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棄耀(21)

 「ナナムゥ!」

 何か、新たに説得に足る材料を所長が思い付いたのかどうかまでは分からない。兎も角前に直接歩み出てまで自分に詰め寄ろうとした所長を手で制し、ナナムゥは訳知り顔で先に口を開いた。

 「老先生も戻って来ぬ以上、こうなると所長だけが頼りじゃ」

 ナナムゥが――姑息にも――今はこの場に居ない者にかこつけて懇願する。

 「無事に城塞が妖精皇国まで辿り着いた後は、城塞の皆を皇国で庇護してくれぬか?」

 「妖精皇(わたし)の名に懸けて」

 所長は間髪入れずにそう宣誓すると、半ば強引にナナムゥの前に歩み寄りその手を強く握った。

 「だから貴女も誓いなさい。私に『おかえりなさい』と言わせることを」

 「心配性じゃな、所長は」

 カラカラと気楽に笑い飛ばそうとしたナナムゥであったが、その貌がすぐに真剣な面持ちに変わったのは所長の沈痛な顔を改めて間近に見たからであろう。所長の館にお邪魔した夜の僅かな昔語りであったとは云え、私も所長がこれまでに悲しい別れを――共にこの閉じた世界(ガザル=イギス)に観測船『瑞穂』ごと墜ちてきた供の者ことごとくを亡くしたという話を聞いてはいたし、そこに立ち並ぶ墓碑を実際にこの目にもしていた。

 「わし一人ならば無茶もしようが、バロウルもキャリバーも一緒じゃ。必ず三人で帰って来る」

 そう宣言したところで急に照れ臭くなったのか、ナナムゥは丁寧に所長の手を離しながら唐突にファーラの方へと矛先を変えた。

 「よいか、城塞を浮上させるのはナイの馬鹿がわしらを追うのを見届けてからじゃぞ」

 うんうんと頷いて見せたファーラが、寄り目気味に額の上の宝珠を見上げる。

 「分かった? ルフェリオン」

 “……了解しました”

 漫才めいたやり取りを交わした後に、ふとファーラが何を思い立ったのかナナムゥの方にとてとてと駆け寄って来る。『姫』は普段着として身に纏っている上着(チュニック)のポケットに手を突っ込み何かをホイと取り出した。

 「ナナムゥ! これ!」

 「ん?」

 “いけません!”

 ナナムゥが差し出された徽章めいた小さな菱形のアクセサリーを摘まみ取ろうとした刹那、ルフェリオンの静止する声が轟いた。これまで――数少ないとは云え――宝珠が発してきた言葉の何倍もの大音声であったことからも、ファーラが無造作に手渡そうとしたソレが何か重要な物であることが知れる。

 “それは貴女様を御守りする最後の護符です。手放すなどとんでもない!”

 「でも、宝珠(あなた)を身に付けていれば不要でしょ?」

 さも心外とばかりに――芝居がかった体で――ファーラは黒い瞳をことさら大きく見開いて見せると、そのまま有無を言わさずにナナムゥの手に護符を握らせた。

 「これは……?」

 それだけで護符に込められた何かの波動を感じ取りでもしたかのように、やや困惑しつつもナナムゥが尋ねる。

 「お守りよ、お守り。最後の最後でどうしようもなくなった時に、きっと貴女を護ってくれる」

 ファーラはニカッと笑うと、更にいつもの如くとんでもないことをサラッと続けた。

 「私にはガルもルフェリオンもいたから『最後の最後』の時とか試してみたこともないけど」

 「キャリバー!」

 眉根を寄せた渋い顔で一旦は護符を受け取ったナナムゥであったが、これまた何を思い付いたか一転してすぐに私の名を呼んだ。

 闖入者が続発しているにも関わらず意外と余裕があるなという思いが一瞬脳裏を掠めはしたものの、ナナムゥが同じ“旗手”としてナイトゥナイの接近を感知できるという以上、今は外壁に対する蓋役は不要であると判断したのだろうと思い直す。

 直ちにナナムゥとファーラの許に馳せ参じた私に対し、ナナムゥがその手にした護符をスッと差し出した。

 「キャリバー、お主が持っておれ」

 「ヴ!?」

 まったくの予想外の展開に、私は耳を疑った。仮にナナムゥが自身だけの庇護を嫌ったのだとしても、私ではなくいまだ万全には程遠いバロウルにこそ持たせるべき護りであった。

