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稀謳(1)


 ザイフ村近郊・ティエンマ湖――


 一旦はその湖畔に座礁した浮遊城塞オーファスが様々な犠牲を払いつつも再浮上を果たし、そして平地に沿うようにユルユルとこの地より飛び去ってから既に三日が過ぎた。

 『飛び去る』と言うと語弊がある。これまでは遥か天空を優雅に翔けていた浮遊城塞は、そのお椀型の船体を如何にも満身創痍といった体で引きずるように浮遊していた。なまじ地上スレスレを飛ぶと周囲を圧して被害をもたらしかねないだけに――所長の指示により――低山の頂程度の高度を辛うじて維持していたのであるが、それが却ってその凋落を際立たせた。

 当然、ザイフ村からもその城塞の去り行く姿はつぶさに観測できた。それに伴う荒唐無稽な出来事と共に。

 最初こそ村の内外においても、やれ地から天に逆向きに稲妻が走ったとか、白い巨人が突如として湖の中心に出現し、そして同じように消え失せただの、派手なばかりで無責任な噂話が飛び交っていた。噂の出処は主として村人ではなく、村の外の野営地に駐留していたコバル公国の兵士達からではあるが。湖から辛うじて逃れてきたという幾人かの兵士達が大仰な身振り手振りで『湖の巨人』を語る様は、ここを生地とする村人からはむしろ冷ややかな目で見られもした。

 ただ一つ確実であったことは、空に浮かび自らを――そこだけは嘘か真か――“旗手”であると名乗りを上げた少女がその場で撃ち落され、そして“旗”と共にコバル公国公都に連行されたということであった。

 この頃には、コバル公国から続々と出立した軍勢が銘々勝手に商都ナーガスの周辺を遠巻きに陣取り、対する商都の指導者層である会合衆もまた城門を固く閉ざし一種の膠着状態となっているという話はザイフ村にまで伝わっていた。

 確かにザイフ村は商都の衛星拠点的な立ち位置ではあったが、決して従属している訳ではない。そもそもが敢えて商都ではなくそこから一定の距離を置いたこの村での定住を望んだ“脛に傷持つ者”の集落である。結果として村の意向としては商都の様子を窺いつつも、それはそれとしてここまで出張って来た公国の軍勢相手に商いを行う形となっていた。

 だが、それもほんの数日の間の事である。先の旗手の捕縛を境に、幸か不幸か駐留していた兵達の殆どはザイフ村から引き揚げてしまった。

 それが昨日のことである。郊外にはいまだに僅かの兵が残ってはいるが、今のところは――村民が秘かに警戒していたような――村を接収するような動きも見られない。

 奇妙な話ではあるが駐留兵に対しても様子見となった結果、商都ナーガスを廻る緊迫した状況とは対照的にザイフ村には平穏が訪れたということになる。終いには兵団による特需が一瞬で終わってしまったと愚痴る者が出る始末であった。

 ここまでコバル公国の用兵が稚拙かつ場当たり的である原因は、無論公国に明確な総指揮官が不在なことにあった。一応は大公の名代である方術士ザーザートが軍監として前線に赴きはしていたが、有力な“洞”の貴族に呼び付けられ時には恫喝までされても、自分が只の大公への伝令役でしかないと言葉少なに繰り返すだけであり、その口から具体的な今後の方針が述べられることはなかった。

 むしろザーザート相手にそこまでする貴族自体が稀であり、殆どの者は――これまで通り――ザーザートを単なる大公の“小間使い”として始めから気にも留めていなかった。

 名代ザーザートが単なる腑抜けとして完全に無視されるようになった一方、退官間近いことが公然の秘密であるとは云えいまだ大公に次ぐ裁量を任されている宰相デイガンもまた公都に籠ったきりであり、そしてそのまま沈黙を保った。

 よって公国の威容を見せつけるという名目で“洞”の貴族達は布陣したものの、堅牢な商都の防壁を前に自らが動こうという者はいなかった。公国の貴族が古くにこの閉じた世界(ガザル=イギス)に落ちて来た者の裔であり、“洞”同士の小競り合いは経験したことはあっても誰も攻城戦など経験したことが無かった為でもある。

 無論、戦場慣れしている逸材がザーザートによる“紅星計画”(アルシュート・ベルマ)によって新たに公国内に墜ちて来ていた可能性もあったが、それらの“新参者”は実質上の奴隷として纏めて鉱山送りにされることが常であった。

 結果、閉じた世界(ガザル=イギス)の物流の中心である商都ナーガスがその門を堅く閉ざし、そこを経由していた妖精皇国とコバル公国間の流通も完全に途絶えてしまっていた。

