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鬼轟(18)

 『せめて御身だけでも』という、モガミの懇願は理解できる。

 そして『この期に及んで私だけ逃げる訳にはいかない』という、所長の反論も同じように理解できる。

 シノバイド達が総出で確保したという、墜ちた浮遊城塞が寄り掛かる形となった丘陵に設けられた秘密の抜け道。その岩盤が剥き出しとなった間道を伝い、夜陰に乗じて逃げるという提案は、両者の押し問答めいた――とは云え、所長が声を荒げる様なことも無かった訳だが――言い合いとなり、結局のところ実行には移されなかった。要はモガミが退いたのである。

 私個人としてはモガミと同じく所長は城塞から退避すべきだとは思うが、所詮は“部外者”である以上、所長達のやりとりを黙って見守る他なかった。他の皆も、同じ気持ちで口を挟まなかったのだと思う。

 だがそれはそれとして実のところ、私にはより気に掛かる事象があったのも事実である。我ながら薄情な話ではあるが。

 そもそもモガミが現れるまで私達が注視していたのは所長ではなく、足下の大地に湧き出た“亡者”達にあった。その不気味な姿を誇示するだけでまったく動こうとしない“亡者”の群れこそが、私にとっても最大の関心事であることに変わりはない。

 だが、私達より少し隔たった位置に老先生を従えて立つコルテラーナの、感情の窺えないその何とも言えない近寄りがたい雰囲気が、私の中で妙な気掛かりとなってしまっていたのである。

 (――そうか!)

 ここに至って恥ずかしながらようやく私は、先程から心の片隅に蹲ったまま動かない“齟齬”の原因に思い当たった。コルテラーナの纏う空気が他ならぬ“疎外感”であるということにも。

 浮遊城塞を死守するという目的がなまじ一致していただけに、今の今まで見落としてしまっていた。

 私達にとって水晶球(ルフェリオン)の作業が終わる翌朝までは退けぬというのが理由であったが、そもそもこの閉じた世界(ガザル=イギス)の結界を自らの手で破壊するというのはガルアルス達による――降って湧いた荒唐無稽な――立案であった。つまりは――非業の死を遂げたという認識であったので仕方が無いのだが――コルテラーナの了承を全く得ていないということになる。そればかりかコルテラーナ達が浮遊城塞に帰還を遂げた今ですら、この切羽詰まった状況において碌な説明もできていない可能性も非情に高い。

 ましてやと、私の脳裏を悲観が占める。例え今この場で事情を説明できたとしても、果たしてコルテラーナ達は理解を示してくれるのであろうかと。この世界を“固定”した上で真紅の少年の“力”で結界を砕くという、酔っぱらいの戯言のような現実味の無い計画を。

 だが、城塞を取り巻く戦況はそれ以上の葛藤を私に許してはくれなかった。私達の頭上でただこちらの様子を窺うことに専念しているかのように旋回していた“鳥”が、いきなりその挙動を変えたのである。“鳥”は放たれた矢のように次々と私達の直近まで急降下してくると、揃ってVの字の型の軌跡を描いて再び天へと急上昇した。

 何か攻撃を仕掛けて来る訳ではなく、さりとて無駄にこちらを嬲って楽しんでいる挙動でもない。まるで何かの機械の一部のような一律な動きは、私達にとっては却って不気味なものとして映った。

 ただ一つだけ確信に近いものがあったとすれば、この“鳥”の動きはあくまで先触れでしかなく、遂に“亡者”の行軍が始まるのだという予感であっただろう。私だけではなく、皆の胸中に等しい予感として。

 「っ!」

 電光石化の速さでモガミとミィアーの手から放たれた投げ苦無であったが、“鳥”に対してはさしたる効力を発揮しなかった。直撃こそしたものの、まるで“鳥”の全てが液体で構成されているかのように苦無はその黒い体を貫通するに留まった。

 かつて所長の“館”において“鳥”が私達の眼前から“旗”を奪って逃げ去った時とまったく同じ現象であった。尤もその前例によりある程度は予期していた為か、あの時とは異なりミィアーは今度は『ずるい』とは愚痴らなかった。

 「ヴ……!」

 責務を果たす時が来たのだと、私は悟った。

 今、足下の改四型機兵が大槍を手に横一列に突貫したとしてもどれ程の戦果があるのだろうかと私は訝しむだけである。生身の公国軍の軍勢を跳ね飛ばし蹂躙することは可能であろうが、最前列に出現した“亡者”の群れに阻まれてそこまで辿り着けるかどうかがまず怪しい。

 肉も骨も持たぬ漆黒の“亡者”の幽体を例え改四型の大槍が貫き通すことが出来たとして、更に勢いに任せその背後の公国軍の軍勢と陣地を薙ぎ倒し潰走せしめたとして、所詮は虚しい抵抗に過ぎないのではないのかと私は戦慄する。