 率直に言って恥である。男として恥である。

 恥じたが故に反射的に単眼に『拒否』の赤い光を灯した私に対し、ナナムゥが強い口調で私を咎める。まるで母か姉であるかのように。

 否、ナナムゥは出会った時からずっと、私に対し母であり姉として振舞ってきた。それは私にとってただただ面映ゆく、そして微笑ましいものではあったが。

 「コルテラーナも事あるごとに言っておったじゃろう。お主こそがこの閉じた世界(ガザル=イギス)解放の鍵となる者じゃと。じゃからお主が持っておれ」

 果たして私の真の使命が――コルテラーナが直接そう指図した訳ではないが――“闇”の中心で自爆することだと知ってか知らずか、ナナムゥは真剣な面持ちでそう私を説き伏せにかかった。そして私の返事――単眼の光でしか私にはその手段は無いが――を待つこともなく、その手にしたアクセをわたしに無理くり押し付けようとしてきた。

 「バロウル」

 ナナムゥが差し出した手を不意に引っ込め、“早馬”の脇のバロウルの名を呼ぶ。何だ何だとファーラまでが私の許に走り寄って来る中、ナナムゥは大きな声でバロウルに訊いた。

 「キャリバーの躰には収納庫があるんじゃったな?」

 その言葉が終わらない内に、機体(からだ)で何かが開いたと思しきどこかむず痒い妙な感覚が私を襲った。『開いた』と云う断言を避けたのは、ちょうど胸部装甲の膨らみに阻害されて私の単眼が人で云うところの鳩尾の部分を直視できなかった為である。

 バロウルによる遠隔操作で――或いは私を強制停止させた時のように何らかの単語を彼女が一言口にするだけでいいのかもしれない――口を開けたのであろうその“収納庫”に、ナナムゥとファーラの二人の少女が額を突き合わせて妙にはしゃいでいる声だけが漏れ聴こえた。

 「おやつ入れとかに丁度良くない?」

 「何を言っとるんじゃ、お主は」

 「そういうナナムゥこそ何を入れようとしてるの?」

 「見なかったことにせい!」

 ひとしきり姦しくも大騒ぎはしたものの、状況が切迫していることもあってそれはあっという間の短い喧騒ではあった。

 もしかしたらそれは無意識の内に別れを惜しんでいたのかもしれない。

 私の収納庫の蓋――かどうかすらも私自身には定かではないが――が閉まったのを見届けたのであろうか、遂にナナムゥの口から出立の言葉が漏れる。

 「……では、そろそろ行くとするかの、バロウル、キャリバー」

 バロウルは無言で頷くと、早速操縦席に乗り込み“早馬”の荷台を開放した。私は移動図書館からここまで来た時と同じように、そこに乗り込むと膝を抱き抱えるように蹲った。

 「所長」

 車で例えるなら助手席に乗り込もうとしたナナムゥであったが、最後に立ち止まると後に残していく者達に振り返った。

 「ポルタ兄弟に行く先の指示を頼む。操縦桿を固定しとる“糸”は火を当てればすぐに切れる」

 所長は最初こそ無言で頷き返していたが、すぐに姿勢をピシッと改めてみせた。

 「行ってらっしゃい、ナナムゥ」

 「応!」

 捨て身(すてがまり)という訳ではないにしろ、過酷な使命であることは皆心の内で理解していた。だからこそナナムゥの悲壮感の欠片も無い力強い返事は私に――私達に何よりの希望を与えてくれた。

 (護ら()ば……!)

