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鬼轟(7)

        *


 『俺としたことが術の使い手を見誤るとは……』


 モガミとティラムを抱えて戻って来た直後にガルアルスが漏らした呟きのその意味を、私は勿論の事その時は誰一人として理解できてはいなかった。続いてその後に吐き捨てられた『ザーザートめ……』という呟きの声を辛うじて聞き洩らさなかっただけが精一杯のことでもあった。

 だが私達がそれについて頭を悩ませる必要はなかった。意味不明なその呟きを補足してくれる者がすぐに現れた為である。ガルアルスが私達に興味を無くしたが如く――それは常の態度でもあった――独り離れた場所に佇んだ後に、気を失っていたティラムが意識を取り戻したのである。


 『わ、わた、私はザ、ザーザートの同門だから――』


 依然として昏倒から目覚めぬまま横たわるモガミの手をギュッと固く握りしめ、ティラムは度々どもりながらもガルアルスの『見誤った』という言葉の真意を――憶測交じりではあるが――私達に伝えた。

 『わ、わ、私とザ、ザ、ザーザートの使うほ、方術の“術式”は、お、同じ構成だから、み、見分けが――』

 私とバロウルが思わず顔を見合わせたのは、ティラムの口から語られた『方術』という単語にあった。門外漢の私に言わせて貰らえるならば所詮は『魔術』の流派の一つに過ぎない。だがカカトの最期を見届けたバロウルを介して、彼の命を奪う要因となったものこそがザーザートの操る『方術』であったという事は聞き及んでいた。

 その意味で私達にとって方術は仇の使う因縁の『術』である。だが私達のみではなくガルアルスもまた同様に、ザーザートとの因縁が生じていた事を私達が知るのはまだ少し先のことである。この時点の私達にとってガルアルスの言う『見誤った』という言葉の意味は、文字通りティラムの構築した方術陣をザーザートが方術を行使したのだと誤認してしまったという無念の意味だろうと納得する他なかった。

 ガルアルスがザーザートに対して“けじめをつけさせる”時が来た――そのつもりで()け付けたなどとは知る由もなかったし、まだその刻ではかったという意味での『見誤った』であるなどと分かる筈もない。

 何よりもガルアルスの呟きに拘るよりも他に懸念すべき問題があった。ガルアルスの手で運び込まれてからも依然として昏倒したままであったモガミは、そのまま息絶えるようなことこそなかったものの我々の野営地に横たえてからも意識の戻る気配すら無かった。

 シノバイド――共に行動したのは短い期間であったとは云え、その精強さはティラムとヴァラムの双子の姉妹が事あるごとに賞賛していたように記憶している。夫に対する贔屓目というのを考慮しても卓越した(おとこ)であることは疑いようもなかったし、私よりもそれを熟知しているであろうナナムゥとバロウルが彼が人事不省の状態であることに揃って驚愕していたことからもそれが知れた。

 何があったと問い質すナナムゥに対し、ティラムは羽毛も何も無い黒い表皮の“鳥”による執拗な追跡があった事をたどたどしい口調で我々に告げた。モガミが幾度撃退しようとも新たな“鳥”が時を置かずに出現し、その鋭い刃物のような翼はやがてはモガミの肌を浅くとはいえ裂いた。

 その漆黒の無毛の“鳥”とやらには私達も心当たりがあった。かつて所長の館を襲撃したティティルゥの遺児達(ティティルラファン)、その黒き奔流の残した“旗”を私達は一度は手にしたが、それを横合いから奪った謎の“鳥”がいた。その様な得体の知れぬ存在であるが故に、まずは同一の存在と考えても間違いではないだろうという妙な確信もあった。元を質せばそれらは全てザーザートの手に連なる暗躍の証であろうということも。

 何とかティラムだけでも逃そうと試みたモガミであったが、“鳥”の追跡は執拗を極めた。複数の“鳥”によって巧みに街道から引き離され僻地に追いやられ、遂にはモガミが人事不省に陥るにあたり、遂にティラムは方術により身を隠す結界を張らざるを得なかった。

