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稀謳(16)

 如何なる音も響かなかった。不可視の“障壁”としての特性もあるのであろうか、少なくとも殴打(インパクト)の瞬間は。ともあれ、少年の放った一撃は機兵(わたし)との圧倒的な体格差により弾き返されるだろうという自然の摂理に一切従うことはなかった。

 足下が砕ける音が轟く。私はここでようやく知った、粒体装甲を殴打する音が響かなかったその訳を。始めから少年は殴ってはいなかったのだということを。

 開いた少年の右の掌が機兵(わたし)機体(からだ)を粒体装甲の“障壁”ごと打ち崩し、そのまま地に叩き付けたのである。その勢いは私の石の巨体を半ば地にめり込ませ、発動の出がかりを潰された形となった粒体装甲の赤い輝きが、みるみるうちに消え失せていくのが視えた。

 追憶として残すにあたり、冷静に思い返した上での推量である。成す術なく仰向けに引き倒されたその時の私にとっては、何が何だか分からなかったというのが正直なところである。ただ単眼の視界の内に再び紅い影が飛び込んで来たことだけが判った。私の土手っ腹に、今度こそ拳による――そして私にとって致命傷となるであろう――二撃目を撃ち込まんと振りかぶった少年の姿が。

 「――ヴ!」

 戸惑うことを私は瞬時に止めた。

 死にたくないと必死な反面、私はその一方で驚くべき冷静さも保てていた。それは私個人の資質ではないのだろう。“恐怖”の感情が稀薄となっているのがそうであるように、魂魄を機兵の躰に移したことによる感情の抑揚が欠けているという副作用が良い方向に作用したとしか思えない。

 左腕に装填したまま未使用であった魔晶弾倉の“力”を頼りに、私は――無神論者を自認しながら半分祈る気持ちで――真っ直ぐに左腕を少年へ伸ばした。これからの旅路に備えて魔晶を温存しておくべきだという思慮も、或いは少年の姿をしたモノに魔晶弾倉の“力”を直撃させるのは非道ではないのかという躊躇すらも一切頭には思い浮かばなかった。

 「――」

 少年の一撃に対する“盾”も兼ねて伸ばした私の左腕に対し、少年が僅かに鼻で嗤うのが視えた気がした。それが私の錯覚に過ぎなかったのかどうかは刹那の狭間の出来事であったが故に確認しようが無い。一つだけ確かなことは私の胸元に一直線に達する筈の少年の体が中空で直角にその軌道を変え、無造作に差し伸ばした形となった私の左手の肘の部分にそのまま手刀を叩きこんだという事である。

 慣性というものを完全に無視した動き。私の単眼の視界の端に、その一撃で肘から先が千切れ飛んだ己の左腕の影を捉えた時、私自身もまた同時に声にならない絶叫を上げていた。

 痛覚の無い筈のこの身体全体を貫き駆けた、これまでの生涯に感じたことの無いまでの激痛。気絶による現実逃避が私に許されなかったのは、機兵(ゴレム)であるこの身体がそもそも正規の“眠り”以外の意識喪失を許されてはいないが為であるのであろうか。私の憶測でしかないが。

 だが、私自身の意識の有りようなどこれから起こることに比べると些事でしかなかった。

 私は見た。私は目を疑った。私にとっての“神経”であり、ある意味“骨格”も兼ねていたこれまで如何なる衝撃でも切れることのなかったナナムゥ謹製の“紐”が、無残にも断ち切られているということに。

 左腕の喪失を告げる警告音が、私の脳裏に繰り返し無機質に鳴り響く。

 (――逃げねば!)

 少年の姿自体を、私はとうの昔に見失っていた。『彼我の戦力差』などという言葉もおこがましい絶望的な――否、一切の抵抗が無意味であるといういっそ清々しいまでの“力”の差を私は理解していた。本能として理解させられていた。これまで幾度も『考えろ!』などと己を鼓舞してきた捨てられぬ最後の矜持、それすらも詮無きものであることを無残にも実感していた。

 気取った言い方をしてしまうのが自分の悪癖であることは知っている。幾ら取り繕ったところで私が尻尾を丸めた敗北を認めたことに変わりはない。

 (――今すぐここから逃げなければ!!)