 ナナムゥだけではなく、無論死地に付き合わせることとなったバロウルも。

 ゆっくりと閉じる“早馬”の荷台の中で私は固くそう誓った。


        *


 (ようやく行ったか……)


 頭上の塔から飛び発つ“早馬”を見送りながら、ガッハシュートは安堵の溜息を一つついてみせた。隠し部屋に置物のように鎮座している三型からの通信でナナムゥ達が囮役になると聞き、それまで横槍が入らぬようひたすら時間を稼いだ甲斐もあったというものである。

 ガッハシュート自身はと云えば、如何にも酷い有様であった。左腕は肩口から、右脚は太腿の半ばから失われ、周囲に身を預けるような取っ掛かりも無く、今の彼は片手片足で半ば這いつくばっている状態であった。辛うじて上体を起こしてみせたのは、彼に残された最後の意地であったのかもしれない。

 「……」

 少し離れた位置から直立不動のまま無言で見下ろす“亡者”メブカは、ガッハシュートとは対照的にまったくの無傷であった。

 周囲に燻る“魔獣”や“鬼火”の残骸にチラリと視線を走らせると、ガッハシュートは己の口元を覆っていたマスクを左右に開いた。それはメブカとの闘いにおいて、試製六型機兵(キャリバー)の“見定め”以来久方ぶりの戦闘形態を彼が維持できなくなったという証左でもあった。

 「ちっ……!」

 軽く舌打ちしてみせたものの、ガッハシュートの瞳はまだ絶望の色に染まってはいない。左腕も右脚も決してメブカにもぎ取られた訳ではない。地中から出現する暗黒の“触手”に絡め取られたものをガッハシュート自ら切り離した結果であった。

 宇宙海兵隊員として四肢を始めとする半身を機甲化している彼ならばこその戦法である。尤も、ガッハシュート自身にとっても『宇宙』も『海兵隊』も『機甲化』も、何もかもが朧気な理解ではあったが。

 結果としては兎も角、闘いの最中において一瞬の隙を付いてガッハシュートが幾度もメブカの頭部を吹き飛ばしたのもまた事実である。だが“亡者”メブカの再生速度はガッハシュートの予想を遥かに上回っていた。

 刹那刹那で勝利を収めてはいても、最終的に勝者として立っているのがメブカであったと云うのはそういうことである。

 (これで店仕舞いだ!)

 口腔に隠し持っていた奥の手である魔晶を、ガッハシュートは残った右腕の魔晶弾倉に器用に装填した。

 「……」

 既に勝利を確信したか、そのあからさまな不審な動きを見てもメブカは際立った反応を見せなかった。互いの“魔獣”と“鬼火”を磨り潰しつつ中央の塔の前から始まった両者の闘いは、何時しか城塞の外周の縁近くにまで移動していた。城塞に撃ち込まれたカアコームのカタパルトの弾を、ガッハシュートが迎撃した位置でもある。

 (ナナムゥ、俺からの餞別だ……)

 胸中でそう呟きつつ、ガッハシュートは己の有する最後の魔晶弾倉を発動させた。従来ならば高々と呼称される魔晶の名称は、“奥の手”であるが故にまったくの無音であった。

 赤い雷――今世の世界の遥かな昔、六旗手の一人でもあった預言者を天空より撃ち倒した赤い雷。ガッハシュートの手により預言者自身は欠片も残さず消し飛んだが、その救世の預言だけは不滅の希望として残った。

 その必殺の一撃を、今再びガッハシュートは撃った。それもメブカに対してではなく、遥か上空の標的に向けて。

 事ここに及んではガッハシュートに情けなど無い。本来のソレであったならば――四肢の欠けることない万全のガッハシュートであったならば、赤い雷は決して狙いを違うことなく、飛び立った“早馬”を背後から襲撃しようと光の翼を広げた妖精機士ナイ=トゥ=ナイに直撃し、その機体を爆散させていた筈であった。

 しかし無理な体勢からか僅かに体が傾ぎ、それによって首に巻いていた青いマフラーがほんの一瞬ガッハシュートの視界を覆う。

 それによって射線がズレたままに、止める手段もなく赤い雷が撃ち出される。それは上空の妖精機士を直撃することなく四脚の内の一脚と左腕を掠めただけと思われた。

 その一瞬の後、それでも余熱だけで掠めた一脚と左腕の肘から先が爆散した。無事であった本体の装甲も、火こそ噴きはしなかったが醜く焼け爛れる。

 流石にガッハシュートの視力でもそこまでの仔細な戦果は直視できてはいない。それでも幾筋かの火花と共に光の翼も弱々しく妖精機士が落下していく光景を前に、彼は己が目的の一つが達せられたことを知った。

 (後は――!)

