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鬼轟(8)

 「……」

 背後からの鬱々としたメブカの問い掛けに、ザーザートは無言のまま肩越しに振り返るに留めた。メブカが出現するであろうことは予期しており、その問い掛けについても予測できていた。

 そもそもの発端から齟齬は生じていたのだ。“亡者”メブカにとっては如何に厚い防壁が存在しようとも商都ナーガスを陥落させることは容易であった。地表上に存在している限り、地の底から這いずり出る“亡者”を止める術が存在しない為である。

 だが元よりメブカに地中からの無差別な襲撃を禁じたのもザーザートであれば、先日に公国全軍を商都内から一旦は撤収させたのもまたザーザートであった。そして彼は再び商都の周囲に元通り陣を張った後、次は商都の私兵団に接触を試みた。

 商都陥落の布石としての内応者を画策した訳ではない。むしろ商都はそのままに、続く妖精皇国への進軍の為の増兵を画策し、それを隠そうともしなかった。

 要は妖精皇国に矛先を向ける事とその為の兵を公に募ったのである。それは何とも中途半端な、そして素人目にも有り得ない采配であった。

 既に配下を率いてきた公国の“貴族”達も会談の名目の誘い出した商都の会合衆達にも、揃って“遺児達”(ラファン)を体内に潜ませ、いつでも命を奪えると脅し傀儡と化すところまでは済んでいた。そもそも会合衆に至っては先日の会談の際の“遺児達”(ラファン)の強襲と拘束によって重篤の者も多かった訳ではあるが。それでも反抗的な態度を崩さない“貴族”に対しては“寄生”する“遺児達”(ラファン)を増やしその思考能力をも奪ったところまでザーザートは行った。半ば廃人とすることで見せしめとしたのである。

 “遺児達”(ラファン)が“寄生”を行わなかったのは、過度の脳への干渉によって長距離砲術に対する才能を損なうことを危惧されたカアコームくらいのものであった。

 そこまで入念な“仕込み”を時間を掛けて行っていたにも関わらずの撤収と妖精皇国に向けての転進である。商都陥落――そればかりかこの閉じた世界(ガザル=イギス)の全ての魂魄(たましい)あるモノを“死”に誘うというザーザートとメブカの共通の宿願からは大きく逸脱する流れであったことは間違いなかった。

 数多の“悪霊”を内包しているが故か、言葉による意思表示を示すどころか内なる思考の明確な統一すら怪しい“亡者”メブカであったが、しかしザーザートが兵を商都から撤収させたことに対する疑念の“圧”は確かなものであった。それを強くその身に感じ取ったからこそザーザートもしばしの沈黙の後に更にこう付け加えた。

 「商都の人間は、今は自分達を襲った災厄が過ぎ去ったと安堵し始めているだろう」

 「……」

 メブカは相も変わらず無言のままである。

 であるならば、天幕の内に秘かに微かに聴こえる女の啜り泣きは幻であったのであろうか。

 「彼等に芽生えたささやかな希望は、我等が妖精皇国を殲滅したという報と共に不安へと変わるだろう。自分達は本当に見逃されたのかと」

 「……」

 「新たな不安に怯え、それが絶望へと変わる苦しみを存分に味合わせた上で死に追いやってこそ、我等の復讐は果たされるだろう」

 ユラリと、メブカの漆黒の体が波打つ。ユラリユラリと二度三度。それを苛立ちや不服の顕れと解したのか、宥めるようにザーザートは更に言葉を続けた。

 「妖精皇国を我らの死の行軍の折り返しの地としよう。かの(くに)を滅ぼし、そして商都に引き返し蹂躙と共に公国に戻ろう。その途上で、お前の思うがままに“死”を振り撒けばいい」

 ザーザートが薄く笑う。背中越しであるが故にメブカにすら明かされてはいないその笑みは、どこか自嘲めいた空虚なものであった。

 「そして再び公都の“奈落”の入り口に帰り着いた時こそ、メブカ、最初の約定に従い我らが魂魄をお前に捧げよう」

 「……策謀もほどほどにしておくことだ……」

 背中越しに感じていた“圧”がフッと掻き消えた事をザーザートは知った。それが“亡者”メブカが再び地の底に身を潜めた証であり、わざわざ振り向いて確かめる必要もない程度には常のことではあった。

 だがザーザートが訪れた静寂に心の奥底で安堵した――彼自身は“亡者”に対する畏れの念を決して認めることはないが――にも関わらず、メブカが去った理由が己の熱弁に納得したのではない可能性があることを彼はすぐに思い知ることとなった。


 「名代!」


 天幕の外側から、ザーザートを呼ぶ声がした。それが雑用を任せた従者――とは云え、その極僅かな供回りの者にさえもザーザートが気を許すことは無かったのだが――に対し、ザーザートは独り残された天幕の内で襟を正すと、再びいつもの慇懃無礼な口調で従者に推参の理由を問うた。

 そして一方でメブカが不意に去った理由が、“部外者”に横槍を予期しての事ではなかったとのかとも推察する。

 「公都からの特使が到着されました」

 「特使?」

 「オズナ・ケーン卿です」

 (……何故戻って来た?)

