稀謳(9)
両者の“旗”を巡る展開にまったく付いて行けていないとは云え、それでもホゥが護衛に選抜した程の二人である。洞窟内で取り回しの良い鎚鉾を手に、躊躇いなくザーザートに向かう。
その二人の背中を見届けるホゥの貌がニタリと歪む。胸の前に掲げた彼の手の中に、小さく火花を散らす幾つもの光の粒が出現する。その形状はどこか金平糖にも似ていた。
ホゥが“旗手”として新たに得た“炸裂弾”。触れたモノを等しく爆破せしめるその“力”ならば、護衛の二人とザーザートをまとめて葬り去ることも可能であろう。
「小物がっ!!」
ホゥの目論見を察したのか、心底軽蔑した体でザーザートが声を荒げる。そのままバッと横に払った外套の内側に、蠢く無数の影が覗く。
『ティス ティス』という独特の無数の小さな鳴き声は、増長するホゥの耳にまでは届かなかった。自らの“炸裂弾”の放つ破裂音に紛れたというのもある。
ティティルゥの遺児達――ザーザートがここしばらく表舞台から姿を消していたのも、バロウルの放った電光石によって手酷く損傷した肉体を“再構成”し、そして再び己が身体として馴染ませていたというのが最大の理由ではある。だがそれと並んで、これまでの暗躍の中で遺児達の数が激減していたからだという事情もあった。ザーザートが商都近辺を離れ独り早馬を飛ばして公都に戻って来たのも、公都の奥の奥で秘かに産み落とされている新たな遺児達を回収する為という目的もあった。
翻ったザーザートの外套の合わせ目から、その遺児達が濁り水の奔流のように迸る。短冊状の黒い“布”の群れはアッと言う間に二人の護衛を呑み込むと――絶叫する暇すら彼等には与えられなかった――驚愕に目を見開くホゥの胸元へと迫った。
「そうか、お前も――」
ここに至ってようやくホゥは、対峙するザーザートが自分と同じ“旗手”であることを本能の内に悟った。今更ながらに。反射的に彼の手から撒かれた“炸裂弾”は掠っただけの遺児達をも爆発させ引き千切ったが、そこまでであった。
“矛”と“盾”の役目を兼ね備えた無数の遺児達が、悲鳴を上げる事すらも忘れたハンガン・ホゥに殺到する。
冥府に流れる、黒き大河の如くに。
*
“――試製六型、稼働開始”
これまでどれ程の目覚めの朝にどれ程の回数その“声”を聴いたことだろうか。既に当初の有無を言わせなさとでも言うべき圧迫感は薄れ、私にとっては目覚まし時計の馴染みのベルの音に近しいものですらあった。
“警告! 右腕欠損! 警告! 右腕欠損!”
でも、今日の朝はちょっと違った。そこまでワーワー言っている訳じゃないけども、注意するよう騒ぎ立てる“声”を聞くのはすごく久しぶりだとわたしは思った。
始めて浮遊城塞の地下廃棄場で目覚めた、あの刻以来かもしれない。
気怠い。
ただひたすらに気怠かった。例えるならば、休み明けの目覚めの朝のような。実際に、今日は週明けの月曜日であっただろうか。目覚ましを止めた記憶も無いということは、まだ朝も未明の時間であろうか。二度寝が許される時間であろうか……?
私はまとまらない頭でそれでも何とか現状を把握しようと虚しく努める。これが生身の身体であったなら、間違いなく二度寝をするパターンだなと――
(――生身の身体だと……!?)
突如として噴出した『馬鹿な』と云う自問自答で、急激に意識が覚めていくのが自分でも分かる。“生身”でなどある筈がない。試製六型機兵『キャリバー』――それが今の私であった。
それこそ生身であったならガバリと跳ね起きるところである。だがそれは遂には叶わなかった。あたかも衰弱しきった体であるかのように、私は上半身を起こす事すらできなかったのである。
(何だと…いうのか……?)
単眼に光を灯すことは出来た。それまで視界の確保に意識が向いていなかったのは我ながら迂闊に過ぎたと思う。だが、これでようやく視界が甦ると思った矢先に、私は周囲が暗黒の中にあることを思い知らされた。まるで“黒き棺の丘”の暗黒空間に踏み入れたあの時のように。
無意識の内に――或いはそもそも周囲の環境に合わせて自動で適用される仕様なのかもしれない――私の視界が暗視のソレへと切り替わる。
(――!?)
私が更なる驚愕に言葉を失ったのは、地に横たわったままの私を取り囲むかのように、幾つもの影がユラユラと揺れていたからである。石の躰になってからというもの“怖れ”の感情の薄い私ではあるが、その異様さは私の肝を冷やすには充分であった。
機兵の単眼自体は――おそらくは光も射さない“黒き棺の丘”の暗黒空に対応する為に――例え光源が皆無な真の闇の中といえども暗視機能は損なわれはしない、そうバロウルより教えられていた。その原理について尋ねる機会はこれまで無かった訳だが、周囲で揺らめくソレらが限りなく白に近い明るい色であろうことまでは認識可能であった。
(――“幽霊”か!?)