 死なば諸共という訳でもあるまいが、商都が己の役割を放棄したことにより僅か数日にも関わらず物流は滞り、その悪影響により所属を問わず如何なる場所においても不満が溜まった。当然のようにそれはすぐに不穏な雰囲気へと変わり、今でこそ商都を廻る奇妙な睨み合いで済んではいたが、それがいつ爆発するか分からない状況であった。

 もしこの惨状をほくそ笑んでいる者がいるとすれば、これを好機と捉える小賢しき者か、これを商機と謀る欲深き者か、全ての絵図面を描いた方術士ザーザートくらいであっただろう。


 「……」


 だが、今ティエンマ湖の畔を独り無言で巡る褐色の女性は、例え世界がそのように緊迫した状況に陥ろうともどこ吹く風と云った涼しい貌であった。

 実際の所、彼女――移動図書館の“司書”であるバーハラはこれまでも常に“裏方”に徹し、自らこの世界に積極的に関わる為に表舞台に出ることは決して無かった。

 今こうして珍しくも自らの身を晒し、一見すると散策でもしているかのように絶えず周囲に視線を巡らせている様を、不審な余所者だと咎める人影も無い。

 本来は街道を外れた辺鄙な場所でしかないティエンマ湖は、強いて言うならば風光明媚な隠れた名所であると言えないこともない程度の立地であった。この閉じた世界(ガザル=イギス)で観光に勤しむような恵まれた身の上の者など皆無に等しいのではあるが。

 それでも――それ故に――機会は多くないとは云え浮遊城塞オーファスが停泊地として留まることもあった為に、湖の周辺には踏み固められた道や雨露を凌げるだけの簡素な小屋が存在していた。

 だが、それも過去形である。

 今、バーハラの眼前に広がっている荒れた湖畔のその訳は、無論浮遊城塞オーファスが座礁し、辺り一帯を圧し潰してしまったことに起因する。平時であれば周辺の林なりに潜んでいる巨大な硬貨型の三型機兵(ゴレム)が補修の為に定期的に道の上を見回ったりしているのであるが、それすらも行われている様子は皆無であった。

 「……」

 やがて、元は湖畔の小屋であったと思しき土台の跡に行き当たり、バーハラの脚がツッと止まる。

 一艇の脱出艇が浮遊城塞から飛び発った後、突如として純白の白い巨人が湖の中から現れ、不可思議な詠唱で座礁した浮遊城塞を再び湖畔より浮上させ、そして自身もまた忽然と消え失せた。ザイフ村でもそう噂されていた通りである。

 その際に湖面から溢れ出た水流が湖畔の道と小屋とを洗い流し、その場に置き去りにされたコバル公国の兵の遺体――限りなく遺体に近い者も含まれる――もまたその奔流に呑まれて消えた。今は湖面に小屋の残骸が僅かに浮かんではいるが、やがては波に攫われた兵士の遺体も幾つか浮かぶことであろう。

 ザイフ村では完全にほら話の類としか思われていないその純白の巨人が決して夢物語などではないことを、一部始終を見届けていたバーハラは誰よりも知っている。彼女が今独りで湖畔を歩いている目的の一つは、その謎の巨人の痕跡が僅かにでも残されていないかを確認する為であった。

 だがそれは移動図書館司書としての公務ではなく、あくまでバーハラの個人的な調査である。好奇心と言ってしまってもいい。

 移動図書館の司書長であるガザル=シークエに対し、長の“死”を含めて全ての報告は既に終えていた。

 肩書だけのものとは云え“守衛長”であるガッハシュートの敗死によって、長の命により普段は移動図書館の最深部で“眠り”に就いている“守衛”――主だった集落に設けられた出先機関に詰めている現地雇用の守衛とは根本的に違う真の“守衛”――が覚醒する運びであろうこともバーハラは半ば覚悟していた。

 だが司書長ガザル=シークエは『追って沙汰する』以上のことを口にしなかった。

 バーハラがガッハシュートに託された後事を果たす為だけにティエンマ湖に独り降り立つことが許されたのも、次の主命が降されいないという、そういう事情もあった。


 「――アレか?」


 どれくらい散策を続けたのだろうか、湖面の上を風に吹かれてこちらへと漂ってくる細長い物体を、バーハラは些か珍妙な面持ちで迎えた。

 真っ直ぐに掲げた彼女の手の中に、飛来したソレは自ら絡み付くかのように収まった。まるでそれ自体が意志あるモノであるかのように。

 まさかと、ガッハシュートに回収を託されたその青いマフラーをしげしげと見つめながらバーハラは自らを胸中で笑い飛ばした。六旗手“青の”カカトの形見と聞くが故に、あながち有り得ないことでもないのかとも僅かに想いながら。

 (結局、巨人の痕跡は無しか……)

 これ以上滞在した所で新たに得るものもあるまいとバーハラは潔く判断した。

 ガッハシュート自身の遺体は捜す必要はなかった。始めから見つけようのないモノであることをバーハラは知っていたからである。後付けである魔晶弾倉を仕込んだガッハシュートの義手義足だけは遺っているであろうが、おそらくは既に湖底深くに沈み回収は困難であろう。

 魔晶弾倉は貴重ではあるが唯一無二の装備という訳でもなく、浮遊城塞のバロウルの工廠より既に予備が納められているということもバーハラは承知していた。

 (……長はこれからどうなさるおつもりなのか?)

