鬼轟(1)
商都ナーガス近郊――とは云え、コバル公国領側に10km程退いた高地であり、商都をグルリと囲む防壁を遠くに望むことができる、そういう意味での“近郊”である。その高地を第二砲台として長距離砲撃型のカアコーム砲は設営され、その長い砲身を商都へと向けていた。
この砲台から三日に一度、商都をグルリと囲む防壁に砲弾を撃ち込むのがここしばらくのカアコームの日課となっていた。今日の昼にもまた、通算で三発目を防壁に着弾させたところである。
やろうと思えば弾道を計算し防壁ではなく商都の中心部に狙いを定めることも可能ではあったし、何よりもザーザートからの要請も実際にそれであった。だがカアコームがそれを良しとしなかったのは、今後の砲台運用の改善の為にも直弾までの時間を計測することは必須であり、防壁に遮られて直視できない商都中心部よりは防壁そのものを標的にした方が観測を行うには確実であった為である。
それに加えて変人として知られるカアコームではあったが、自身の研究があくまで天を覆う“障壁”を討ち貫くことを目的としたものであり、人を殺す為のものではないという強い拘りがあった。自分にとって縁もゆかりも無い市井の人々が死ぬことへの忌避の念を覚えていたのかまでは定かではないが。
何れにせよザーザートの要請に対するカアコームの抵抗は儚いものではあった。単なる標的ではなく都市に対して撃ち込むことは避けられなかった。
「……」
自分でも良く分らない複雑な想いと共に、カアコームは長い年月をかけて自身が設計し建造した長大な砲塔を見上げた。
天へ、天へ。
より早く、より遠く。
長距離砲の仕様自体は早くに確立できていた。砲弾を射出する際に、砲身付随の専用ブロックで更なる小爆発を段階的に発生させ、砲内を通過する砲弾に衝撃波を上乗せして文字通り爆発的な加速を得るという方法である。とは云え、砲身内を通過する砲弾に最適のタイミングで小爆発を発生させる技法が確立できてはいない為に、それはあくまで机上の空論であった。新たな支援者がカアコームの前に現れるまでは。
その男――大公の名代であるザーザートが如何にして彼の砲術の研究を聞きつけたのかは定かではないし、そもそもがカアコーム自身もそこに興味は無い。“洞”から出て独り研究を続ける彼の前にザーザートが訪れたのが正確には何年前のことなのかですら忘れ去って久しい程である。しかしカアコームの属する“洞”の主であるマルゴ卿を介さずに秘かに接触して来たザーザートがもたらしたモノによって、長距離砲は完成まで漕ぎ着けたのは事実である。資金援助ではなく、ザーザートの操る“方術”によって。
事前に定められた時間に正確に爆発を発生させる――ザーザートの方術はそのような事象発生の制御を可能とした。接触自体をマルゴ卿にも秘すことを条件にザーザートより提供された、方術を付与された炸裂箱によってカアコームの長距離砲は完成を見たのである。
無論、“方術”などという自身に理解不能な術式が長距離砲の発射行程に必須であるなどという事態はカアコームにとって甚だ不本意である。しかし曲がりなりにも完成を見た長距離砲の試射によって新たな実証データを収集できるという実利の前に、カアコームは全てを呑み込むことを選択したのである。いつの日か、己のみの手による真の“カアコーム砲”の完成を堅く心に誓って。
そして先日久方ぶりにザーザートがこの第二砲台を訪れ、カアコームをこの場に残し公都に戻ったマルゴ卿が謎の失踪を遂げたことを告げた。この日よりカアコームの支援者は名実共にザーザート唯一人となったのである。
カアコームの第二砲台が何者かによる襲撃を受けたのは、その日の夜半であった。
そもそも戦術的な意味合いで言えば、同じ長距離砲を撃ち込むにしても商都が寝静まった夜中に実行するのがより効果的ではある。商都の住人に与える精神的な圧迫が比較にならないのは言うまでもない。しかしカアコームが――正確にはザーザートが――そうしなかったのは、砲撃を実行する際にそれなりの人手と時間を要する為に、もしその瞬間に夜襲を受けた場合に想定外の不覚を取ることを懸念した為である。つまりは夜間の人員を警備に徹底させたという次第である。
既に第一砲台が爆破された前例があるだけに、そこはカアコームも異論を挟まなかった。
