鬼轟(13)
「……」
それまでとは打って変わって口をつぐんだタルナーは、些か芝居がかった仕草で商都の防壁――主要な街道の中心として威容を誇っていたその高く厚い石壁も、今は公国のカァコーム砲の砲撃により倒壊はしないまでも無残に欠けた箇所が散見されたが――に目線を泳がせた。
「みんな、妖精皇国へのカチコミの誘いに乗っちゃった」
「迂闊な……」
まさかの予感が的中し、呆れ果てたように呟くマスターに対し、タルナーは寂しげに、しかしちゃっかりと己の弁明を口にした。
「私は止めたんだけどね……」
潮が引くように――海の存在しないこの閉じた世界に相応しい表現ではないことは置くとして――一旦は防壁の外に退いた公国軍であったが、それに対する私兵団への如何なる命令も会合衆の口から発せられることは無かった。所詮は武人ではなく商人よと揶揄する者、失望する者も数あれど、会合衆がザーザートによって自身そのものを人質に取られているに等しい状況である以上、それを責めるのは酷というものであろう。
何れにせよ、商都から退却する公国軍を背後から追撃するのが定石ではあるのだが、マスターが独自の伝手で聞き及んだ限りにおいては、会合衆達は私兵に追撃を命ずるどころかむしろ逆にそれを固く禁じたという話であった。
マスターからすれば、会合衆達が公国との全面抗争を忌避した心情そのものを理解できない訳ではない。それは彼がザーザートの暗躍を知らぬが故の一種の誤解ではあったのだが、それでも既に会合衆と公国軍との間に何らかの“手打ち”まで済んでいるのだろうという推察は正しい現状把握ではあった。
防壁の外に退いたその公国軍が――恥知らずにも――新たに妖精皇国への転進を謳い、あまつさえ商都の住人に対して募兵のビラを撒いた事はマスターも見聞きしていた。それに興味を惹かれる者が一定数いたことも。特に会合衆の私兵団が。
所詮は会合衆に金で雇われた傭兵の所業である――そう切って捨てるのは容易い。しかし仮にも商都に土足で踏み込んだ輩からの募兵に応じる者が続々と現れるなどとはマスターには俄かには信じ難い話ではあった。
裏でどのような――嘘に塗り固められた――甘言めいた勧誘が流布されたのかまでは知らぬし、知りたくもない。或いは報酬そのものに魅せられたのではなく、それこそ焼け出されたことで住処や財産を失い自暴自棄になった者達もいるのかもしれない。
その怒りの矛先を当の公国軍にではなく妖精皇国に向けるのは愚かに過ぎる選択であることは明らかではあったが。
動機がどうあれと、マスターは憂う。妖精皇国には南部に潜む猿人達を撃退する為の妖精機士団がいる。失ったモノを補填する為などという甘い考えで従軍したところで、物見遊山で済む筈もない。むしろ地獄向かうの行軍ではないのかと。
タルナーの諦めきった口振りから見るに、既に商都の外側では募兵に関する公国軍の再編成は既に終わった後なのだろう。あの防壁の向こう側で今頃は進軍の号令が下されているのであろうことをマスターは予見し、陰鬱に頭を振った。
マスターの予想は概ね実際の公国軍の動きに合致しているものであった。唯一つ老練なマスターの想定外の事があったとすれば、『号令』のソレとしては明らかに不似合いな上ずった生真面目な声で、オズナ・ケーンがこれからの行軍があくまで示威行為である事と略奪を固く禁ずる命を高く謳っていたことであろう。
「それで、お前は?」
これからどうするつもりだとマスターがタルナーに尋ねたのは、近所の顔見知りとして至極当然の問いでありそれ以上の特別な感情があった訳ではない。
だがタルナーはまるでその言葉を待っていましたと言わんばかりに、タタとマスターの傍に駆け寄ってこう答えた。
「マスターのとこに置いてよ」
「ん!?」
完全に虚を突かれたマスターの手からタルナーは清掃具を奪い取ると、これ見よがしに掃除の仕草をしてみせた。
「もう若くないんだからアタシみたいな若いの近くに置いといた方がいいわよ?」