 喝采の間も無くガッハシュートは直ちにメブカへと視線を返した。

 “亡者”は既に、彼の方など見てはいなかった。落ち行く妖精機士を目で追っている訳でもなかった。

 「逃げ切れると思ったか……」

 メブカの視線は上空の、囮となる為にゆっくりとした飛行速度を堅持している“早馬”へと向いていた。それを確認したガッハシュートは薄く笑い、そしてメブカに嘲りの言葉を吐いた。


 「お前こそ俺から逃げるのか、死に損な――!?」


 そこまでだった。

 ガッハシュートの瞳が大きく見開かれ、その口が赤黒い血を大量に吐き出す。

 地から突如として出現した幾本もの細く黒い触手が、その鋭く尖った先端でガッハシュートの躰を次々に刺し貫いた為である。その勢いはガッハシュートの胴体を貫通するに止まらず、その片手片脚の躰を宙吊りに持ち上げる程であった。

 「……紛いモノの六旗手を追わねばならん」

 上空に待ち構えていた六旗手ナイトゥナイが反応した以上、天を行く“早馬”の中にその六旗手ナナムゥがいることはメブカにとってもガッハシュートにとっても自明の理である。

 「我が前より消え失せろ」

 その一言だけを残し、メブカの躰が地に吸われ消えていく。ガッハシュートには一顧だにくれることなく。独り残された宙に磔となったガッハシュートの躰を、貫いていた触手の群れが最後の駄賃だとばかりに浮遊城塞の外側へと投げ捨てて消えた。

 無論、座礁しているとは云え城塞の甲板(じめん)が高所に位置することに変わりはない。落下するガッハシュートは為す術なく遥か下方に転落死する運命であった。

 だが、それでもガッハシュートは笑っていた。メブカの向かう先がナナムゥの追尾であることを確認できた為である。

 もし万が一メブカがこの浮遊城塞に残された人々を殲滅する心積もりであったならば、正直なところガッハシュートにはもう打つ手は残されていなかった。例え移動図書館の“守衛”に助勢を頼んだところで間に合いはしなかっただろう。

 落ち行くガッハシュートの視界の端に青いマフラーが映る。カカトが己の“糸”で編み上げ、そして彼の形見となった青いマフラーが。

 (俺は…お前と同じ場所には逝けんよ……)

 まるでカカトの幻影が視えた気がして、ガッハシュートは薄く笑った。カカトが練り上げた“糸”から更に選別して編み上げたマフラーだけあって、メブカとの激しい闘いを経た今でも破れるどころか裂け目一つ生じてはいない。

 (後のことは頼んだぞ…バーハラ……)

 ガッハシュートは最期に、事前に後事を託しておいた者のことを思った。自分をここまで運んできた、褐色の肌の移動図書館司書バーハラ。表舞台にこそ姿を現しはしないが、今も司書長ガザル=シークエの言いつけ通りにバーハラは近隣に秘かに控えている筈であった。

 「――」

 ガッハシュートの瞳から生命の輝きが消える。青いマフラーをはためかせながら、彼の身体はどこまでも落ちていった。


        *


 「なんじゃ!?」

 薄暗い“早馬”の荷台の中で膝を抱えていた私の耳に――おそらくは備え付けのスピーカーを通して――まず最初に響いたのはナナムゥの驚愕の声であった。

 その声を上げさせた轟音の正体が何なのかを訝しむより先に――おそらくはバロウルが気を利かせてくれたのだろうが――それまで単なる荷台の内壁でしかなかった私の眼前にいきなり外部の風景が広がる。荷台自体が開いた訳ではないこともあり、マジックミラーをイメージするのが一番近いのかもしれない。だがそんな考察をも直ちに失念してしまう程に、私の眼前には衝撃的な光景が広がっていた。

 まず、いつの間に移動したのかナナムゥは助手席ではなく私の頭上、すなわち“早馬”の荷台の上に仁王立ちしていた。『飛行』ではなく『浮遊』に近いまでに低速であるとは云え、それでも“早馬”が空の強風に晒されていることには違いない。それでもナナムゥが吹き飛ばされたりしていないのは、おそらくは“糸”で荷台の外壁に己の身体を固定している為であろう。

