にザーザートがそこまでして己の声を周囲に響かせているのかという疑念に対してもすぐ答えが明かされた。

 「構え!」

 遠のき始める意識を振り絞り何とか望遠へと切り替えた私の視界の中で、一斉に、しかし相変わらずどこか人形めいたカクカクとした仕草で民兵達が矢をつがえる様が視えた。

 (まさか……)

 私には、私だけにはその光景に強い既視感があった。かつて所長の館が襲撃された際に、ティティルゥの遺児達(ティティルラファン)に寄生されたバロウルがまさにあのような操り人形の如き挙動をしていた記憶が蘇る。あの時と同じく、商都で補充された傭兵の鎧の下には遺児達(ラファン)が巻き付きその身体を操っているのだろう。ザーザートが無駄に声を響かせているのもその“操り人形”達の統制を取る為の合図としている為なのだろう。

 だが根本的な疑問として、商都の傭兵を遺児達(ラファン)の依り代という捨て駒にしたとして、そこにザーザートが何の狙いを含んでいるのかという点にあった。

 40人程の民兵達の手から、短い間隔で次から次へと矢が放たれ続けていることは確かである。矢筒の補充も含めてただ速度だけを突き詰めた一連の動作は“母体”である商都の傭兵の肉体を酷使する、と言うよりも端から使い潰すつもりの勢いであることは疑いようもない。

 とは云え、それはまさに“徒労”と呼ぶべき行為でしかない。降り注ぐ矢はガルアルスの胸元に達するまでに文字通り灰塵と化した。

 一本残らず。

 宙に浮かぶ真紅の少年の周囲そのものが目に見えぬ火球であるかの如く、全ての矢が自然に発火し、そのままたちまちの内に燃え尽きたのである。少年自身は依然として触腕を捌くに留まっているにも関わらず。

 『お前は殺しはしないと吹聴していたな!』――ザーザートがそう指摘していたように、人を殺めぬという“約束”の存在をこれまでファーラにせよガルアルスにせよ、口にしていたことは事実である。同様にザーザートもどこかで聞き及んではいたのだろう。

 だからこそザーザートもわざわざ『民兵』という思わせぶりな言葉を口にしてまで只の人間――ガルアルスの言葉を借りるならば“定命の者”――を矢面に立たせたのではないかと、そこまでは私にも察しはついた。

 だが、地面から強襲を重ねる暗黒の触腕はまだしも、届きもしない矢を幾ら放ったところでガルアルスに対して時間稼ぎ以上の意味が有るとも――そもそも時間稼ぎをしてどうなるのかということも含めて――到底思えなかった。

 攻防にはほど遠い、どこか世の無情さすら感じさせるその光景に、この場にいる者全てが言葉を無くしてしまっていた。無意味に消費される時間、徒労にしか見えぬザーザートの采配。もしかしたら万策尽きたザーザートが根負けしてこのまま撤退を選択するのではないかと、そして後はガルアルスがこの世界の“障壁”を破壊し閉じた世界を開放することで全てが大団円を迎えてくれるのではないかという淡い願望を私は抱いてしまっていた。

 世界が解放されたとして、ザーザートの登場で中断した形となったままのコルテラーナとガルアルスとの衝突は決して避けられない運命なのだとしても。

 死に逝く者としての感傷か、或いは最期の戯言か。少なくとも私はザーザートが“切り札”を残している可能性には微塵も考えが及んではいなかった。無論、それを切ってくることも。


 「カァカトォォォォォッ!!」


 突如として、宙に響き渡る慟哭。

 虚を突くつもりであるならば、そのような慟哭は無駄であるどころか邪魔でしかない。或いはそれが“亡者”の群れが再び地表に溢れ出る前触れの音でしかなかったならば、私は兎も角としてナナムゥなりモガミ達シノバイドなりが後れを取ることはなかったであろう。

 だが、そうではなかった。ザーザートの切った“切り札”は“亡者”ではなく、姿も晒さずにただ怨嗟の叫びを上げただけの存在であった。

 しまったというナナムゥの逼迫した声が私の耳に届いた時には、既にその声の主は実体化を遂げていた。

 細かいことを言えば、『実体化』という表現は適切ではないのだろう。しかし実際に、“切り札”は突如としてその場に湧き出たとしか私には視えなかった。

 鈍く明滅する、濁った濃い紫色の光の翼が短い尾を曳く。垂れ下がった四脚を備えた妖精機士(スプリガン)が夜空の下に鉛色の機体(からだ)を露わに晒す。

 六旗手の一人にして、自らの“所有物”とそして自らをも小型化する“力”を“旗”から与えられた妖精(フェアリー)ナイ=トゥ=ナイ。

 それまでザーザートの――文字通り――手の内に極限まで身体を縮め潜んでいた妖精機士が、民兵の放つ矢衾の内に己の本当の質量を解放した時には、その鋼の機体はガルアルスの直上に肉薄していた。