それだけの用心を重ねていたにも関わらず、しかし闇に乗じて砲台に迫る侵入者はその厳重な警戒網をも易々と突破した。それは侵入者がシノバイドの中でも屈指の手練れであった為である。
そのシノバイドの名はマグナ。かつては師であるモガミの命により同輩のナプタと共に“黒い棺の丘”まで所長を護衛する役目を直々に仰せつかった程の精鋭である。ナプタの方は妖精皇国へと逃れるヴァラムの護衛としての新たな忍務を拝領したが、片やマグナはそのまま商都に残りモガミの副官を務めた。そして今、商都の地下通路を巡る公国“貴族”達との小競り合いで動くことができないモガミに代わり、長距離砲破壊の任に単身赴いたという次第である。
実際、マグナがカアコーム砲に肉薄するのはあっと言う間であった。通常の忍務であれば配下のシノバイドによって周囲に陽動をかけることが定石であったが、マグナは撤退の際の退路を確保する役を後方に控えさせてはいたものの完全に単身であった。
先日、カアコームの第一砲台爆破の忍務を主導したのもまたマグナによるものである。その時の経験を生かしたが故の再度の単独潜入ではあったが、今のところその試みは功を奏していた。
モガミ率いるシノバイドも長距離からの砲撃に対し、ただ手をこまねいていた訳ではない。一発目が予告も無く飛来した時、その方角から砲台の場所はすぐに知れた。二発目が着弾した時に、それが移動砲台ではなく完全に陣地に固定されていることが確定した。三発目は敢えて撃たせた。被害に関しては黙殺した。砲台の警護の気が少しでも緩む様に。
罪は全て自分が背負う――それがモガミの下した決断であった。
「……」
マグナは爆弾を取り出そうと忍び装束の胸元に手を差し入れた。長距離砲が三日ごとにしか撃ってこないのは、発射する度に砲身を取り外して分解整備している為であることも慎重に慎重を重ねた偵察忍務によって既に掴んでいた。
詳細が知れてしまえば見事なまでの欠陥兵器である。一発撃つ度にそこまで大仰な整備の必要な――逆に言えばそれ故に長距離射撃を可能にしたのだろうが――砲台であり、砲身を分解整備していることからも、例え爆破によって砲台を全壊することができずとも外殻を歪ませるだけで致命的な障害をもたらすに充分であることは容易に予測できた。
いずれにせよ、かつて商都の眼下と言っても等しい最初の砲台は爆破できた。それと同じく如何に距離を経ようとも――
「――!」
マグナが飛来した暗黒の“鳥”の襲撃を咄嗟に身を捻って躱すことができたのは、まさにシノバイドとしての修練が成せた業であった。次いで前触れも気配も無しに突如として背後に湧いて出た何者かの、己の心の臓目掛けた必殺の一撃を体勢を崩しながらも辛うじて僅かに逸らすことができたのもまた、モガミの弟子であるシノバイドの中で彼が三本の指に入る程の才覚に恵まれていた故であった。
(――不覚!)
背後より自分を襲ったモノについて人の形であることを感じ取るまでは出来はしたが、マグナには肝心のその正体が皆目見当もつかなかった。確認の為に直に顔を巡らす余裕すら既に皆無である。だが肺を刺し貫いた冷たい刃が自分にとって致命傷である事だけは即座に理解できていた。
そこからのマグナの行動には一切の迷いも無駄も無かった。袖口に仕込んでおいた携帯式信号弾――モガミが元のいた世界より持ち込んだものをマグナに貸与した装備である――上空目掛けて打ち上げると、その閃光を見届けることなく懐に潜ませておいた爆弾をそのまま起爆させた。
無論、自分の五体ごと。そしていまだ己が胸を刺し貫いたままの謎の襲撃者の体ごと。
元より長距離砲台を吹き飛ばす事を目的とした高火力の爆弾である。マグナの生命を賭した最期の抵抗は、狙い違わず彼等二人を中心に大爆発を巻き起こした。
「……うへぃへぃ」
砲台からの爆発音を聞き付けて、流石に真っ先に駆け付けたカアコームがまず発した台詞がそれであった。軽快な口調とは裏腹に、苦虫を?み潰したような表情を露わとしながら。
実のところ、マグナがあまりにも容易に砲台まで辿り着けたのは、カアコームの指示によって夜間は長距離砲の周囲に人を配置しない様に徹底していたことにあった。その分の人員を砲台周辺の陣地の警備に当てた訳だが、それは無論カアコームを通じたザーザートによる指示であることは言うまでもない。
