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鬼轟(16)

        *


 「首尾はどうかね、バーハラ君」

 移動図書館の謁見の間で、六旗手の一人でもある“司書長”ガザル=シークエは、正面に直立の姿勢で言葉を待つ“司書”バーハラに対し、高座に座したまま鷹揚に尋ねた。

 「御命令の通り、頭部の通信装置を介して停止指示を与えました。現在も継続中です」

 そう説明を続けるバーハラではあったが、その口振り如何にも歯切れの悪いものであった。

 「本当によろしかったのですか、司書長?あの御方の許可も取らず――」

 「……」

  それまで軽く頬杖を付いた姿勢で黙って耳を傾けていたガザル=シークエであったが、始めてスイと右手を胸の前まで掲げた。

 発言を遮られた形となったバーハラは不安気な面持ちのまま、司書長の次なる言葉を待った。

 「館長には、後で私から詫びを入れておこう」

 再び頬杖を突きながら、ガザル=シークエが平然と宣う。小さな丸眼鏡の奥から覗く彼の切れ長の瞳には、バーハラの反論を許さぬ強い意思の輝きがあった。

 「……承知しました」

 バーハラは辛うじてそれだけを口にすると、次いで右腕を高々と斜め上に掲げ恭順の意を示して見せた。

 「記録こそが全て(イルバ・シークエ)!!」

 たった二人だけの謁見の間に、バーハラの号令だけが虚しく響く。まるで逃げる様に踵を返し謁見の間から退出しようとするバーハラを、ガザル=シークエはその鷹揚な口調で不意に呼び止めた。

 「納得していないようだね、バーハラ君」

 「いえ、決してそのような……!」

 心の中を見透かされ動揺を隠し切れないバーハラであったが、その態度そのものに対するガザル=シークエの言及は皆無であった。

 その代わりという訳でもあるまいが、ガザル=シークエは優美さを崩すことなくゆっくりと立ち上がると、高座からバーハラを見下ろした。その双眸が今はどのような感情を秘めているのかは、丸眼鏡のレンズの反射光に遮られバーハラの側からは窺うことが叶わなかった。

 「試製六型機兵(あれ)は――」

 丸眼鏡の中央(ブリッジ)を中指の腹でクイと持ち上げながら、司書長ガザル=シークエは改まってバーハラに告げた。

 「正気を保ったまま運用可能な初めての六型機兵だ。わざわざ現世の小競り合いに立ち会わせ、喪失する危険を冒す必要もない。今は強制を停止させ、突発的な事故を避けるが上策だろう」

 「ですが――」

 先程は迷いが失せた体を装っておきながら、バーハラは遂に己の内から去らぬ懸念を口にしてしまった。

 「館長の手に掛かれば強制停止など容易に解除されます。私達が行ったのは単に館長への『嫌がらせ』に過ぎないのではありませんか?」

 「ふむ」

 バーハラの本音を前に、ガザル=シークエは初めてその迷いに得心がいったという表情を浮かべた。

 「マガイモノに過ぎない我々が、それでも己の意思にて動く。それを虚しい足掻きだと嗤うかね、バーハラ君」

 高座より見下ろしたバーハラを諭すガザル=シークエの口調であったが、その言葉は既に彼女のみに向けられたものではなかった。

 己自身か、或いは哀れな試製六型機兵(キャリバー)か、それともマガイモノの想像主に対してか。


 「例えその機能が停止する直前とは云え、当人の意志を上塗りしてまで使い潰す事を是と認めたくないのだよ、私は」


        *


 「どぉしたものかにょー」

 ほぼ全てが妖精皇国に――より正確には浮遊城塞にではあるが――向かったコバル公国軍ではあるが、カアコームはその中でも行軍に置いていかれた側であった。

 商都陥落の切り札として秘匿し期待されていた――あくまでザーザートの弁なので本当のところは知れたものではないとカアコーム自身は冷ややかな思いではあったのだが――カアコーム砲台が商都の手の者の自爆によって破壊された以上、行軍に混じったところで仕方がないという判断である。

 こんなこともあろうかとの精神で予備の砲身を始めとした一式を、砲台陣地より更に奥の別の場所に隠してあったので、数日の内に砲台を形だけでも組み上げることだけならば可能であった。

 だがそれを悠長に待ってはいられないということで――表沙汰とはならないザーザートの意向で――カアコームは捨て置かれたという次第である。高い防壁が立ちはだかる商都攻略とは異なり、妖精皇国相手に長距離砲は必要ないと判断された――すなわち商都の調略が済んだ時点で用済みとみなされたのだろうということもカアコーム自身は承知していた。