 苦し紛れのその場しのぎの策でしかないことは彼女自身も充分に判っていた。結界の中から移動できず、助けの来るあても無い。籠城を決め込もうにも満足な食料や水すら無いのである。

 ティラムは“終わり”を覚悟した。

 (ヴァラム)だけは既に逃した。お腹の中の子と共に。そうささやかな慰めと共にティラムがモガミの頭を抱き抱えた時に、まさに結界を蹴り破ってガルアルスが出現したという次第である。

 「そ、そ、それで終わり……」

 ナナムゥに対し自分達に起こった出来事を一通り語り終えたティラムは、再びモガミの手を強く握った。“鳥”が何らかの猛毒を有していたのか、或いは――ティラムの話の中にあった――商都脱出の際に彼女を庇い背中に受けたザーザートの方術による魔弾がその身を蝕んだのか。何れにせよ、モガミがいまだ重篤であることだけは確かであった。

 ナナムゥが『のぅ』と不意にガルアルスに声を掛けたのは、目覚めぬモガミの手を離さぬティラムに対し痛ましげな視線を向けた後のことであった。

 お主の力で何とかしてやれんのかと。引き剥がしたキャリバー(わたし)の胸部装甲を修繕したように、と。


 「縋るな」


 「――!」

 たった一言でしかないガルアルスの返答はあまりにも簡素で、そして同時に頑とした鋭さを兼ね備えていた。

 「俺がその死に損ないに情けを掛けたのは、手を下したのが俺自身であるからだ。それ以外で俺が貴様らに助力する謂われも無ければ必然も無い」

 「――」

 ナナムゥの白い肌がうなじどころか耳まで真っ赤に染まったのは、にべもなく断られたが故の怒りによるものではないことを私は知っている。

 「……そうじゃな……」

 ナナムゥの声が震えている訳が、己自身の“甘え”を恥じたが故であることも私は知っている。

 「許せ」

 「……」

 ナナムゥの謝意の言葉に、ガルアルスの三白眼で彼の背中越しに一瞥する。そしてそれ以上真紅の少年は言葉を発することもなく、それで全ての話は終わった。

 ティラムとヴァラムの双子が揃ってこの場にいたならば、或いはそれでも尚ガルアルスの情けに縋ろうとしたのだろうか――それがこの時の私の正直な疑問であった。ティラムがこの両者のやり取りに口を挟まなかったのは、ガルアルスの卓越した“力”を直に目にしたことが無い為に実感が湧かなかったからだろうとも推測していた。

 だが私のティラムに対するその認識がそもそもの間違いであった。後々にそうと知った後でも、私には俄かにそれを理解できないのも正直なところではある。

 (モガミ)は決して負けたりはしない――ティラムとヴァラムの双子は固くそう信じていたのだということを後に私は聞かされた。所長から。だがそのような夫婦の機微とでも言うべきものは、単なる浪漫としてしか私には理解できないものであった。

 私の個人的な感想は兎も角として、夜が明けたところで私達は当初の予定通り――そしてこれまでと同じく揃って“早馬”の荷台に押し込まれて――浮遊城塞を目指す空の上にいた。

 一夜明けても依然としてモガミの意識は戻る事はなかったが、さりとて容態が悪化しているようにも見えなかった。むしろ呼吸だけでいえば安定してきたようさえ思えた。或いはこのまま死ぬようなこともないだろうとガルアルスが見越していたからこそナナムゥの他のみを退けたのではないのかと邪推する程に。

 わたしがティラムを手伝えるようなことは何もなかったけど、ただ今まで以上にガルアルスの飛行速度が遅い気がするのと、そのせいかわたし達のいる荷台の揺れが全然無かったことには驚かされた。

 同じ様にそのことに気付いていたのであろう私の隣のナナムゥが、何とも言えぬ顔でムフゥと鼻を鳴らしたことも併せて強く印象に残った。

 「――視えた」

 元からボロボロの“早馬”の荷台の覗き窓から外を注視していたバロウルが、そう私達に注意を促す。無論それが浮遊城塞が目視できたという意味であることは疑いようも無いが、ナナムゥはその時には既に“早馬”の荷台の応急処置的に塞いだ穴の補修板を引き剥がしていた。