 「!」

 その気になれば、ガルアルスは両腕で相手取っていた触腕を放り出し、そのまま避ける事も可能であっただろう。だが少年がそれをしなかったのは、ナイトゥナイの構えた光の槍の狙いの――文字通り――矛先が私達に――否、明確にファーラの方に向いていたからである。

 と、言ってみたものの、本当にそれが理由だったのかどうかはわたしには分からない。だけどガルアルスは動かなかった。スプ何とかの突進を、真ん前からその小さな体で受け止めた。

 足下でたじろぐ私達の眼前に晒されたのは、少年の真紅の外套を突き破り、その背中まで貫通した妖精機士の光の槍の穂先であった。

 「……!」

 声を出す者は、出せる者は皆無であった。

 その代わりとして、雷のような打撃音が瞬時に響き渡った。

 妖精機士の機体が、勢いよくガルアルスから弾き飛ばされる。触腕の動きを抑え込む為に両腕が塞がったままのガルアルスが、その機体を蹴り飛ばした際の轟音であったことを私達は知った。

 ガルアルスが抑え込んでいた触腕も又、その余勢に巻き込まれたかのように残らず消滅する。それに代わる新たな触腕は――まるで様子を窺うかのように――出現を控えた。

 そして跳ね除けられたナイトゥナイであったが、そこから逆襲に及ぶことは無かった。よほど当たり所でも悪かったのか、光の翼の片翼が半分ほど霧散する。そればかりか翼の基部そのものに甚大な損傷でも発生したのか、妖精機士は宙のその場で二度三度緩やかに回転すると、箒星の如き光の尾を彼方まで残しつつ蛇行と共に戦線を離脱していった。

 果たしてその顕現から遁走までの一連の襲撃の内で、どこまでがナイトゥナイ自身の意志であったのかは定かではない。だが妖精機士の行方に心を割く余裕がある者は今のこの場には皆無であっただろう。

 「失せろ、今なら見逃してやる……」

 ガルアルスの口から、再び呪詛めいた言葉が漏れる。少年の身体と妖精機士の光の槍の直径をつぶさに比較するまでもない。貫通を許した以上、その体に大穴が開いたどころか、下半身が千切れ墜ちてもおかしくない状況であった。少年の背の真紅のマントに隠され、彼の体の惨状を私達が直接目にするような事態だけは避けられた。

 呟きこそはしたものの、それまでとは一転して凍り付いたかのように四肢の動きを止めたガルアルス。彼が放った警告に対し、しかしザーザートは逆に煽り返せとばかりに叫び返した。周囲の手勢に向けて、己の勝利を宣言するかの如く。

 「戯言だ! 今こそ浮遊城塞オーファスを陥落させ、不当に貯め込んだ財産を我らの手に取り戻すのだ!」

 ザーザートの鼓舞に、道理も無ければ真実も無い。だが彼の叫びによって、これまで畏怖を抱き傍観に徹していた公国軍の中にどよめきが湧いたのは事実である。再び商都の『民兵』達が矢をつがえる中、ザーザートが更なる扇動の声を上げた。

 「進め! クォーバル大公の名の下に! この戦で得た物は全てそのままお前達の物だ!」

 ザーザート自らが最前線に立った理由を、私は民兵に寄生した遺児達(ラファン)に指示を出す必要からなのだと推測していた。しかしこうして公国軍を狂騒に駆り立てる事こそが真の目的ではなかったのかという新たな疑念が脳裏を掠めた。

 商都から、浮遊城塞の墜ちたこの場に到着するまで、ザーザートが公国軍の軍勢に対し事前にどれだけの事を吹き込んでいたのかを私は知らない。だが、ザーザートの掠奪認可の宣言を前に、それまで憶え縮こまっていた公国軍が恐怖を打ち払えとばかりに一斉に大きな雄叫びを上げた。

 “切り札”である妖精機士による奇襲が不発気味に終わっても、ザーザートがいまだにこの場に留まっている理由に私は思い至った。それは『人を殺さない』という約定に縛られているのであろうガルアルスに対し、只の人間を先導し矢面に立たせることで“盾”とし、そして“矛”としてファーラに仇なすことが最大の戦術だと断じたからではあるまいかと。

