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稀謳(8)

 「……お前が悪い……」

 物言わぬマルゴ卿の死体を見下ろし、ホゥは震える声で告げた。

 「お前があまりにもくどいから……!」

 ホゥも別に、始めからマルゴ卿の口を封じる意図までは持っていなかったことは事実である。公国において鉱夫同士の殺傷沙汰は日常茶飯事ではあるが、流石にそこは洞の主である“貴族”同士の諍いである。体面もある。互いに護衛二名だけを伴っての――腹を割った――話し合いで手打ちとしようという提案にマルゴ卿が乗って来たのも互いにそこまで無茶はできないだろうという理由であった。

 ホゥにしても、全てを己にだけ利するように上手く言いくるめることは今更難しいにしても、出来るだけ懐の痛まない代償――例えばこれから始まる商都ナーガス攻略に手勢を貸し与える程度で誤魔化せるという見通しではあったのだ。

 だが、彼の想像以上にマルゴ卿は納得には程遠かった。その貪欲さには反吐が出ると今更ながらにホゥは胸中で毒付く。落下した捕虜を先に確保した件を延々とマルゴ卿は責め立てた。まるで自分が横合いから汚い手で掻っ攫ったかのような物言いで。

 そもそもここに“旗”が有るなどと小娘が空の上から大声で喧伝さえしていなければ、ここまで話が拗れることもなかっただろうにと、ホゥはそのナナムゥと名乗った捕囚を疎ましく思う。その大音声が無ければ自分がその落下地点に向かわなかったことは別として。

 もっともその小娘は同じく“戦利品”として連行して来た石の化け物と共に“奈落”に呑み込まれて久しい。それからもう10日近い日数が経った今、落ちる瞬間を直に見届けもしたホゥは捕囚達が地の底で既に息絶えて久しいだろうと予測していた。それが自分の手を煩わせた報いであると、含み笑いと共に。

 捕囚の内で唯一残った黒い肌の女に関しては、確か嫁だか妾だかの口実で宰相デイガンの手中にあるという話まで追いはしたが、そちらに関してはホゥにとってはもう何の価値も無かった。突入してきた宰相の孫にその捕囚は確保されてしまったとは云え、むしろその騒ぎに乗じて“旗”を己の手の内に隠し通すことができた為である。残った捕囚にそれ以上の価値があるとも思えなかった。

 だがホゥの安堵に反し、その日以降もマルゴ卿の追及はあまりにもしつこく、そしてその態度はあまりにも侮蔑が過ぎていた。自らが“旗”を隠し持っていることを棚に上げ、ホゥのマルゴ卿に対する殺意は蓄積されていった。そしてマルゴ卿のその態度は、廃洞での最終的な手打ちの場においても変わらなかったのである。


 ――いっそこの場で殺してやりたい


 ホゥが胸中でそう強く念じた時に、彼が懐に忍ばせた――彼は拾い上げたその光の珠をその身から離したことはなかった――“旗”が反応し、ホゥは晴れて“旗手”となった。それまで“使い方”が分からず隠し持つ他術がなかったにも関わらず。伝説とは思えぬ程に呆気なく。

 初めて旗印をそれとは知らずに拾い上げた時にそれが“旗”だと直感できたように、そこにホゥ自身の意志は関係なかった。誰に告げられた訳でもなく、何か己の外見が変化した訳でもないにも関わらず、ホゥはただ自らそれだけを悟った。

 悟った時にはホゥは、己が得た必殺の“力”をマルゴ卿に対し感情のままに振るっていた。

 ただ半ば無意識化であったとは云え、己が始めて発動させたその“力”にホゥはどこか馴染みがあったことも事実である。それが子供の頃に好んで遊んでいた癇癪玉を非常に強く反映していることを、当人であるホゥは完全に忘却していたのではあるが。

 「ホゥ卿」

 連れて来た二人の護衛の内の一人がホゥに今後の指示を促す。護衛に選んだだけあって想定外の事態――ホゥが“旗手”と成ったことなど気付ける筈も無いが、それでもマルゴ卿を屠った不可思議な“力”を目の当たりにはしていた――にも流石に取り乱すまではいなかったが、それでも物怖じした態度が隠しきれるものではなかった。

 鉱夫同士の殺傷沙汰なら兎も角、仮にも洞の長、すなわち貴族である。それを殺めたとなれば死体そのものは廃洞の奥に投げ捨てさえすれば如何様にもなるとは云え、とても『行方不明』で収まる相手ではなかった故である。ましてここしばらくの両者の不仲は公都中に知られるところでもあった。

 だが至極もっともな従者の催促に、ホゥはしかし背を向けたまま無言であった。

 一時の感情で仕出かしたことに狼狽していた訳でも、逆に呆然自失としていた訳でもない。ホゥはただニンマリという邪な笑みを満面に浮かべていたのである。二人の護衛に悟られぬように背を向けたままで。

 (まずは目撃者(こいつら)から始末せねば……!)