 少年の気配を探ることすらせずに、私はただその一念だけで芋虫めいてノソノソと転がるように川の下流へ向かおうと試みた。

 そもそも少年が出現した場所こそが向かおうとしている川の下流からであった訳だが、今の私にはそれすらもどうでもよかった。私にとって唯一可能であることが、この場所から這ってでも逃げねばならないということであった為である。例え背中を丸出しの無様な姿を晒そうとも、一分一秒でも早く、少しでも遠くに。

 実際のところ、少年の姿を単眼で追う必要は無かった。例のカツンカツンという彼の到来を告げる靴底の音が、四つん這いで川沿いに逃げる私の背後を追うように響いていたからである。

 “怖れ”と云う感情の薄い機兵(ゴレム)の身体となったことをこれ程までに感謝したことは無い。生来の私であったならばその靴音を耳にした時点で、逃げるどころか恐怖のあまりその場で蹲ってしまっていたとしても不思議ではない。

 しかし自分の懸命の逃亡が全て手遅れとなってしまったことを私は知った。私にとってはこれ以上無いくらいなまでに有難く、それが故にこれ以上無い程までに最悪の展開であった。


 「何のまねじゃ、お主!!」


 背後から響くナナムゥの鋭い詰問の叫び声に、私は自分の目論見が呆気なく潰えたことを知った。ナナムゥの“旗手”としての真の“力”がどの程度のものであるのか今に至っても私は知らぬ。だが少年には到底及びもしないであろうことを、私はこの短い遭遇の内に本能的に理解していた。

 決してナナムゥが弱い訳ではない。ガッハシュートか或いはカカト以外の者であるならば、私は少年に及びはしないとの判断を等しく下していたであろう。

 だからこそ、せめて囮となって少年を少しでもナナムゥから引き離すことを最期の使命として請け負ったつもりであったが、それすらも私は失敗した。

 頭部だけで振り返った私の視界に、“糸”を手繰り宙を奔るナナムゥの姿が鮮烈に映る。私が地に叩き付けられた時の轟音で異変に気付き、速攻で駆け付けて来たのであろう、その身体は滝壺に飛び込んだ時の一糸纏わぬ全裸のままであった。

 (どうして…! どうして……!?)

 わたしは神様を呪った。せめてナナムゥだけでもと私が可能な限りの抵抗を試みたのと同じく、ナナムゥもまた私の為に服を纏う暇すら惜しんで駆け付けてくれた。そして私を護る為にナナムゥは少年に対してその敵意を露わとした。してくれた。

 その私に対する善意が彼女を殺してしまうのだ……。

 「――っ!?」

 ナナムゥの大きな瞳が驚愕によって極限にまで見開かれた時には既に勝負は決していた。少年が己を拘束すべく放たれた彼女の不可視の“糸”をそのまま素手で掴み取り、手首の動きだけで逆にナナムゥを己の手元に手繰り寄せる。

 「――人外…戦闘用の個体か……」

 声一つ上げる暇も無く少年の胸元に無防備に飛び込む形となったナナムゥ。その真っ白な裸身に対し少年は大きく開いた右の掌でそのささやかな胸の部分を受け止め、そして機兵(わたし)に対してそうした様にそのまま背中から地面に叩き付けた。

 ナナムゥの獣じみた絶叫が大空洞にこだまする。

 「……その程度で死にはすまいよ」

 右手を引いた少年が、四肢を伸ばし蛙のように全身を痙攣させるナナムゥに対し仰々しく告げる。その冷徹な紅い三白眼には慈悲や嘲りの感情は一切見受けられなかったのは、私の怖れによる思い込みだけではあるまい。

 「元より殺すつもりもない。大人しくそこで――」

 (――南無三!!)

 抵抗してはならぬ相手と本能的に知りながら、それでも少年に飛び掛かってしまった事に誰あろう私自身が一番驚いていた。何れにせよ逃れようのない死の運命であると悟っていたが故の自暴自棄であった可能性も否定しない。だが何よりもナナムゥを護らねばならないという強い想いが私を突き動かした。この世界における私の恩人であり、そしてこの世界における私の掛け替えのない“妹”でもあるナナムゥを。

 彼女に対し、殺すつもりはないと少年は言った。絶対的な強者の弁としてそこに偽りは無いのだろう。彼の望み通り私が“死ね”ば、それで終わりはするのだろう。全知全能でもあるかのような振舞の少年が、私をこの世の道理も知らぬ“愚者”として裁きを下すのだろう。ナナムゥだけは取るに足らぬモノとして見逃してくれるのだろう。


 冗談ではない。


 最期に私を動かしたのは激情であった。激情としか言いようのなかった。窮地を脱する真っ当な策などある筈もない。ただ唯一望みがあるとするならば、少年を巻き込みこの巨体ごと川に身を投げる程度であった。“水落ち”にどれだけ期待してよいのかは分からない。だが少年の小さな身体が川の急流により流され、文字通りの『水入り』を狙うことができるかもしれない。ナナムゥを護る為に、せめてそう願いたかった。

 そもそもがそこまで全ての行為を明確に理由付けできていた訳でもない。実情はヤケクソ気味に少年に右手一本で掴みかかった――この時にようやく左腕の肘から先が千切れ飛んで久しい事とそれを告げる脳裏の警告音を再認識したくらいである――私であるが、それすらも指先すら届くことの無い虚しき抵抗であったことを、次の瞬間には私は知った。改めて心底思い知らされた。

