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稀謳(10)

 (私はどのくらい“奈落”(ここ)昏倒し(ねむっ)ていたのだろう……?)

 全ての懸念はそこに集約されると言っても過言ではない。言葉を話せないが故に私からそれをナナムゥに直に問い質すことは不可能だが、明らかに最重要事であるからにはまずナナムゥの方から何も言わずとも私に対し明示してくれるだろうという確信があった。

 だが、私の予想に反し、まずナナムゥの口から発せられたのは矢継ぎ早の小言であった。


 曰く、起こしても起きん。

 曰く、何をしても起きん。

 曰く、死んだ様に起きん。


 「そもそも散らばったお主の手足を集めるのがまず大変だったのじゃぞっ!」

 大仰な身振り手振りで如何に自分が苦労したのかを盛んに語り訴え掛けるナナムゥ。その姿は焚火の前だということもあり、始めてキャンプに来た子供がはしゃぎまわっている光景を私に連想させた。それと同時にナナムゥがここまで一つの出来事に固執して小言をまくし立てるという状況に、私は彼女がよほど私の手足を探し集めるという苦行に腹を据え兼ねているのだということを察した。察したつもりであった。

 右の大腿部を引き上げる作業が如何に困難を極めたかを語り終わったところで、ナナムゥは一旦息を整えてから独り言めいてこう付け加えた。

 「右腕だけは揃っておらぬが、なに、落ちている場所は分かっておる。二人で掛かれば引き上げる作業も問題にはなるまい」

 「ヴ……」

 私はと言えば、胡坐をかいた状態で大きな体を丸め、唯々神妙に彼女の小言を聞いていた。生身であったならば姿勢を正し正座で項垂れていたことだろう。体躯的に止むを得ぬ無作法な胡坐の体勢ではあったが、せめて顔だけでも伏せてナナムゥの方を凝視しないように神妙にはしていた。猿芸めいたこれ見よがしの反省のポーズであったことは否定し切れなかったけれども。

 「大体じゃ、今までは拾ってきた手足を並べて置いてさえいれば、“紐”が勝手に体にくっ付けておったじゃろうが!」

 段々とナナムゥの怒りの源が遡っていくのが判る。それに伴い、直視せずともナナムゥの口調が加速度的に熱を帯びていっていることも明らかであった。こうなるともうナナムゥの頭が冷めるまで降り注ぐ『お小言』に耐え忍ぶことを覚悟せねばならない。そもそも私が原因ではあるので始めから甘んじてすべての責めを受け止めるつもりではあったが。

 「それがなんじゃ! いくら動力素(リンカーソウル)を注ぎ込んでもピクリともせん! それなのに肝心のわしの見ていないところで勝手に目覚めるとはどういうつもりじゃ! わしが――」

 それまで尻上がりに勢いの増していたナナムゥの叱責が、不意にピタリと止んだ。

 (……ん?)

 不自然な静寂に私は恐る恐る顔を上げると、単眼を焚火の脇に座るナナムゥの方へとようやく向けた。


 「あ゛ーーーーーーーーーーーっ!」


 ナナムゥが泣いた。突如として泣いた。何の前触れもなく、生まれたばかりの赤子のように。


 「あ゛ーーっ! あ゛ーーーっ!! あ゛ーーーーっ!!!」


 産まれて間もない頃の妹の時ですら、こんなに泣き喚いたのを見たことが無い。恥ずかしながらどうしてよいのか分からずに固まってしまった私の眼前で、尚もナナムゥは吠えるように泣き続けた。大きな碧色の瞳から大粒の涙を流し、鼻水や唾液が飛び散るに任せたままに。

 幾らその剣幕に圧倒されたとは云え、流石にそのままポカンと眺めている訳にもいかない。私はナナムゥを宥めようと――幼い頃の妹にそうしたように――彼女の頭を撫でるべくソロソロと健在な左腕を伸ばした。


 だが、それがいけなかった――


 本当に(ましら)のようなクシャクシャの顔のまま、泣き止むようなこともなくそのままナナムゥは私に掴みかかって来た。聴き取る事も出来ない獣の唸り声のような意味不明な絶叫と共に、平手でバシバシと私の胸や腹を幾度も幾度も叩いた。

 「……!」

 私が呆気にとられたのはほんの一瞬であった。伸ばした左腕をそのまま床に降ろし、私はナナムゥの気の済むままにこの身を任せた。

 癇癪を起した相手に対する、何か他の効果的な対処方法を知らなかったこともある。妹と喧嘩を――その全てをいまだに憶えている程には極々稀な頻度であったが――したことも無論あるが、妹はここまで取り乱すタイプではなかった。

