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鬼轟(12)

 『利用価値』――物は言いようであるとは云え、ザーザートがオズナに持ち掛け許諾させた“落としどころ”としては、オズナの出自は実に有用ではあった。

 クォーバル大公から発せられた如何なる君命も存在しない状況でなし崩しに――かつ散発的に――始まった今回の遠征が、歪どころか根本的に無理がある計画であるということはザーザートも元より承知の上であった。

 むしろ敢えてそうしたと言ってもいい。この遠征の真の目的がただ南部で安寧を貪る妖精皇国に戦禍を巻き起こす為だけに過ぎない以上、混沌とした進軍はむしろ望むべきところであった。

 その真の目的を伏せたまま、愚かな貴族達の率いる軍勢が商都ナーガスを眼前に集結したところで、大公の継承者となったことを暗に意味する“盟主”を定める会合の場が設けられた。無論、そのような話し合いの場を設けるよう取り計らったのが大公の名代であるザーザートであったことは改めて言うまでもないが、そこに雁首を揃えた主だった貴族達に一気に遺児達(ラファン)を寄生させるところまでは当初からのザーザートの計画の内であった。

 極論を言えば公国の軍勢の全ての兵に遺児達(ラファン)を寄生させれば何も問題は無い。だが“頭”である貴族達の命運を首尾よく掌中に収めることには成功したとは云え、流石に一兵卒に至るまで同じように寄生させる訳にはいかなかった。単純に遺児達(ラファン)の数が有限であるのがその最大の理由である。

 だが、ザーザートは己の見通しが甘い――ザーザート自身の言葉を借りるなら、公国の兵が想定以上に愚鈍であることを思い知らされる形となった。

 兵達は、“頭”である貴族の命に唯々諾々と従うだけの存在ではなかった。所詮は鉱山の鉱夫が武器を握ったその延長でしかなかった。

 結果として、商都攻防を巡る不可解な撤収を筆頭に、貴族達に対する兵卒の不満と不信は既に抑えようが無く、このままでは妖精皇国への行軍そのものにも支障をきたすであろうことを、ザーザートは認めざるを得なかった。

 本来であれば各々が欲望のままに勝手に進軍し略奪に走るであろうこの不穏な状況は、妖精皇国領内に戦禍を引き起こす為にはむしろ望むところではある。だが“亡者”メブカに対し妖精皇国への一心不乱の“死の行軍”を約定として掲げた以上、ザーザートにとっては早急に妖精皇国に到達せねばならないという予定外の足枷と化してしまっていた。

 当面の短い期間だけでも公国軍を一つにまとめる為には、『旗頭』が不在の現状を改める必要があることはザーザートも頭で理解はしていた。彼自身が旗頭を務めれば良いだけの話にも見えたが、あくまで大公の名代でしかない彼が群を率いる事態は内外からしても如何にも胡乱であり、またザーザート自身も表舞台に姿を晒す事態だけは――今更立ち塞がる者などいないであろうが――念の為に避けたかった。

 ザーザートの頭を一層悩ましていたのは、今回の遠征にあたって、権勢の衰えたとは云えデイガン宰相の意向を完全に無視した形となっていることを一兵卒に至るまでが良く知るところであるという事実にもあった。デイガン宰相が凋落を待つばかりの立場だと噂されたのは無論ザーザートがそうなるように裏で手を回した成果ではあるのだが。

 何れにせよ、裏から秘かにザーザートが焚き付けた結果、“接収”という名の目先の欲に貴族達の目が眩んだ出兵であったが故に、大公と宰相両者の公認も無い事への危うさと、何とも言えぬ覚束なさのようなものが軍勢に常に付き纏っていたのは事実である。

 加えて、数に任せた行楽紛いの苦労無き遠征の筈が、商都ナーガスを囲みはしたものの得体の知れぬ一団(シノバイド)による夜襲に只いたずらに翻弄されるだけとあらば、何の後ろ盾も無い今回の遠征に対して末端の兵にまで動揺が広がるのは無理なからぬ話ではあった。

