鬼轟(17)
死んだ筈のコルテラーナが姿を現したにも関わらず、誰一人としてそれに驚愕した様子を見せなかったことからも、私を迎えに工廠に訪れる前の段階で既に、彼女が他の面々の前に姿を現し健在であることを示したことは疑いようもなかった。
あの時に“亡者”メブカによって確かに生命を奪われた筈――それも躰を両断されるという惨たらしい死に様――のコルテラーナが何故に五体満足で無事にこの場に立っているのか、それを問い質したい気持ちは皆同じであったのだろうとは思う。だが誰も――ナナムゥやファーラですら――それをしなかったのは眼前まで迫った危機の為にそれどころではないと自重したのだろうと、目覚めたばかりの私は勝手に全てを理解した気になっていた。
何故私はそこまで考えが及ばなかったのだろう。目の前の公国軍など元から要因ではなかったということに。
この場に居る全員にとって、コルテラーナが生き延びた事に対する疑念よりも、彼女が目の前に現れたことに対する賛美の念が遥かに勝っていたからだということに。
私自身がそうであったように。
ナナムゥやファーラと共に居た自分が倒れ伏したのは昼に達する前だという記憶があったが、その時分に私の頭上にあった太陽は今はすっかり傾きを終えてしまっていた。要は夕暮れや日没というだけの話ではあるのだが、そこから逆算して私が昏倒してしまっていたのは4、5時間といったところであろうか。長いのか短いのか判断に困るところではあるが、欲を言えば自分が昏倒している間に数日が経過し、意識を取り戻した暁にはこの世界を封じる結界がめでたく破壊済みで全てが大団円――と云うのが望ましい最良の展開ではあった。
だがそれが儚い望みでしかないことは、ここに来るまでの道すがらコルテラーナから聞かされていた。そしてこの場にガルアルスの真紅の姿が周囲に見受けられない以上、一縷の望みである真紅の少年が――惑星をも砕くという水晶球の言を信じればではあるが――いまだこの浮遊城塞に帰還を遂げていないことも自ずと明らかであった。
「ヴ……!」
私は陰鬱な気持ちで己が単眼の望遠機能を用いて『あちら側』に目を向けた。
おおよそ1キロかはたまた2キロも先か、浮遊城塞から住人を退避させる為に整備した支道を塞ぐ形で、我々が来襲を危惧していたコバル公国軍の姿はあった。既に布陣をも終えているその構成人数は定かではないが、よりにもよって商都ナーガスで新たに募兵に応じた者も少なくないというシノバイドの情報が確かなものであるのなら、下手をすると千人の大台を遥かに上回っていることも有り得るのではないかと、そんな悪寒すらあった。
望遠機能を用いつつも今一つはっきりとした人数を私が観測できないのは、先に述べたように既に公国軍が野営の為の陣を張り終えているという一点にある。まるで花見の場所取りの様に天幕が支道を塞ぎ乱立している光景も、城塞に籠る私達に対する強固な圧迫感を与える目的であろうことは疑いようもなかった。
だがその目的そのものは理解できるとは云え、幾ら肉薄までは程遠いにしても、申し訳程度の防護柵を前面に立てたのみで我々の目前に密集して野営の為に布陣するという行為は到底正気の沙汰とは思えなかった。
「馬鹿にしおって……!」
誰もが同じ思いを抱いてはいたのだろう。だが、相手の挑発に応じてしまうというのは承知の上で、その憤懣やるかた無い気持ちを一番面に出し、そして今また声にまで出したのはナナムゥであった。
『海が見たい』――その念願を果たす為に、閉じた世界の位相を固定しガルアルスが結界を破壊するその瞬間を後はただ待つだけであったが故に、いざコバル公国軍の陣営を目の当たりにした時の怒りは他者を遥かに上回るものであったのだろう。
「望み通り蹴散らしてくれるわ!」
まるで悪役のような悪態をついたナナムゥの視線は、擱座した浮遊城塞前の空き地に向けられた。釣られてその目線を追った私であったが、城塞の縁とでも呼ぶべきその空き地に何かが配置されている事にようやく気付いた。
横一列に並んだ改四型機兵の一隊。その数は30機といったところであり、それが浮遊城塞で稼働している改四型のほぼ全てであることは私にも見当がついた。
脚部の無い伏せたお椀型の下腹部と、長大な槍を携えた彼等改四型機兵は、まるで発射寸前のミサイル群のようにその槍の穂先を公国軍の陣営に向けて、後は号令の時を待つだけといった如何にもな威容を誇っているようであった。
(いざとなれば……!)