 予期せぬ特使の来訪と何よりも聞き覚えがあるどころではないその名に、ザーザートの表情はみるみる内に険しいものとなった。


        *


 「帰ったぞ!」


 ナナムゥの第一声が静寂の中に響き渡る。

 かつてはそこそこに人の行き来が絶えなかった浮遊城塞の中庭ではあったが、今私達を出迎える者は片手の指で事足りるだけの頭数でしかなかった。

 所長とその護衛であるクロ。

 いつ合流したのか定かではないが所長の使用人であるミィアー。

 そしてまるで始めから身内であったかのように場に馴染んでいるファーラ。彼女の額を飾る意志ある水晶球(ルフェリオン)も頭数に加えてもいいだろう。

 かつてカカトとコルテラーナに率いられ天空を優雅に渡っていた浮遊城塞オーファスに今残っている人数はそれだけ――たったそれだけであった。更に幾人かは避難勧告を拒絶し城塞に残留していると後から聞いたとは云え、擱座した浮遊城塞の中庭にガルアルスの手によって“早馬”ごと降り立った私達を出迎えはひと騒動起こるどころの話ではなかった。

 妙な期待をしていた訳ではない。自分にとってのこの世界での“帰るべき場所”である浮遊城塞の凋落が私にとっては何よりも悲しいことであったのだ。

 だがそれでも、否それだからこそ陽の光の下に朗々と響き渡るナナムゥの第一声は想像以上に強く私の心を打った。

 「ナナムゥ……!」

 私達の対面に立つ所長がどこからか取り出した扇子を広げ、顔を隠した。扇子越しに発せられた口調は依然としてたおやかなものであったが、それでも声に僅かな震えを帯びていることは隠し切れるものではなかった。

 「よく、よく無事に戻りました」

 「約束じゃものな」

 「……そう、そうでしたね……」

 所長はパシリと扇子を閉じると、もはや目尻に浮かぶ涙を隠そうともせず、万感の想いと共にナナムゥに頷いた。

 「お帰りなさい、ナナムゥ」

 「応!」

 ナナムゥは泣かなかった。むしろ胸を張り、得意げに笑った。貌を伏せたバロウルの方は、或いは涙ぐんでいたのかもしれない。

 私はと言えば、帰って来た、それも誰一人欠ける事なく無事に帰って来れたのだと、恥ずかしい話ではあるがこの時に初めてそう強く実感し深く安堵した体たらくであった。

 だが私達にはそれ以上再会の感傷に浸っているような余裕は許されなかった。

 すぐに私は――或いは私達は――自分達の再会にかまけるあまり、別にもう一組ようやく再会を果たした者達の存在を失念していたことに気付いた。改めて名を挙げるまでも無くファーラとガルアルスのことであるが、彼等は私達とは異なり感動の対面という状況は必要なかったのだろう。付随する騒ぎがまったく起こらなかったので、いつの間にやらふいと両者が姿をくらましていることを私達が知ったのは、ミィアーとティラムが昏睡状態のモガミを“早馬”の荷台の中から運び出してからのことであった。

 「まさか、あやつら!?」

 慌てたのはナナムゥである。的確な表現であるのか自信は無いが敢えて陳腐な言葉を使うならば、ガルアルスとファーラは“放浪者”、或いは流浪の身の上であるということを私も薄々と感じ取っていた。私や所長もこの閉じた世界(ガザル=イギス)に“落ちて来た”者である以上、私達の境遇に大した違いは無い筈なのだが、それでもガルアルスが“違う”ことを誰もが皆直感的に理解していたのではないかとも思う。

 ガルアルスが事あるごとに口にしていた“定命の者”という物言いがそれを後押ししたのかもしれない。それは裏を返せばガルアルスが“定命の者に非ず”という意味合いを兼ねているのであるから。

 それは兎も角、ファーラとガルアルスが揃って姿をくらませたことに慌てるナナムゥに対し、所長は確信を込めてこう断言した。

 「大丈夫。別れの挨拶も無しに私達の前から去る程、ファーラは無礼ではありませんよ」

 不思議なことに――所長とファーラの出自(みぶん)が同じではないかという私の推測が正しければ不思議ではないのだが――彼女達が奇妙に馬が合っていた感じであった事には私も気付いていた。そして所長が太鼓判を押したように、ファーラ達の居場所は意外な程あっさりと判明した。

 私達の前から唐突にファーラ達が消えたように思えたのは、結局のところ単に浮遊城塞から目撃者たる住人が失せていたからに過ぎない、それだけの理由であった。

 先程も述べたように幾人かの例外は居るとして、かつて浮遊城塞に居住し製紙業に携わっていた住人のほぼ全ては妖精皇国への避難を終えていた。所長の『妖精皇』としての威光はまだ健在であり、それに加えて“館”の裏庭に居住に耐えうる簡易施設を用意していたことで、事実上の“難民”である彼等の受け入れそのものは認められた。或いは所長はいつの日かこのような浮遊城塞が墜ちる日を予見していたのでのはないかとすら思える準備の良さではあった。

 所長が私達に対し手短に現況を説明するに際し、まず最初に告げられたのがこの浮遊城塞の住人の避難先と、そして妖精皇国の住人との軋轢が生じていないという話であった。

 あくまで今のところではあるが。

 その為の調停や交渉役としてポルタ兄弟を始め、ヴァラムとその護衛達もまた今は妖精皇国に滞在しているとのことであった。

 そういう経緯を説明されたこともあり、バロウルは浮遊城塞の動力炉――機関部と言った方が適切かもしれない――に向かった。診療所――とは云え、診療を行っていたコルテラーナは既にいないのだが――に運び込まれたモガミにはティラムは勿論所長も付き添っており、要は中庭に残されたのはナナムゥと私だけとなった。

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