奇郷(10)
「あっ、そうじゃ!」
いきなり素っ頓狂な声を上げたナナムゥに、私も、そして足元に置いておいた三型すらもギョッとばかりに反応した。
「お主、真っ赤な流れ星を見つけたらわらわに教えるのじゃぞ!」
「ヴ?」
私は、半ば胴体に埋まった首をかしげて見せた。言葉もなく筆談も封じられた自分にとって、それはかろうじて残されたたった一つの意思伝達の手段でもあった。
「なんじゃ、聞いておらんのか?」
ナナムゥが我が意を得たりとばかりにニンマリと笑う。その表情は、幼い姉が更に幼い弟を相手に年長者ぶる時に浮かべる、微笑ましくも憎たらしい、したり顔そのものであった。
「えーとな、アレじゃ。真っ赤な流れ星がじゃな、夜の…夜の…えーと、まぁそんな感じじゃ」
「――真紅の流星が夜の帳を翔る時、この閉じた世界の殻は砕け、再びあるべき大地へと還るであろう」
「――ヴ!?」
何の前触れもなく、小高い丘の上に立つ我々の背後から突如として投げかけられた言葉。
それは私にとっては聞き覚えの無い、明朗快活な青年の声であった。
「預言の詩は、まだ子供には難し過ぎたかな、ナナムゥ」
まるで私達の反応を伺うかのように、僅かな間を置いてから再び背後に響く美声。
それは明瞭でありながら何とも云えぬ色気をも兼ね備えた、俗に云う『イケメン声』であった。世が世ならばアニメの中でロボを繰り悪を断罪する、そんな感じのヒーロー然とした声でもあった。
場違いにも程がある話ではあるのだが。
青年の声に敵意を感じなかったが為に、私に緊迫感は欠けていた。油断していたと言ってもいい。
『敵』ならば、まず声なき声がそう警告してくれる、そういう都合の良い先入観があったことも事実である。
故に私は声の主へと背後を振り返るより先に、右肩のナナムゥへと単眼をやった。苛々と私の肩の上で足踏みをしている我が幼主を。
「ガッハシュート……!」
謎の青年の声は彼女にとっては既知の声だったのだろう。眉間に皺を寄せ憎々しげに呟くナナムゥの振る舞いからは、しかし決して友好的な来訪者との邂逅だとは思えなかった。
『敵』か、或いは味方とまではいかなくとも旧知の仲なのか?
私は既に脳裏の声なき声に『ガッハシュート』に関して手短に問うていた。
ナナムゥがその名を知っているのならば、しかも悪感情を抱くまでに関わり合いがあるのならば、何らかのまとまった情報が蓄積されている――それは至極当然の推察である筈だった。
しかし、脳内に返ってきた声なき声の応えは、私の予測を裏切るものであった。
“ガッハシュート――詳細不明”
素っ気ない、ただその一文を前に私は困惑と共に苦笑した。
(百聞は一見にしかず、とでもいうつもりか)
全ての情報が――何故か――開示されないことには既に諦めが付いているつもりではあった。だが、それでもここまであからさまなのは初めてであった。
或いは、隠匿ではなく本当に情報が無いのか。ガッハシュートなる青年が、手の内を見せた相手を確実に葬りその口を塞ぐ、悪鬼羅刹の化身ならばそれもあり得るのか。
(私が振り返るのを待ってくれている紳士だと、思いたいな…)
私は胸中で自分自身を奮い立たせると、ナナムゥを振り落さぬようゆっくりと、ようやくといった体で振り返った。
私から5m程を隔てた処に、その青年は立っていた。声の印象から寸分違わぬ程に精悍で、整った貌の青年が。
宵闇に浮かぶ純白の外套から覗く白銀の胸鎧。手甲と脚甲もまた同様に、星明りの下に真鍮のような輝きを放っていた。
「ヴ…!」
興味深げに、私の全身を値踏みするかのように見回すその美丈夫に、私は完全に気押されていた。振り返るまで待っていてくれたのであろう、話の分かりそうな相手にも関わらず、何故か嫌な予感が拭えなかった。それは理屈ではなく、本能的な恐れに近いものであった。
ともあれ、私もこの互いの出方を伺う小休止にも似た時間を幸いに、対峙する青年の全身を値踏みし、そして気付いた。
鎧で覆われていると見えた四肢の部分には、留め具の類が一切無かった。
私の持つ知識は所謂ゲーム由来の知識でしかない。しかしそれでも趣味の範疇とは云え、甲冑の図解や実物の写真を多く目にする機会はあった。
故に、青年の手甲や脚甲に見える部分のラインがあまりにも身体のラインと一体化しており、鎧を装着しているのではなくまるで手や脚そのものではないのかとさえ思えた。
有り体に言うならば機械化されたサイボーグか、戦闘用アンドロイドの類であるかのように四肢は洗練され、研ぎ澄まされていた。
「何の用じゃ!?」
奇妙な膠着を破る、ナナムゥの高い声。
私の右肩にむんずと立ち、青年を詰問するその声は刺々しい。
「カカトならまだ戻っておらぬぞ!」
あまりの剣幕に心配となりキュイと単眼を向けた私の耳元に、ナナムゥが顔を寄せポショポショと囁く。
「気を付けよ、こやつの名はガッハシュート――」
まるでナナムゥの言葉に合わせるかの如く、ガッハシュートなる青年が両の腕を真っ直ぐに大地へとかざす。それだけで、周囲の空気が張り詰めるのが分かる。
そして、まるで腕を抜身の刃のように伸ばした体勢のまま、青年はこちらに向けてわずかに一歩を踏み出した。
負けじとばかりにナナムゥが告げる。
「心せよ、奴はカカトの“旗”を狙っておる、我らの敵じゃ!」
「ヴ!?」
ナナムゥの檄に私が困惑混じりの唸り声で応じたのと、ガッハシュートの右脚が地を鋭く蹴ったのがほぼ同時であった。
(『敵』……!?)