 「……何故に抗う?」

 肩から猪めいた突進の心積もりで体ごとぶつかりにいった私を、少年は右手一本で難なく受け止めた。圧倒的な体格差が存在するにも関わらず、深く根を張った巨木のように微動だにすることのない姿勢で、少年の紅い三白眼が今度は私をギロリと睨め付けた。

 「忌道による醜悪極まる偽りの生を、俺が今終わらせてやろうというのだ」

 次の瞬間に私に撃ち付けられた視えぬ一撃は、少年の手と脚の何れによるものか。

 侮蔑の言葉を浴びせられたことすら認識できぬ内に、仰向けで倒れ伏したままのナナムゥと同じ格好で私の巨体は再び地に打ち付けられていた。

 やろうと思えば私の身体を同じ場所に叩き付けることでナナムゥの身体を圧し潰すことも出来た筈ではある。だが少年はむしろナナムゥとは正反対の場所に私の身体を叩き付けた。ちょうどナナムゥに背を向けた格好となりながら。

 ナナムゥを殺しはしないという少年の言葉は真実であった訳だが、背中から目に見えぬ速さで地に叩き伏せられた私にとって、それをそうと認識する余力など皆無であった。あまりの衝撃に、左腕の喪失を繰り返し告げていた脳裏の警告音ですら、いつのまにやらその響きが消え失せていた程である。

 「……」

 私の脇に歩み寄る少年が、その紅い三白眼で冷たく私を見下ろす。そしておもむろに私の胸部に覆いかぶさるように屈みこむと、その両腕でそれぞれ何かを握る動作をとった。

 気合を入れる言葉は無くとも、少年が両腕に力を込めるという素振りを見せただけでも、この機体(からだ)は称賛されるべきであろう。私自身ではなく、この機体を造り上げたバロウルと所長に対する賛美であるが。

 全ては追憶でしかない。この時の私の心は少年が何故そのようなことが可能であるのか、少年の持つ“力”に限りはないのかという、不条理に対する混乱の極致にあった。

 私の機兵(からだ)から、初めてはっきり破壊音だと判る耳障りな音が響く。私の腹部に半ば馬乗りとなりながら少年が引き千切り無造作に投げ捨てたもの――それは他ならぬ私の胸部装甲そのものであった。

 まるで石ではなくベニヤ板でできた紛い物であるかのように厚い胸部装甲が安々と引き剥がされる様を、私はされるがままに見届けることしかできなかった。既に指一本すら私は動かすことができず、そしてそれは同時に私が目視できた最後の光景でもあった。

 (――!?)

 突如として、私を取り巻く世界が紅く変わった。少年が剥ぎ取った胸部装甲を投げ捨てたのと刻を同じくしてのことである。その“世界”の変貌を的確に表現する術を私は知らないが、それでも強いて例えるならば六型機兵としての起動直前に私の魂魄を包んでいる漆黒の闇が、一瞬にして紅蓮の炎に変わったと云うのが一番近いだろうか。

 起動直前の無明の闇に包まれたあの空間は、私にとっては虚無と孤独と、そして安寧を与えてくれる一瞬でもあった。出来得ることならばこのままここで独りいつまでも微睡んでいたい、そんな莫迦げた願いすら抱く至福の一刻であったと今ならば言える。

 では新たに私の周囲を包んだ“炎”はどうか。子供の頃に恐れた地獄の伝承にも似た“炎”の只中に居るというのはどういう境遇なのか。

 事実、私は絶叫していた。先程の左腕の“紐”を引き千切られた時の苦痛など比較にもならぬ身を灼く激痛。それこそ地獄の責め苦の如く、少年の発する焔がこの身を直に焼き尽くさんとしているかのようであった。

 だが真の地獄とは異なり、私に対する責め苦は一瞬で止んだ。あまりの激痛に脳がそれを拒んだのだと、今ならば私にも判る。それが意味するものはすなわち――


 ――仲良く眠れ……


 私の耳に届く少年の声は、既に遥か遠くから響く福音としか聴こえなかった。その声に初めて僅かに憐れみの色を感じたのは、今際の際の都合の良い錯覚であったのだろうか。私の名を呼び泣き叫ぶナナムゥの声すらも、本当に幻聴であったのかもしれない。

 紅い炎が一際激しく燃え上がる様を、私は確かに目にした。死に掛けの盲いた目ではなく、言うならば心の瞳で。それだけ私に向けられた“力”が強大であったということであるが、私はそれが少年の私に対する止めの一撃である事を確信していた。

 痛みも感じなくなったとは云えこの地獄から――少年の言葉を借りるならば『偽りの生』から――一刻でも早く解放されたいと願う心がそうさせたのかもしれない。

 あれだけ固執していた筈の妹のことなど、微塵も頭に浮かびしなかった。所詮は私という人間など――


 ――何故…貴様…コレを……


 少年の最後の言葉を途切れ途切れに聴きながら、私の意識は完全に焼き切れてしまっていた。


 ――ファーラ……


 それが私に認識できた、最後の少年の言葉であった。

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