 “亡者”の群れだけは新たに地の底より無尽蔵に湧き出て来て、私達の前に立ちはだかるのではないか。何をしても“亡者”は依然としてここにありつづけるのではないか。

 現に“鳥”に対し、シノバイドの投擲が実質無力であるのがその何よりの証であった。

 だがと、物は考えようだと私は己を鼓舞する。無理やりにでも。

 私達に対する先陣として一度にこの数の“亡者”の群れが顕現したというのは確かにこの上なく絶望的な危機である。だが、裏を返せばそれだけの数の“亡者”の顕現を可能とするだけの存在(モノ)――ナナムゥの受け売りではあるがすなわち“怨念”の集合体である『核』とでも呼ぶべきモノ――が私達の足下に近い地の底に潜んでいるのではないのかと私は推測していた。限りなく希望的観測に近いのではないのかと内心秘かに怖れを抱きはしたものの。

 それが『メブカ』そのものと等しい存在であるのかまでは分からない。だがもしもこの推察が思い違いでないならば、そして例え儚くとも決死の抵抗により何とかソレを表舞台に引き摺り出すことさえ出来たなら、粒体装甲を展開させその『核』に肉薄し自爆に巻き込むことも可能なのではあるまいか。

 否、それはコルテラーナに対する最期の奉公として、是が非でも成し遂げるべきことであるのだろうと。

 できるできないではなく、何としてもやらねばならない。それが私の覚悟であった。

 掛け値なしの『粉骨砕身』として……。


        *


 「間違いないか?」

 悪目立ちせぬよう外観に特に差の無い公国軍の幕屋の内の一つで、ザーザートは対面ではあるが肩口から上だけを地表に露出させているメブカに対して改めてそう念を押した。

 「間違いない。見つけた」

 抑揚の無い声で端的に応じたメブカはそれ以上言葉を紡ぐことも無く、ただ両の瞳を更に大きく見開いた。浮遊城塞の上空を旋回する“鳥”の視界は、全てメブカの視界と同期していたのである。

 “鳥”そのものは厳密には“亡者”ではない。その身体を構成しているモノは“亡者”と同じく“怨念”の一部を媒介としたものであったが、“鳥”に関してはそこに更なる妖術が介在していた。“亡者”が――程度の差こそあれ――残滓とは云え意思めいたものがあるのに対し、“鳥”に関しては外部からの“操作”を必要とする、完全に意思無き仮初めの存在であった。

 しかし“怨念”の一部を切り出し自らの“使い魔”とするまでの“力”を持った妖術師は、かつての“旗手”の一人でありながらも名前どころかその存在の痕跡そのものが失われてしまっていた。

 その妖術師もまた結局は怨讐の果てに命を落とし、その身に刻んだ妖術諸共に“怨念”の一部と化して久しい。

 無論そのような“鳥”の成り立ちは、メブカに“目的”を与えたザーザートと云えども知るところではない。一部と化して久しいどころか、それが悠久に近い過去の出来事であるということも。

 何れにせよ、“亡者”メブカにはそんな何も知らぬに等しいザーザートを秘かに見下しほくそ笑む様な感情は持っていない。

 「アルスはまだ姿を隠したままか」

 「気配すら無い」

 これで幾度目の確認であろうか。半ば病的なまでにアルスの姿を問うザーザートに対し、今度も又メブカは淡々と同じ答えを繰り返した。あまりにも喋り方に抑揚が無いことも相まって、それがより一層メブカが人外の存在であることを際立たせていた。

 実際のところ、地の底より湧き出した“亡者”がその場に無為に留まっているのは、ザーザートの意向に他ならなかった。まずは浮遊城塞に対し“亡者”という圧をかけ続ける事で、姿の見えない“目標”をこの場に引き摺り出すことを目論んだのである。

 だが真紅の少年(ガルアルス)は姿を現さず、代わりにそれに連なるもう一つの目標を“鳥”を介して確認できた今、遂にザーザートは“亡者”に対して始めて新たな指示を与えた。

 「捕えろ、メブカ!」

 「一人だけでよいか?」

 「いらぬよ」

 こちらも同様に始めて質問を返すメブカに対し、ザーザートは仮面の下で下卑た笑みを浮かべてみせた。


 「アルスへの伝令役は残しておかねばな」


        *


 私の予測は、悪い事ばかり的中してしまう。

 老先生の号令による先制の改四型機兵の突撃は何の成果も得られなかった。それも私が予想していたような、不滅の“亡者”の群れの前にその大槍は効力を発揮できなかったという訳でもない。現実はそれよりも尚更に苛烈であり、我々は“亡者”に対する己の無力さを改めて嫌という程思い知らされることになった。

 私達と“亡者”の群れの間を隔てている地表に、黒い“染み”が加速度的に広がった。そこから突如として伸びた幾つもの黒く太い“触手”が、地表スレスレをホバー移動めいて駆けようとした改四型機兵に巻き付き、叩き落とし、そして地に引き摺り込んだ。

