稀謳(2)
無色透明――もし三発目がそれまでと同じ距離観測用の弾であるならば何らかの色付きの煙が派手に出ている筈であり、私達が視認できないなどということは有り得ない筈であった。或いは私達の裏をかいて今度こそ実弾だったとしても、爆発する様子も微塵も無い。ましてや不発弾など都合の良い話である訳がない。
果たしてそれが何を目的とした弾であったのかは、しかしすぐに判明した。
「ぬっ……!?」
苦し気な呻き声を発しつつ、ナナムゥが急に片膝を折る。透けている荷台の天板越しにでも、その大きな瞳の焦点が朧となっていることが分かる。
ファーラがナナムゥに己が護符を託したのは、或いは何か嫌な予感がしたからであろうか。しかし本来ならば『姫』の願い通りにナナムゥを守護したであろう護符は今は私の“腹”の内に有り、彼女の体を固定している“糸”のおかげで“早馬”から転がり落ちるようなことこそなかったものの、既にナナムゥは荷台の天井に四つん這いになるまでに容体が悪化していた。
嘔吐こそしなかったものの、ナナムゥは身を捩り苦し気に息を吐き喘いだ。
毒ガスの類であることを、ようやく私は悟った。その時には既に手遅れではあったものの。
実際の所は、致死性のガスではなく神経に麻痺を生じさせる類のガスであったのだろう。私達を即死させる毒ガスではなくあくまで麻痺ガスを撃ち込んできたのは、毒性の高いガスを砲弾に装填する為の何か技術的な問題があるのか、或いは射出を指揮している者に何らかの“良心”と呼ぶべきものが残っていた為か。
前者であろうと、私は思う。いくら低空であるとは云え、飛行中の麻痺はそのまま死に直結するのだから。
そもそもが、毒を使うような者を贔屓目で見ろというのが土台無理な話である。例えそれが先入観――と云うか単に自分の美学に反するが故の蔑視に過ぎないと頭では理解していても。
この世界に墜ちてきた者は“彼等”の強いた理によって身体の造りを根底から変えられる。共通のフォーマットに整えられると言った方がより近いのかもしれない。それがあるが故に何処の異界から墜ちてきた者であろうとも、この閉じた世界で窒息もせず、この世界由来の食物によって腹を充たし、そして異界の者同士で子を成すことすら可能であると聞く。
逆に言えばそれは毒物もまたこの世界の住人にとっては等しく有効であることを意味していた。その理をようやく私は認識したと同時に、初めからそれを念頭においてこの特殊砲弾を開発したであろう射出者に対し、私は改めて畏怖の念を抱いた。
だが、あくまで麻痺ガスを散布することに特化した砲弾であるが故に、その射出者も流石にこの“早馬”そのものを撃ち墜とすことまでは期待していなかったのではないのかとも思う。おそらくは外部に仁王立ちしていたナナムゥが昏倒し、その手から零れ落ちた“旗”を回収する算段だったのではないだろうかと。例えナナムゥが“旗”を落とさずとも、昏倒した彼女を収容する為にも“早馬”は一旦着陸せざるを得なかった筈である。
しかし顔も知らぬ射出者にとっては幸運だったことに、“早馬”の内部にも麻痺ガスは容赦なく入り込んでいた。元から“早馬”自体が外気を取り込む造りであった為か、或いは外のナナムゥと迅速にやり取りをする為にバロウルが何処かを開放していたのかまでは私には分からない。
唯一確かであることは“早馬”の操縦席にいたバロウルもまた麻痺ガスの餌食となったということだけである。先にバロウル自身の口から語られたように、次元城オーファスの生体端末である彼女には本来ならば麻痺ガスなど効かなかったのかもしれない。
だが閉じた世界の一員となった以上、彼女にも等しく麻痺ガスは有効であった。昏倒した際に操縦桿に何か変な触れ方でもしたのか、“早馬”の機体がいきなり左右に揺れる。
皮肉なことに、生身の身体を失った私だけが無事にこの場に取り残されたということになる。
低い高度かつ低速であるとは云えナナムゥの身体が外にあることには変わりなく、そして機体に“糸”で結ばれていた。このまま“早馬”が成すすべなく落下すると仮定するならば、ナナムゥが“早馬”そのものに潰され生命を落とすことは疑うまでもなく明らかであった。
(――粒体装甲!!)