 「ヴ……」

 私が願うことは唯一つ、無茶な殴打でナナムゥが手を痛めないようにということだけであった。


 結局、どれだけの時間ナナムゥが泣き続けたのか正確な時間は見当も付かない。おそらくは1、2時間程度ではないのかとは思うが、まったく自信も根拠も無い。

 最後には流す涙すらも枯れ果てて断続的に嗚咽するまでになったナナムゥは、今は胡坐をかいた私の脚の中でようやく眠りに落ちていた。

 外気の温度は分からないが、頭上に設置された寝床用のハンモックには――元はマントか何かと思しき――粗末な布が置いてあるだけなので、そこまで底冷えはしないのだろう。本来ならばその布を寝入っているナナムゥの身体に掛けてやりたいところではあるが、まるで猫のように丸まった体勢で疲れ果てて寝ているナナムゥを起こすにはあまりに忍びなかった。躊躇いどころか罪悪感すらあった。

 (私は本当に馬鹿だな……)

 泣き疲れてフゴフゴという鼾めいた呼吸をしているナナムゥの寝顔を見下ろしながら、私は強い自己嫌悪の念に陥っていた。

 ナナムゥの生来の賢しさと、そして中学生程度の背丈に急成長を遂げたことでいつの間にかついつい失念してしまっていた。彼女がまだ、中身は小さな子供なのだということを。

 ナナムゥがねぐらとして使っているこの洞窟内部の整いようから見ても、彼女が――ひいては同じくバラバラに分解された私が――この“奈落”に堕ちてからの日数は2日や3日では利くまい。それだけの長い間、ナナムゥはこの“奈落”で息を潜めつつも単身生き延び、そればかりか散らばった私の四肢を拾い集めすらしてくれたのである。

 “旗”を奪われ“旗手”でこそなくなったとは云え、ナナムゥの生成する“糸”は生体兵器である――あくまで所長の推測ではあるが――彼女生来の能力によるものである。実際にこの“奈落”の底がどれ程の深さであるのかは分からないが、ナナムゥは昇ろうと思えば遥か上空にある“奈落”の口目指して“糸”によって昇ること自体は出来た筈なのだ。

 目覚めぬ私をこの“奈落”の底に置き去りにさえすれば。だがナナムゥはそうはしなかった。

 (どれだけ大きな機体(からだ)を得た所で、やはり私は頼りないのだな……)

 この地の底では清水など確保できる筈も無い。良く見れば汚れ切ったナナムゥの小さな頭をこの手で撫でてあげたかった。幼い頃の妹によくそうしたように。しかし太い石の指であるが故に、不器用な私は彼女を労わる為のそんな簡単な行為さえもうっかりと傷付ける事を恐れ出来はしなかった。

 「……」

 簡単に塞いだだけの洞窟の入り口から洩れる焚火の光に導かれたのか、“幽霊”と思しきものの気配は先程から承知していた。“糸”と鉄板が揺れる音で、流石に私にも察知できた。

 とは云え、無理に押し入って来る様子もないので放置一択である。下手に構うと膝の間のナナムゥをそれこそ起こしてしまうからである。よしんば何かの弾みで“幽霊”が洞窟内に雪崩れ込んで来たとしても、私の粒体装甲の“障壁”で、この場を一歩も動くことなく完全に抑え込める――否、何があろうとも抑え込む覚悟は出来ていた。

 (だから今は、存分に眠れ……)

 完全にグォォという大きな鼾と共に泥のように眠るナナムゥの顔を見下ろしながら、私は胸中でそう詫びた。

 昼であるのか夜であるのかすら定かではないこの“奈落”の奥底で、この身を揺り籠と化しながら。


        *


 そして、私が“奈落”の底で“再起動”を果たしてから二日程が過ぎた。

 『程』などと云う曖昧な表現を用いたのは、太陽の運行を拝むことができない以上、寝て起きた回数で暫定的にカウントせざるを得ないからである。ナナムゥも“奈落”に堕ちた時から洞窟の壁に寝起きした回数を刻んではいたが、その線は12本であった。今はそれに更に線が2本足されている訳だが、そこから推測するに私達が“奈落”に堕ちてから12日から15日といったところというのが妥当であるのだろう。

 私自身が危惧していたにも関わらず、試製六型機兵(このからだ)が強制的に“眠り”につくようなことは無かった。バロウルの定型紋言(コマンドワード)がいまだに何らかの影響を及ぼしているのか、或いはナナムゥが定期的に動力素(リンカーソウル)を補充してくれている、そのどちらかが理由であろうとは思うが憶測の域は出ない。ただ私が再び“眠り”に就くことをナナムゥが異様に警戒していた――全ては私の不甲斐なさが成せる業ではあるが――こともあり、私にとっては何よりも有難い話ではあった。