 ザーザートに言わせれば、弱兵の極みであり、到底許容できる事態ではないとしても。

 それでも当初のザーザートが妖精皇国への“死の行軍”をさしたる対策も無いままに強行しようと思案したのは、妖精皇国までは距離は近いという――些か甘いと言わざるを得ない――見通しによるものであった。街道として元々整備されている以上、あくまで“亡者”ザラドに対して示す“けじめ”である妖精皇国への行軍は――例え軍としては形骸に近いものになろうとも――何とか達成できるのではないかと予測していた為である。

 最悪、例え途上で公国軍が崩壊し、メブカの怒りを買ったザーザート自身が“奈落”に引き摺り込まれようとも、この世界を戦禍で満たすという彼の目的自体は憤怒の固まりとして顕現するであろうメブカによって達成はされることは間違いなかった。

 尤もそのようななし崩し的な滅びの狼煙はザーザートにとっては自身を納得させる為の負け惜しみでしかなく、ティティルゥにとっても到底怨讐には釣り合わぬ展開であるという事もザーザートは心の内で理解していた。

 “旗印”の不在がここに来てこのような形で影を落とす羽目になろうとは――苦悩するザーザートの目の前に現れた者こそが、デイガン宰相の孫であり公国貴族の中でも屈指の“格”の家柄であるオズナ・ケーンであったという訳である。

 本人の意向や資質はこの際大した問題ではなかった。大公から派遣された軍監という名目で座らせているだけで良かった。そうすれば、大公公認の遠征であると兵達の動揺も収まるだろう。死の行軍の果てに死すべき運命は変わらぬのだとしても。

 妖精皇国の妖精皇との間に会談の場を設ける心積もりである――それこそがオズナに対するザーザートからの提言であった。妖精皇が政治の場から手を引いた象徴的な存在であることは、この世界においては周知の事実である。だがそれでもクォーバル大公に並び立つ『王』であることには変わりなく、過去に決裂したままの両国間の会談が成功すれば、それだけで今回の遠征の面目が立つ。そして面目が立ちさえすれば、公国への撤収も滞りなく行えるであろう、と。


 『妖精皇国との直接の交渉は大公の名代である私が引き受ける。特使である君は会談ではただ座って署名するだけでいい。展開次第ではクォーバル大公の死を公とし、妖精皇国との正式な国交回復の足掛かりとなるところまでいけるかもしれない。早馬で宰相の正式な承認を得るのには間に合いはしないが、その叱責は二人で受けよう。その覚悟はできている』


 それがザーザートによるオズナへの押しの提言であり、そして全ては詭弁でもあった。詐術であり世迷い事以外のなにものでもないとまで言い切ってもいい話である。

 オズナがそのザーザートの意図をどれだけ察していたのかは不明である。唯一つはっきりしていることは、オズナがその申し出を快諾したということだけである。かつて半ば義兄弟として共に暮らしたザーザートの善意を信じた――如何にもお人好しで青臭い理由ではあったが、オズナを突き動かした要因の一つは偽り無くそれであった。


 “忘れるな……”


 再び地の奥底より“亡者”メブカの鬱々とした声が泡の様に沸き起こる。


 “身悶えするだけであった我々(・・)に、お前が示した死の伝搬だということを決して忘れるな……!”


 その呪詛めいた言葉を最後に、座席ごと脹脛まで地に引き摺り込まれていたザーザートの体が、一瞬の後には再び元の場所に戻る。

 幕屋の固い床の上に。

 まるで全てが白昼夢であったが如く。

 「……」

 地の底からの“圧”が完全に失せた事で、ザーザートは“亡者”メブカが足下より去ったことを知った。少なくとも今は。

 「……殺すさ、誰であろうと。それが復讐だ……」

 聴く者もいない幕屋の内で、不意にボソリとザーザートが呟く。仮面の下から僅かに漏れる嗚咽は、しかし女の咽び泣きにかき消されようとしていた。


 「本当に…これが復讐でいいのか…ティティルゥ……」


        *


 翌朝、商都ナーガス繁華街――


 「やれやれ……」

 往来に姿を現した隻眼の店主(マスター)は、わざとらしいぼやきを敢えて己の口にした。

 かつて“客将”アルスことガルアルスがオズナを伴ってナーガスに一時的に滞在していた時に通っていた、隠れ家的な造りの酒場(バー)である。先日のコバル公国の軍勢の商都への侵入は、確かに大きな混乱を巻き起こした。特に商家の様にまとまった私兵に守られてはいないこの繁華街においては早々に火の手が上がり、文字通りの火事場泥棒によって商都における最大規模の暴動へと発展しかけた。