驚愕を呑み込んだ私がその正体に思い至るまでに多少の時間を要した。ナナムゥとの“狩り”においてさんざ見知っていたにも関わらず、である。醒めたとは云え、私はいまだ自分の置かれた現状を把握し切れてはいなかった。日時も、場所も、そもそも何故自分独りがここに寝ているのかも。
そのような漠然とした只中にあった私であるが、“幽霊”をソレだとはっきり認識したことが切っ掛けとなったのか、脳裏で今に至るまでの様々な記憶が一気に甦った。生死の掛かった状況だったということもあり、それはあまりにも鮮明な記憶であった。
“幽霊”――
“奈落”――
バロウルが最後に発した定型紋言である『セイレーヌ・ザウハー』――
バラバラとなった己が石の身体――
(身体――!?)
焦燥に駆られた私がようやく上半身を起こすことができたのは、それが火事場のクソ力めいたものであるのか、或いは起動後にそれなりの時間を経たことで“問題”が解消されたが故であったのだろうか。
(バロウル……!)
今ならば判る。彼女が私達を“奈落”に――例えそこが死地であるとは云え――一時的に逃す為に、無謀な抵抗で事態を悪化させぬように私の身体を分解したのだと。
私やナナムゥが最期に一暴れして義憤に殉じようと、半ばヤケクソめいた考えに帰結したのに対し、バロウルは尚も僅かな可能性に賭けたのであると。自らはこの場に取り残されると知りながら。
あまりにも今更であるが何をどうすれば最善であったのか私には分からない。分かりようもない。ただ確かなことはこの“奈落”の底で試製六型機兵が再び起動を遂げたという事だけである。四肢の全てが分離して堕ちていったにも関わらず。
手脚と“紐”との“結合”が解除される感触は確かにあった。それは間違いない。にも関わらず、今の私の石の身体は元の人型の機兵として復元されているようであった。そもそも『視界』が存在するということは、少なくとも頭部が接続されているという証でもある。
いつの間にか沈黙していた脳裏の警告が示していた通り、右腕に関してだけは肩から先が存在していないようではあるけれども。
その時、半身を起こした私の背後でドサリという音がした。何かを地面に取り落とした音であることは振り返るまでもなく明らかであった。
「……キャリバー……?」
私が躰ごと背後に向き直るよりも早く、少女の震える声が聴こえた。
「遅い! 遅いぞ!!」
それが紛れもなく主であるナナムゥの声だと気付いた時には、既に私に対して手厳しい叱責が矢継ぎ早に浴びせられていた。
*
「ようやくと言うべきか、それともよくぞまぁと言うべきかしらね……」
正面の壁面モニタに表示された試製六型機兵の再起動を知らせる光点を前に、移動図書館“司書”である褐色の肌のバーハラは、何か思いあぐねた貌で独り言めいた呟きを放った。
これまでも移動図書館内の専用の一室で逐次動向を追っていた事もあり、最上位の定型紋言で凍結された――それは移動図書館からの追尾も不可とする程の強固なものであった――試製六型機兵が自力で再起動する事が不可能であることを知っていたからである。
“技師”であり、そして定型紋言を唱えた張本人でもあるバロウルが共に在り、そのバロウルが望み操作すれば再起動も可能ではあるのだろう。あの御方がそれだけの“権限”をバロウルに与えていたとしても不思議ではない。
バロウルがいまだ健在でさえあれば。
試製六型機兵が“奈落”に堕ちて――要はバーハラの目の前のモニタから位置情報が消失して――既に300時間超、如何に浮遊城塞オーファスの“自律端末”として産まれた人造人間だとは云え、限りなく生身に近い肉体であるバロウルが何の支援も無しに生き延びることなど不可能であろう。まず生存に不可欠な真っ当な水や食料が存在し得ないのである。
そもそもが司書長ガザル=シークエの意向もあり、移動図書館で監視しているのは実質試製六型機兵の位置情報のみである。バロウルとナナムゥが共に捕囚としてコバル公国に送られたことは流石に把握できてはいたが護送された後の動向は不明であった。六型機兵の機体を介し、“守衛”を救援に向かわせる旨を指示する伝達を送りもしたが、バロウル側から移動図書館に向けての返信を送る機能は付加されてはいないが故である。
試製六型が再起動する為にはバロウルによる操作が不可欠ではあるが、共に“奈落”に堕ちたとしても今まで健在である可能性など有り得なかった。
矛盾である。
唯一可能性として有り得るとすれば、バロウルが相応の準備を整え試製六型を後から追って“奈落”に降り立つくらいであろう。
(だがそれも“敵地”で可能かと言えば……)
バーハラが訝しむのも正にその一点であった。実際に公国の最深部、すなわち“奈落”の穴を前にバロウル達に何が起きたのかに関する詳細はいまだに不明である。全てはバーハラの憶測であり、煮え切らぬ彼女の独り言の要因でもあった。
