稀謳(18)
とは云え、私が“目覚める”までの間にナナムゥとガルアルスとの間で如何なるやり取りがあったのかという具体的な内容までは、流石にナナムゥは詳細を語ることなく割愛した。
ともあれ、私に対し懸命に状況を説明するナナムゥの口調には浮遊城塞オーファスで子供達を率いていた頃のいつもの快活な調子が戻っていた。あくまで個人的な話となるが、それが私にとっては何よりも嬉しかった。彼女が屈託なく笑えるようになったこと、そして何よりも真紅の死の使いを前にして生き長らえる事ができたことが最大の僥倖であることを私は心の内で悟っていた。
『情けは人の為ならず』――ガルアルスが私に対して止めを刺さなかったその理由が、ファーラが結んでくれた縁である事は疑いようもない。果たしてそれが無ければ私がどのような終焉を迎えていたのかは分からない。
偽りの生――それをガルアルスは“忌道”と称した――から解放された方が、私にとってどれ程楽だったのかも含めて。
話を戻そう。所詮は無為な憶測でしかないのだから。
ナナムゥが最初に私に説明したのは、私達が辿って来た洞窟の由来であった。
方術士ザーザートがその名の通り“方術”によって穿った脱出口――“奈落”の底から地表へ逃れる為に私達が辿った地下通路が存在していたそもそもの理由を、ナナムゥはそう私に説明した。ガルアルスから聞いた話の受け売りであろう。だが問題はそこではなかった。
方術士ザーザート――私も僅かにほんの一瞬ではあるがあいまみえたこともある、コバル公国の王クォーバル大公の使い。対峙した直後に私はバロウルによって機能停止させられたが故にその後に繰り広げられた闘いを直接目撃した訳ではないが、他ならぬカカトを討ち果たした仇であるとは以前からナナムゥより聞かされていた。更にそれだけに留まらず浮遊城塞に侵入しコルテラーナを討った“亡者”メブカともつるんでいるともなれば、少なくとも私達にとっての怨敵であることに間違いない。
そもそもザーザートが何故“奈落”の底に墜ちたのかを私は知らぬ。事故か刑罰か、或いは政争の果てか。『皮肉にも』とでも言うべきか、その怨敵が準備した地下道を私達は辿り、そしてガルアルスが張っていた結界――ナナムゥが軽く流したのは、何の為の結界かをガルアルスが言わなかった為であろうか――を破ったことで遂に彼と邂逅したという次第である。
そして強大な“力”で私達を一蹴したガルアルスであった訳だが、その手を止めたのには明確な理由があった。
浮遊城塞から囮として“早馬”に乗って飛び発つ際に、ファーラが万が一に備えてとナナムゥに託した護符。それがその時に私の腹部に設けられた“収納庫”に一旦は仕舞い込まれたところまでは私も知っている。だが“奈落”の底でナナムゥが隠しておいた“旗”を“収納庫”から取り出した際に、護符も一緒に回収したものだとばかり思い込んでいた。
単なる早合点であったことは否めない。だがそもそもがナナムゥを護る為にファーラが託した護符なのだ。ましてや過酷な“奈落”の地の底で。
しかしナナムゥは、かつての彼女自身が語っていた通り試製六型機兵の生存を最優先として護符を私の中に残してくれたのだろう。ナナムゥ自身はそうだとは述べなかったが、私は彼女がそういう恩を着せる物言いを嫌うことを知っていた。
結果としてファーラの護符はガルアルスの攻撃から私を守護してくれなかった訳だが――上位存在であるガルアルスに対しては元々守護の効力を及ぼさないのか、或いはガルアルスの“力”の前にはまったくの無力であったのか――それでも装甲を引っぺがされ剥き出しとなった腹部から転がり出たその護符のおかげで、ガルアルスが私に引導を渡す為の最期の一撃を止めたのは事実である。
(よくもまぁ……)
我が事でありながら、運だけに救われたことに呆れるより他は無い。自分が命を拾えたのが割と薄氷を踏むような状況であったことは理解できた。
己の持つ僅かばかりの幸運と、既に返しきれない程に恵んでもらった皆の温情のおかげであることも。
だが、今の自分の置かれている現況が、ただ感謝の念に打ち震えていることが許される程の余裕も無いこともまた明白であった。いつか僅かでも恩を返すことができる日を願いつつ、私は意識を切り替えるように努めた。
ナナムゥが腰に結わえた発光キューブが今居るこの場所を照らす唯一の光源であった訳だが、ようやく私は単眼の暗視機能を働かせつつ改めて周囲を見渡すことに思い至った。
「ヴ……」