「……従業員はしばらく雇わないつもりだったが……」
マスターはゆっくりと頭を振った後に、大仰な溜息を一つ付いて見せた。
「図々しいな、お前は……」
*
「後1日待つのかぁ……」
「そうじゃなぁ」
「それまで退屈ねぇ……」
「そうかのぉ?」
中庭に毛皮の敷物を引いた上に並んでゴロンと寝転がるナナムゥとファーラ。先程からぼんやりと青空を眺めながら交わされる実の無い両者の会話を、私はその後ろに控えつつ黙って聞いていた。
この閉じた世界の“位置”を固定する――という認識で正しいのかどうかがそもそも良く理解できてはいないのだが――作業に水晶球が入って既に1日が経過した。嵐の前の静けさではないことを祈るばかりではあるが、それはそれとしても二日かかるというその工程の完了の刻が来るのをただ待つだけの時間であった。
境遇が両極端過ぎると、平時の自分であれば胸中で己にツッコミを入れていたに違いない。浮遊城塞を撤退させる為の囮となり、捕囚となった後に地の底の“奈落”を突破し生還を遂げるまでのあの激動の日々が、まるで全てが一夜の悪夢であったかのようなゆったりとした時間を今の私達は過ごしていた。
「……知ってる? ここから少し足を延ばした先に大きな沼地があって、その泥の中には珍しい花が咲いているんだって」
ファーラがむくりと上体を起こし、隣に寝転がったまま雲を見上げていたナナムゥを誘う。彼女の額を飾っていた青い水晶球が鎮座していた箇所は今はぽっかりと穴を空けてはいたが、ファーラは台座たる額冠自体を依然として身に付けたままであった。
「沼には謎の主もいるそうだし、暇潰しにちょっと探検に行ってみない?」
「駄目じゃ」
がばりと上半身を起こしたナナムゥが、その勢いのままにピシャリとファーラへと返す。
「所長も言っておったじゃろ。こういう時に油断して勝手にふらふら出歩くと掴まって人質にされるから気を付けろと」
そしてダメ押しの一言をナナムゥは付け加える。
「ガルアルスもおらんのじゃぞ」
「駄目かぁ」
流石にそれ以上ごねるようなことはせず、ファーラは嘆息して空を仰いだ。
『ファーラの側を離れるな』
真紅の少年ガルアルスがそれを告げにナナムゥとファーラの部屋に出し抜けに現れたのは今朝未明のことであった。
より正確にはその言葉を口にしたのは、水晶球との最終確認を行うのに邪魔だという一方的な理由で微睡みの中にいたナナムゥとファーラを自室から追い出してしばらく後の事である。
私はと云うと、始めから衛兵の様に彼女達の部屋の前にずっと控えていた。要はガルアルスを戸口で制止できずに素通りさせた――止めてどうなるものではないという確信だけはあった――形となるが、そこまで無茶な真似はしないだろうという予想が見事に裏切られた形である。結果として、自室から叩き出され廊下で毛布に二人仲良くくるまって待ち続けた――二人の少女は意地でもここから動かぬという点で見事に意気投合していた――私達の前に部屋から出て来たガルアルスが再びその姿を現したのは、そこから十数分後といったところであっただろう。
憤慨のあまり噛みつかんばかりであったナナムゥに対し、いつもの如く無視するかと思われたガルアルスが唐突に口にした言葉こそが、先の『ファーラの側を離れるな』であり、あまりの脈絡の無さはナナムゥが怒気を忘れる程のものであった。
当人であるファーラの何も考えてなさそうなポカンとした顔がまた戸惑いを加速させた。
『なんじゃ、急に……』
ナナムゥの呟きそのものに対しては、ガルアルスは一顧だにしなかった。
ただこれまでの彼の冷淡な態度と異なっていたのは、ナナムゥの顔を真正面から見つめ、そして初めてその言葉の理由を――すなわち自らの手の内を私達に明かしてくれたことであった。
『今、ファーラを護るものは何も無い。貴様等以外はな』
『お主が――』
お主がおるではないか――おそらくはそう言い掛けたであろうナナムゥが、その言葉を呑み込んだ。