「すぐに司書長に報告せねば」
彼女の補佐として同席していた同じ“司書”にそう促されたバーハラは、同意の意味で頷き返しはした。
だが傍らに丁寧に折りたたまれて置かれた青いマフラーに視線を巡らせながら胸中独り呟く。
(司書長は上の方々が戻って来るまでは保留とするでしょうけれど)
*
「まあ、座れ座れ」
私がナナムゥに案内されたのは私が再起動した場所に程近い、“奈落”の内部に開いた洞窟の一つであった。
私の元居た世界で言うところの10畳か12畳敷程度か、兎も角一般家屋の応接間位の広さのある洞窟である。天井だけは妙に高かったが、入り口の時点で既に巨体に対しギリギリであった私にとってはむしろ都合が良かった。
「よいせっと」
座るように私を促した後に、ナナムゥ自身も地肌に直接ではなく、どこから調達したのか古びた布を折りたたんだと思しき敷物の上に胡坐をかいて座った。そのどこか年寄りめいた仕草が、一瞬私にここが“奈落”と呼ばれる死地であることを忘れさせた。
私がくだらぬ感傷に浸っている間にも、ナナムゥはピンポン玉程の大きさの透明な立方体を自分の横の地面に置いた。正六面体の全ての角を斜めに切り落としたその形状は持ち運びし易さと転がり落ちにくさを両立させる為のものなのであろうか。その立方体が蛍光灯のような光を放ち、洞窟内の照明の役目を果たしていた。
ナナムゥも生まれつき夜目が効くとは云え、それは六型機兵と違いあくまで月や星灯りの下の話であると、かつて本人から聞いたことがあった。すなわち、光源の無い“奈落”においてナナムゥは盲いた状態に等しいということでもある。それでも“旗”の変じた光の珠があればそれを光源にできたのであろうが、それも奪われてしまっていた。
それの代用品としての輝く立方体という訳だが、そのインテリア然とした物体が所長に譲られた燃料不要の恒久品である。私は今更ながらに、ナナムゥがファーラ相手に自慢気に見せびらかし解説していた光景と共に思い出していた。
洞窟の中央には、それとは別に火が焚かれていた。何か鍋でも煮立てている訳でもない単なる焚火。燃料としてくべられているのは木材ではなく、何か苔の塊のようなものであることだけは私にも判別できた。
地上での野営とは異なり奇妙な鳴き声をあげるモノもいない只々静かな空間に、焚火の爆ぜる音だけが響いていく。私は一瞬、かつてナナムゥやバロウルと過ごした“幽霊狩り”の一夜のことを懐かしさと共に思い起こしていた。単なるキャンプと呑気に構えていたあの夜に、私はガッハシュートと遭遇したのである。ナナムゥに救われたあの夜が、もう何年も昔の事のように思えた。
詮無きことだと、私は追憶を振り払う。集中すべきは、『今』である。
洞窟の入り口を“糸”とどこからか拾ってきたのであろう金属板である程度覆っているとは云え、焚火から洩れた光が何か良からぬモノを呼び寄せるのではという懸念は無論ある。しかしナナムゥのことであるから、その危険性は充分に承知の上ではあるのだという信頼はあった。
或いは“奈落”の名に相応しく、俗に言う“生き物”の類はそもそもが存在しない可能性に私は思い至った。少なくとも“幽霊”が存在することだけは今しがた私自身が確認したことではあるが。
全ての疑念に――それこそ焚火にくべられているものがなんであるのかという些細な疑念も含め――脳裏の声なき声に訊けば或いはその回答をすぐに得る事もできたのかもしれない。だが私はこの静寂に充たされた空間の中で、部屋の主であるナナムゥを差し置いて回答だけを得ることが何故か躊躇われた。
改めて洞窟内を見渡してみると、ナナムゥがねぐらとしているこの空間に意外と手が入っている事が窺えた。そもそも中央で焚火がくべられている場所が、完全に囲炉裏として灰の上に確保されていることからもそれが判る。洞窟の隅には焚きつけに使用するのであろう苔のようなシートがうず高く積まれており、また古びた鍋と思しき物を始めとした生活用品もその横にまとめて置かれていた。
鍋だと思っていたものが元は古い鉄兜であったり、入り口を塞ぐ金属板が壊れたトロッコの一部を剥がした物であったりと、それらが全てナナムゥがこの“奈落”で拾い集めた遺品であることを私が知るのはもう少し後のことである。
私の石の身体が洞窟外に放置されたままであったのは、単に移動させるには困難な重量であったからだというのは洞窟への道すがらに説明を受けていた。それ自体は置くとしても、ここまで整った本拠地を構築し終えている事には素直に感嘆せざるを得ない。御丁寧にも寝床と思しき場所は、用心の為か“糸”を編み上げたハンモックとして遙か頭上に設置されていた。