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鬼轟(4)

 それまでただ悠然と立っていただけに見えたメブカが、ザーザートの宣告に合わせて僅かに傾ぐ。モガミ達に対して前傾の姿勢を取る“亡者”の虚ろであった目線は、今は明確な殺意を湛えてモガミとティラムの姿を真正面から見据えていた。

 (せめて九朗か四郎がいれば……!)

 この場に居ないモノを頼るなど愚の骨頂である。そう内心で己を叱咤しながらも、しかし一方でモガミは状況が限りなく『積み』であることを認めざるを得なかった。

 片手でティラムを抱き抱え、残った片手に隠し持った鋼索(ケーブル)を用いて天窓を突き破り逃走を図るところまでは可能だろう。だがザーザートとメブカに挟まれた状態の今、両腕を塞ぐという行動が致命的な隙を産むということをモガミは悟っていた。

 そしてこのままでは手詰まりであることを理解しているのは、(モガミ)だけではなく(ティラム)もまた同様であった。

 「……行って」

 短いティラムのその言葉に、モガミは我知らず慄いた。警戒するメブカから思わず目を離しティラムの方を凝視するような愚こそ犯さなかったが、彼女の言葉の意味することに慄然としたのである。

 自分を捨てて単独(ひとり)で逃げよと云う促しであることは改めて問い質すまでも無かった。かつて匪賊の襲撃から自らの肉体(からだ)を犠牲に(ヴァラム)を逃したように、今また己が存在(いのち)を犠牲に(モガミ)を逃がそうというのである。

 「……商会の事もお願いね」

 我知らずに思わずそう付け加えた後に、ティラムは自分自身ではなく敢えて商会の事を念押ししてしまった己を恥じた。その方がモガミの心により消えない傷跡を残すであろうと知っていたからこそ、思わずそう口にしてしまったことを彼女は自覚していた。

 嫌な言い方をしてしまったという激しい後悔がティラムを襲う。それは奇しくも双子の妹であるヴァラムが所長に対し、恥じた言い方をしてしまったと悔いたのと同じであった。

 「ティラム……!」

 逡巡する時間などある筈も無い。実際にモガミが決断を下したのは刹那の後であった。

 それでもモガミが掴んでいたティラムの肩口から手を放し、『身軽』な単身となるまでの苦悩は永劫に近い苦しみで彼を責め苛んだ。

 ティラムが笑う。一度恥じたにも関わらず、モガミの心に刻み付ける為のとっておきの満面の微笑みを。

 モガミは幸運であっただろう。一度は決意した“罪”を犯さずに済んだのだから。本人はそれを自身の幸運ではなく主の加護の賜物だという考えを後々まで覆すことは無かったけれども。

 単身、一気に天窓へと跳躍する機会を伺うモガミ。その天窓を内側から覆っていた遺児達(ラファン)ごと突き破り、一人の男が議事堂内に舞い降りたのはまさにその時であった。

 白銀の胸鎧に同じく白銀の手甲と脚甲。見る者全ての目を惹くであろう端正な顔立ち。しかしモガミがまず注視したのは、その首に巻かれた見覚えのある長く青いマフラーであった。

 元はカカトの遺品である青いマフラーを巻いた青年は、“亡者”メブカと瓜二つの顔をしていた。血色こそ遥かに違えども。

 ガッハシュート――無論、如何にモガミの誇る情報網とは云え、先日の浮遊城塞強襲の際に人知れず繰り広げられたガッハシュートとメブカとの闘いと、そしてガッハシュートの敗死という結末までは知る由も無い。故にモガミにとってガッハシュートの突如とした乱入自体は――カカトの形見である青マフラーを巻いている経緯は兎も角――単なる予期せぬ闖入者が現れたという意味合いでしかなかった。

 しかしメブカより事の顛末を聞いていたザーザートにとっては、死んだ筈の人間が突如として甦ったという意味合いを持っていた。それこそ“亡者”と等しい存在であるかの如くに。

 (――今しかない!)

 ニィと小気味良い笑みを浮かべたガッハシュートに対し、二人の“魔人”が殊更に身構えたその隙をモガミは見逃さなかった。

 誰が知ろう。“亡者”メブカとザーザート、そしてガッハシュートとモガミ・ケイゴ・カルコース、この四名こそが閉じた世界(ガザル=イギス)に縛り付けられし者の中でも最上位の“力”(せんとうりょく)を持つ存在であり、加えてこの刻こそが彼等が一堂に会した最初で最後の機会であったということを。

 「ティラム!」

 モガミの行動は迅速であった。カカトのマフラーに対する疑念すらも脳内から綺麗に削ぎ落すことができたのは、彼の忍としての厳しい修行の賜物である。兎も角、彼は場の空気が一変したと感じ取った時には、ティラムにだけ短く耳打ちしその躰を強く小脇に抱き抱えると、ケーブルを射出しそのまま天窓から一気に議事堂の外に躍り出た。