最初に私の目を引いたのは少し離れた地面に口を開けた、直径3メートルは超えるであろう大穴であった。縁を始めとしたその近辺の敷石が押し上げられた形で剥がれ散らばっている様からしても、それが下側から力任せに穿たれた穴であることは明らかであった。そんな芸当が可能な心当たりとしては、改めて考えるまでもなく唯一人しか該当しない。
真紅の少年の持つ“力”の前にはその是非を問うても意味を成さないことを私は自らの体験によって既に悟っていた。それが故に、如何にして今居る見知らぬ場所に私達が揃って移動できたたのかという私の疑念の一つもようやく解消した。少年が地下の大空洞から私とナナムゥを抱えて、この場所に飛び出して来たという理解で相違あるまいと。
(相変わらずだな、私は……)
頭の中でそこまでの現状を咀嚼し終え、大穴の他にも更に周囲の状況を把握すべく見回した私は、進歩の無い己の迂闊さを呪った。
壁も床も剥き出しではなく人の手が入っているところまでは認識していたが、精巧と呼ぶには程遠い造りであったとは云え、それでも形だけ整えた場当たり的な造形ではないことにようやく私は気付いた。例えば敷石一つにしても、最低限の装飾として縁取りが施された、可能な限り均一な面積の物が敷き詰められていた。何よりも床の中央に僅かに段差としてある一本の経路が――その両脇に篝火用と思しき台座が一定間隔で据えられていることからも“路”であることは間違いないだろう――伸びており、その終点は二十段程度の幅広い上り階段に繋がっていた。
天上や側壁に採光用の窓の類が見当たらないところを見るに、この場所もいまだに地底の一角ではあるのだろう。そして“路”の終点であり最深部にもあたるであろう階段の上に聳え立つ建造物は、その幅広い入り口や佇まいから石造りでありながらも私に神社の本殿か何かを連想させた。
「……」
私とナナムゥの会話が途切れたことにより状況説明が済んだと断じたのであろう。少年は確認も無く無言のままに私達を置いてその奥の“社”へと歩み始めた。相も変わらず地底に鳴り響くカツンカツンという威嚇めいた靴音に、私もナナムゥも慌てて少年の後を追った。
「待て待て待て!」
大声を上げながらナナムゥが、振り返りもせず大股で歩み続ける少年に追い付いたのは彼が石の階段を上りきり“社”の正門に辿り着く直前であった。普段のナナムゥであれば“糸”を投げて少年の足止めを試みたかもしれないが、流石に懲りたのかそうはしなかった。
「……ファーラに免じて貴様の望む場所に連れて来たつもりだが」
足を止めはしたものの、ナナムゥに対し体ごと向き直るまではせずに肩越しにギロリとガルアルスが三白眼で睨みつける。字面だけで言うならば如何にも緊迫した状況ではあったが、如何せん少年の背丈が低すぎる為に、どこか小芝居めいた雰囲気を醸し出していたのも事実である。もしナナムゥがカカトの亡骸を取り込んだ“再構成”によって成長せずに幼女のままであったならば丁度良い取り合わせだったのではなかろうかと云う他愛ない考えが頭の中に浮かんだ程である。
「お主の“力”を疑っておる訳ではない。じゃが――」
良く通る声でそこまで言った後に急にナナムゥが声を潜めたのは、目の前の“社”の中に潜んでいる者に憚ったとしか思えない。階段の上の両者にようやく追い付いた私で辛うじて聴き取れるような、それ程の小声であった。
「ここに本当にクォーバル大公がおるのか?」
“社”の入り口を見上げるナナムゥの声は固い。
「“旗”の気配を微塵も感じぬ」
(そういうことか……)
私は頭の中で、ようやく細々とした全ての疑念が一つに纏まったことを感じた。合点がいったというやつである。バロウルを救出するという使命に加えてナナムゥがもう一つやらねばならないと言っていたこと、それがコバル公国の王にして“六旗手”が一人、クォーバル大公と接触することであったのだと。
知恵の回るナナムゥのことであるからには、クォーバル大公に直談判した程度で戦が終わるなどという甘い考えを抱いているとも思えない。むしろ不意打ち気味に懐に潜り込んだことが、更なる事態の悪化を招く可能性も決して低いものではないだろう。
だが、それでも私はナナムゥの行為を擁護する。話す事さえできればであるが。公国の王にしてこの戦を仕掛けた張本人に直接会ってみたいという欲求は、単なる好奇心などではなくナナムゥの生真面目さからくるものだと長く共にいた私は確信していた。
(だとしても……)
ナナムゥがガルアルスに対し何を訴えようとしているのかは流石の私でも察しが付いていた。“旗”を持つ“旗手”同士は互いの存在を感知できるという特性が、尾鰭の付いたまやかしではなく真実だということも私は知っていた。