 尤もカアコームの方もまた既に、今回の従軍の中で果たすべき“義理”は果たし終えたと認識していた。そもそも外部からの資金援助が無ければ如何とも進み難い大型砲の研究であったが、現在の支援者であるザーザートにこれ以上組したところで、本来の『この世界を覆う“天”の最も高い処に着弾させる』という目的を達成できるとは思われなかった事もある。

 元々がそのような腹積もりもあった為に、もし仮にザーザートから身一つででも行軍への同行を求められたとしても、カアコームは適当な理由をでっち上げてでもこの砲台跡に残留するつもりではあった。

 頭数こそ少ないが曲者揃いの技術者と職人達相手に長距離砲修復の目先の指示を出し終えたカアコームであったが、その後はと云うとしきりに手にした望遠鏡で商都の方を覗いていた。計画通り商都近くに残留したはいいものの、その手勢の少なさ故に今すぐにでも商都の守備兵に攻め寄せられるのではないかという懸念が依然としてあった為である。

 大公の名代としてのザーザートによれば、商都の会合衆とは完全に話が付いている事、妖精皇国への進軍の際にはその商都の兵団からもかなりの人数を同行させる見通しである事、そして何よりも今回の行軍の総指揮官となったオズナ・ケーンも同様にこの場に残していくとの旨を告げられてはいた。

 わざわざザーザート自らが説明の為にカアコームの許を訪れたということは――カアコーム本人は自覚には至っていなかったが――珍しくもその程度にはザーザートが、砲術しか知らぬ奇才を気に掛けていたと云う証左でもある。その妙な同族意識とでもいう感情を、おそらくはザーザート本人も上手くは理解も説明もできはしないであろう。

 むしろもしそのような気遣いの心が残っていることを他者から指摘されるような事態にでもなれば、ザーザートがそれを激しく否定していたことは間違いない。

 そして片や気を遣われた側のカアコームの方はと云えば、仮面のように――実際に遺児達(ラファン)による仮面ではあるのだが――表情の変わらぬ彼の冷え冷えとした態度に対し、奇人と蔑まれ距離を置かれる自分のソレとはまた違う、全てを拒絶する“壁”とでも呼ぶべきものを確かに感じ取っていた。

 加えて、さぞや生きにくかろうと。

 故に置き去りにされたこと自体については、カアコームは裏切られた、或いは見捨てられたなどと恨むような気には不思議となれなかった。その意味でカアコームの方も何らかの共感めいた思いを抱いていたのは確かである。

 「……ぬん?」

 カアコームの望遠鏡を操る手がピタと止まったのは、街道を駆ける新たな一つの影を認めたが故であった。

 供の者も付けずに一騎駆けするその馬上の小太りした人物が、同じようにこの場に残された筈のオズナ・ケーンであることをカアコームはすぐに見抜いた。

 単なる見間違いではない自信もカアコームにはあった。過去に、まだ稀少品の部類である公国の蔵書を収めた資料室で彼が様々な資料を片っ端から漁っている際に、オズナとはよく居合わせる機会があった。そこから親しく言葉を交わすまでの仲にはならなかったが、カアコームにとってオズナといえば内向的な青年であり、到底一騎駆などするような人物とは思いもしていなかった。

 (いやはや、はやはや……)

 まだ夕暮れまでには程遠い街道上で、尚且つ先を行くコバル公国軍が街道沿いに潜む脅威を追い散らす形となっているだけに、後を追うオズナが単騎であろうとそこまでの危険に見舞われることはないであろうとはカアコームにも予測できた。

 あっという間に望遠鏡の視界の届かぬ彼方まで駆け抜けて行ったオズナの後塵を、何故かカアコームは未練がましく、そして羨ましく追ってしまった。

 迷いの無い、その残影を。

 「さてと…どうしたもんかにょう……」

 ようやく望遠鏡を掲げた手を降ろしたカアコームは、外套の内ポケットに筒を縮めた望遠鏡を収めると、高台から踵を返して修復の始まった砲台に向かって歩み始めた。

 彼自身の“戦場”へと。


 そして一方、馬上のオズナは先を行く公国軍――すなわちザーザートに追い付くべく愛馬を急がせていた。

 ザーザートの進言のままに――自分なりに葛藤したつもりではあったが――浮遊城塞に対する私掠を黙認することを決め、更にはその私掠の場に立ち会うと行く行くは咎められようというザーザートの助言により浮遊城塞までの行軍には加わらず、後から出発して妖精皇国に達するまでに合流する手筈も決めていた。そこに疑問は挟まないつもりであった。

 だが全てが予め用意されていたその取り決めをオズナが見直す気になったのは、自分が公国の代表になったという責任感によるところが大きい。確かにザーザートが言うように自分が浮遊城塞に居合わせれば『黙認』の意味がなくなることは流石に頭では理解できてはいた。だが逃げずにそれを見届け罪を罪と受け止める事こそが、一旦は黙認を決め込んだ自分の果たすべき責任であると思い直したのである。

 そして彼が浮遊城塞を目指した理由が他にもう一つあった。それは確たる言葉にすることすらできない、胸の中に生じた何かもやもやとした曖昧模糊な予感でしかなかったのではあるが。要は『虫の知らせ』というやつである。

 オズナは知らない。自分が感じたその漠然とした予感こそが、ザーザートを悩ませ彼を浮遊城塞に向かわせることとなった大きな原動力の一つであるということを。


        *


 ――バチン!