 「そつの無い男だ」

 流石に目で追うまではしなかったが、ガッハシュートは僅かに苦笑だけを漏らした。だが全てを押し付けられた形になったとは云え、そこに嫌悪の色は含まれてはいない。

 「さて、この前は『初めまして』だったが、今回は『久しぶり』ってところか」

 スックと上体を起こし軽妙な口を利くガッハシュートに対し、メブカの返答は如何にも辛辣であった。苛立ちが込められていたと言ってもいい。

 「紛いモノが凝りもせずに再び我が前に彷徨い出たか」

 「“亡者”のお前にだけは言われたくないな」

 ガッハシュートは軽口で言い返しはしたが、その目は笑ってはいなかった。モガミ達と入れ替わるようにメブカとザーザートの間に割って入った以上、ガッハシュートもまた挟み撃ちとなった形であったのだが、その一見危機的状況も長くは続かなかった。

 ザーザートもまたモガミ達を追って、伸ばした“糸”によって天窓から外に跳び出て行った為である。床を覆う遺児達(ラファン)はその場に留まったままであったが、残る壁や天井に張り付いていた遺児達(ラファン)は再び一つの雪崩のようにザーザートの後に続いた。

 それによってこれまで内側から議事堂の扉を押さえていた遺児達(ラファン)もいなくなった訳ではあるが、解放されたその扉から内部に突入して来る者は皆無であった。既にそれを疑念に思う者もこの場に残ってはいないが、とうの昔にメブカが地の底より伸ばした黒い触腕によって縊り殺されていた為である。

 議事堂内で動く者がガッハシュートとメブカの二人だけとなった時、まるでそれを待ちかねていたかのようにメブカは初めて問い掛けをその口にした。“亡者”の証である淡々とした抑揚の無い口調自体には、一切の変化が無かったとは云え。

 「紛いモノの身でありながら何故抗う?」

 「俺がサリアの見る“夢”だからだ」

 まったく同じ貌を持ちながらも“光”と“影”、“生”と“死”――相反する両者を並べて語るならばこうであろう。しかしガッハシュートの語る両者の相違は、正に両者が成り立ち自体は酷似していることをも示していた。

 「お前がメブカの見た悪夢の残滓であるのなら、俺はサリアが願った夢幻(ゆめまぼろし)さ」

 「戯言を」

 「夢幻なんてそんなもんだろうよ」

 義手義足である四肢に備わる魔晶弾倉の幾つかを発動させつつ、ガッハシュートは己の言葉を合図に跳んだ。脚部の震空鋼(オリハルコ)によって中空に設置した透明な足場に仁王立ち、メブカを見下ろす形をとる。

 大地を自在に出入りする神出鬼没のメブカに対するガッハシュートの、再戦の陣がそれであった。両腕に装填しておいた魔晶の発動音が高らかに鳴り響き、鞭の如き真紅の炎刃が“亡者”目掛けて頭上より奔った。


        *


 辛うじて窮地を脱し、議事堂の屋根の上へと逃れ出たモガミは、一息つく暇も無く更にケーブルを飛ばし周辺の高い建造物の屋根へ次から次へと飛び移った。欲を言えば少しでもカルコース商会に向かいたいところであるが、咄嗟ということもあり逆方向に奔ったのも止むを得ぬ措置であった。商会に追手を誘い入れない様に考慮したというのも無論ある。

 偶然であったとは云え、その乱入が救いの手となったガッハシュートを躊躇なくその場に見捨てて逃走したモガミである。屋根伝いに逃げるのではなく議事堂の建つ中央広場に降り立ち群衆に紛れる手もないではなかったが――そしてそれを躊躇するモガミではなかった――彼がそうしなかったのは地面から神出鬼没に出現するメブカによる無軌道な不意打ちを強く警戒したからに他ならない。

 五棟目の屋根まで飛び移った後、ようやくモガミは小脇に抱えたままであったティラムの体を降ろすと、その勢いのまま天に向けて照明弾を放った。誤射ではない証として、続け様に三連発。それは商会に残してきたシノバイド達と最悪の結果に備えて予め取り決めておいた合図の一つであった。

 商都ナーガスからの撤収。具体的には商会の床下より地下大迷宮を経由し商都の外に脱出するという取り決めである。モガミが孤児を引取り養育し、シノバイドの適性が無い者もそのままカルコース商会の一員として雇い入れてきたのは、このような有事の際に迅速な命令伝達を可能とする為の備えであった。

 商会を捨てる事に対し、目を懸け婿として迎え入れてくれた先代に対する負い目が皆無であるかと言えば嘘になる。だが例え商会の建物から全てを引き払おうとも、ティラム達姉妹を筆頭に人さえ健在であれば再起も必ず可能であろうと、モガミはまたもや冷徹に割り切っていた。そこには元凶である自分が居てはならないことも。