試製六型機兵である私に備わった、魔晶弾倉に並ぶこの身に過ぎた秘蔵の装備。荷台の中で全身を赤く染め上げた私は、無我夢中でその“障壁”を張り巡らせた。
自分を中心に球状に、“早馬”とナナムゥを“障壁”内部に収納する為に。全身全霊を込めて。“早馬”の荷台が透けていなければ、ここまで巧くはいかなかったであろう。
それから状況がどう推移したのかを私は知らない。“早馬”が墜ちたことだけは認識できたが、“障壁”を維持するだけで精一杯でそれ以上気を回すことはできなかった。
ただ“障壁”の中のナナムゥが無事なことだけをわたしは憶えてる。
浮遊城塞で“早馬”の射出口として開いた壁を塞ぐ為に、私は既に粒体装甲を一度発動させていた。妖精機士ナイ=トゥ=ナイの襲撃を防ぐという重大な役割を任されていたにも関わらず、私はそのことを思い出しもしなかった。まして適切な範囲に適切な出力で“障壁”を展開させることなど、私如きにできる筈もなかった。
こんな所で、こんな事で、ナナムゥも、そしてバロウルも、無為に死なせる訳にはいかない。絶対に。
ただその一心で私はひたすらに“障壁”を張り続けた。
墜ちた“早馬”が地面に接した瞬間だけは、直後と云うこともあり流石に私も把握はできた。球状の“障壁”を維持している私の粒体装甲が“早馬”の機体とナナムゥの身体を完全に包み込み、地を抉る衝撃を完全に吸収していることを、辛うじて遅延をかけることができた視界の端で確認することもできた。
気が緩んだ、などという仕組みが機兵に組み込まれている筈もない。粒体装甲を酷使させたことで純粋に私の中の動力素が尽きたのであろう。
“早馬”はそれ以上地面で跳ねるようなこともなく、地を長々と抉りつつもそれでも木を薙ぎ倒した後に何とか停止した。ナナムゥ達の圧死という最悪の事態を回避できた事を安堵しつつ、私の意識は急速に暗黒に包まれ“眠り”の深淵へと墜ちていった。
自分達を取り巻く状況そのものは決して好転してはいないことを知りつつも、私は深い“眠り”に抗うことなどできなかった。
何を言ったところで言い訳になる。
不甲斐ない私が再び“目覚めた”時には、私達は三人揃ってコバル公国の公都へと連行された後であった。
二日――目覚めた時点での私は知る由も無かったが、“早馬”が墜落して既に二日もの日にちが経っていたのである。沼牛の牽く檻に入れられ、ナナムゥとバロウルは道中晒しものとされながらも。
尤も捕囚を連行するだけでそこまで時間が掛かったのは、わざわざ二人を晒す為だけに手間を掛けた訳では無い。“戦利品”である六型機兵の巨体を公都まで牽引する方法に手間取ったからである。少なくとも――後の――ナナムゥによる推測ではそうであった。
粒体装甲維持の過負荷により一旦は強制的な“眠り”に落ちたとは云え私の意識が戻るのに二日もかかったのは、私自身はバロウル達の入れられた檻とは別の即席の橇とコロで運搬されていた為である。逆に言えばバロウルによる保守を受けること無く私が自動的に“目覚めた”――要は再起動を果たしたのは予めそういう時限式に設定されていたからであろう。もしバロウルが直接私の機体を触ることが許される環境であったならば、途上で目覚めた私はナナムゥと共に、決してむざむざ公国へと連行されはしなかった筈である。
全ては虚しき憶測ではあるが。
実際のところ、覚醒した直後の私は自分がどこに居るのかまったく見当が付かなかった。今居る場所が岩肌が剥き出しの広い閉鎖空間であり、壁沿いに照明として篝火が並んでいるのが視えた。一瞬私の脳裏に、この世界で自分が初めて目覚めた時に見た、浮遊城塞地下廃棄場の記憶が蘇る。
それまで微動だにしなかった機兵が急に身動ぎした為であろう、周囲のどよめきが私の耳に届く。目視ではなくまずあちこちで上がったその声の数で、私はこの空間にそこそこの人数が存在していることを知った。まだ視界自体の機能が完全に復調していない為か景色はどこか朧気ではあったが、確かにそこかしこに人の固まりも視えはした。
(――っ!?)
