鬼轟(19)
*
「お前の要望通り、“釣り餌”としての娘は捕えた」
依然として淡々とザーザートに成果を告げる“亡者”メブカであったが、この時だけはほんの一瞬とは云え次の台詞までには間が生じた。
「……それに加えて、お前の同族と石の人形も合わせて我が手の内にある」
どうする、とまでは流石にメブカも訊いてはこなかった。そもそも上空に“鳥”を飛ばし目標であるファーラの居場所を探索するところから始まる全ての計画がザーザートの指示によるものであっただけに、メブカにとっては単に当初の想定外の結果に言及するかどうか迷ったという以上の意味は無かったのかもしれない。
「……」
ほんの半月程前のザーザートであったならば、“同族”を捕えたという報告を前に歓喜していたことだろう。同じ生体兵器の出自であるナナムゥを殺害しその亡骸と同化することで――ナナムゥ本人よりも、彼女の中に既に蓄積されたカカトの知識と経験則が目当てであるが――ザーザートの“力”は増力され、更に六旗手でもある彼女の“旗”をも掌中に収めることで、六本中の三本の“旗”持ちとなったザーザートの操る方術に抗し得る者はこの閉じた世界には存在しなくなるであろう。
少なくとも、カカトを謀殺しその屍と同化することを――回りくどい計画を立案してまで――ザーザートが最優先事項としていたのは事実である。同化によって己の“力”を増すことが理由であったとは云え、同化の際に伴う自分達の肉体の再構成にまだ一縷の望みを抱いてしまっている事を、ザーザートは我がことながら唾棄していた。
これまでも幾度か試みた結果、望み通りとはいかぬ不可逆の障害が決して解消されぬと思い知らされておきながらも尚、未練がましく淡い望みを抱いてしまう己自身に。
この密閉世界に生きる全ての者に死を与える――狂気の沙汰であるとは云え、ザーザートの行動の全てがその目的に帰結し、そして“復讐”として自らの手でそれを成し遂げる為に暗躍をしてきた。そうとは気取られぬよう、文字通り全てを仮面で隠して。
だが、その完遂が見えてきた今、ザーザートの胸に去来するのは痛烈な虚無感であった。
『復讐は虚しい』などという戯言に囚われた訳ではない。ティエンマ湖での浮遊城塞オーファス襲撃を皮切りに“亡者”メブカが前線に押し出て来たことによって、ザーザートの策は事実上不要となった。
策どころかその存在さえも。不滅の群体である“亡者”達の前に、あらゆる障害はその意味を成さなくなってしまったからである。
地下都市であるコバル公国公都最深部に秘匿された“奈落”の更に奥深く、漆黒の表面をグツグツと泡立てているだけであった“死霊”の集合体たる怨念に『目的』を与えた者こそ他ならぬザーザート本人ではあった。それがザーザートにとっては復讐の第一歩であったのだ。
死せるモノとして生命あるモノを引き裂いた後に己の内に取り込む――すなわち尽きぬ生への渇望に身悶えする“亡者”に自らの手で同族を増やす術を指し示したザーザートではあったが、それ故に逃げ場のない密封世界での生命の刈り取りを“亡者”に一任することはその時点で織り込み済ではあった。
同族にして『姉』であったティティルゥの仇討――すなわちクォーバル大公だけは自らの手で討ち果たすという明確にして絶対的な指標に専念するというのが理由であり、そこだけは例え“亡者”とは云え譲れはしない目的であった。
(それが今はどうだ……)
“奈落”から脱出した早々にクォーバル大公に復讐を果たして後、ザーザートが胸中でそう自嘲しだしたのはつい最近のことであった。初手で本懐を遂げた以上、後はメブカに対し全方位への“亡者”の行進を示唆することで『この世の全てのモノに自分と同じ苦悶と死を与える』という姉の望みは容易く達成できるであろう。
それを、妖精皇国に乗り込むまでは待てと制止し先延ばしをしてしまったのは、己の迷いの成せる業だということをザーザートも自覚していた。認める訳にはいかない話ではあるが。
『復讐』を大義名分にこの世界の全ての者を殺すという非道が許されることなのかと、後ろめたい気持ちはザーザートといえど皆無ではない。だが、今更の話である。何もかが。
不滅の存在に、一体誰が抗えるというのか。この完全に閉じた世界の中で、一体誰が逃れ得るというのか。それが唯一可能であった浮遊城塞も、今は地に墜ち“亡者”から逃れることは叶わない。
ザーザートに去来する虚無感は、この世界に死をもたらす『復讐』への後悔からではない。今更戸惑うこともない。
敢えて言うならば、『無念』であろうか。
彼自らによってではない、“亡者”の手によってこの世界は滅ぶのだ。既にザーザートという『復讐者』の存在の有無が無意味なまでに。この世界を取り巻く滅びの趨勢は決してしまっていた。
このまま単なる傍観者を気取るまでには、ザーザートは老獪でもなければ恥知らずでもなかったといえる。
(早く姿を表せ、アルス……!)
