鬼轟(14)
その後――と言ってもそもそも今朝方の話であるのだが――ナナムゥは直接バロウルの許に赴き問い質したりはしていない。浮遊城塞の動力部の整備に掛り切りの彼女に余分な精神的負担をかけたくはないと慮ったというのは分かる。何よりもガルアルスから託された『ファーラを護れ』という“頼み事”に、より重きを置いたというのも理解できる。
要は色々遠慮したというのが、如何にもナナムゥらしい選択であった。
だが、この手持無沙汰な昼下がりの中で、やはりバロウルを気遣う心を捨てきれなかったのだろう。一旦は再びゴロンと寝転がって空を見上げていたナナムゥであったが、何の前触れも無くやおら上半身を起こしてみせた。
「埒があかんな」
「何が?」
横で怪訝な貌をするファーラに対し、完全に立ち上がり伸びを交えながらも、ナナムゥは半ば自分に言い聞かせるように独り言めいた呟きで返した。
「バロウルが泣いていた訳を、やはり直接本人に訊いておくべきじゃろうな……」
「ヴ……」
あのバロウルが素直に心情を露呈するとも思えないが、何もせず気を揉むよりはマシであろうとナナムゥも心を決めたのであろう。
これまではバロウル自身がその気になるまでは自分から詰問するようなことはしないと口にしていた彼女に心変わりが生じたのは、或いは遂にこの世界を覆う結界を破壊する目途がついたことが影響しているのかもしれないと、私は思った。前向きに物事を成し遂げていこうという決意の切っ掛けになったのではないのかと。それが良い方向に転ぶことを願う事しか私には出来はしないが。
「よし!」
私に同意を求めたりはせずに、さも当然が如く私の肩口に飛び乗ったナナムゥであったが、その白目の少ない碧色の瞳が不意に大きく見開かれた。
「何じゃ、アレは?」
丘陵の中腹に寄り掛かるような形で擱座している浮遊城塞オーファスであったが、そこからも判るように直接街道に沿って逃走する経路を避けた結果によるものである。しかし殆どの住人が妖精皇国まで退去するにあたり、機兵達の手によって間に合わせではあるが街道に繋がる道が整えられていた。
私の肩に登ったナナムゥの驚愕は、まさにその路上を見据えてのことであった。
「キャリバー!」
ナナムゥがその一団を指差した時には、既に私も己の単眼の視覚を望遠に切替えていた。
(人間と…そして、アレは――)
先頭を進む人影の細部までは流石に判別できなかったが、それよりも問題はその後ろに続く特徴的な――身も蓋も無い言い方をすれば異様な――一群にあった。その鉄の四脚の外観を私が見紛うことは無かった。
(妖精機士団……!)
*
浮遊城塞への突然の来訪者ではあったが、私が危惧したような一悶着は生じなかった。
妖精機士団は兎も角として、彼等と共にこの浮遊城塞に到着した人々こそ、ポルタ兄弟を始めとする我々にとっては見知った面々であった為である。
所長の管轄である“館”への退避を終えた城塞の元住人達の混乱の収拾に目途が立ったのを見届けた後に、彼等有志は急いで浮遊城塞に戻って来たという次第であった。
特に動力炉相手に孤軍奮闘しているバロウルにとっては心強い助力であり、私達に取って戻ってきて来てくれたという厚意ただそれだけで勇気付けられる有難い話であった。
残念ながら状況的には、私達にその再会を喜ぶ余裕はなど無かったのではあるが。
「何卒ここは我等に任せ、妖精皇国に御下がりください!」
つい先程ようやく重篤の身から意識を取り戻したばかりだとは思えぬ程の大音声で、モガミ・ケイジ・カルコースはポルタ兄弟や妖精機士達への労いの挨拶を終えた所長に迫った。
いつ死地と化してもおかしくはない墜ちた浮遊城塞の救援にわざわざ駆け付けてくれた人々への謝意を示したい――それが所長のたっての願いであったが、その短い挨拶が終わるのを見計らっていたとしか思えないタイミングで妻であるティラムと従者のミィアーに付き添われて姿を現したモガミが、開口一番に口にした訴えがそれであった。