そして私は自分の身体が太い鎖で雁字搦めとされていること、そして何よりもトロッコと思しき車輪付きの大きな荷台に載せられている事にもようやく気付いた。
持って生まれた私の性分でもある鈍さとそれによる初動の遅れがこの時ばかりは幸いしたと言える。もしこの時点で無造作に身を揺すり鎖による縛めを脅かしていたならば、この時点で私は容赦なく背後の大穴に墜とされていたことだろう。
“奈落”――横目で盗み見た、己の背後に黒々とした口を開けている大穴。誰に告げられた訳でもないが、私はそれがコバル公国の深部にあると噂される魔穴の入り口であることを本能的に察していた。
この世界で石の躰として目覚め、浮遊城塞の一員としてコルテラーナに迎えられてまだ間もない頃、元々読書が趣味であった事もあり――今にして思うと声なき声が検閲していたのであろうが――この閉じた世界の風土に関する様々な情報を読み漁っていた時期があった。そのような呑気な生活が許されていた、なんでもないようなことが幸せだったと今にして追憶する日々。二度とは戻れない日々。
そんなどこかで聴いたような感傷は兎も角として、元よりオカルトやUMA好きな私にとって、“奈落”の名称が強く記憶に残っていたのは確かである。
そこに落ちて帰って来た者はいないと云う、地の底へと続く深淵の入り口。この穴を抜けた先こそこの閉じた世界から脱出する為の道なのだとその深部に挑んだ者もいたと伝えられてはいるが、噂に違わず吉報どころか凶報を携えて戻って来た者すらいないということであった。愚行を戒める寓話としてだけは残ったというのは、出来過ぎた話ではあるが。
その過去の逸話のみならず禁忌の穴として知られたが故に、コバル公国でクォーバル大公の機嫌を損ねた者に対する極刑として、この穴に僅かな荷と共に咎人を追い落とすのだという黒い噂もあった。逆の意味で浪漫に溢れた追放刑だと、不謹慎にも私の気を惹きはしたのだが。
そこまでの己の記憶を探った後に、私は自分が捕縛状態のままにトロッコに載せられている理由にハタと気付いた。トロッコは――私も良く知るお馴染みの――幅の広い二本のレールの上に乗っており、終点は無論“奈落”の淵である訳だが、では始点の方はどうかと云えば、少なくともこの地下空洞――“奈落”があるからにはここはコバル公国の地下最深部であるのだろう――の入り口にまで伸びているのは視認できた。
幾らこの機体が重量級であるとは云え、まさか私をこの穴に落とす算段の為だけにレールを引っ張って来るほど酔狂ではあるまい。となれば理由は唯一つ、コバル公国において“奈落”へ廃棄するという行為が恒常的に行われているということであった。
製鉄を生業とする公国において、その過程で生じた産業廃棄物を投棄しているのならばまだいい。良くはないが。だが本当に――無責任な与太話であることを願ってはいたが――生きながらに、或いは無残にも命を落とした者の遺体を投棄しているのとするならば。
私が載せられたトロッコがその為の備え付けの車輛であるというならば、忌まわしくも全ての辻褄は合う。
いまだ置かれた状況を呑み込めず困惑するしかない私の耳に、聴き慣れた少女の声が届いたのはまさにその時であった。
それは普段のナナムゥからは想像もつかない程にか細いものではあったが、それでも私にとっては何よりも心強いものであった。
“わしが合図するまで大人しくしておれ”
恥ずかしい話ではあるが、私はナナムゥの声が自分の耳に響いた時に、咄嗟にそれを精神感応の類だと早合点してしまった。六旗手の一人となったナナムゥであるならば、私の脳内に直接語りかけてくることすらも可能になったのではないかと安易に納得しかけてしまった。
常駐しているかというと怪しいが、私の脳内には声なき声が在り、脳裏でのやり取りが私自身にとっては慣れたものであり、何ら特別なものではなくなっていたということもある。
もし本当にナナムゥが精神感応を使えるのであれば、事態がここまで悪化する前にもっと巧い活用方法を思い付いていた筈ではあるのだが、そこにはまだ思い至りはしなかった。
“バロウルが捕まっておる。辛抱じゃ”
再びナナムゥの声が私の脳内に流れ込んで来たところで、私の前方でちょっとした騒動が持ち上がる。それまで衛兵の身体が壁となって気付かなかったが、私の前方の少し離れた位置に後ろ手に枷を嵌められ引き据えられたナナムゥが、その衛兵に静かにしろと小突かれている姿が始めて垣間見えた。くぐもった呻き声を最後に、私の耳に聴こえていたナナムの声がピタリと止まる。
ナナムゥに伴われ始めて“幽霊狩り”に遠征し、そしてガッハシュートと始めて対峙したあの夜。もう随分昔の事のように錯覚すらするが、私の身体にとって“骨”であり“神経”でもある“紐”を通じてナナムゥと交感したのだという事実に、私はこの時ようやくハッと思い至った。私の“紐”が主としてナナムゥの精製する“糸”を寄り合わせた物であるということは既に私も聞き及んでいた。
旗手としての新たな“力”だ精神感応だといったそういう類のものではなく、単純にナナムゥが私の身体に“糸”を繋いで、それに喋った言葉を伝導させているだけなのだろう。あの夜がそうであったように。さながら糸電話の如くに。