 かくの如くあっさりと撃退された改四型機兵であったが、その全てが完全に地中に呑まれた訳ではなかった。人間の胴体程の太さの闇の“触手”に締め上げられつつも、ある機体(もの)は半身だけを地表に残し、またある機体(もの)はまるで何か神聖なものへの供物であるかのように“触手”に貫かれた機体を中空に晒していた。

 まるで不可思議な絵画(シュルレアリスム)を目の当たりにしたような、音ばかりか時間すらも静止した絶望に満ちた空間。それはあまりにも不条理でそれでいて馬鹿馬鹿しく、それ故にどこか壮大な記念碑(モニュメント)を想起すらさせたのである。

 手札の内の唯一の切り札を一瞬で失った我々に対する、あたかも墓標であるかのように。

 それは私だけでなく、この場に居合わせた全員に共通の認識であったのだろう。いまだ動かぬ――我々相手に動く必要すら無いのは事実であった――“亡者”の群れに加勢するように、それまで僅かな気配しかなかった後方の陣幕からコバル公国軍がようやく姿を現したのである。

 武装した軍隊として場に出て来たからには、私達と“亡者”とに対する漁夫の利狙いであることは明らかであった。“亡者”が自分達に害をなす存在ではないと吹聴されたのであろうが、それでも“亡者”の後方にあからさまな距離を置き、今はまだ全ての決着が付くまでの様子見に徹するようであった。

 地を割って出現する“亡者”メブカの前に、空から墜ち着底した浮遊城塞が丸裸に等しい事は、前回の襲撃の際にコルテラーナの死をもって思い知らされた事であった。それに少しでも抗する為にモガミ達シノバイドは元から建つ城塞内の建造物を支柱代わりにナナムゥの“糸”や足場を張り巡らし、中空にテラス状の待機場所を造り上げていた。

 確かにその待機場所では地中からの不意打ちを防げはするが、それでも足場となる建造物自体が地に引き摺り込まれると結局は同じ事になる。所詮は気休めレベルに過ぎない対処法ということであり、そしてそれはこの場に居る全員の知恵を合わせても“亡者”に対する具体的な対抗策を生み出すことが出来なかったということでもあった。

 (何かないのか、何か――)

 今更ながらに焦る私が咄嗟に単眼を向けたのが、予想外の復活を遂げたコルテラーナではなく――状況を把握できていないのか――妙にのほほんとしたファーラの方であったのは、先の第一次防衛戦とでも言うべきティエンマ湖での前例が頭をよぎった為であるのだろう。

 ファーラと水晶球(ルフェリオン)が湖面に呼び出した純白の巨神が、擱座した浮遊城塞を逃がす為に魔法による――としか形容できぬ――水の“腕”によって持ち上げてみせた。まるで神話の中の一節のようなあの雄姿が、いまだに私の脳裏に焼き付いていたのである。例え一瞥しかできなかった刹那の光景であったとしても。

 記録として残している今にして思えば、巨神の中枢である水晶球(ルフェリオン)がこの場に不在である以上、その召喚自体が行える筈も無いことが分かる。ましてこの世界を“固定”するという途方もない作業に専念している最中に、巨神を招来するリソースを割く余裕などある筈も無い。

 だが、そこまで理解していても尚この浮遊城塞を再び巨神の手で空に逃す以外に、私は“亡者”の蹂躙を防ぐ為の手立てを思いつかなかった。

 他力本願の恥知らず。巨体(デカい)だけの役立たず。

 どのように罵られても仕方がない。どのように嗤われようとも構わない。例え無理な話でも、それでもただ一縷の望みが欲しかった。

 そんな惨めな私の単眼に不意に飛び込んできた光景があった。浮遊城塞(わがや)の敷地を黒く浸食した“闇”の中に、悲鳴を上げる間も無く引き摺り込まれるファーラの衝撃的な姿が。

 何故にファーラがという疑問が真っ先に脳裏を掠めたが、それが故意か偶然かの考証にまで思考を割く時間など無かった。おそらくはまだ尚『お目付け役』としてファーラの体に“糸”を繋いでいたことが災いしたのだろう、数珠繋ぎの形となってナナムゥまでもがその“闇”の穴の中にあっという間に呑まれて消えた。

 「――ヴ!」

 あまりにも突然の出来事であり、ファーラに繋いだ“糸”を切り離す暇すら無かったのか、或いはナナムゥは敢えてそれをしなかったのか。いずれにせよ、今問うべき問題ではなかった。

 バロウルが私の名を――何故か――絶叫めいて呼び止めていたような気もする。だがその時には私は既に、ナナムゥの後を追って閉じかけた昏い“穴”の中に強引にこの身をねじ込んでいた。

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