稀謳(6)
マルゴ卿を始めとした他の者には区分が付いてはいない――カアコームが敢えて説明を省いた側面もある――が、“カアコーム砲”と一口に言ってもその中身は全く用途の異なる二種類の砲に大別されていた。
その内の一つは化学兵器とでも云うべき、ナナムゥ達の乗った“早馬”を墜とした巨大な高圧ガス砲である。砲身も砲弾も、それを撃ち出す圧縮ガスすらも全ては閉じた世界特有の植物群により構成された言わば“木製”の砲台である。尤もこの世界で生を受けたカアコーム自身は、これらの植物相が閉じた世界独自のものであることまでは知らぬ。
香木としても知られるカラス樹製の艶やかな砲身は縦に二分割可能な構造であり、半分に割れた砲腔の内壁に例えばラ・バゲラの実を磨り潰した桃色の果汁を刷毛で溢れんばかりに塗り込んでおき、防水に優れたブレギアのシダ状の巨大葉で分割面を覆い元の砲身の形へと縛り上げる。そして砲弾の方もこれまたギロブルの木の根を煮詰めたドロリとした粘液上の固まりを竹ひごを組んだ枠にミランの葉で包んだ容器に詰めて球状に形成する。
これまた植物の実由来である高圧ガスで撃ち出される砲弾に対し、香木の砲腔内に塗られたラ・バゲラの果汁は潤滑油の役目を果たすだけでなく、その液体は砲弾の第一層であるミランの葉にたっぷりと塗り込められることとなる。そして砲弾が着弾点に向けて飛翔している間に内部のギロブルの粘塊にまで浸透したラ・ゲバラの果汁は化学反応によって赤みがかった有毒ガスを発生させ周囲に充満させるという仕組みである。
二種の混合液を肝とした“化学兵器”である関係上、一本の砲身に対し一種類の砲弾しか使用できず、また液の補充を始めとした消耗品の為に発射回数に制限があることは勿論のこと、例え試射すらせずともやがて香木の砲身が砲腔内の液に浸食されて朽ちるという、非常に取り回しの悪い兵器ではあった。
そもそもが、有毒ガスの類は全ては優れた液体燃料を開発する中の副産物に過ぎない。コバル公国は山腹に穴を穿ちそこを居城区とすることが一般的ではあるが、カアコームの研究はそのような閉鎖空間で行うにはあまりに危険な代物であった。ガスにしても、或いは爆発にしても。その自覚があるからこそ彼は公国の外れの地に粗末な実験用の小屋を建て研究に明け暮れ引き篭もっていた訳だが、それがまた『変人』としての彼の風評を不動のものとした。
元よりマルゴ洞の生まれであったとは云え、何が切っ掛けでマルゴ卿が自分への援助を申し出る気になったのかをカアコームは知らぬ。それでも彼の資金面での援助によってカアコームの研究が随分と捗ったのも事実である。
研究の副産物である毒ガスを用いた今まさに構築中の第一陣の化学砲台は、カアコームにとっては甚だ不本意なものであった。だがそんな事は意にも介さず、マルゴ卿が出陣する前から己が配下の砲兵隊を盛んに周囲に喧伝していたことは嫌でもカアコームの耳にも入って来ていた。カアコームが自分にとっての『本命』である第二砲台を人目に付かぬ遥か後方に構築することを譲らなかったように、マルゴ卿もまた公国の他の諸侯から目視できる位置に第一砲台を構築することを譲らなかった。
『変人』で鳴らしたとは云え、援助者相手に妥協を知らぬ程にカアコームは我慢を知らぬ訳では無かった。己の果たすべき夢が、目標が、天上に向かって飛翔するにはまだまだ程遠いものである事を誰よりもまた自覚していたのである。
「辛いん、辛いん……」
改めて、大きな溜息を一つカアコームはついてみせた。
自分の率いる秘蔵の砲兵隊が厚い防壁に護られた商都を攻略する、その劇的な瞬間を諸侯に見せつけたい、そのマルゴ卿の自己顕示欲はカアコームにも理解できない訳ではない。だが、その為に街中に致死性の強い毒ガスを撃ち込むという行為はカアコームにとって甚だ不本意なものであった。
砲弾で文字通り防壁を派手に粉砕するのであればまだいい。大勢の死傷者を出すであろうが、それが降伏を選ばなかった戦場の止む無き犠牲であるとカアコームは割り切っていた。だが商都に蓄えられた金銀財宝を喪失させずにそっくりそのまま手に入れたいという――下心丸出しの――毒ガスの使用には、カアコームは心の内で激しい抵抗を感じていた。自分の造った砲によって数多の死傷者の出る結果自体は変わらないとしてでもある。
そもそも二種以上の樹液や分泌物を混合し、その配合や比重、及びその結果を記録し纏める作業はカアコームが独りでやってきたが、彼はそれを表に出す気など毛頭無かった。マルゴ卿がどこの誰からその研究成果を聞き及んだのかはいまだにカアコームには定かではない。