 「バロウル、なんじゃ今の一撃は!?」

 「魔晶……」

 外の光景が広がっただけでなく、再びナナムゥの緊迫した声が私の居る荷台の中に響く。ナナムゥだけでなく、操縦席のバロウルの覚束ない声までもが。後方のことなので戻る訳にもいかないと弁解気味に答えるバロウルの言葉から、私は“早馬”の進行方向とは逆の位置で何かが起こった事をようやく理解した。

 それが最初の轟音によるものであることは間違いない。そしてそれによって何に影響が及んだのかということは、荷台の後方に首を巡らすだけですぐに判った。

 光の翼が――すなわち妖精機士(スプリガン)ナイ=トゥ=ナイがこちらを迫って来ることは充分に予想の範疇であった。元よりナナムゥが荷台の上に移動していたのも、妖精機士を引き付け迎え撃たんが為でもあったのだろう。

 問題は、その妖精機士が背の光の翼の噴出も絶え絶えに、“早馬”から引き離されるどころか徐々に落下しつつあることであった。慌てて視界を拡大して視ると、機体の片腕と脚部が激しく損傷していることが知れる。

 一体妖精機士に何が起こったのか――或いは浮遊城塞に辿り着くまでに既に損傷していたのか――私には知る由もない。背後で起こった轟音が原因であることはまず間違いないのだろうが、あの聡いナナムゥですら何の音だったのか困惑するだけであった。

 それでも、懸念していた障害の一つが有耶無耶気味に解決したことだけは事実である。

 こういう時のナナムゥの決断力には感服する他ない。墜ち行く妖精機士が既に驚異足り得ないと判断したのか、ナナムゥはすぐに目で追うことすらも止めた。目を離すでないと、手短に私に命じはしたものの。

 改めて前方、すなわち“早馬”の進行方向を見つめるナナムゥの右手の中に、はためく光の旗印が出現する。今まで見慣れた電楽器(エレキ)とはまったく異なる長物の形状ではあったが、顕現する直前に彼女の手の中に光の玉が握られていたことからも、私にはそれが紛れもなく“旗”であることは分かった。

 その旗印をダンと“早馬”の荷台の天井に突き立てて、次にナナムゥは大音声を張り上げた。無論単なる肉声でそこまで周囲に轟く名乗りなど可能な訳はなく、口元に添えた左手の中に、私が知るところの拡声器に準ずる物を握っているのだろう。ナナムゥの声はゆっくりと低空を進む“早馬”を通して増幅され、一見無人に見える下界の隅々に響き渡った。


 「聞け、狼藉者共よ! わしこそが浮遊城塞オーファスの新たな主である六旗手ナナムゥである!」


 流石に“早馬”の床が透けて荷台の中から大地を見下ろせる程には都合良くない。だが、幾ら退散したとは云えまだ周囲に城塞を襲撃した一派が身を潜めていることは時間経過からも間違いは無い。或いは“早馬”に何らかのレーダーのような装備を備えていたとしても、今更私は驚きはしない。

 尤もそこまで便利な装備を始めから有していたのであれば、不意の襲撃者にこれ程までに苦労させられる事態にはならなかったであろうが。


 「見よ! 我が“旗”はここにある。欲しければ奪ってみよ!!」


 如何にもわざとらしくナナムゥは、旗印を何度も大きく振り回して見せた。そのナナムゥの瞳の色と同じ鮮やかな碧色の旗印は、遠目からでも確実に視認できる程の眩い輝きを放っていた。

 「さて、ここからが正念場じゃ……」

 一息ついてナナムゥが己に言い聞かせるように呟く。

 「信じておるぞ、ファーラ」


        *


 「なんだとぅ!?」

 突如として上空から響いてきた挑発の声に、ハンガン・ホウは赤く上気した顔を天へと向けた。

 目に見えぬ襲撃者によってイッシュ=ガッドが地に倒れ伏した後にどうなったのかは知らぬ。猫目のタウルに至っては早々に退却を決め込む始末であった。大公の名代であるザーザートに呼び出された三貴族の中で、勇猛果敢にもこの地に踏み止まっているのは自分だけとなってしまった。