先程工廠で聞かされた限り、コルテラーナはこの浮遊城塞――より正確には工廠施設を堅守する心積もりであることは確かであった。我が導き手の願いがそれである以上、コバル公国軍との全面衝突は不可避であると覚悟を決める必要があった。
『多勢に無勢』という誰もが知る言葉がある。援軍の当てが無い籠城戦には意味が無いと、ものの本で読んだ憶えもある。その意味でも我々の置かれた状況は正に典型的な窮地であると言えるだろう。それも、水晶球の作業の終わる明日の朝まで。
とは云え、冷静に考えてみればバッドエンドの物語の如く一人ずつ揉み潰されていく絶望的な状況ともまた異なる。
公国軍が予想外に膨れ上がったとは云え、それでも流石に地を覆うまでの大軍には程遠い。加えて浮遊城塞側にはナナムゥとミィアーの二人の“旗手”に加えて忍群と、そして政治的に前面に押し出す訳にはいかないにしても後詰の妖精機士団もいる。早々に後れをとるような面子でないことも確かであった。
下手をすればナナムゥの啖呵の如く、改四型機兵の突撃だけで追い散らせるのではないかという、淡い期待すら抱けた。
(それに……)
コルテラーナが周囲にいまだ秘して語らぬ、何よりの“切り札”があることを私は知っていた。老先生と、そしてバロウルもまたその秘策を共有していた。
『――貴方の命を私にください』
それが、先程工廠で移動図書館長コルテラーナ直々の願いであった。
私の命を捧げる――それ自体は改まって請われる程の願いではない。私の全ては彼女の為に有るのだから。だがコルテラーナが次に口にした具体的な願いは、私の――すなわち六型機兵の存在意義を破棄する類のものであった。
相手の懐深くに切り込んでの自爆。
“黒い棺の丘”を覆う“闇”の最深部、そこまでの道筋を開きその心臓部で自爆することを目的――おそらくは――として生かされていたであろう私への、それがコルテラーナの新たにして最後の願いであった。
普段は城塞の中を野放しにされてきた以上、私の機体に搭載されているのは機密保持の為に私自身を破壊する程度の“爆薬”だろうと予測していた。不慮の事故を見越し、周囲を更地に変える規模ではないのだろうと。
だが今は違う。コルテラーナの指示によりバロウルが私の胸部の格納スペースに積み込んだ新たなる“爆薬”。外観は魔晶に近い正方形に切り出されたソレは、粒体装甲により敵陣深くに切り込んだ私が、周辺諸共自爆し更地に変えるに充分な威力を有しているに違いなかった。作業中のバロウルの震えから、私はそう読み取った。
それは私の想定された本来の運用通りの最期だとも言える。それを果たす場所がこの世界の中心部か否かの相違でしかない。
カカトを殺したという方術士ザーザート。そして、コルテラーナを両断した“亡者”メブカ。大金星とも云える両者が目の前の公国軍の陣営の中に潜んでいるかどうかまでは定かではない。もし居たとしても、彼等にまで私の自爆特攻に首尾よく巻き込めるのかというと、正直に言えば自信は無い。
尤も、死に時に望みそこまで釣果のえり好みの許される状況ではないことだけは確かではあったが。
『次に粒体装甲を使えば貴方は死ぬ』――
コルテラーナによって現世に意識を引き戻される前に、私の脳裏で言い渡された声なき声の警告。もし私がいよいよコバル公国の陣営に突貫する時が来たとして、命尽きる前に中心部に辿り着き自爆できることを心から願う。
「来たぞ!」
ナナムゥの鋭い声が私を我に返す。
「――ヴ?」
私がナナムゥの言葉を聞き違えたかと一瞬訝しんでしまったのは、公国軍の陣地に別段大きな変化が生じたようには視えなかった為である。何がしかの鬨の声が上がるような事も無かったのは勿論、望遠した視界のどこにも兵が出て来て隊列を組み始める気配すら皆無であった。
それも道理、ナナムゥが指し示したのは眼前のコバル公国軍ではなく私達の頭上であったのである。
まるで禿鷹の群れか何かのように、私達の頭上で輪を描き飛んでいる幾つもの黒い影。しかも『黒い影』という表現は比喩でも何でもなく、夕暮れに半ば溶け込んだその“鳥”の体表は羽毛ではなく黒い革の皮膚から成っていた。鳥を模した姿でありながらも羽ばたきもせずにただ弧を描いて上空を滑空するその様相は、正に化生のモノとしか呼びようが無かった。
単眼の望遠機能で“鳥”の細部をそう確認した――視界に遅延をかけなくともそこまで確認できたということは、それだけ“鳥”の飛行速度そのものはゆっくりしていたということでもある。まるで私達を品定めしているかのように――私には確かな既視感があり、それを思い出すのにも時間はかからなかった。所長の“館”を襲ったティティルゥの遺児達を撃退した時に残した“旗”、それを横合いから掻っ攫っていったモノこそが頭上の“鳥”と同一の存在であることは明らかであった。
