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稀謳(12)

 移動図書館に対する拭い切れない疑念を改めて抱き始めたのは、私だけに限らずナナムゥも同じなのであろう。私にそろそろ“奈落(ここ)”を発つ旨を告げた時に、彼女は移動図書館の迎えを待つ気が毛頭ないことをはっきりと口にした。

 移動図書館の厚意は忘れない。司書長ガザル=シークエへの恩義もまた同様に。だが私達が二人揃ってまるで憑き物が落ちたかのように、移動図書館に対する盲信ぶりが消え失せてしまっていたのも事実である。

 単に地表への脱出を目指すだけでなくバロウルを救出する為に公都に戻るという、これまた死地に向かうに等しい目的に専念する意味でも、一旦は脇に置いておくしかない懐疑の念である。釈然とはしない思い――疑念を抱いたこと自体に対する疑念も含め――を残しながらも、私は当面の目標に集中するよう己を戒めた。


 結局のところ、それ以上のさしたる困難や試練に直面するような事も無く、私達は――呆気ない程に――“奈落”からの出発前夜を迎えた。私の“収納庫”に収められていた花糖菓子(ポレオ)やニッキ水を始めとしたファーラが手持ちを無造作に突っ込んだと思しき諸々の嗜好品のおかげもあり、ナナムゥの血色も幾分かはましになったように見えた。相変わらず垢と埃に塗れた薄汚れた格好のままであるとは云え。

 その様な状況でもあり、今宵は英気を養う為に大人しく過ごすのだと私は早合点していた。それ故に、ナナムゥがねぐらである洞窟から私を連れ出した時には、その真面目な表情も相まって只々困惑したというのが正直なところである。そして彼女の先導の下、ねぐらから壁面沿いに更に降った場所にある、これまで自分が足を踏み入れたことのない開けた空間に辿り着いた私はそこから更に驚かされることとなった。

 その広大な地下空間の遥か頭上には、これまでと同じく剥き出しの岩盤からなる天井があった。そしてこれまた岩肌が剥き出しの大地は浅いすり鉢状にへこんでおり、大小問わずに多くの“幽霊”が身体を左右にユラユラと揺らしながらも佇んでいた。

 とは云え、多いと言っても“幽霊”の数は50にも満たないであろう。綺麗に整列こそしている訳ではないものの、その光景は私に学生の頃の全校集会を連想させた。そしてその様な私の個人的な感想は置くとしても、“幽霊”達が我々の――否、ナナムゥの来訪を待ち望んでいたのではないかと私に錯覚させた。集会で教員がマイクの前に立つのが開始の合図であるように。

 「よいやさっと」

 相変わらずの珍妙な掛け声と共に、ナナムゥがすり鉢状の縁の一角にある足場としてはちょうど良い大きさの平たい石の上に飛び乗った。駆け出してからの一連の動作にまったく迷いが無いところを見るに、その石の台座に対してこれまでに幾度となく同じ様に飛び乗ってきたのであろう。ナナムゥは照明代わりの例の発光キューブを己が腰に固定――“糸”を使用したのであろう――すると、コホンと一つ咳払いをしてみせた。

 その後の不思議な光景をわたしは一生忘れないと思う。

 私の目の前で、やおらナナムゥは唄い始めた。大きな碧の目を凜と見開き、それに負けず劣らず大きな声で。

 (この歌は……!)

 私が、ナナムゥの唄い始めた鎮魂歌を忘れる筈がなかった。浮遊城塞地下廃棄場で目覚め、逃走の果てに始めてナナムゥに出会った時に彼女が夜空の下で唄っていた歌。まだ彼女が幼女であったこともありその歌声は声量が安定しない拙いものであったが、今は――寸評できる程に私に歌が判るのかという前提は置くとして――広い地下空間の奥まで良く通る澄んだ見事な歌声であった。

 だが真に驚愕すべきはナナムゥの鎮魂歌ではなく、それに対する“幽霊”達の反応であった。“幽霊”とは元より辛うじて人型を留めているに過ぎないノッペリとした鉛筆のような外観である。意思が無いということは、すなわちまず“口”などがある筈も無い。

 それでも、私の耳には彼等の確かな歓声が届いた。届いた気がした。“幽霊”達が激しく左右に身を揺すり、頭部をブルブルと傾けながら上げる声なき歓声が。

 歓声…歓声である。その動きが身悶えではないことを、苦悶の声を上げている訳ではないことを、不思議にも私は確信できていた。

 この身も又、“幽霊”達と同じく肉体を無くした魂魄のみの存在に等しいからかもしれない。そして“幽霊”達がすり鉢状のこの地から逃げ出しもせず、むしろナナムゥの方へと押し寄せる勢いであったということもある。

 一方ナナムゥの方は云うと、一種のトランス状態であるかのように額に大粒の汗を掻きながらも唄い続けていた。浮遊城塞の子供達の前でいつも浮かべていた、あの慈しむような眼差しと共に。

 類稀なる光景であっただろう。ナナムゥの持ち込んだ発光キューブの僅かな光が射すこの地下空間で、この世に未練を残し彷徨う意思亡き“幽霊”が、鎮魂の巫女たるナナムゥと共に文字通り『謳歌』している。

