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奇郷(8)

 「――貴方はいずれ、あそこに向かうことになる。貴方の大事なものの為に」

 私の逡巡に気付いたのであろう。コルテラーナが私に向けて紡ぐ言葉は、弱き私への発奮を促すものでもあった。

 「三型の記録に残っていたの。あの夜、貴方の妹は、“黒い棺の丘”の中に墜ちた」

 「ヴ…」

 あの漆黒の闇の塊を目にした時に予期はしていた。そして今、その確かな裏付けを得た。

 前を向こうと私は思う。これは僥倖だと、私は胸中で自分に言い聞かせる。

 これまでの妹を探すという漠然とした目的に、明確な目的地が定められたのだから。

 後は私が――私自身が足りないだけだ。何もかもが。

 

 「ごめんなさい。急きすぎてしまったわね」


 しばし沈黙を保っていたコルテラーナは伏し目がちに詫びの言葉を述べると、再び私の単眼へと貌を寄せた。

 彼女の背後で三型が鎧戸を閉め、壁の水晶体の発する淡い光だけが部屋の中に充ちる。

 薄暗がりと云ってもいい屋内の静謐の中で、コルテラーナの金髪がかぼそい輝きを放った。

 まるで、道を見失った私を導く灯火のように。

 その細身の躰はあまりにも儚く、その哀しみを秘めた瞳は私の心を捕えて離さなかった。

 「でも、貴方は私の希望。それだけは憶えておいて……」

 「ヴ…!」

 彼女の懇願を、どうして跳ね除けることなど出来ようか。

 今しばしの猶予を、私は妹へと願おう。

 既に人ならざるこの身である。下衆な下心など元より持ってはいない。

 ただ、私はこの女性(ひと)の力になりたいと率直に思う。

 そしてもしも叶うならば、この女性(ひと)にとって欠かせぬ存在になりたいと願う。

 騎士の如くに。

 この異世界で新たな躰を与えてくれた恩に報いたいと。


 報いたいと――。


        *


 焚き火がパチパチと音を上げ闇を照らし、古びた鍋の中の紫の液体が――それが食用の何かではなく蟲除けの香気を撒く為のものであることを私は後日知った――ブクブクと泡立ち僅かに色の付いた湯気を上げる。

 仮設の小屋まで設置しておきながら何故わざわざ外に出てキャンプの真似事のようなことをしているのかと問われると、正直私にも良く分からない。

 ただ、直立不動を保つ私の足元に置いた折りたたみ椅子に腰掛け、楽しげにキャッキャと騒ぐナナムゥの姿を見下ろすに、要はそういうことなのだろう。

 そのナナムゥご満悦の内に謎の“幽霊狩り”を終えた我々一行は、そのままこの野営地で一泊することとなった、という事と次第である。

 バロウルが率先して陣頭指揮をとっていたところを見るに、初めからそういう日程だったのだろう。事前に予定を教えて貰える立場に至るまでには、道はまだ遥か彼方のようである。

 コルテラーナに訊けばいいだけの話ではあるのだが。

 ちなみにであるが、“網”に絡め取られた“幽霊”達はというと、そのままの状態で三型の群れに引かれて逐次、上陸艇――上部に幌を張った小型船舶級のホバークラフトと形容するのが一番近いだろう――の中に収容されていった。

 もがきはするがそれ以上の抵抗を見せないその様は正に死人そのものであり、私の心を陰鬱にさせた。

 少なくとも私が目視できたのはそこまでである。

 捕縛された“幽霊”がどのような扱いを受けるのか興味が無いと云えば嘘になる。しかし少なくとも今は、諸々の事を仔細に聞ける状況ではなかった。

 麗しのコルテラーナが居城に残った今、私の相手として眼前にそびえ立つのは『お目付け役』という肩書も仰々しい、あの褐色の雌ゴリラ唯一人である。

 とは云え、なんだかんだ小言を交えつつ甲斐甲斐しくナナムゥの世話を焼いているバロウルの一連の立ち振る舞いは、冷徹な雌ゴリラという私の第一印象を揺るがすには充分ではあった。

 妹を世話する姉然とした姿に、著しく同調してしまったというのが正直なところである。

 本当に、何故私に対する風当たりだけがあそこまで強いのか、もう直接本人に問いただすしかないような気すらしていた。

 その当のバロウルはといえば、今は火と鍋の番を近場に控えていた三型の一台に任せ、今は折りたたみ式のラップトップ端末を膝に乗せ、カタカタと何かを入力していた。

 私の知るノートPCとは異なり、ホームセンターで売っている工具箱を思わせるぶ厚い端末。その背面から伸びるケーブルは私の喉首の奥に接続されていた。

 工廠の据置き端末と同様に、これで画面を通しての私との『会話』が可能であるとの事である。

 しばらくは私の『調整』が必要になるとコルテラーナは言っていた。この躰に転じた私の魂魄を保護する為に、かなりキツめの稼働制限を施してあるというのが、その大元の理由であった。