だが援助という恩義に託けて毒ガスの使用をマルゴ卿に強要されたにも関わらず、それでも全てを承知でわざわざカアコームが最前線の商都まで自ら出向いて来たのは、第二陣に据える予定のカアコーム砲の為であった。化学砲ではなく高射砲であるその『本命』が商都の防壁を破砕するだけの飛距離と破壊力を計算通りに発揮するかを、その目で見届けることは夢の実現の為にも必須であった。
正直なところ、破壊力を確認する為の試射であるならば、公国内の適当な山腹に好きなだけ撃ち込めばいいだけの話ではある。だがそれを実施するとクォーバル大公への叛意の可能性有りという名目で痛くも無い腹を探られる結果になるであろうことはカアコームにとって充分予測の範囲内であった。
第二陣に本命のカアコーム砲台の構築が終わり実際に砲撃を開始する際には、商都に向けて何らかの警告――それは降伏勧告の形をとるのであろう。盟主たる者がいない今、誰の名で成されるのかは置くとして――が成されるであろうことまでカアコームは予期していた。であれば、多少は死傷者も減るであろうということも。
尤も、あくまで多少ではあるが。
元より天を覆うこの世界の“蓋”を吹き飛ばす事を最終目標としているカアコーム砲である。商都に撃ち込むにあたって、そこまでやわな火力を持たせて満足する気は毛頭無い。今更良心が咎めるなどと、カアコームは嘯くつもりも無かった。
だがそれでも――或いはそれだけに――己が心血を注いだカアコーム砲で毒ガスを射出するんばど、カアコームにとって許容し難い行為であった。
「あー、嫌よや、嫌よや」
再びカアコームは独り肩をすくめ、甲高い声でおどけてみせた。今は周囲に人の目は皆無であったが、『変人』で知られる彼は例え衆目に晒されていたとしても同じように奇行に奔ったであろう。だが眉を顰める者もいない中でいつもよりも調子に乗ったのか――はたまたそれだけ鬱憤が溜まっていたのか――カアコームは更にクルクルと体全体を回転させながら尚も激しく肩を揺らして小躍りしてみせた。
「――んなっ!?」
終いにはカアコームは足を滑らせ奇声と共に派手に躓いて転んだ。強かに腰を打ち付けたか、倒れ伏したままの体が呻き声と共にゴロゴロと傾斜を転がる。予期せぬ激痛にすぐには起き上がれずに寝転がったままのカアコームであったが、先程まで彼が小躍りしていた場所を突如として爆風が吹き抜けたのはその一瞬の後であった。
「……わっほぅ……!」
流石のカアコームが呆然自失気味に辛うじてそれだけを呟いたのは、偶然転びさえしていなければその爆風の只中に自分の身が呑まれていたであろう事に気付いた為である。もしそうであったなら、只では済まないどころか確実に命を落としていたことだろう。
わざわざ身を起こして確認するまでもなく、爆風の元は砲台の方角であり、すなわちそれがカアコーム砲が爆破された余波であることを彼は既に悟っていた。各種の毒ガスは二種類以上の樹液が混合する化学反応によって始めて発生する。有事に備えた――爆破は完全に想定外であったが――取り扱いをしていたこともあり、よほどの偶然でも起きない限りこの爆発の副産物として周囲に致死性のガスが漏れ出すようなことはあるまい。
そこまで頭の中で手早く計算したところで、カアコームはついついクスクスと笑うことを禁じえなかった。その『よほどの偶然』とやらも、自分自身が唐突に転んで九死に一生を得るという『偶然』で消費してしまったばかりであったからである。
そして、いまだに地に倒れ伏したままのカアコームの口元が、今度はニィとばかりに悪辣に曲がる。心中秘かに望んでいた通りに第一陣の砲台が壊滅したことに対しての会心の笑みであった。
無論、カアコーム自身が破壊工作を手引きした訳ではない。マルゴ卿が公都に帰還したことを幸いに遅延行為に及んでいた最中に実は考えないでもなかったが、何よりもそのような荒事を本職としている者達への伝手が彼には皆無であった。
「ふんむむ……?」
ここに至ってようやくカアコームは、マルゴ卿が残していった兵や人足が噂していた話の内容を思い出した。曰く、商都近郊に陣を張った洞の軍勢が、夜な夜な何者かの襲撃を受けているといった噂話である。
事が事だけに、今の今までそれを忘れていたというのはカアコームがカアコームであるが所以であるのだろう。それは兎も角、夜毎の襲撃がまだ噂話で留まっていたのには理由がある。どこそこの洞の主が殺められたとなればまた別であるが、今のところ夜襲の被害があくまで糧食などの荷駄の損壊に留まっていたのがまずその一つである。
そして何よりも、互いに隙を窺い反目気味の洞においては下手に騒ぎ立てるといい嗤いものにしかならないという――無駄な――体面が重視されたというのが最大の理由であった。中にはどこそこの洞の者の嫌がらせだろうと、考え無しに直に詰め寄る者が出る騒ぎもあった。だがそれすらもすぐに『何も無かった』こととして収束した程である。