 聴こえる筈の無い“幽霊”による大合唱を前に、ただ呆然と立ち尽くすしかない私の前でソレは起こった。

 水風船が割れるように、“幽霊”の群れのそこここで破裂する個体が生じた。何か予兆があった訳でもなく、そもそも本当に風船並に“幽霊”の身体が大きく膨張する訳でもない。その割合にしても辺り一面の“幽霊”が一斉に破裂するなどといった衝撃的な光景が広がった訳でもない。あくまで私の“暗視”による視界の内のあちこちで、散発的な破裂が認められる程度といったところである。

 私の勝手な思い込みであることは認める。だがそれでも私には破裂する“幽霊”が、四散する直前に藻掻き苦しんでいる様には到底視えなかった。目の前に広がる光景がどこかアイドルのコンサートめいた陽気なものに見えた事による、錯覚の可能性が強い事も否定できない。だがそれでも私には、“幽霊”達がまるで競うかのようにナナムゥの前に押し合いへし合いしながら詰め寄せているようにさえ思えた。同胞の破裂に怯むどころか、まるでそれを羨望しているかのように。

 やがて、ナナムゥの鎮魂歌が遂に終わりを迎え、最後の小節が暗闇の中に消えていく。

 そしてこの場を動かぬよう私を軽く手で制し、歌い終えたナナムゥはそのまま石の舞台からピョインと勢い良く飛び降りた。“幽霊”達のいまだ蠢く足下のすり鉢状の“客席”の中へと。

 制止されたとは云え流石に有事に備えて身構える私であったが、自分達の間をちょこまかと走り回るナナムゥに対し“幽霊”が別段特別な反応を示すようなことは無かった。先程までの“熱狂”が幻であったかのように。

 そればかりかナナムゥの鎮魂歌が終わった途端、本当にコンサートの観客のように再び周囲の闇の中を目掛けてノロノロと散開を始める始末であった。

 容器代わりの洗面器めいた金物――それもこの“奈落”に墜ちて来た誰がしかの遺品なのであろう――に何かを溜め込んだナナムゥが私の許にトテチテと帰って来たのはそれからしばらく後のことであった。

 「ほれ」

 ナナムゥが――どこか神妙な面持ちで――まるで供物か何かのように丁寧に私の方に差し出してきたモノ、それは金物の容器に半分溜まった薄い灰色の粘着物であった。

 「――ヴ!?」

 その一見するとヨーグルトのようにも見える物質が動力素(リンカーソウル)――すなわち浮遊城塞の工廠で捕獲した“幽霊”から抽出している、文字通り機兵(わたしたち)の“燃料”とでもいうべき物質であることを、流石の私もこれまで工廠で度々目にしてきたこともあり容易に判別できた。

 意思無き存在であるとは云え、朧げな人の似姿のままに彷徨い歩く“幽霊”を動力素(リンカーソウル)へと“昇華”しカプセルに詰める作業工程を、コルテラーナもバロウルも私に対しこれが“幽霊”に対する“救済”であると説明してきた。

 理屈はどうであれどこか釈然としない想いを私が胸の内に押し留めていたのは、それが根拠のない只の感傷であることを理解していたのと、コルテラーナの言を疑うこと自体が不敬の念であるという大前提があった為である。

 だがこの“奈落”の底でナナムゥにより捧げられた鎮魂歌を前に競うように集い、そして逃げ惑うことなく破裂していく“幽霊”達を目の当たりにしたことでようやく私は確信に至った。

 未練と共にこの地を彷徨う“幽霊”達にとっても、破裂し動力素(リンカーソウル)と化すことは紛れもなく“救済”であるのだと。


        *


 「しかしまぁ、アレじゃな……」


 ねぐらである洞窟に戻り、焚火の前にどっかと腰を下ろしたナナムゥは、手元を見つめ作業に没頭しながらも、“幽霊”に対する手向けの言葉を口にした。

 「何もかも終わったら、いつか残ったあやつらも“幽霊”の身から解放してやらねばな……」

 「ヴ……」

 ナナムゥが何の作業をしているのかと云うと、彼女の“糸”で目の細かい網を形成し、先程集めた動力素(リンカーソウル)――正確には“幽霊”が破裂した後に残された動力素(リンカーソウル)の更に素となる半固形物――を濾過し、私の身体から引っ張りだした“紐”の先端に浸しているという作業である。まったくの裏付けも無しにナナムゥがそのような化学の実験めいた作業に没頭するとも思えないので、予めバロウルから聞き齧った応急処置めいた補給のやり方なのであろう。

 実際、四肢を失いバラバラとなった私に対し、ナナムゥは私の胴体から引っ張り出した“紐”に対しこの方法で動力素(リンカーソウル)の補充を行っていたのだという。延々と。

 再起動を果たした今、これまでの経験から推測しても、この機体()に対し改めてここまで小まめな動力素(リンカーソウル)の補充が必要であるとは思えない。夜間には強制的な“眠り”に陥る仕様ではあるが、特に負荷の掛かる活動をしていない現状ならばそれも適用外となっているのでないのかという秘かな予感はあった。或いはこれまでの強制的な“眠り”そのものが、バロウルによる外部操作だったのではないのかという疑念すら私は抱いていた。