その“旗手”であるナナムゥが同じ“旗手”であるクォーバル大公の持つ“旗”の気配を感じない。それの意味することは一つしかない。ナナムゥの戸惑いもそこにある。
“旗”はここにはない。されどガルアルスはここにクォーバル大公が居るという。暴君だという風評が嘘でないのならば、まさか“旗”を下賜などする筈もない。
では“旗”はどこにあるというのか――
後宮に大公が全ての政務を投げ出し籠って久しいという噂は私も耳にしていた。私が“社”のようだと感じた目の前の石の建造物こそ――ガルアルスの言葉を信じるならば――コバル公国の最深部にあるというその後宮そのものだということになる。だが本当にここが後宮であるならば――百歩譲って大公がこの後宮の区域全ての警備の者を排していたにしても――側室や女官の類が居てしかるべきである。噂通りの肉欲溢れた魔窟であるならば。しかし、まるでこの後宮そのものが廃墟であるが如く、女性の嬌声どころか生きている者の気配一つ私達の前には漂ってはこなかった。
木製の朽ちた社であればまだしも、石材を用いたしっかりとした造りの建築物であるだけに、無音のこの状況の不自然さはより一層強いものに感じられた。
「クォーバル大公はここに居る」
まるでコバル公国の公都自体が勝手知ったる場所であるかのように、ガルアルスは淡々と宣言してみせた。
「後は貴様自身の目で確かめてみろ」
そしてガルアルスはナナムゥの返答を待つ素振りすら見せずに、後宮の正面の扉に手を掛け無造作に奥側に開け放った。本来は複数の人間がある種の儀式として恭しく開閉していたのであろう厚くがっしりとした鉄の扉があまりにも呆気なく開いたのは、完全に打ち捨てられていた故か、或いはガルアルスの持つ“力”の賜物か。
カツンカツンと当たり前のように後宮内部に踏み込むガルアルスの後に、私もナナムゥも顔を見合わせ慌てて続いた。
(あ、一緒に来てくれるんだ……)
真紅の小さな背中を追いつつ、わたしは少しフフッてなった。これまでの冷たい話し方から、てっきり入り口に残るものだと予想していたからだ。
(まあ、同行してくれるならば心強いが……)
本来ならば、機兵の巨体では屋内に入る時点でつかえて侵入不可の可能性もあったが、扉も通路も私が移動するにあたりまったく問題としない広さを保っていた。伝え聞いた際は話半分ではあったが、クォーバル大公が常人の数倍の巨躯を誇っていたというのもどうやら真実であるらしい。
後宮の外から一瞥した時の印象と同じく、その内部もまた全てが息絶えたかのような不気味な静寂に包まれたままであった。ただガルアルスの固い靴音と私の隠しようのない大きな足音だけが、後宮の真っ直ぐな通路に虚しく響き渡るのみであった。
妙だと決め付けたのは私の偏見であるのかもしれない。噂通りにクォーバル大公が淫蕩に耽り他を顧みない暴君であるならば、後宮もまたその舞台として陰惨で荒れ果てた情景が広がっていることも覚悟していた。生きた者の声が聴こえない以上、そうおかしな覚悟でもなかったとも思う。
惨劇を望んでいた訳ではない。そこまで悪趣味なつもりもない。
しかし“慰み者”として嗜虐された女官の亡骸一つ転がっていないのは、如何にも整頓され過ぎに思えて逆に薄気味悪かった。良く見れば、壁や床に血の跡と思しき痛ましい染みがここそこに見受けられるにも関わらず、亡骸だけはどこにもないのである。
(もしや罠では……?)
後にして思うと滑稽な話ではあるが、私は真面目にそれを懸念していた。軍師気取りだと笑われても否定できない。だがそれにしても後宮を打ち捨てるなど、よほどの想定外の事態が起こらねば有り得ぬとしか思えない。それでいて目の前に広がる静寂は、ずっと以前からそれが当たり前であったかのような静謐の域にまで達していたのも事実である。
無言のままにナナムゥが黙って歩を進めている以上、“旗”の気配を感じないという彼女の懸念もまた継続しているのだろう。
扉をくぐる前に外観から受けた印象よりも、内部の石の廊下は遥かに長く続いていた。正門とも言える外壁だけは石造りによって景観を整えているだけで、内部はやはり公都の他の例に漏れず地下をくり抜いたものであるのだろう。
それでも全ての出来事には終わりが訪れる。永遠に続く行為など、私達常人にとっては実際の所は責め苦にも等しいものでしかないのだろう。生命活動も含めて。
賢しさを気取った世迷い言は兎も角として、後宮の内部に乗り込んで10分か15分か、何れにせよ唐突な終わりの始まりであった。
何とか投稿ペースを戻していきたいなとは思っていますが
我ながら老父の死期が間近いことが堪えてしまっています