その意味では、火柱が上がるまでにあからさまな破壊工作が成されたのはこのマルゴ洞の砲台が初めてのことであろう。
「たはははははっ!」
地に仰向けに転がったまま、不意に珍妙な笑い声をカアコームは上げた。だがそれは決して――設置そのものは不本意ではあるが――秘蔵の砲台が破壊されて気が触れたから、などということではない。己の砲術の危険性を正しく理解してくれた者こそが、誰あろう襲撃の首謀者――すなわち商都オーファスに居る何某かであることを理解したが故の歓喜の笑いであった。
第一陣に据えたカアコーム砲は砲身を始めとした主要部分に木材を多用していたこともあり、既にあちらこちらで強い火の手が上がっていた。逆に言えばこれが第二陣用として搬入を先送りにしていた混合燃料や火薬の類が貯め込まれていた状態であったならば、カアコーム達は今頃一人残らず――襲撃者自身も含め――辺り一帯と共に吹き飛んでいた筈である。
向こうの方で衛兵や人足が浮足立ち無益に走り回っている様を意にも介さず、ようやくカアコームは寝転がっていた身を起こすと、改めてどっかりと地面に胡坐をかいた。
既に鎮火を諦め逃げ出す者も散見される中で、カアコームはむしろうたた寝から目覚めたようなサッパリとした顔で完全に焼け落ちる己がカアコーム砲の最期を見届けた。
「……であるならば、こちらも真面目に全力でお相手するのが礼儀でありましょなぁ……」
彼方の商都ナーガスの内に潜む名も知らぬ襲撃者の首魁に向けた、それがカアコームの宣戦布告であった。
*
「――御苦労」
コバル公国の一軍が商都を見下ろす高台に建造中であった砲台爆破の報告に対し、シノバイド首魁であるモガミ・ケイジ・カルコースからの返答は実に淡白なものであった。
ではあるが、報告した側である側近のマグナの方も又、同様に喜怒哀楽一切の表情を浮かべることなくただ無言で頭を下げた。そして片膝を付き頭を垂れた姿勢のままにその姿がシュッと消える。
天井の梁の上に飛んだか、或いは地下への隠し通路に身を躍らせたか。何れにせよマグナの気配までもが完全に消え失せた後、それまで仮面のようであったモガミの瞳に始めて感情の色が灯った。賞賛の色が。
(死の危険すら厭わず、良くやってくれている……)
身寄りのない孤児を集め適正が認められる少年少女を更に選抜し隠密と成るべく地獄の特訓を課す――そのような非道な立場であるが故に、モガミが決して自らそのような賞賛を口にすることはない。
死して屍拾う者無し――シノバイドとは只ひたすらに忍務に励む孤高の存在でなければならない。モガミの敬愛する妖精皇国の妖精皇の為にその身を捧げねばならない、それが運命であった。
その為にも無駄に情の湧く言葉は禁句であり、そしてまたモガミが自らを外道の極みだと自嘲する所以でもあった。
「これからだ……」
無要な感傷を振り払い、モガミは今後の事に思いを巡らす。これまでは軽い牽制としての夜襲に留めておいたが、陽の明るい内に砲台を爆破してみせたからには、これより本格的に商都を包囲しているコバル公国軍との攻城戦が始まりを告げる狼煙が上がったという事である。
敢えてモガミはその日中での破壊工作を命じた。コバル公国軍の目を釘付けにし、それによって妖精皇と妖精皇国から賊軍の目を逸らす為に。
彼にとっての“両腕”である――それ故に所長がコルテラーナ達と共に魔境である“黒き棺の丘”に赴くと聞いた時に揃って護衛として遣わした――マグナとナプタの両名の内、ナプタの方は妖精皇国に逃したヴァラムの護衛として商都にはいない。所長の『館』の留守を預かっているミィアーと合流後、ヴァラムの身辺が落ち着くまでを見届けてからの帰参を命じてあるので、それまではまだ少し時間が掛かるだろう。
これからは夜陰に生じての襲撃に対しても流石に警戒快が厳しくなるであろう。それを逆手にとっての日中の襲撃も計画の内ではあるが、何れにせよモガミは自らが陣頭に立つ事への覚悟はとうに済んでいた。その覚悟も自らが死地に赴く事への覚悟ではない。それは自らの子にも等しい配下のシノバイドに死命を与えねばならないことへの『覚悟』であった。
「――!」
ツとモガミが部屋の扉に目線を向けたのは、そこからホトホトという控えめなノックの音がするよりも前であった。
理系の方から見ればカアコーム化学砲とか鼻で笑うお粗末さだと思いますし
何よりもその辺りの部分は「物語」上の不要部分であることは分かっています
分かっていますがファンタジーを書いてる以上このような(後略