 それも今は敗残の身として忌々しくも木々の枝葉に紛れ身を隠し、散り散りとなった配下の集結を待つしかないという体たらくである。

 「追うぞ!」

 怒気を含んだハンガンの命令に、すぐ横で息を整えていた兵達は流石にギョッとばかりにどよめいた。あまりの無謀さに諫言を口に仕掛けた副官を、禿げ頭に湯気が沸き上がる勢いで更にハンガンは怒鳴りつける。

 「ここまで虚仮にされて手ぶらで引き下がったとあれば、公国中のいい嗤いものだろうが!!」

 ハンガンがここまで焦燥に駆られているのにはもう一つ理由がある。先程浮遊城塞にカタパルトによる投石を敢行した新たな軍勢が、公国で――あまり芳しくはない意味で――名の知れたカアコームを要するマルゴ洞の一団であることにハンガンは気付いていた。

 まして六旗手を乗せた空飛ぶ乗り物は商都ナーガスと、そしてそこからコバル公国へと繋がる街道の方に向かっていた。今この千載一遇の機会を逃したならば、商都周辺に展開している他の“洞”の軍勢に美味しいところだけを奪われる最悪の結果となるのは火を見るよりも明らかであった。

 (“旗”さえこの手に出来れば帳尻は合う……!)

 ハンガンは歯噛みすると、動きの鈍い己が手勢を再び怒鳴りつけた。

 「早く追えと言っているのだ、馬鹿者共がっ!!」


        *


 その光景を実際に目の当たりにした時、私はただただ言葉を失った。

 唖然とした声一つ荷台に届いて来ない以上、ナナムゥもバロウルも私と同じ呆然とした面持ちだったに違いない。

 傷付いた妖精機士が切れ切れの光の翼と共に何処かに飛び去るのを待っていたかのように、ソレは突如として私達の後方に出現した。

 ナナムゥの命によって妖精機士の軌跡を見張っていた私は――幸か不幸か――その一部始終を見届けることができた。

 最初は湖面に走る小さなさざ波であった。それが見る見るうちに渦を巻き、やがて飛び去りつつある我等が“早馬”の位置からでも見紛いようのない一つの大きな渦と化した。

 “魔法”――既にファーラの額を飾る宝珠(ルフェリオン)が“亡者”メブカを退散させる様を直に目撃したとは云え、目の前の光景をその『魔法』の二文字をもって直ちに受け入るには私の持つ『常識』が激しく抵抗した。

 言葉を無くした私達がただ見守る中で、大渦の中心より何か巨大なモノが出現する。

 日の光を受けて眩く輝く純白の装甲。銀色のようでもあり水色のようでもあり、時には淡い碧色にすら色調を変える半透明の長い髪。瞳孔までは刻まれてはいないとは云え、瞳と鼻と唇とを備えた青年の耽美な横貌。

 渦の中より出現したのはそのような彫像めいた美しさを備えた、しかし人造の巨人であった。

 『巨人』――その壮麗な佇まいはむしろ『巨神』と呼んでも差し支えのない威容を誇っていた。

 しかし如何に巨大であるとは云え、ちょっとした学園程度の面積を持つ浮遊城塞をそのまま掴んで持ち上げることが出来る程までには巨大ではない。距離が離れている為に目測では怪しい処ではあるが、身長10mから20mといった程度であるように視えた。大きさとしては浮遊城塞を相手取るにはまったく足りないぐらいである。

 「あれがア・ルフェリオンか……!」

 事前にファーラに概要だけでも聞かされていたのであろうか、ナナムゥが依然として唖然としたままにその巨神の名前らしきものを呟く。


 “アート=クタート!”