 徐々に激しさを増す公国軍の雄叫び。己の内の恐怖を誤魔化す為の叫びではあったろうが、彼等が今にも我先に浮遊城塞に殺到しかねないことは明らかであった。

 モガミとクロが揃って所長をその背に隠したのがその何よりの証である。

 渦中の真紅の少年は、先程の呟きを最後にピクリとも動かず、やはり妖精機士の光の槍で致命傷を負ったとしか思えない状況であった。


 だが、公国軍が自らの内に巻き起こしたその鳴動も、一瞬の内に掻き消えた。


 先駆けとなったのは、悲鳴にも似たファーラの叫びであった。

 「駄目! 逃げて!」

 珍しくも激しく血相を変えてガルアルスの許――すなわち城塞の縁へ駆け出そうとした彼女の腕を、慌ててナナムゥが掴み引き留める。


 まるでファーラの絶叫に呼応したかのように、それまで微動だにしなかったガルアルスが、吠えた。


 強く、強く。この密封された世界の隅々にまで轟く程の鋭さで。


 ただそれだけの事で、相対するコバル公国の軍勢は壊滅した。


 (何だ……!?)

 自分の目にした最期の光景に私は只々慄くより他になかった。

 それは何と奇っ怪な光景であったのだろうか。長い咆吼に添うように真紅の少年の脚が伸び、腕が伸び、その胴体も成長を遂げた。燃え盛る炎のような真紅の髪も、黒く鋭い二対四本の角も揃って後方に大きく伸びた。彼が身に纏った真紅の衣服もまた破れ散ることなく、むしろ急激に“成長”するその体に添って再形成された。

 ガルアルスという“少年”が常に身に纏わり付かせていた、我々を何故か不安にさせる拭いようのない違和感の正体を私は知った。

 “幼女”の身でありながら老女の如き言葉遣いのナナムゥ。彼女の言動が醸し出す不釣り合いさとはまったく異なる、歪さを伴った不自然な雰囲気。

 少年の体を持ちながら尊大な態度を貫く、ガルアルスのどこか異形めいた立ち振る舞いは当然の事であったのだ。我々の前に今まさに顕現した新たなる“青年”の躰こそが、ガルアルスの真の姿(かたち)なのだから……。

 背に一対の紅い皮翼が広がる時には既に大勢は決していた。ガルアルスに相対していた者達は、公国軍と商都の傭兵のいずれを問わず、そのほぼほぼ全てが地に倒れ伏しピクリとも動かなかった。

 彼等が単にガルアルスの“気”に圧倒され卒倒しただけならばまだ救いはあっただろう。だが痙攣すらしていないその躰に寄り添うように次々と白い“幽霊”がユラリと身を起こし、彼等が瞬時にして物言わぬ躯に成り果てたことを我々の前に如実に示した。

 無垢なる白い“幽霊”達は無貌の頭をゆっくりと左右に揺らしていた。風にそよぐ薄の穂か何かであるのように。

 己の身に何が起きたのか、気付く暇すら無かったのだろう。新たに頭をもたげた“幽霊”の中に黒い“怨霊”の姿が一体も見受けられないという事実は、彼等が恨みを抱くどころか、自分を襲った“死”を認識する暇すら無かったという証としか思えなかった。

 虚ろに頭を振る“幽霊”の姿は、私達にこの世の無情さを突き付けているようにも感じられた。

 (殺さないと…言っていたのに……)

 私は残された最期の力を振り絞り、上空の青年の背中に焦点を合わせた。私自身が彼と『人を殺さぬ』という約束を交わした訳ではない。裏切られたなどという想いは筋違いも甚だしい。

 そこまで頭では理解出来ていても尚、私は無念の想いを込めて、真紅の背と皮翼とを見上げた。

 だが、それも一瞬の抵抗。私は再び力無く視線を落とした。落とさざるを得なかった。“幽霊”の蠢く凄惨な戦場跡に向けて。石の躰でありながら、私の全身を覆う虚脱感は既に抑えようのないものであった。

 ガルアルスが具体的に何かをした訳ではない。ただ咆哮を上げ、己の真の姿を晒しただけである。

 そう、ただそれだけで、それだけのことであれだけの人間が死んだ。あれだけの“幽霊”が産まれた。目にしただけで死ぬ“怪異”と等しい存在――この世にあってはならぬ存在に等しいものであった。