 コバル公国のクォーバル大公は“旗”を手に入れ“旗手”となる事でその“力”によって数多の洞を配下に置きそして王となった。それはホゥの生まれる遥か前の出来事ではあるが、いまだに大公が崩御することもなく健在であるのもその“旗”によって頑強な肉体を得たからだというのがもっぱらの噂であった。

 ならば同じく“旗手”となった自分が、荒淫に耽り衆目の下に姿を示す事すらなくなった大公に成り代わることは決して荒唐無稽な話ではない。むしろ自分であればもっと巧く『王』として君臨できるという――傍から見れば謎の――自信すらホゥにはあった。

 その為にもまずは箔付の為――宿命によって“旗手”となったハンガン・ホゥの生ける伝説を後世に語り継ぐ為にも、空から落ちて来た“旗”をマルゴ卿なる小人と奪い合った現実を知るこの護衛の両名を“消す”ことから始めなければならない。

 初弾こそマルゴ卿達の表皮を抉り弾け飛ばした程度の“衝撃弾”であったが、いまならばもっと巧く“力”として制御(イメージ)することができるとホゥは確かな感触を得ていた。それこそ護衛二人とマルゴ卿達の死体を纏めて消し飛ばすことができる程度には“力”を高める事ができると実感していた。

 (いや、いっそ――)

 この廃洞ごと崩落させて巨大な――それこそマルゴ卿などには勿体ない――墳墓としてやろうかともホゥは胸中でほくそ笑んだ。

 背後から再びおずおずと彼を促す護衛を完全に無視し、昏き愉悦にしばし浸る“六旗手”ハンガン・ホゥであったが、弾かれたようにニタニタ笑っていた顔を突如として跳ね上げた。

 「――!?」

 さして知る者も無い廃洞の奥である。加えて秘密裏の会合でもあったので光源も今は持ち込んだランタンを壁に吊るしたもの以外に存在しない。すなわち彼等の今いる場所にのみ灯りが有り、廃洞の入り口の方から光が漏れる筈も無い。まして入り口からこちらに向かって悟られることなく近付いてくる灯りなど存在する訳が無い。

 しかし六旗手ホゥには判った。“旗手”であるホゥにだけは感じ取ることができた。

 音も無く近付きつつあるその者の存在を。

 その証拠にホゥの護衛の者達は、静かに滑るように近付いてきたその者が、自分達のランタンの灯りの内に自らその身を晒すまでその存在に気付きすらしなかった。

 「お前は――」

 慄くホゥの声が廃洞の中に幾重にもこだまし、遥か深部にまで吸い込まれていく。

 「ザーザート……!!」

 ホゥを始めとする三貴族は元はといえばザーザートに唆されて浮遊城塞オーファスに攻め寄せた経緯がある。結果としてホゥだけは“旗”を得“六旗手”となった訳だが、それはあくまで結果論である。ザーザートの甘言によって捨て駒とされたことは既に明白であった。

 だが、ホゥが最初に発した言葉は遜った非常に空々しいものであった。

 「これはこれは名代殿。お独りでこのような場所にお越しになるとは些か不用心なのでは?」

 「……」

 それには答えず無言のまま、ホゥ達に僅かに距離を隔ててザーザートの脚が止まる。仮面の下でザーザートが小馬鹿にしたような冷ややかな笑みを浮かべたのは、ホゥの言葉が鎌掛けのつもりであると看破していたからでもある。

 「……“客将”メブカは商都近辺に残しておかねばなりませんので」

 一拍置いてからそう返したザーザートの口調は、事ここに至ってもなお慇懃無礼さを崩そうとはしていなかった。

 「だから私は独りで来ました。独りでね」

 メブカがこの公都にはいないというザーザートの言葉に偽りはない。元々彼が“奈落”の底の底で邂逅した“亡者”メブカの本体とも言える“怨念”の巨大な集合体は、粘着質の汚水が地の底の間隙を縫って進む様にジワジワと這いずり進み、今ようやく商都近辺に到達したところであった。

 地続きである限り――流石に閉じた世界(ガザル=イギス)を覆う障壁の突破はできないが――何処の場所であろうとも“怨念”は主人格の生前の姿を模した末端(メブカ)を顕現させることが可能である。しかし集合体であると同時に主人格が存在するが故に、その端末である“亡者”メブカは本体である“怨念”との間に距離の制約を受けることを、これまで共にいたザーザートだけが知っていた。事実上無限に再生でき、人型であろうが触手型であろうが一度に複数存在できる“亡者”の、それが明確な欠点であった。