今は流石に爆発の後始末に駆け付けた衛兵や工兵の類が互いに周囲の警戒を呼び回り、飛び交う怒号とカアコーム砲の点検を行う技師の悲鳴によって混雑の極みにあった。その為に既に技師達に点検箇所の割振りを指示し、その結果を聞くまでもなく嘆息するカアコームの背後に、独りの男が文字通り湧いて出たことを見咎める者もいなかった。ザーザートが夜間の砲撃を避けた理由の一つでもある、混乱により統制がとれなくなるという怖れを図らずも証明した形となる。
「どうだ……?」
血の気の通ったものとも思えぬ冷淡な声でカアコームに訊いたモノこそ、ザーザートの配した“亡者”メブカであった。とは云え“亡者”についてザーザートが仔細にカアコームに説明などする筈もなく、ただ砲の守護者として引き合わされ、夜間は砲の周囲から他の者を排するように厳命されただけに過ぎない。
メブカの邪魔になるというのがその理由であった。
「壊れはしてないすけど、あちこち歪んでるんですなー。しばらくは撃てなすってところでうす」
『歪んでいる』というのは専門的な解説を省く為のかなり省略した表現であったが、マグナの自爆によりカアコーム砲の外殻と基部に無視できない損壊が生じていることは一目見るだけで分かった。それが故のカアコームの嘆息であった訳だが、それによって彼がザーザートによって大仰しくも“守護者”として紹介されたメブカをなじることが無かったのは、メブカのその端正な貌と生気の無い瞳という収まりの悪い異様さを前に、“亡者”に深入りすることへの危険を本能的に感知した為である。
それに加えてカアコーム自身が他人に厭味を言う――彼曰く『諍いを発生させる無駄の極み』――行為を忌避していたという信条も大きな理由としてあった訳だが。
「そうか」
メブカの返答は短いその一言だけであった。何の感情も読み取ることのできないその抑揚の無い言葉は、或いは単なる呟きでしかなかったのかもしれない。
背後の冷気としか形容しようのない“圧”が消え失せた事で、カアコームは“亡者”メブカが出現した時と同じように唐突に地の底深くに帰ったことを知った。メブカが地を自在に出入りする“人外”であることだけは、彼もザーザートによって知らされてはいた。他に口外せぬようにとの脅しと共に。
だが、カアコームは知らぬ。マグナによる自爆をメブカがその“亡者”の黒い肉体を膨張させ内部に包み込んだことで、カアコーム砲の基部を破壊するだけの致命的な爆発を封じ込めたのだということを。その働きがなければ砲台のみならず、近辺の宿舎にいたカアコームもまた揃って吹き飛ばされ命を落としていたであろうということを。
その代償として四散したメブカの肉体はしかし直ちに地の奥底に吸い込まれ、そして新たな五体を得てカアコームの前にその姿を現したのだということも。
「……」
頭上でいまだ輝きを失わぬ赤い信号弾をカァコームは見上げた。侵入者によって撃ち出された瞬間を直接その目にした訳ではないが、それが爆発四散を遂げた侵入者最後に掲げた、己が未帰還を示す合図であろうことは何とはなしに理解できた。
「あー、何やってんのかにゃー、私はなー」
中空で輝く信号弾の更に向こう側に広がる星空。本来ならば地上の諍いではなくその天空に向けて彼のカアコーム砲は発射されるべきであった。
閉じた世界を形成する不可視の壁を見上げ、再びカアコームは大げさに嘆息してみせた。
砲台を修理した後の、己の去就に関して彼は初めて真剣に考える気になった。
*
三日後――商都ナーガス
これまで三日ごとに商都の住人を恐怖に震え上がらせた長距離砲による砲撃は、この日遂に再開されることはなかった。それが自らの身は殉じたとは云え、マグナが忍務を遂行した戦果であることをモミ・ケイジ・カルコースだけは知っている。
にも関わらず、現実は非情であった。
言い換えるならば、『それはそれ』ということである。商都を窺う長距離砲を『撃てない』ではなく『撃たない』という前提にすり替えて、一ヶ月以上に渡り商都を遠巻きに包囲している公国が交渉の席を提示して来るなどとは完全にモガミの想定外であった。
自らの――より正確には商都を取り仕切る会合衆におけるカルコース商会の立場が急速に悪化していることにモガミも無視はできなくなりつつあった。
そうなることは最初から想定内であるし、ましてその原因については枚挙にいとまが無いことも分かっていた。