 だが私の憶測や不信感とはまったく関係なく、ナナムゥは頑なに私に動力素(リンカーソウル)を補充する作業を止めようとはしなかった。私が“眠って”いた間の貯蓄分すらも一旦は使い切るまでの連日の作業として。

 私が目覚めなかったことがそこまで彼女にとっての心的外傷(トラウマ)となっているのだと気付いた以上、私としては再び動きを止めることのないようにとの日課としてこの作業に没入するナナムゥの、好きにさせる他なかった。

 私自身に関する一連のことは置くとして、問題は“幽霊”達である。“意思無き”モノであると伝えられながらも、それでも何らかの恐れや渇望といった“感情”めいたものを残していることは、ナナムゥにより鎮魂歌を捧げられた時の行動からを見るまでもなく、これまでの“幽霊狩り”の際の反応からもどことなく察せられた。

 それは私などより半ばこの“奈落”の巫女と化していたナナムゥの方がよほど的確に理解しているのだろう。或いは何らかの意思疎通めいた方法を確立しており、それによりあのように鎮魂歌を捧げるようになったのではないのかと推測していた。

 だが、補充作業の傍らにナナムゥ自身の口から語られた“幽霊”に対する所感は、私が漠然と想像していたものを遥かに超えた内容であった。曰く、“幽霊”達もまた、この“奈落”においては弱者の側であったのだと。

 “幽霊”と“糸”を介して交信できた――おもむろにナナムゥが語り始めたその理屈は定かではない。何らかの偶然であるのか、或いは幼少期を黒い森(クラム・ザン)、すなわちこの世界の中心地に近い場所で過ごしたせいで何らかの影響を受けたが故であるのかもしれない。もっと単純に――私の“保管庫”に仕舞い込んだとは云え、“旗手”としての資格を失ってはいないという前提ありきではあるが――彼女の所有する“旗”の“力”の一端であったのかもしれない。

 憶測を排除した中で確かなことは、ナナムゥが“糸”による接触を介して“幽霊”の内に眠る記憶を多少なりとも読み取る事が可能であると気付いたということと、そしてその理屈が明かされることはないであろうということだけであった。

 前触れもなく突然に芽生えた能力という訳ではなかった。かつてガッハシュートと初めて対峙したあの夜、頭部を蹴り飛ばされた私は“糸”と“紐”の接触を介してナナムゥと視界の共有と意思の交感ができた。現象としてはそれに近しいものではあるのだろう。何れにせよ、そのような理屈を今は一旦置く程に、ナナムゥの語る“幽霊”の記憶は恐怖に満ち満ちていた。

 「“悪霊”……そうじゃな、ここに“悪霊”と呼ぶべき強大なモノがおった」

 前置きをすっ飛ばして生真面目な貌で重々しく語り出すナナムゥの話を、しかし私は荒唐無稽なものだとも思わなかった。

 この世界において“奈落”という――ある意味到達そのものがそもそも困難な“黒き棺の丘”(クラムギル=ソイユ)よりも――禁断の地としてまことしやかに噂されている以上、この地下深く人畜無害な“幽霊”だけが彷徨う実状に強い違和感を抱いていた為である。“悪霊”が居る方が当たり前なのだと。

 身も蓋も無い言い方をしてしまえば、『実は無害などという、こんな都合のいい話がある訳がない』という逆張りめいた強迫観念を捨てきれなかったというのもある。

 表面上は黙って聴いているように見える私に対し、じゃがと、考え考えナナムゥは続けた。じゃが今は“悪霊”はこの地より立ち去った後のようじゃと。そしてそれまで“悪霊”から身を隠していた“幽霊”だけが残り、この地下に彷徨い歩いているのだと。

 どの“幽霊”からも“去った”という記憶だけが鮮明である以上、“悪霊”とやらがこの“奈落”より立ち去ったのはそれ程昔という訳でもあるまい――核心に触れるナナムゥの貌が今一つドヤ顔になりきれていないのは、“幽霊”達から得た心象風景をかなり自分の憶測を交えて解釈していると自覚している故であろう。そもそも唐突に私に対して語り出した点から見ても、一度言葉にすることでナナムゥ自身が己の考えを纏める目的も兼ねていたのは明らかである。

 だがそれはそれとして、一つだけ看過できない事柄があった。


 ――この地の底を去った“悪霊”はどこに向かったというのか?


 自問する私であったが、それに近しいモノの心当たりが無い訳ではなかった。胸中でその名を反復する前に、既にナナムゥが同じ名前を口にしていた。

 「その“悪霊”とやらは、“亡者”メブカと無縁ではあるまい……」

 無縁どころかメブカと同一の存在ではないかとまで、私は予想していた。地の底から湧き出た、コルテラーナの生命を奪ったモノ。ナナムゥもまた口には出さずとも同じ結論に辿り着いていることは、彼女の横顔を見るだけで判った。

依然として筆は進まず

章タイトル回収したので後は主役と合流するだけ……

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