 「モガミ!」

 商都のあちこちから既に火の手が上がっていることにモガミも当然気付いてはいた。だが驚愕の声と共に不用意にティラムが立ち上がり、屋根の端へと駆け寄ろうとしたことは彼にとっては完全なる誤算であった。

 そして――

 「ティラム!」

 屋根の端でなかったら、或いは突き飛ばすだけで済んだであろう。咄嗟にティラムの体を抱き止めて庇ったモガミの背に、方術によって射出された幾つもの鉄塊が直撃する。それは至近距離から鎚鉾で連打されるに等しい容赦のない衝撃であった。

 モガミの吐血を頭から浴びながらも、ティラムは瞳を大きく見開くだけで絶叫する事すらできなかった。

 「――誰であろうと閉じた世界の中で“亡者”の死の顎から逃れることはできない。ならば今ここで死ぬ方が楽だと、何故理解してくれないんだ、ティラム?」

 宙に張った遺児達(ラファン)による“吊り橋”の上を粛々と歩みながら、ザーザートがゾッとするような低い声でティラムへと淡々と告げる。

 「……」

 くずおれながらも、しかし辛うじて致命傷を免れたことをモガミは自覚していた。剛性と弾性を兼ね備えた月鋼(ルナチタン)製の鎖帷子の賜物であろう。殺気からでもザーザートが自分の方を注視していない事を察知できたが、ティラムに対するその声色に苛立ちの色が含まれているのは確かであった。

 すなわち気狂いでありながらも、ザーザートにはティラムに対するいまだ感傷めいたものが残っている。付け入る隙が無い訳ではなかった。例えば議事堂内で一度は決意したように、ティラムの命を囮として置き去りにして逃れる手もあるだろう。実際、モガミがここまでティラムを抱き抱えて来た理由の一端はそれであったし、今こそまさにその備えを実行するべき時であった。

 ザーザートが不意打ちをせずに姿を現しただけであったならば、モガミは短く苦悩した後に間違いなくその決断を下しただろう。所長の許に馳せ参じる為にも、何時かはそうなると割り切っていた筈だった。

 しかしいざとなると本能的に身を挺してティラムを庇ってしまったことをモガミは忍びとして恥じた。そう恥じる自分を人として恥じた。

 「……」

 詮無き自戒は一瞬。モガミは死中に活を求めるべく、あたかも無傷であるかのように気丈に立ち上がった。

 このまま逃げ切れぬと悟った以上、肚は決まった。最後の手段もまだ己の手の内には残っていた。

 モガミ達の更に頭上より、弦楽器を奏でる電子音が鳴り響いたのはまさにその時であった。

 (――この音は!?)

 (――“旗手”!?)

 モガミとザーザートが揃って同時に音のした頭上を見上げる。信じられぬ思いと共に。

 モガミはその響き渡るエレキギターの音色に聞き覚えがあった。

 ザーザートは自分と同じ“旗手”の“気”――すなわち“旗”の気配を感じ取っていた。

 この商都で最も高い建造物の一つである、厳めしい装飾を施された尖塔の上に彼はスックと立ってこちらを見下ろしていた。陽の光に対し青い金属光をキラキラと反射させている弦楽器をその手に掻き鳴らしながら。

 「お前は――」

 ザーザートがここまで取り乱したのは、かつて“客将”アルスによって己の方陣と計略の全てを粉砕された時以来である。

 しかし彼が受けた衝撃はその時を優に上回るものであっただろう。自らの手で確かに屠った筈の男の雄姿が、これまた確かにそこにはあったのだから。

 「お前は何だ!?」

 傍で聞く限りでは随分と間の抜けたザーザートの問い掛けも無理なからぬことであった。死んだ人間が甦るなど、この世界の全ての者に苦悶の後の死を与えるという彼の大願に完全に相反するものであったのだから。

 ましてや彼や姉のティティルゥ、そして“同族”である頭上の男は、死して後に遺骸は吸収され“再構成”によってその知識と経験を同族へと引き継ぐ、そう造られた『生体兵器』であった。“再構成”そのものに失敗することはあれども、甦ることなど有り得ないことを誰よりもザーザートは熟知していた。

 甦るにしてもそもそも元の肉体が残っている筈がないのだ。絶対に。

 「ちぃっ!」

 ここでザーザートが歯噛みしながらも退くことを選んだのは、甦りは置くとしても予期せぬ“旗手”が出現したという一点にあった。いまだ姿を見せていないとは云え、その殺した筈の男の他にも別の“旗手”の気配が確かにあった。同じ“旗手”としてザーザートが見誤る筈は無かった。その複数の更なる“旗手”の気配を。

 そしてそれは六本の“旗”を巡る“六旗手”という、この閉じた世界(ガザル=イギス)に連綿と伝えられた“彼等”による“決まり事”を根底から覆すものであった。

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