あまりの無作法にザワリと周囲がどよめく――などということはなかった。この場に居る者達は皆、心の底では“客人”である所長をここに留めておくべきではないと願っていたのだと思う。この浮遊城塞に敢えて留まっている者達は誰もが殲滅戦とまではいかずとも、小競り合いの予感とそれに対する覚悟を決めた者ばかりであった。或いはこの場で最も薄ぼんやりとしているのが誰あろう私であることすら充分に有り得た。
姿を直接晒すことが無い為に実際にどれだけの人数が潜んでいるのかは定かではないが、モガミ配下のシノバイドは既にこの浮遊城塞を目印に集結しつつあるというのはテミィアーの弁であった。そのシノバイド達の働きによって、商都ナーガスで新たに兵を募った公国軍が南部――すなわち妖精皇国に向けて進軍を開始したという確かな情報をモガミは携えて来たのである。所長の退去を促す説得材料として。
余談となるがポルタ兄弟達がこの浮遊城塞に到着したタイミングが公国軍の進軍と一致したのは単なる偶然である。彼等はその殆どが工廠の技師達であり、少しでも早く浮遊城塞オーファスが再び飛び発てるようにバロウルの助勢に駆け付けたのであって、公国軍に直接備える為の兵と云う訳ではない。
そして妖精機士団の方も又同じく、独自の目的で妖精皇国を出立した一団であった。
あろうことか公国軍の尖兵として浮遊城塞を襲撃し、そのまま飛び去ったかつての機士団長にして“六旗手”が一人、ナイ=トゥ=ナイ。いまだに行方の知れぬ彼女の捜索と捕縛――状況次第によってはそれ以上――を実行する為に妖精皇国の評議会より遣わされたという経緯があったのだという。そんな彼等が妖精機士団の創設者でもあり師でもあるモガミの意見を伺う目的でこの浮遊城塞に立ち寄ったのは、僥倖と呼ぶべきなのか私には判断が付かない。
ただ一つ確かなことは、彼等妖精機士団が妖精皇である所長に忠誠を固く誓っている――すなわち守勢として当面この浮遊城塞に留まると決めたということであった。
シノバイド達の働きにより公国軍の動向、すなわち商都ナーガスからの進軍が開始されたことまでは補足できたのは先程述べた通りである。公都から新たに遣わされた司令官により目的地が妖精皇国であると示されたという話を探り出すことまではできたものの、その進軍の途上にあるこの浮遊城塞を彼等が素通りしてくれるかどうかはモガミをして確定することができなかった。
一度は強襲を受けた――そして指導者であるコルテラーナを喪った――前例がある以上、浮遊城塞が擱座したこの瞬間を好機と公国軍が攻め寄せて来る可能性はかなり高いのではないかと私個人は予測していた。だが防壁を突破したにも関わらず商都ナーガスを制圧もせずにあっさりとその矛先を妖精皇国へと向けるという、私の様な素人目からみても首を捻るような用兵から、城塞が放置される事態も充分考えられるというのが悩みどころではあった。
流石に街道沿いではないとは云え、浮遊城塞がその近辺に擱座している事実に変わりはない。公国軍がその気になれば街道を逸れて容易に辿り着ける位置である。浮遊城塞から妖精皇国への住人の退去に伴い、暫定とは云え道を整備した訳であるが、それが見事に裏目に出た形となった。如何ともし難い巡り合わせではあるのだが。
何れにせよ、水晶球による世界の“固定化”作業完了予定である明日午前に対し、公国軍がこの浮遊城塞を窺う位置に到着するのが今日の夕刻の見通しである以上、何らかの対策は必要であった。
その観点からも、戦場となる可能性のあるこの浮遊城塞から今の内に所長だけでも退避させようというモガミの主張は至極当然のものではあった。所長にせよモガミ達にせよ、半ば行き掛かり上ここに留まっているだけで、本来の浮遊城塞の住人ではないのだから。
しかし、しかしである。
所長がモガミの当然の申し出に頑として首を縦に振らなかったのは、単に彼に対して依怙地になったからのようには視えなかった。或いは敢えて“妖精皇”としてこの浮遊城塞に留まる事で、公国軍の進軍をこの地に釘付けにしようと目論んだのではないのかとも思う。
ガルアルスの言葉通り、明日にこの世界が“固定”され、そして世界を封じる“結界”が排除されさえすれば、公国軍にとっても進軍を続けるどころの話ではなくなるだろう。
それは私が勝手に所長の心情を推測しただけの、心許ない賭けではあるのだが。
――ミョウコサマ!