 所詮は騙し騙しの運用であることには違いなく、与えられた猶予もまた長くはあるまいとも理解してはいるが。

 問題となる日数の経過に関しては、曖昧な推測に頼らず脳内の声なき声に訊くのが一番確実だろうというのは、流石の私も誰に指摘されるまでもなく気付いてはいた。だが真っ先に試してはみたものの、それに対する声なき声の返答は一切返って来なかった。それだけでなく、かつて手隙の時に勉強がてら閲覧していたこの世界に関する情報(データベース)にしてもそうである。それらが一切提示されなくなったその様は、まるでネットに繋げなくなったパソコンにも似ていた。

 実のところ私も薄々と感じていた事ではある。便宜上私が『脳裏の声なき声』と認識していただけで、その実態は脳裏などではなく外部の何処かからもたらされていた『声』ではなかったのかと。であるならば、時として私の望む情報が提示されないことにも多少の説明は付く。何れにせよ取り合えずは――そういう言い方もどうかとも思うが――ナナムゥの間との翻訳機能だけは健在であるのでヨシとするしかない。

 その翻訳機能に関してもまた、些か思うところはあった。今のこの状態、すなわち声なき声の聴こえぬ孤立した(スタンドアロン)状態――それもまたあくまで私の裏付けのない推測でしかないのだが――にも関わらずナナムゥの言葉は正常に翻訳されている。これまでに翻訳されなかった事例があるとすれば、かつてガッハシュートによって頭部を蹴り飛ばされ結合が外れたあの時だけであった。この事からも私の頭部ユニットは固有の翻訳機能を有していると見做して間違いないだろう。だが、話し言葉をリアルタイムで――ほんの僅かのズレは発生しているが――翻訳するという高度な機能を内蔵していながらも、何故かそれよりも容易であろう書き文字を翻訳する機能を私の頭部は有してはいない。おかげで文字を学ぶ方法の無い私はこの世界において文盲のままである。

 喋る機能も持たされていない私であるが、せめて文字を憶え筆談さえできればどれ程楽であったのかと今更ながらに歯噛みする。何故、今にしてこのような後悔の念ばかりが浮かぶのか。夜の“眠り”に就く前の整備用ハンガーに据えられた時限定だとは云え、自分の意志をモニタ越しに表明できる機会は与えられていたのだ。にも関わらず私はバロウル相手で気後れしていたこともあり、文字が翻訳できるようにならないか相談する事すらしなかった。

 (私はいつもこうだ……)

 コルテラーナを、ガッハシュートと同じ貌を持つ“亡者”メブカの手により眼前で亡くしてから後、そのような取り留めのないことばかり考えてしまう自分が居た。今まではコルテラーナの望みを叶える事が己の成すべき何よりもの使命(おんがえし)だと、生き方を迷う余地すら無かった。その筈であるのに、その強固な使命感すらも霧散しつつあることが自分自身でも実感できた。

 自分の信念など所詮その程度のものに過ぎない。結局のところ、己と血が繋がっていない相手に対して私は不義理なのであろう。その自己嫌悪が何よりも私自身を責め立てた。反論の余地も無く。


 心の奥底では常にそのような悔恨に塗れつつも、それに浸るだけの猶予は皆無――要は『それどころではなかった』というのもまた事実である。

 泣き疲れて寝落ちしてしまったナナムゥが翌朝――『翌朝』でいいのか?――最初に実行したことは、私の胴体に設けられた“収納庫”を“解錠”することであった。浮遊城塞の隠し部屋に据えられていた“早馬”で囮となって飛び発つ直前に、ナナムゥとファーラが押し合いへし合いしながら何やら詰め込んでいたアレである。


 昨夜――『昨夜』で正しいのか?――力尽きるまで号泣した件についてはナナムゥは何も言わなかった。『忘れよ』という類の言葉すら含めて何一つとして。私の方もまた同様である。もしこの躰に言葉を話す機能が付いていたとしても、私からはそれについて一言も触れることはしなかっただろう。

 これでいい。普段は常に迷ってばかりの私ではあるが、この件に関しては確信していた。これでいいと。


 話を戻すと、私の胴体の“収納庫”に二人の少女が群がり何かを詰め込んでいる間は、私はそれが他愛のない日常品の類だろうと予測していた。ちょうど胸部の影となり、単眼では二人が“収納庫”に詰め込んでいる物を直視出来ないという構造上の欠点があった為でもある。何よりも事前に準備していた物ではなく、急遽降って湧いた案件でもある。せいぜいがファーラが懐にでも持ち歩いている菓子などの嗜好品が関の山であろうというのが、この時の私の推測であった。例えそのような有り合わせの物であっても、ナナムゥにとっては良い励みになるであろうと。

名場面、などとは口が裂けても言えませんが、書きたかった場面の一つにようやく辿り着きました。

全体の3/4程度まで話も進ましたが感慨深くもある反面、まだ後2.5章もあるのかという戦慄もあります。

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