ガッハシュートなる青年の立ち位置とでも云うべきものは理解できた。だが“旗”を狙う敵だと警告されたところで、その“旗”を見た事すらない今の私に何をどうせよというのか――などと困惑する私を尻目に、迫り来るガッハシュートの躰が突然跳ねた。
「――ヴ!?」
その怜悧な瞳が私の目と鼻の先まで一気に寄ったと知った時には、その青年の白づくめの躰は空中で綺麗な弧を描き、私の背中側へと翔け抜けた後であった。
まるで地を奔る白い流れ星の様な軌跡と共に。
(――速い!?)
正直な話、そのような半歩遅れた驚愕で手一杯な時点で私の完敗だったのだろう。
咄嗟のことに躰がまったく反応できなかった――そもそも掴み合いの喧嘩すらしたことのない私に何ができよう――私は、幼女の甲高い怒声でようやく何が起こったのかを把握できた。
「ヴ!」
慌てて背後を振り返る私の前に、澄ました貌のガッハシュートの姿がまず飛び込んでくる。顔を真っ赤にして激高しているナナムゥを小脇に抱えたままでありながら、華のある威風堂々とした立ち姿で。
「離せ! 離すのじゃ!」
「大人しくしてもらえると助かるが…」
周囲を手早く見渡したガッハシュートが、軽妙な口調と共に腕の中でもがくナナムゥを右側面へと放り投げる。
「まあ、大人しくしてくれる子ではなかったな」
いつの間にやらそこに回り込んでいた三型が、腕部を伸ばしてその小さな体を器用に受け止める。
無論、私が運んできた三型である。バロウルの云う『用心』としての役割を、早速果たした形であった。
私にとっては決して、歓迎できる事態ではないけれど。
「さて…」
再び両の腕が自由となったガッハシュートが、目線を改め私を真正面から見据える。それまではどこか飄々としていた緩い気配が完全に消え、私は――恥ずかしい話だが――気圧されて我知らず半歩下がっていた。
ガッハシュートの長めの暗色の髪から垣間見える彼の頭部を守護する防具は、兜というよりはむしろ鉢金と形容する方が適切な程の簡易なものであった。
故にその剥き出しと言ってもよい貌の表情は私からは丸見えであり、むしろ逆にその鋭い眼光が私を捉えて離さなかった。
「では、少し付き合ってもらおうか」
凛とした声が夜気に響き渡る。
「用意はいいか、コルテラーナの新たな仔よ!」
ガッハシュートの右腕が翻り、そこから投げ捨てられた純白の外套が生き物のように夜風に包まれて舞った。
シャキンという小気味良い音と共に左右の頬あてがマスク状に閉じ、剥き出しであったガッハシュートの口元を覆う。
それが私にとっては有無を言わさぬ闘いの合図でもあった。
「逃げよ!」
暴れないよう三型の腕部に腰を掴まれているナナムゥが懸命に叫ぶ。
「そやつは六旗手相手にタメ張る程の男じゃ!」
その必死の叫びが私の耳に届いた時には、しかし全てが手遅れであった。
鋭い眼光を宿したままのガッハシュートの貌が、再び私の視界一杯に広がる。
視界にズームをかけた訳ではない。文字通り一瞬で目と鼻の先に詰め寄られたのである。私が指先一つ動かせないままに。
「!?」
刹那、上半身を穿つかのような大きな衝撃に、私はよろめきヨタヨタと数歩下がった。
3mを超えるであろう、この造り物の石の巨体がである。
「流石に忌導器の装甲は厚いか」
右の手の平を突き出した体勢のまま、ガッハシュートが独りごちる声が聴こえた。
今私を襲った一撃がその掌底によるものだと悟った時には、ガッハシュートはとうに身を翻し、再び私と数mの距離を隔てた元の場所に飛びずさっていた。
「ヴヴ…」
ここまで徒手空拳の相手に翻弄されると、焦燥よりも先に乾いた嗤いしか出て来ない。
どうしろというのか、この私に。妹とすら掴み合いの喧嘩などしたことの無いこの私に。
まして、望んだ闘いですらないというのに。
「生身相手でも遠慮はいらんよ、試製六型」
私の胸中の悲嘆を何と勘違いしたのか、再び口元を覆うマスクをカシャンと開放したガッハシュートが私に親しげに話しかけてくる。
「もっとも、この私に当てられたらの話だが」