その焦れたような呼び声は、本当にモガミのものであったのだろうか。そもそも果たしてソレは本当に、私の耳に馴染んだ日本語であったのだろうか。
真実がどうであれ、私は最後まで所長とモガミのやり取りを見届けることができなかった。
(……あれ?)
クルクル…
クルクルクル……
わたしが自分の頭の中に灰色になってぐるんぐるん回り出したことに気付いた時には、既に私の体は大きく傾いていたのだと思う。モノクロに染まる私の視界に最後に映った光景は、床と、そしてこちらに向かって駆け寄って来たナナムゥの爪先であった。
*
ザーザートがまずは難色を示したオズナを言いくるめるのにはそれ程手間も時間も掛からなかった。
浮遊城塞オーファスが、妖精皇国ことヤハメ湖湖畔まで続く街道から少し外れた丘陵地帯に擱座していることは、商都を包囲していた時点でザーザートも把握していた。彼が商都の会合衆に遺児達を寄生させその命運を握っただけで良しとし、商都から撤収し妖精皇国方面へと次の矛先を向ける事を早々に決意させたのも、“亡者”メブカに恫喝されただけではなく、その途上の浮遊城塞攻略を元より考慮に入れてのことであった。
モガミが配下にシノバイドを擁しているように、大公の名代であるザーザートもまた独自の情報網を有していた。浮遊城塞の住人が一団となって妖精皇国に退避したこと、その一方でいまだに城塞には数名が残っていることまではその筋からの確かな情報であった。なまじ僻地でもなく、加えて浮遊城塞自ら街道に繋がる簡易な道を整えた為、公国軍も容易に辿り着けるということも。
だが最もザーザートの心を騒がせたのは、それとはまったく異なる情報の中にこそあった。だからこそザーザートとしては自らが浮遊城塞に赴きその真偽を確かめねばならなかった。
泥棒のような真似はしたくない――それが真っ直ぐに妖精皇国に向かわずに途上の浮遊城塞オーファスを接収することを進言したザーザートに対する、当初のオズナの示した明快な拒絶の理由であった。
容易に手玉に取れると踏んでいたザーザートは、それこそ人が変わったかのようなオズナの毅然とした態度に改めて内心舌を巻いた。だが、それでもこと謀に関してはザーザートが百戦錬磨であることに変わりはなかった。オズナ自身が善性に寄って誑かしやすかったというのも無論ある。
曰く、空を飛ぶというこの世界で唯一無二の存在である浮遊城塞は接収して保護する必要がある。
曰く、城塞内に設置されているこの閉じた世界最大の製紙工房を確保しておかないと、書物の普及が阻害される。
曰く――それは正に悪魔の囁きであった――ここで兵卒に“褒美”を与え欲望を発散させておかないと、妖精皇国に到達して後に略奪に走る輩が必ず現れるだろうと。
即座に承諾をしない程度には、オズナも弁えてはいた。だが浮遊城塞が実質無人であるというザーザートの囁きが決め手となった。
地に墜ちたとは云え『城塞』である。乗り込むのにはそれなりに手間がかかるのは確かではあるが、それでも商都とは異なり厚い防壁がある訳でもない以上、公国軍で囲んでしまえば残っている僅かな住民も投降なり直前に退去するなりするであろうと、ザーザートはオズナに説いたのである。
確かにそのザーザートの囁きは至極真っ当な予測であり、オズナとしても苦渋の決断ではあった。
オズナが――それでも“火事場泥棒”には違いない――浮遊城塞接収を承諾をした後のザーザートの手際の良さは見事なものであった。同道する“貴族”達に対し進軍の目的地が妖精皇国から浮遊城塞に変更されたことに加え、接収後の略奪を不問とすることを言外に匂わすその手法は流石にクォーバル大公の名代を務めただけのことはあった。元々、オズナ自体があくまで形だけの“頭”であり、全ての実務をザーザートが取り仕切っていたので当然の話ではあるのだが。
商都攻略用の固定砲台であるカアコーム砲や、同じく商都の地下を掘削する為に連れて来た地蟲の脚は遅い。それら攻城兵器と歩を合わせるようなことはせず、後方の陣に居さえすればそれで済むオズナをも置き去りにする形で、ザーザートはひたすらに軍を進めた。
浮遊城塞オーファス目指して。