 端的に言えば人の身の残滓として私には『睡眠』が必須であり、今は活動限界として一定の時間を経ると強制的に休止(スリープ)状態となるように設定されていた。

 あの夜――妹を喪ったあの夜の顛末のように。

 悔恨は、今はひとまず置く。兎にも角にも、今の試製六型()の活動限界基準が余裕を持たせるためにかなり低く見積もって設定されおり、その最適化の為にバロウルによって様々なデータを解析してもらう必要が有ると、つまりはそういう次第であった。

 自分にとって、この世界に墜ちて来てから正確には何度目の夜だろうかとふと考える。

 一度だけ遠くで何か獣の遠吠えが聞こえた以外はただ静かで、そして穏やかな夜の一刻。

 コルテラーナの言う、閉じた地獄の世界とは思えぬ憩いの一刻。

 目の前の彼女達は知っているのだろうかと、私は訝しむ。いずれは破綻するこの世界の運命を享受しているのだろうかと。

 幼いナナムゥは兎も角、コルテラーナの片腕であろうバロウルが、知らぬということもないであろうが。

 「のぅ、バロォルゥ」

 「んん?」

 甘え声のナナムゥに応えるバロウルの口調は優しい。そこには、歳の離れた姉妹と言っても過言ではない信頼感に溢れていた。

 「眠いなら、先に寝床に入っていればいい。久しぶりに一緒に寝てやろうか?」

 「違う!」憤慨したナナムゥがビョンッと勢いよく折りたたみ椅子から立ち上がる。「わらわはもう一人で寝れる!」

 「どうかなぁ?」

 「だから違う!」茶化すバロウルに文字通り地団太を踏みながらナナムゥは再度声を張り上げると、次に背後の私の方を指差して叫んだ。「こやつに名前を付けたいだけじゃ!」

 「――嬢」

 それまでからかい気味の笑みを浮かべていたバロウルの表情がスッと引いたのが私からも分かった。

 貌に出やすいタイプなのか、或いは敢えて私に当てつけているのか、その声は固いものであった。

 「嬢、試製六型で稼働しているのはそいつだけだ。固有の名前など必要ない」

 「嫌じゃ、名前が無いならわらわが付ける」

 「名前なんか付けたら情が移るだけだ!」

 「嫌じゃ!」

 焚き火を挟んで言い争う、歳の離れた二人。険悪という訳ではないがどちらも一歩も引かずに言い争うその喧騒に、私は仲裁の為に割って入るべきかしばし迷った。

 既に今更レベルではあるが自我(こころ)の無い機兵の振りをしろと言い含められた手前、バロウルの不興をこれ以上買いたくない――というのは我ながら表向きの理由である。

 女同士の諍いに首を突っ込むなというのが亡き母からの教えであり、女を敵に回すなというのが、若き頃は浮き名を流した――母から聞いた話なので真偽は定かではないが――父親が私に遺した三つの訓戒の一つであった。

 しかし、私が苦渋の決断を下す機会はついに訪れはしなかった。幸か不幸か、或いは宿命か、事態が急変した為である。

 「――ヴ!?」

 突如として、夜空一面に細波が走った。まるで波打つシャボン玉の表面のような、淡い虹色の光の波が。

 それは夜空に張り付いた、歪なオーロラをも想起させた。

 「お嬢!」

 バロウルが、ナナムゥが、地を這う三型の群れまでもが一斉に天を仰ぎ見る。

 遥か頭上で煌めく星が、夜空を駆ける一筋の軌跡を浮かべた。

 一条、そしてまた一条。

 それはやがて流星の群れと化し、満天の夜の闇を幻想的な灯となり飾った。あの夜、初めてナナムゥと出合い、そして妹を喪ったあの夜の様に。

 「またか……!」

 バロウルが流星群を見上げ渋面で呟く。

 それは、こういう子供受けする派手な事象を前に一番はしゃぐであろうナナムゥでさえ、眉根を寄せてバロウル同様のしゃくれ面を作る程であった。

 「お主、知っておるか?」

 事態を把握しかねる私に対し、ナナムゥが夜空の流星群を指差し尋ねる。人間の幼児の丸っこい指とは異なり、彼女の指は妙に長く、まるで大人のソレの様であった。

 「あれは、この世界に墜ちてくる揺り籠じゃと、コルテラーナは言っておった。地面に落ちても殆ど死んで“幽霊”となるんじゃと。じゃが――」

 「ヴ?」

 「ここのところ、夜はずっとこんな感じじゃ。おかしな話じゃ」

 おかしいという言葉だけでバッサリと事態を切り捨てるナナムゥ。私はバロウルが膝上に抱えた端末に自分が接続されていることをようやく思い出し、胸中で己が懸念を口にした。ついつい余所余所しい言葉づかいになるのはご愛嬌である。

 『流星群などというのは有り得ない現象なのですか?』

 ヴ、と喚起を促す私をバロウルはジロリと睨むと、膝上の端末の画面に目をやった。ざっと文面に目を通す彼女は、僅かに少しだけ口を開くことを躊躇したようにも見えた。

 「……墜ちてくる時に、まとめて墜ちてくることは珍しくは無い。それが流星群と化すこともままある。しかし……」

 バロウルが画面から目を離し、真っ直ぐに私の単眼を仰ぎ見た。

 「こんなに頻繁に流星群が発生するようなことはこれまで無かった」

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