 丁寧に丸めたマフラーを手に、岩陰に隠してある“早馬”へと向かいながらバーハラは心中でふと疑念を抱いた。そのような心境に至る“司書”は稀ではあるが、それはバーハラがかなり新しい存在であることに起因しているのだろう。

 無人の野であると知りながらも流石に人目を憚りながら、バーハラの繰る“早馬”が遠慮がちにゆっくりと上昇を始める。我ながらそこまで警戒する程のことかと心中可笑しくもあるが、それが裏方として陰ながら活動してきたバーハラの拭いきれない慣習でもあった。

 揚陸艇と同じく“早馬”も元は次元城であったオーファス付属の輸送機である。その角張った機体がバーハラを乗せて高高度に達し、人目を気にする必要も無くなったか軽やかに飛び去った。

 この世界の中心地である“黒き棺の丘”(クラムギル=ソイユ)。その手前に出現したままいまだ動けぬ移動図書館に向けて。


        *


 私が再び目覚めた時には、全てのことが終わっていた。

 否、ナナムゥのことであるからアレから最大限に努力はしたのであろう。それを結果だけ見て私が『すべてのことが終わっていた』などと評するのは我ながら随分勝手な物言いだと思う。ナナムゥは成すべきことを許される範囲で可能な限り行い、その結果としてこう成らざるを得なかった筈であるのだから。


 浮遊城塞を無事に退却させる為の“餌”として、囮となって“旗”を振りかざしゆるゆると反対方向、すなわち商都ナーガス方面に向かうというナナムゥの策が間違っていたとは思わない。何よりも真正の化け物である“亡者”メブカを浮遊城塞から引き剥がす為には、目標である彼女自身が城塞を離れる以外の代案を私は思い付かない。

 だが、初手の時点で躓くなどとは私達にとっても悪い意味で予想外であった。

 先に浮遊城塞に撃ち込まれた砲弾が、再び私達の“早馬”を襲ったのである。囮役として“早馬”がゆっくりとした速度で低空を移動していたことも災いした。

 不意打ち気味であったとは云え、最初に飛んで来た砲弾の速度そのものはそう早いものでもなかった。漫画的に表現するならば、それこそヘロヘロという擬音が似合うぐらいに。そのままでもナナムゥが“糸”を寄り合わせた“綱”を飛ばせば、充分に迎撃できていたことだろう。

 『だろう』という言い方に留まったのは、まだそこそこ距離を隔てた位置でその砲弾が勝手に破裂した為である。それも火花一つ撒き散らすことなく紙風船か何かであるかのようにボフッと割れた。後にはそれに詰められていたのであろう赤い煙幕だけが宙を漂っていた。

 流石に不発だなどと能天気な納得はしない。だが私達に対応する暇を与えないかのように、すぐに次の砲弾が再度ヘロヘロと飛来し、そしてまた同じように割れた。異なるところがあると言えば、今度は初弾よりも“早馬”に間近な距離であり、その煙幕も黄色であったということである。

 何かの物の本で触りだけは読んだことがあった。それでなくとも次弾の時点でそれが“試し撃ち”の類であることを、私だけでなくこの場に居る全員が察していたとは思う。

 迂闊であったと悔やみきれない。せめてこの時点で恥も外聞も無く高度を下げ地表近くに身を潜めていれば、状況はまったく違うものになったのかもしれない。

 それ故にまた同じ様にゆっくりと飛来した――それも今度はこの“早馬”に直撃する軌道で――三発目の砲弾を、ナナムゥが先手を打って寄り合わせた太目の“糸”で打った事は責められない。


 だが、それがいけなかった。


 「――むっ!?」

 スピーカーを通し、ナナムゥが困惑した声を漏らすのが聴こえた。三度目の正直という言葉があるように――この閉じた世界(ガザル=イギス)に同等の諺が有るのかまでは私は知らぬが――三発目の砲弾が殺傷能力を持つ可能性を恐れて弾こうとしたことは私も理解できた。

 だがナナムゥの――そして私の予想に反し、“糸”が打った時点で弾は炸裂した。

 ある意味、そこまでは前の二発と同じ展開であった。だがそこからの決定的な差異が、私達にとって致命的なものとなった。

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