 穴から外に半分顔を突き出したナナムゥであったが、いつものようにはしゃいで大きな歓声の一つでも上げるのかと思えばそうではなかった。

 すぐに穴から顔を引っ込めたナナムゥは、大きな碧色の瞳に慈愛の色を湛えて私達へと振り返った。

 「良かったの、ティラム。これでモガミも――」

 ナナムゥは最後まで言い終えることはできなかった。突如として響いたドスンという音に遮られた形である。

 「ヴ!?」

 それまでほぼ不眠不休でモガミに寄り添っていたティラムが、安堵のあまり気を失い卒倒したところを、その横に小さく蹲っていた私は慌てて支え起こした。


        *


 商都ナーガスを巡る状況は混迷を極めた。

 『戦況』ではなく『状況』という表現したのには理由がある。商都内部の火災に乗じて雪崩れ込んできたコバル公国軍にせよ、それを迎え撃つべき会合衆の私兵団にせよ、そのどちらもが統制に難があったのである。

 分かりやすく言えば、両軍が真っ向から衝突するような事態は起こらなかった。

 そもそもが商都内に火を放ったのが何者なのか――すなわち内応者がいたのかどうか――さえ最後まで不明なままに混乱だけが増し増していった。

 それに加えて何よりもコバル公国の将校――公国の“貴族”と同意義であるが――も、私兵団に命令を下すべき商都の会合衆達ですら、残らずザーザートによって掌握されていた。ティティルゥの遺児達(ティティルラファン)を彼等の体内に“寄生”させることにより文字通りその命運を握っていたのである。そしてザーザートは両軍の“頭”を押さえておきながらも、敢えてそれ以上は策を巡らすことも無く末端の兵卒の暴走するに任せた。

 まさに茶番の様相ではあったが、ザーザートは全てを放棄した訳ではない。自らが手引きした結果ではなく、人が自らの“悪意”によって相食み生命を奪い合う地獄絵図が始まることをザーザートは望んだのである。

 尤も、ザーザートの望みが叶った訳でもない。

 商都の歓楽街には過去を隠して隠遁していた隻眼の老兵がいた。半ば伝説であった老兵――閉じた世界(ガザル=イギス)において彼は同時に卓越した“魔獣狩り”でもあった――は己の終生の閨と定めた歓楽街を護る為に正体を晒し奔走し、むしろ互いに反目するだけであった私兵団を結束させた。

 雇い主である会合衆達との連絡が途絶え、それによりコバル公国側に土壇場で寝返る者が出なかったのは、生ける伝説であるその老兵に敬意を表したというのが一番の理由ではある。だがそれに加えて傭兵の“嗅覚”として、公国側の動きに胡乱なものを感じ取ったというのも大きな理由であった。それ程までに市街地に乱入して来た公国側の“貴族”(しょう)の指揮は精彩を欠き、また将兵の士気そのものも低かった。

 末端の兵による狼藉を完全に抑え込めるまでは流石に出来なかったとは云え、公国の軍勢は拍子抜けする程にあっさりと商都の外に撤収し、元のように防壁を遠巻きに陣を張りその場に留まった。

 “大山鳴動して鼠一匹”――この閉じた世界には存在しない言い回しではあるが、要はそういう状況であった。

 さりとてそのまま公国に撤退する訳でもないその陣立ては不気味であり、その真意を推し量ることができる者は誰もいなかった。件の老兵を始めとする商都の側の人間どころか、当事者である公国の将兵の誰一人として。


 「どういうつもりだ……?」


 ザーザートの坐する陣内で陰々滅滅とした声で問い質してきた以上、その疑念は“亡者”であるメブカをしても同じであったようである。とは云え、メブカが数多の“悪霊”の集合体であるが故に明確な怒気はその“内”で希釈され、抑揚の無い只の問い掛けと化してしまってはいたが。

相変わらず多忙の上に老父の余命も僅かで中々執筆に時間割けない状況です。

とは言え、このままだと投稿そのものを投了しそうな感じでしたので文字数少ないですが投稿の習慣だけは何とかと、そういう次第です。

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