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稀謳(19)

 実のところ、一口に“後宮”と言ってはいるがその具体的な造りなど無論私が知る由も無い。ただ廊下の終点には豪勢な扉が据え付けられているのだろうという、漠然とした予想を元に行動していたに過ぎない。それ故に気が緩む域には達していなかったとは云え、目的地までの単なる移動時間だと甘く見ていたというのが正直なところである。少なくとも私に関しては、完全に虚を突かれた形となってしまっていた。

 「――ヴ!?」

 これまで無人の――身も蓋も無い言い方をすれば――廃墟だと思っていた後宮の壁の高い位置に、我々に並走する謎の気配があった。それだけではない。加えて柱の陰からこちらを窺う気配も感じられた。足早に進むナナムゥの発光キューブの輝きの届かぬ、支柱の薄暗がりの影の中に。

 私がソレに気付くことができたのは、無論私の冴え渡る鋭敏な知覚のおかげ――などである訳がない。しかしながら逆にまったくの偶然という訳でもなく、確かな兆候があったが故の察知であった。

 最初は、切れ切れの微かな“声”でしかなかった。ソレが、私達が奥に向かって歩を進めるに従いあちらこちらから発せられ、そして遂には一つの“鳴き声”として重なった。


 ――ティス…ティス……!


 その独特で耳障りな鳴き声を私が――私とナナムゥが忘れる筈もなかった。かつて妖精皇国の所長の館でファーラをその“核”として取り込み襲来し、そして我々が死力を尽くし撃退した筈がバロウルの肚の中に潜み浮遊城塞オーファス陥落の原因ともなった忌まわしい黒き群れ。

 ソレが誰の手のモノであるのかを今ならば私も知っている。カカトの最期をその目で見届け、自らも寄生されたバロウルの証言によって。コバル公国の“方術士”ザーザート――ナナムゥやカカトと同じく元は“生体兵器”である彼の者の操るティティルゥの遺児達(ティティルラファン)の鳴き声に相違なかった。

 「鬱陶しい」

 不意にガルアルスが前方に向けて大きく、そして素早く右の腕を払った。その腕の軌跡に沿って石の通路の上を一筋の走り火が紅く滾る。

 耳障りな“ティス”という例の悲鳴と共に、いつの間にやら私達を取り囲むように蠢いていた群れが一斉に退いた。目には映らずともその気配を容易に感じ取ることができたということは、逆に言えばそれ程までに数を増した遺児達(ラファン)の群れが私達に肉薄していたという事を意味していた。

 一方、如何なる原理によるものか――今更驚くこと自体が滑稽な話ではあるのだろうが――ガルアルスの放った紅い走り火は消えることなくそのまま床の上に赤く輝く軌跡として残った。ちょうど人の脛辺りの高さでしかない僅かに揺れる“炎”の障壁。だが、その輝きはナナムゥの腰の発光キューブなど及びもつかない程の明るさで私達の周囲を照らし出した。

 「――っ!?」

 ナナムゥの、驚愕を押し殺した呻き声が聴こえた。それが周囲でこちらを窺っている妖怪じみた遺児達(ラファン)の群れに対してではないことは既に明らかであった。

 私の方はと言えば最初に炎に照らされて正面に浮かぶソレを目にした時、場違いではあるがまず奈良の大仏を連想した。そもそも奈良になど行ったことも無いのではあるが。本物の大仏が持つ荘厳さなど微塵も持ち合わせていないことなど改めて言う必要もないが、あくまでシルエットから受けた単なる印象でしかない。そもそも私と同程度の大きさでしかないのだから“大仏”どころの話ではない。

 実際、次の瞬間にソレの仔細な姿が――悍ましき胡坐姿が“炎”に照らされ明らかになった時に、私もまたナナムゥと同じく言葉を失った。

 「なんじゃ…これは……」

 唖然として呟くナナムゥ――とその横で呆然と突っ立っている私――に対し、これまでと同じく淡々とした口調でガルアルスが応じる。

 「驚くことはあるまい。貴様らがクォーバル大公と呼ぶモノの成れの果てがコレだ」

 「じゃが…じゃがこれは……こんなことが……」

 もしも今が陽の光の下であるならば、元から白いナナムゥの肌が殆ど蒼白と化していく様が見えたのかもしれない。そして機兵(ゴレム)となったことにより畏怖の感情が稀薄なものとなっていなければ、私などはその横で気絶していたと断言できる。それ程までにクォーバル大公――否、かつては大公であったというモノは酷い有様であった。


 その惨状について、私は語る舌を持たない。それ程までに酷く、そして惨い仕打ちであった。


 どんなに悪しき暴君であったとしても、死者に対してそれはあまりにも冒涜的な仕打ちであったと私は思う。例え私が大公からの実害を受けていない部外者としての立場で、無責任に言い放っているのだとしても。