 『定命の者』――常日頃からガルアルスは私達を指してこう呼んでいた……

 ならば自身(ガルアルス)は……

 考えがまとまらない…結局最後まで自分は何の役にも立てなかった……

 今や真の姿を取り戻した真紅の青年…我々を『定命』と呼ぶということは…青年が『定命』の枠外にあるのだというのならば……


 ならば我々は……


         我々は――


        *


 「何じゃ、アレは……!」

 ナナムゥが、沈痛の面持ちで眼下の惨劇から目を逸らすファーラの肩を掴み、白目の少ない碧眼を極限まで大きく見開いて問い質す。

 すぐ横の試製六型機兵(キャリバー)もあまりの惨状の為か、座り込んだまま微動だにしていなかった。

 「一体何が起こっておる!?」


 “落ち着いてください、ナナムゥ様。全ては想定内です”


 大きな黒い瞳に涙を湛えるファーラを庇うかのように、肩の水晶球(ルフェリオン)がナナムゥの鼻先までスイと空中を移動する。

 それはナナムゥのやり場の無い怖れの矛先がファーラに向かうことのないよう未然に防いだ形であったが、実のところ水晶球は秘かにそれとは比較にならない程の重大な危機を防いだばかりであった。

 “養母(はは)”である聖霊魔精(ホムンクルス)リリスがガル=アルスに施した10の10乗の封咒。憤激によってガルアルスはその戒めの最初の一つを破った訳だが、その際の“逆火”の反動に周辺の定命の者が耐えられないことはこれまでも常であった。

 水晶球(ルフェリオン)の言う『想定内』とはつまりはそういうことであり、公国軍や商都の傭兵、そして彼等に“寄生”していた遺児達(ラファン)が残らず横死したのはまさにその範疇である。片や浮遊城塞に籠っていたファーラ周辺の人間に犠牲が出なかった理由こそが、直前で水晶球(ルフェリオン)が展開した対抗障壁によるおかげであった。

 これまで数多の次元を放浪する中で同様の惨劇を幾度も経て来ただけに、水晶球の対応も実に手慣れたものであったのだと言える。

 だが、水晶球(ルフェリオン)が浮遊城塞の人々を守護した理由は、少なくとも人で言う“善意”に依るものではない。そもそも水晶球(ルフェリオン)にとって、行きずりに等しき他次元の世界の住人に肩入れする必要など微塵も無い。

 ただ、これまでの放浪の旅においても、ファーラと幾許かの縁を結んだ人々がその因果によって落命する事態は度々あった。それが尾を引きファーラの、そしてひいてはガルアルスの不興を買う事態となることもまた常々であった。

 帰路の分からぬ流浪の身である。その様な不協和音は不測の事態を招きかねず、可能な限り先手を打つ事こそが、水晶球(ルフェリオン)にとっては絶対の『想定内』であった。

 何れにせよ、水晶球の陰の尽力――すなわち自分達の命の恩人であることを閉じた世界(ガザル=イギス)の側である浮遊城塞の人々が知る由も無い。

 故に、ガルアルスへの畏怖のみが残った。

 シンと静まり返った戦場の跡に、ただ驚嘆の呟きだけが漂い流れる。


 ――何者か?


 男の声だったのかもしれないし、女の声だったのかもしれない。

 老いた声であったのか、まだうら若い声であったのかは定かではない。隣の者が発した声なのか、無意識に己自身が発したのか声なのかすらも判然としない。

 この場に居る、全ての者が等しくそうであった。怖れのあまり、言わば幻の中にいた。

 だが、おののく誰かの声だけは確かに頭上に漂い流れていた。


 ――何者なのか?


 「俺か……」

 それまで背を向けたままであったガルアルスが、宙に浮かんだまま背後の浮遊城塞に向き直った。浮遊城塞の人々の前に、始めて“青年”としてのガルアルスの姿が露わとなる。

 燃える様な紅い三白眼に見据えられ怯む一同に対し、ガルアルスは一瞥をくれた後にようやく口を開いた。

 己に対して発せられた、誰によるものとも知れぬ問い掛けに対して。


 「――神」

正直な話、まったく筆が進まなくなりまして。

原因だけは分かっておりまして、そもそも自分好みの話を自分で読むために書いており、また昔から結末だけはハッキリ決めて書くようにしています。

それが何を意味するかというとこれまで書き連ねてきて、後はほぼほぼ最終章を残すだけになったのですが、自分の頭の中では既に「完結」に漕ぎ着けてしまって文字として出力する意味が限りなく薄くなってしまったと、そういう次第です。


逆に言えばいつでもダイジェスト形式なら最後までお出しできるのですが、それはそれはとして、まぁ、アレかな、とそんな感じで頑張ろうと思います。


章の構成を見直しまして最終章の半分をこの9章に前倒ししますので、この章はまだそこそこ続きます。

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