 凄惨な暴動そのものは阻止できたとは云え、その爪痕は瓦礫が転がるに任せたままの繁華街の往来という形で、まるで見せつけるかの如く当たり前のように残っていた。

 隻眼のマスターの店は地下にあり、その入り口も半ば隠れるような造りであった為に暴徒の侵入を許すような事もなく健在ではあった。だが繁華街自体がいまだに荒廃したこの状況では例え店を開けたとしても開店休業と同じであることは試すまでもなく明らかであった。

 尤も、諸々の理由によりマスター自身が己の店に帰って来れるまでに事態が沈静化したのは、昨晩ようやくの事ではあるのだが。

 ともあれ、早朝から天を仰いでいても何も始まらぬ。マスターが初老の体に鞭打ち、せめて店の入り口の瓦礫をどかそうとようやく決意を固めた矢先に、不意に声をかけてきた者がいた。

 「マスター、戻って来てたんだぁ」

 まるで見計らったかのような――というよりも実際に様子を窺っていたのであろう。屈託のない明るい少女の声に、マスターもまた軽い吐息と共に躰ごと彼女へと向き直った。

 「自分の店をいつまでも放っておく訳にはいかないからな」

 「真っ先に姿を消したから、どこまで逃げたのかと心配してた」

 壁に寄り掛かり、歳の差のかなりあるマスターに対しても無遠慮にコロコロと少女が笑う。

 タルナー、それが彼女の名である。物怖じしない彼女とマスターとは以前より知己の間柄であった。より正確には彼女一人だけではなく、彼女が身を置く若者達の集団がそうであった。何某かの団名を名乗っていることはマスターも知ってはいるが、その児戯に等しい示威行為に関わる気もないので団名までは憶えていない、その程度の距離感ではあるのだが。

 流石に若者達各々の名前は把握しているとは云え、彼女達の出自自体についてはマスターは知らぬ。新たに墜ちて来た者もいれば、この商都で生を受けた者もいるだろう。だが何れにせよ、繁華街の路地裏に徒党を組んでたむろしているということは、真っ当で裕福な生活には程遠いという証であった。

 俗に言う“ご近所”の縁でマスターがタルナー達を――超えてはいけない一線を超えることの無いよう――気に掛けはするものの必要以上に干渉することを避けてきたのは、この繁華街における不文律によるものである。

 (……やはり一人か)

 その見栄えの良い人好きのする風貌から若者達の交渉口を務めるのが常であるとは云え、そこはいわゆる『裏の世界』の繁華街である。タルナーが――迂闊にも――たった一人で出歩いていることに疑念を抱いたマスターは先程からそれとなく周囲の気配を窺いはしていたのだが、他に何者かが潜んでいる様子は皆無であった。

 実のところ、路地裏におけるタルナー達が根城としていた区画が先の放火により焼け落ちたということまではマスターも耳にしていた。

 「仲間はどうした?」

 思わずそう口に出して尋ねてしまったのは純粋にマスターの老婆心からであるし、或いは先日の商都を襲った騒乱を収める為に陰ながら駆けずり回っていた時の使命感の熾火がまだ残っていたせいなのかもしれない。

 老骨に鞭打った甲斐があってか、そこまでの死傷者は――いざとなった時の繁華街の住人の思いもかけぬ団結力もあり――迅速な消火活動によって発生しなかったともマスターは聞いていた。焼け出されたとは云えタルナー達一団も等しく無事であるだろうとも認識していた。

 それ故に、タルナーがたった独りで自分の前に現れ声を掛けてきたことが良からぬ知らせの先駆けであることを、マスターは無意識の内に悟っていた。

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