 かつては口腔であったと思しき部位からボドボドと垂れ流された黒い物体が何であるのかに気付いたナナムゥが、嫌悪感を露わに再びその名を口にする。

 「ティティルゥの遺児達(ティティルラファン)……!」

 床に落ち、鎌首をもたげノソノソと暗がりを目指して這う短冊状の黒い物体。それらを吐き出した“大公であったモノ”に再び目線を転じると、ナナムゥは慄きながら自問した。

 「アレは…生きておるのか……?」

 「ザーザートの施した方術により“培養槽”としての生体活動は続いてはいる。だが――」

 答えるガルアルスの貌には嫌悪の念も哀惜の念も、その何れの感情も窺うことはできない。

 「俺はアレを“生きている”とは認めない」

 そう吐き捨てながらも、ガルアルスの三白眼が上下左右を意味ありげに見渡した。

 「……思っていたよりも少ないな。既に回収済という訳か」

 一人得心するガルアルスの言葉の意味を、無論私達が理解できる筈もなかった。ガルアルスの言う『回収』とは、所在不明となった大公の“旗”のことではないのかという思いが脳裏を掠めはした。だがガルアルスの真意――すなわち『少ない』というのが遺児達(ラファン)の群れの数であり、方術士ザーザートが群れを『回収』しにこの後宮に先んじて訪れた為であろうという推察であったことを、後々に宝珠ルフェリオンに解説されるまでは私達に察しろというのが土台無理な話であった。

 ましてやコバル公国の“客将”アルスことガルアルスとザーザートとの間に、カカトが絶命した折に確執と因縁が発生したことなど、私達にとって知る由も無かった。

 「それで?」

 不意にそれだけをナナムゥに問うたガルアルスの三白眼は、しかし彼女ではなく私の胸部を見上げていた。

 「ここでコレを起爆させるのか?」

 (なっ……!?)

 私の機体(からだ)に秘匿された、この世界の中心を破壊する為の爆破装置。その存在を如何にしてガルアルスが知り得たというのか。私の胸部装甲を引き剥がしたあの時だとでもいうのかと、私は慄く他なかった。

 だが私の驚愕交じりの疑念も、次の瞬間に発せられたナナムゥの怒声の前に全てが掻き消えた。

 「馬鹿なことを!」

 そう声を荒げたナナムゥ自身が一番ギョッとしていたのは、まるでその考えに初めて自分が至った事自体に驚いているかのようでもあった。私を爆破させるという選択に対し、それまで疑念を抱いたことなど皆無であったということ自体に気付いたかのように。

 「キャリバーを自爆させるなど…わしが……このわしが……」

 「……」

 言い淀むナナムゥに対し僅かにガルアルスが眉根を寄せたように視えたのは私の気のせいであろうか。

 事実、ガルアルスはそれ以上ナナムゥにも私にも声を掛けることなく、再び最奥で全身をブルブルと揺らしているソレへと向き直った。

 「待て!」

 ナナムゥが不意に鋭い声を発した時には、既にガルアルスの右の掌には赤い炎の球が浮かんでいた。正に地獄の業火のようにその表面が激しく燃え盛っているにも関わらず、逆に一切の燃焼音を発していないその様は不気味としか言い様がなかった。だが何れにせよその掌に収まる程度の炎の球が、その見た目の大きさに反し絶大な威力を有しているであろうことは、ガルアスルの不敵な横顔も相まって疑いようもなかった。

 「定命であるからには死なねばならん。貴様がやらぬのならば俺がやる」

 周囲にわき上がる“ティス”という遺児達(ラファン)の悲鳴を意にも介さず、ガルアルスは冷たくそう宣告した。その紅い三白眼が――何故か――私に対し鋭い一瞥を向ける。

 「まして、貴様らのような“忌道”による偽りの生など俺が許さん」

 物騒な物言いが私に対して向けられたものであるのは確かではあるが、その片手間の如くあまりにも無造作にガルアルスが手の中の火球を放ったが為に、不穏な空気に身構えていながらもナナムゥは――無論私も――それを制止する暇すら無かった。

 火球は狙い違うことなく最奥にかろうじて坐した形で蠢いていた、かつて大公であったモノのドテっ腹の部分に直撃した。ヘドロのように溶けて堆積したその腹部に脂質が残っていたのかどうかは定かではないが、火球は“大公”そのものを芯として石の天井に届かんばかりに激しく燃え上がった。そればかりでなくそこから弾け飛んだ新たな小さな火球が、周囲で悲鳴を上げていた遺児達(ラファン)の群れに飛び火した。

 否、遺児達(ラファン)の群れだけに(・・・)と言うべきであっただろう。炎によって正確に撃ち抜かれ、それ以上は例のティスという叫びを上げる余地すら無く、遺児達(ラファン)の群れは大公の骸と共に燃え尽きようとしていた。私達の周囲を取り巻いていた中で、飛び火を免れた僅かな遺児達(ラファン)の群れ達も、潮が引くように私達の前から素早く気配を消していた。