 音にして表すとそうであったように思う。耳元で目覚まし時計が鳴り響き、心地良い眠りの彼方より無理矢理現実に引き戻されるあの感覚。私が生身の体のままであったならば、まさに全身が気怠い感覚の中、不快さだけが残っていたことだろう。

 停止していた私の視覚に、まずは単眼を通して淡い光が戻る。

 いまだに明瞭ではない私の視界が最初に捉えたのは、昏い貌をしたバロウルの胸から上の姿であった。そして彼女の肩越しに垣間見える見知った風景から、自分が工廠の整備用のハンガーに吊るされている事を自覚した。

 だが、バロウルと共に立っている二つの人影と、何よりもそれが何者であるかを認識できた時、私の脳裏をまだぼんやりと覆っていた靄は完全に余すところなく消し飛んでしまっていた。

 忘れたことなどない。

 忘れることなど有り得ない。

 蜂蜜色の瞳を持つ、守るべき我が救い主。麗しき、しかしながら穏やかなコルテラーナの笑みが確かにそこにはあった。その隣には小柄な背中を如何にも年寄り臭く丸めた、依然として全身をローブと仮面とで包み隠した老先生の姿もあった。

 先のティエンマ湖での襲撃の最中に行方知れずとなってしまった――それは事実上の死亡を意味すると誰もが言外に覚悟していた――老先生はまだしも、コルテラーナは“亡者”メブカの手に掛かりその命を散らした筈であった。それも私の眼前で、身体を両断されるという惨たらしい死に様で。

 それも私だけが目撃し、秘して語らなかった訳ではない。その場に共に居た所長も、すぐにその場に駆け付けたナナムゥやバロウルもまた目撃した惨劇の筈であった。

 疑念を言葉として発することができない私に対し、コルテラーナはまず自ら謝罪の言葉を口にした。してくれた。それだけで恐れ多さに私は震えた。

 「今まで身を隠していたことを許してください」

 単眼に肯定の青光を灯すことすら忘れた私の驚愕が充分に伝わったのであろう。コルテラーナは私の機先を制するように、その透ける様な白い指でそっと私の石の胸元をなぞった。

 「無用な心配をかけさせてしまいましたね」

 それだけで、充分だった。私は他の何を差し置いてでもこの女性に守らねばならぬという、己の本来の使命を思い出した。

 否、想いを新たにした。忘れることなど有り得ない。でもわたしは――

 「試製六型機兵キャリバー」

 指先を私から離したコルテラーナが、改まった口調で私の名を呼んだ。その唄う様な声は、私にとっては待ち望んでいた福音の導きに等しいものであった。

 その悦びの前には、バロウルがまさに“亡者”の如き沈んだ表情を浮かべていることなど些細な話でしかなかった。


 「今から言うのは私の…移動図書館館長コルテラーナの最後の願いです」


        *


 「キャリバー!」


 コルテラーナと老先生に伴われて正門広場に出た私を最初に出迎えたのは、天まで届かんばかりのナナムゥの大音声であった。

 僅かに傾いでいるとは云え、いまだに丘陵の周囲を見渡すのに適したこの浮遊城塞の広場には、ナナムゥの他にも所長やファーラ、そしてポルタ兄弟を始めとする後から合流した面々も顔を揃えていた。私達の後ろを――何故か――重い足取りで続くバロウルが最後にそこに加わった。

 無論、全ての面子を把握などできてはいないのだが、一通り見回した感じ明確に姿を晦ましているのは元よりいないガルアルスを除けばモガミ・ケイジ・カルコースだけに思えた。

 その配下である密偵(シノバイド)ともなると増々私の知る由ではなくなるが、それでも妻であるティラムの姿は所長の近くあり、二人纏めてクロやミィアーに守られていることが見て取れた。

群像劇などとは口が裂けても言えませんが、様々な陣営の登場人物が一つの場所に集結していく様子に最終決戦が近いのだと実感させられます。

もっとも、死人が出る場面に近付くと相変わらず筆が鈍ってしまいますが。

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