 すなわち人型としての“メブカ”はあくまで末端に過ぎず、その動作や判断には全て“怨念”が介在している。長い距離を隔てた場合、複雑な動作や判別には意志の伝達にどうしてもそれなりの時間差が生じてしまうのである。具体的に言えば、遥か北方のコバル公国の“奈落”に坐したままでは商都に対しメブカが本領を発揮することは困難であった。まして商都の中を逃げ惑う者達をその暗黒の触手に捕え地に引き摺り込むまでとなると、そこに生じる時間差によって取り逃す恐れさえ充分にあった。

 ザーザートが相応の時間を掛けてメブカの本体である“怨念”の集合体を“奈落”から商都に移動するよう誘導したのは、つまりは商都に対するそういう意図である。浮遊城塞オーファス攻略の際にメブカを温存した理由の一端も、まだ移動中である為でもあった。

 今、ザーザートがわざわざそのメブカの名を出してホゥに応じたのは、かつて彼等三貴族に地より湧き出る“客将”メブカの存在を示していたことを思い起こさせる為であった。自分が単身ここに来たと告げはしたが、或いはそのメブカが地の底からお前を襲撃する可能性もあるのだぞということを言外に示したのである。すなわち鎌掛けに鎌掛けで返したことになる。

 だがホゥは怯むどころか周囲に目線を巡らすことすらしなかった。ザーザートは仮面の下で一瞬拍子抜けした表情を浮かべはしたが、すぐにホゥが“旗手”としての己の“力”を過信していることに思い至った。

 それは決して根拠のない自信ではなく、地面に転がっているマルゴ卿の死体の損傷を見るに、それなりに殺傷力に裏付けがあることは確かであるのだろう。

 (愚かなことだ)

 再びザーザートは薄く笑う。根本的な事象に気付いていないホゥの威勢は滑稽ですらあった。

 “旗手”同士が近くに寄れば互いの存在を察知できる。ザーザートが数多の廃洞の中から正確にホゥの居場所を突き止めることができた理由がそれであるし、同じくホゥもまた視認するよりも前に接近しつつあるザーザートの気配を――本人はまだそこまで具体的に自覚できていなかったとは云え――察知できたのも同じ理由である。

 だがホゥは、目の前のザーザートもまた“旗手”であることにいまだ気付いていない。己の得た“力”に目が眩み、そこまで思考が及んでいない。例えメブカの存在を失念まではしていないとしても、旗手としての“力”で対処できると増長している。

 (実に愚かなことだ)

 再び嘲笑するザーザートであったが、最期にささやかな栄光を抱いたままに死ぬのも悪くはあるまいと胸中で付け足してみる。我ら姉弟の受けた恥辱に比べたら、遥かに恵まれた死に様であろうと。

 (だからこそ、今から与える絶望と共に死ね)

 何れにせよ、このような小人にいつまでも関わり合って時間を消費する訳にもいかず、すぐにでも商都ナーガスに取って返さねばならないのも事実である。ザーザートはそれまでの慇懃無礼な口調を改め、冷淡な声と共にホゥ達の側に詰め寄った。

 「“旗”を返してもらおうか」

 「馬鹿を言うな!」

 ホゥが逆上して悲鳴のような叫びを上げたのは、それだけ“旗”に魅せられ執着した顕れであったのだろうか。

 「アレは俺があの小娘から手に入れたものだ!」

 護衛には隠し通すつもりだったことすら忘れて、ホゥは激昂し吠えた。

 あの日、“早馬”の墜ちた場所にホゥ率いる一団が真っ先に駆け付けた時、上空でナナムゥが奪ってみろと振っていた旗印はその手を離れ地に転がっていた。薄く発光するそれを配下を制してホゥが手にした瞬間に、その旗印だったものは彼の手の中で光の珠と化した。ホゥがナナムゥの挑発に偽りなく本当に“旗”なのだと悟ったのはその時である。

 本来であれば即死していると思いきや何故か無傷に近い女二人と石の化け物を、ホゥは墜落した飛とぶ乗機と共に纏めて焼却して証拠隠滅を図るつもりではあった。

 だがそこにマルゴ卿の一団が駆け込んで来た為に、ホゥはその光の珠を隠し持つだけで精一杯であった。その挙句に、女達を捕囚として連行するという名目で公都に一旦は退くつもりが、そこにまでマルゴ卿は付いて来た。

 その非常に手間取る要因となった忌々しいマルゴ卿も今しがた遂に死んだ。この手で引導を渡した。

 後はどうやってか目敏く嗅ぎ付けて来た、たかが大公の名代に過ぎないザーザートを同じくこの“力”で処分するだけである。

 歩みを止めぬザーザートに対し、自分は後方に下がりつつもホゥは配下の二人の護衛に命じた。

 「取り押さえろ! 殺しても構わん!!」

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