今やザーザートの苛立ちの矛先は全て、決別した真紅の少年へと向けられていた。
爆殺した筈の少年が生きているのではないかという疑念を抱いたのは、最初は紅童子などと云う胡乱な噂話が元でしかなかった。だがザーザートの中で嫌な予感は膨れ上がる一方であり、それはいつしか生存の確信へと入れ変わり、それを再び殺す事こそが己の存在意義として捉えてしまったのである。
ザーザート自身が、言わばその新たな“生き甲斐”と化したことを肯定することは決してないにしても。
天の意志なるものの存在をザーザートは認めない。だが紅童子の存在は、自分が成し遂げてきた全てが急激に萎え果てたザーザートにとってはまさに天の配剤に等しかった。
自分を弑逆し、この悪行を止めてくれなどと云う、殊勝な心では無論ない。
誅殺し損ねたアルスを己が目の前に再び引き摺りだし、そして今度こそ確実に始末せねばならない――ザーザートにとって、それは既に“けじめ”であった。
単なる八つ当たりなどではなく。
事実はどうあれ。
*
覚悟自体は決めていた。命を捧げる時が来たのだと、自分自身で納得していた、その想いに嘘は無い。
我と我が名に懸けて。
昏き地へと通ずる穴に自らの巨体を捻じ込ませ、すぐ眼前にナナムゥとファーラの姿を認めた時、私は躊躇うことなく粒体装甲を発動させていた。
“次に粒体装甲を使えば貴方は死ぬ”―― 脳裏の声なき声にそう警告されていたにも関わらず、私は少女二人を護る為にその結界を張ってしまった。
恥を忍んで告白せねばならない。
ナナムゥ達を護る為にこの身を犠牲にしても構わない!――などという英雄願望な気持ちに駆られた訳ではない。実のところ、次に粒体装甲を使えば死ぬという警告そのものが完全に頭の中から消え失せていた。しばらく間を置いてから、うっかりやらかしてしまったと我ながら呆れ果てたくらいである。
手の届く位置にナナムゥとファーラの姿が有り、咄嗟に装甲を発動して結界内に守護ってしまった。ただそれだけの迂闊な話である。
「キャリバー!」
私を中心に球状に展開された粒体装甲の結界の中で、ナナムゥは半ば呆れたような、そして咎めるような口振りで私の名を呼んだ。
さもありなんとも思うし、ナナムゥもまた同じ穴のムジナだとも思う。反射的に“亡者”の巣窟とでも言うべき穴の中に飛び込むなど、決して褒められた行為ではない。便宜上“地中”と呼んではいるが、下手をすれば即死してもおかしくはない状況である。ナナムゥにしては迂闊に過ぎた。
そこは理解していたのであろうか、ナナムゥはそのまま口を噤んだ。静寂と共に互いに気まずさのみが残った形となったが、そこに見かねた様にファーラが『ありがとう』の言葉をもって我々の気を引いた。
『ごめんなさい』ではなく『ありがとう』――その前向きな謝辞を前に、私はまず現在の得体の知れぬ状況に集中すべきだと気持ちを切り替える事ができた。言葉こそ交わせはしないが、目を合わせた頷き合ったナナムゥともその想いを共有できたという妙な確信も得た。
粒体装甲の結界内部で、ナナムゥとファーラの二人をまとめて私の両腕に抱き抱えた体勢である。それに加えてうっかり滑り落ちることの無いように、ナナムゥが手早く“糸”を張って簡易にではあるが自分達の体を私に結んでいた。
(地中…ではないのか?)
粒体装甲自体がそれなりに赤く発光している為、その球形の“力場”内部の私達は寄せ合った互いの顏を視認する程度のことは可能であった。だがそれは裏を返せば“力場”の外の様子は一切不鮮明だということでもあり、一旦は落ち着いたとは云えファーラですら粒体装甲の外部に身を乗り出し直にその目で確認するような愚行を控える程であった。
俗に言う、一般的な『地中』ではないことは視認できずとも既に明らかと言えた。“亡者”が出現する穴の中に引き摺り込まれたからには、その大元たる“怨念”の言わば肚の中といったところであろうか。単純に地中を溶かして出来た空間であれば、何がしかの岩や木の根にでも接触しそうなものではあるが、そのような気配は微塵も感じ取ることができなかった。わたしからすると、どちらかと言えばスキューバで海の中に浮遊している感じが一番近い気がした。
魔術か或いは妖術か、“亡者”の“力”によって形成された何らかの超常的な空間であることは間違いない。“異物”である私が上手いこと地上に弾き飛ばされるような幸運は元より望めないにしても、忌まわしいことに少しずつ沈みつつあるというじんわりとした感覚は次第に強いものになっていった。インドア派の私には想像もつかないが、水流によて海中の大穴に引き込まれる時がこういう感触であるのかもしれない。
(どうしたらいい……!?)