 これまで私達をあれ程苦しめたティティルゥの遺児達(ティティルラファン)の、その唯一明らかであった弱点は電撃だけであった。火が有効であれば、私達も始めからそうしていた。しかしその前例すらもお構いなしに遺児達(ラファン)を焼き尽くしたガルアルスの“炎”に、私は改めて畏怖の念を禁じ得なかった。

 果たして本当に、私達が関わっても良い存在であるのかと。彼が言う『定命の者』として。

 「待てと言うたじゃろ!」

 「知らんな」

 私の懸念を知ってか知らずか、無謀とも思えるナナムゥの抗議に対しガルアルスは唯の一言で軽くいなした。涼しい顔のままで踵を返し、燃え続ける大公の死骸に背を向ける。

 「巻き込まれたくなければ、貴様らもここから退いた方がいい」

 「分かっとるわ!」

 ナナムゥが憮然として走り出す後に、私も慌てて続いた。

 後宮そのものがグラリグラリと大きく揺れ出したのは、まさにその瞬間であった。


        *


 その日、コバル公国の公都地下を大きく揺るがした衝撃は、住民達に対して過度の混乱を引き起こした。“洞”による採掘を生業としている以上、崩落事故も珍しい話ではないのであるが、それでもここまで公都の民が動揺したのには理由がある。

 商都ナーガスと妖精皇国に向けて、通常であれば公都を警護する近衛兵のかなりの数が出払ってしまっていることが一つ。そして自分達が両者に対し一方的に攻める側であり、よもやクォーバル大公のお膝元である公都が攻め込まれるという危機感が皆無であった点にある。故に一度不測の事態が生じると敵対勢力である――普段は歯牙にもかけていない――“知恵者”ザラド率いる『救世評議会』の存在を今更ながらに思い出し、“貴族”を含む公都の住民達が混乱の極みに陥ったという次第である。

 そもそも『救世評議会』が、過剰としか思えない常備兵を確保する為に公国そのものが用意した自作自演(マッチポンプ)であるなどとは、例え公国の“貴族”といえども知る者は僅かな一握りに過ぎない。

 ただコバル公国にとって幸いであったことは、これまで大公に変わり事実上執務を取り仕切ってきたデイガン宰相が、引退を待つ身でありながらも依然として健在であったことである。

 そして今、幾許かの手勢と婚約者を率いて地甲蟲の曳く小型車に乗り公国の最深部に向かうその青年も、老齢ということもあり自らが震源地と思われるクォーバル大公の後宮に向かうことの叶わぬデイガン宰相の名代としての任務であった。

 (移動図書館……)

 チラリと、青年は最後尾に続く己が婚約者に視線を走らせた。チャリオット型の屋根の無い小型車の中で小太りの身体を揺すりながら移動するその様は滑稽なものではあったが、青年の瞳は真剣なものであった。

 無理もない。そもそも事の起こりからして宰相の指示を受けてから青年が手勢を集めた訳では無い。既に彼だけが後宮に向かう手勢を集め終えていたことを認められたが故の、宰相による任命であった。

 地下を揺るがす衝撃が公都を直撃する前に青年がそのように段取りを進めていたのは、彼に何らかの予感があったからではない。婚約者の元に移動図書館の使いである“司書”を名乗る者が訪れ、その密談――それだけの権限が移動図書館にはあった――の後に婚約者が彼に持ち掛けてきた“提案”であった。

 公都にある移動図書館の支所は、あの暴君クォーバル大公ですら掌中に収めることを断念したと言われる程の不可侵の存在であった。貨幣鋳造の権利を一手にしていたとは言え、大公に支配下に置くことを断念させる、それ以上の何かがあったことは間違いない。その伏魔殿めいた移動図書館からもたらされた“提案”であるからには、根拠とするには充分ではあった。

 (こんな時、あの人がいてくれれば……)

 青年――デイガン宰相の孫でもあるオズナ・ケーンは、己の目の前で爆散した今は亡き少年の幻影を振り払うと、地甲蟲の曳く小型車を走らせた。

 この世界で、己の力の及ぶことをやろうとあの時に心に誓ったのだから。

 公都の最深部、大公の後宮にして今はその名代であるザーザートしか足を踏み入れる事を許されないその聖域をオズナは目指す。

 それは確かに宰相の名代である彼にしかできないことであった。


        *


 “奈落”からの脱出行の時とは異なり、今回は正式な壁と天井のある石の通路の中を私達は逃げていた。つまりは地表に向けて、公都に向けてと云う訳である。元々が巨躯であるクォーバル大公の籠もる後宮であった為に、私が走り抜けるには問題ない広さの退路であったことだけはありがたい話ではあった。

 とは云え、私達にそれを喜ぶ余裕など一切無かったことも事実である。ガルアルスが大公の骸に放った炎がそのまま後宮全体を覆い始め、石造りであるにも関わらず鎮火する様子がなかった為である。

ガルアルスの作中でのパワーバランスについては

「チビッ子から関取崩れのヤクザ者まで誰でもWelcome!のご町内相撲大会にゲッター3が乗り込んできた」

そういう認識が一番近いです

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