ファーラの額を飾る水晶球が無くとも、ガルアルス一人がいれば全てが事足りることはナナムゥが改めて口にするまでも無く明らかであった。明らかであるが故にガルアルスが不在となる――すなわちこれから何処へと向かうのであろうことも、その理由そのものは明かされないであろうことも。
『任せたぞ』
『――!?』
ガルアルスの言葉に、ナナムゥの碧色の瞳が大きく見開かれる。
『任せる』などという如何にも大上段な物言いではあったが、それでもあの傍若無人な真紅の少年が私達に頼み事を口にしたのは事実であった。去り際に。
そして私達が察したとおりに、ガルアルスは浮遊城塞から姿を消した。意外にも一番平然としていたのは置いていかれた形となったファーラであったが、私達もガルアルスの探索に人手を割くだけの余裕はなかった。提案する者すら皆無であったのは、下手に手を尽くしても我々の――ガルアルス自身の言葉を借りるなら『定命の者』である我々の――手には余ることは明白であったからだろう。
そういう経緯もあり、私とナナムゥは――これまでと状況的には変わらぬことは置くとして――ファーラの傍を離れずにいるといった次第であった。
ガルアルスに、何かファーラの護衛が必要になるような具体的な懸念があったのかどうかは分からない。だが、それでもファーラを護るにあたり自分に備わった粒体装甲を当てにされたのだろうと、それが私の認識であった。
誇らしくないと言えば嘘になる。例え私自身の“力”ではないのだとしても。
だが、自負と決意とは裏腹に一抹の不安が無い訳ではない。バロウルに言わせると本来ならば私の機体は徹底的な整備の必要がある筈であった。だがそれは結局成されてはいない。整備としては最後の予備が残っていた脚部を丸ごと交換するに留まり、ガルアルスに剥ぎ取られた胸部装甲の再固定を辛うじて実施したに過ぎない。無駄に動くなとバロウルに念を押されたところをみるに、本当に応急処置的な作業でしかないのであろう。
バロウル自身は墜ちた浮遊城塞の動力部にほぼ籠りきりであった。それを考えると暫定の処置に留まるとは云え私にそれだけの貴重な時間を割いて貰えたのが破格の待遇であることは分かる。私自身もそれについて感謝こそあれ不満など無い。
例えこの機体の不調により粒体装甲や魔晶弾倉が不発に終わるような事態になろうとも、決してバロウルを恨みはすまいと私は心に決めていた。
ナナムゥが去り際のガルアルスの背に掛けた言葉が、私のバロウルに対する気遣いに拍車をかけたというのもある。
『お主、バロウルを泣かせたな?』
その糾弾に対し私が己が耳を疑ったのは文字通りそれが初耳であったということもあるが、それがいつの話なのかが咄嗟に判断できなかったせいでもある。“奈落”を抜けて更にコバル公国の地下公都から脱出している間か、或いはそこから浮遊城塞に帰還した後のほんの短い間の出来事か。
『……だとしたら、どうする?』
去りかけたガルアルスが珍しくも足を止め、チラと肩越しにこちら側に視線を向ける。ナナムゥと、そして何故だかは知らねども明らかに私の単眼へと。
『一つ確かめることがあった。それだけのことだ』
『待て!』
冷ややかなガルアルスの返答に、それでも尚食い下がるナナムゥは、今まで堪えてきたのであろう根本的な不満を遂に大声で口にした。
『いつもいつもそれらしい言葉ではぐらかしおって! 何故はっきりと答えを言わぬ!』
『……』
『お主の問答など聞きとうない! バロウルを泣かせた理由を聞いておるんじゃ!』
『貴様等の問題だ』
ガルアルスは私達に向けた視線を元に戻すと、そのまま廊下の奥へ歩み去った。一人地団駄を含むナナムゥは別として、私とファーラは黙ってその後ろ姿を見送った。
『貴様等自身で方を付けろ……』
最後に漂ってくるガルアルスの言葉。それを聞いたファーラが、少しだけ悲し気な表情でナナムゥに詫びた。
『ごめんね。ガルは、他に言い方を知らないだけなの』