沈んでいるからと言って今の私に出来る事と云えば、粒体装甲を堅持してナナムゥとファーラを護り続けることくらいである。
もしこのまま沈み続けたとして、行き着く先が本当に“怨念”の“核”とでも呼ぶべき中枢であるとするならば、願ってもない自爆の好機ではある。だがまさか少女二人を道連れに自爆などしたくはない。する訳にはいかない。
このままではジリ貧であることは百も承知している。しかし今の私には一か八かレベルの解決策ですら思い浮かびはしなかった。
元々粒体装甲自体は六型機兵がこの世界の中心部である“黒い棺の丘”を走破する為に用意された“鎧”である。稼働時間に関してだけ言えば、今しばらくは保つ筈であった。後は私自身の命脈がどれだけ保つのか、そこに全てが懸かっていた。
次に使うと死ぬと警告されていた粒体装甲を私は――只々咄嗟に――発動させてしまった。それに対する後悔よりも何よりも、自分自身だけでなく二人の少女の命運を背負ってしまっているという重圧に私は今更ながらに恐れ慄いてしまっていたというのが正直なところであった。
それが故に、私は腕の中のナナムゥの様子がおかしいことに気付くのが幾分か遅れた。
「ナナムゥ、大丈夫?」
ファーラのその心配げな囁きが無ければ、私はナナムゥが小刻みに体を震わせている事にいつまでも気付けなかったことだろう。
「お主達、怖くはないのか……?」
絞り出すような、それがナナムゥの応えであった。静寂のみが支配するこの粒体装甲の結界の中で、徐々に響き始めたカチカチという硬い音は、紛れもなくナナムゥの歯の鳴る音であった。
ここまでナナムゥが怯えるというのは――感情をむき出しにするのは“奈落”の底で号泣された前例があったが――瘴気なり陰の気なりが増大していること、すなわち“亡者”の大元である“怨念”の中枢に近付きつつあるのだという推測をますます強める結果となった。
そして同時に、とある僅かな疑念が新たに脳裏を掠めた。“怨念”に引き寄せられる影響としてナナムゥがそこからの圧を本能として恐れる一方、私がこうして平静を保っていられるのは単に“怖れ”という感情を抑制されているからに過ぎない。でなければ、とっくに“怨念”の圧の前に醜く取り乱していた筈である。
六型機兵が怖れを抱かない事に関してはそれで説明が付く。だが――
「ヴ……」
私は腕の中のもう一人の少女に単眼を向けた。いまだ怖れの兆候の微塵も無いファーラ=ファタ=シルヴェストルに。
まるで私と同じく、始めから恐怖という感情を知らぬが如き少女に。
いつもポワンとしか形容しようのない微笑みを浮かべていた遠い異界の姫君は、今は必死に震えを抑えようとしているナナムゥの模擬の手の平を自分の両の手で優しく包み慰めの言葉をかけていた。
「大丈夫、大丈夫、『クルナルガンの逆落とし』よ」
言葉の意味こそ良く分らぬ――流石に脳裏の声なき声にその意味を訊ねようとも思わなかった――とは云え、フンスフンスと鼻息も荒く自信満々に告げるファーラ。おそらくはその励ましは、ナナムゥだけでなく私に対しても向けられたものであったのだろう。
「絶体絶命の危機だけど、そろそろ私の騎士が助けに来るから」
「騎士……?」
弱々しく聞き返すナナムゥに、ウンムと芝居がかった仕草でこれまた大きく頷き返すファーラ。そんなバカっぽい話し方もナナムゥを元気付ける為にわざとやっているんだとわたしも気が付いた。
しかし、なれば彼女の言う騎士とやらもナナムゥを勇気付ける為の虚言ではないのかと私が早合点するよりも早く、変わらぬドヤ顔のままでファーラは尚も言葉を紡いだ。
「私を護る銀騎士こそ今は居ないけど、その代わりがいるって前にも話したでしょう?」
「こんな大事な時に姿を晦ますような輩が信用できるのか……?」
まるで自らが亡者と化したかのような昏い表情を浮かべたファーラが、吐き捨てる様に呟く。ファーラの言う『代わりの騎士』が何者であるのかは、ナナムゥだけでなく私でも心当たりがあった。
「大丈夫」
ナナムゥの肩を優しく抱きながら、ファーラは一層誇らしげに頷いた。
「――ほら」
*
「本気で言っているのですか!?」
所長達に聴こえない様に声を潜めてはいたものの、バロウルは尚も懸命にコルテラーナに食い下がった。
「キャリバーを自爆させるなど!」
「……」
バロウルの必死の抵抗にコルテラーナが驚いた表情を一瞬とは云え浮かべたのは、眼前の褐色の巨女がここまで面と向かって自分に異を唱えること自体を予期していなかったからに他ならない。