それだけではない。
新たに驚嘆とも呻きともつかない短い声を漏らしたのが誰であったのか、それを訝しむ余裕すら私達は奪われてしまった。その声に再び頭上から公国軍の陣営に視線を転じた私達は、更なる絶望的な光景を目にすることになった。
陽も隠れた夕闇の大地が、まるで水面にでも化したかのように波打った。それはいつから大地ではなくなっていたのだろうか。断じて錯覚などではない。地を覆っていたその黒き水面が次々と盛り上がり、コールタールのような雫を表面に垂らしながら続々と人の似姿を形作った。
「“亡者”……!」
一瞬呆気にとられた表情を浮かべたナナムゥが、すぐに怪魔をギリリと睨みつけ苦い声を吐き出す。
改めて足下に対し望遠機能を発動させるまでもなかった。無垢たる――と願いたい――白き“幽霊”とは対照的な、漆黒の人獣の如き“亡者”。今更念を押すまでもなく、“亡者”メブカの眷属である。
それまで何の反応も見せなかった公国軍の陣営もまた、始めて変化が生じたような気配があった。
“亡者”の群れの出現に私達は戦慄したが、同じように公国軍もまたざわついている気配が――幕屋を通してではあるが――確かに生じているように感じられた。無論、あからさまな怒号や悲鳴が上がっている訳ではなく、陣を崩して逃亡する者など見受けられる筈も無い。それでも統制を崩すことの無いよう叱咤と共に取り繕っている様子だけは辛うじて窺えた。
だが、逆に言えばそれだけであった。公国軍に生じた僅かな動揺もすぐに収まる。だからと言って“亡者”の群れを思いもよらぬ援軍の登場だと新たに歓声を上げる訳でもなく、ただただ沈黙だけが最終的に周囲を覆った。
公国軍の沈黙は、我々にとっては好ましくない傾向であった。眼前の“亡者”が公国軍に敵対するものではないことを絶対の確信をもって全軍に通達できる者がいる。それはすなわち“亡者”を地の底より招来した張本人がこの場に居るという事を意味していた。
仮にそうではないとしても既に軍の指揮官勢に遺児達を憑り付かせることで公国軍の兵士達を事実上掌中に収めているという、より最悪な可能性すらあった。
かつてバロウルにそうしたように。
まずい事になったと、馬鹿正直に口に出す者はいなかった。日没を迎え周囲が夜の闇に包まれる以上、仮にも包囲している側が大挙して攻め寄せる愚は犯さないであろうと、私も含め誰もが心の中で期待していた節は有った。同士討ちや罠にかかる危険性が跳ね上がる為である。
だが寄せ手が“亡者”であるならば話はまったくの別物となる。地に潜り闇に溶け込む“亡者”にとって、浮遊城塞の狭い通路も、陽の落ちた視界の昏さも、全てが彼等にとっては自らを利するものであった。
撤退すべきだとの思いが脳裏を掠めなかったかと言えば嘘になる。それと同時に、拭い切れない重大な齟齬の予感が私の意識の端を掠める。それが何に起因するものであるかにまでは思い至らぬまでも。
だが、ゆるゆると回転する水晶球が進めているこの世界を“固定”すると云う雲を掴むような工程が、途中で中断して後から再開可能な都合の良いものだとも到底思えなかった。一旦世界の“固定”を放棄して水晶球と共に退却を図ったとして、また最初からやり直しで済めば良い方で、中途半端に“固定”化を推し進めたことでこの世界そのものに悪影響を与える可能勢も充分に有り得るのが何よりも恐ろしかった。
結局の所、私達はここを死守するしかないということになる。水晶球の作業が終わる――であろう――明日の夜明けまで。それがコルテラーナの望みでもあるのだから。
(せめてガルアルスがいてくれれば……)
一人だけ――たった独りだけ平素と変わらぬのほほんとした表情を浮かべているファーラを横目で見ながら、僅かにでも恨みがましい思いを抱いてしまったのは、男として恥ずべきことだとは理解している。理解はしているが、掛け値なしの正直な苛立ちではあった。
「所長、やはり話し合いなど夢のまた夢じゃろう、こうなれば」
ナナムゥの言葉は意外と淡々とした声色であったが、その瞳に湛えられていたのは強い憤りの色であった。“奈落”の底で“幽霊”達に囲まれた過ごした日々により、ある意味その悪しき成れの果てである“亡者”の群れに対し彼女になりに格段に思うところもあったのだろう。
「……」
片や所長は憂いの念をその貌に残したまま無言を保った。或いはナナムゥに対しての何かしらの折衷案を考えていたのかもしれないが、それが所長の口にから発せられることは遂に無かった。それまで姿の見えなかったモガミが、彼女を迎えに現れたからである。