 その白い巨神が両腕を掲げ指で印を結び、ただの意匠かと思っていたその唇が詠唱に合わせて開き、そして閉じる。


 “ルグド・スグルド・ギーギ=モラーナ”


 それが呪文の類いであろうことは認めざるを得ない。そしてその詠唱の声もまた明らかにファーラの額を飾っていた宝珠(ルフェリオン)のソレであった。

 湖面が煮立ったかのように膨らみ、巨大な二本の水の“腕”が伸びる。湖面の水位がみるみるうちに下がっているところを見るに、どこからか新たに召喚した水ではなく実際に湖の一部を“腕”と化して制御しているのだろう。

 悪夢のようだという、些か間の抜けた呟きを漏らしたのはナナムゥであったか、それともバロウルの方であったのか。それすらも虚ろに聞き流してしまうまでには目の前の光景は衝撃的に過ぎた。湖面から伸びた二本の水の“腕”が浮遊城塞の下半分を互いが互いを追い掛けるようにグルグルと螺旋状に回っていき、徐々に城塞そのものがその大渦に反発するかのように上昇していく。

 「ルフェリオンはあんな小さな水晶玉(からだ)で随分芸達者じゃと思っておったが……」

 一定の高さまで螺旋を形成した水の“腕”が、スルスルとまるで記録映像を逆再生したかのような動きで湖面に戻っていく。後に残された、完全に地上より浮かび上がった浮遊城塞オーファスの元の姿を前に、ナナムゥは感嘆とも畏怖ともつかぬ感想を漏らした。

 「あの『巨人』が本体ならば、色々無茶なことができたのも納得はいく……」

 (確かにそうだが……)

 ナナムゥの呟きに胸中で相槌を打ちながらも、実のところ私は更に余計な事が気になって仕方なかった。

 ファーラとルフェリオンが強大な“力”を有していることは嫌というほど思い知らされた。ならばそのファーラの待ち焦がれている『迎えの者』もまた同様なのであろう。『何でもできる』というファーラの評もあながち只の与太話ではあるまい。

 そこまでいい。いい訳ではないが納得はしよう。

 だがそれ程の“力”を持っているというのならば、そもそも『迎えの者』にとってファーラを捜し出すことなど容易い行為ではないのかという根本的な疑問は尽きない。然るに何故、いまだに姿一つ見せようとはしないのか。或いはできない理由でもあるのか。

 その疑問は私の心の奥底にいつまでもこびり付いて消えない疑念となって残った。

 訝しむ私を他所に、目の前の状況に更なる変化が訪れる。まるで元からそこにあったかのように、ア・ルフェリオンの背後に黒とも紫とも形容し難い四角い空間が出現する。扉や窓枠のような厚みがまったく存在しないことが、その“空間”自体がこの世の理を逸脱している証であることに改めて気付いたのは更に後のことである。

 呪文の詠唱に呼応して動かしていた両腕を降ろし、再び直立に姿勢を改めた白い巨神がその空間の内に呑まれていく。その異空間自体もア・ルフェリオン以外の一切を呑み込む素振りも無く――湖の水位が減少した様子が無い以上そう判断せざるを得ない――靄が晴れるようにスゥとそのまま消失した。

 出立前にルフェリオンが警告していたように、その“力”を大きく消耗したことにより巨神は再び“眠り”に就いたのであろう。後にはいまだ移動を始めてはいないとは云え、浮遊城塞だけが宙にぽつねんと残された。

 「これで一番の懸念は何とか解消したのか……」

 我々の中で最初にナナムゥは我に返ると、年相応に安堵の溜息を大きく一つだけついた。そしてすぐに気を取り直したか、操縦席のバロウルに凛として告げた。私の直上に仁王立ちしている為にナナムゥの貌までは視えはしないが、それでも気高きものであろうことは想像に難くない。

 「わしらもこのまま囮として、低く遅く街道目指して進むぞ」

 旗印を振り上げ勇ましい物言いのナナムゥであったが、やがてもう一言だけポツリと漏らした。

 「すまんの、お主達まで付き合わせてしもうて……」


 ――『荘子一たび去りて復た還らず』


 不意に私の脳裏に『史記』の忘れ難き一節が甦る。

 秦の始皇帝暗殺の任に際し、刺客である荊軻が二度と故郷に戻れぬ壮烈な決意を込めた歌だと聞く。

 自分達をそれになぞらえる程のぼせ上がってはいない。ただ、自分がナナムゥを見送る側でなくて良かったと心の底からそう思う。

 所長は『行ってらっしゃい』とナナムゥを送り出した。困難な任務であると理解しながらも敢えて。それがどれ程辛い想いであったのか。

 ならばこそ、ナナムゥには必ず『ただいま』を言わせねばならない。

 出来るとは言い切れない。そこが無力な自分の辛いところであるが、そうなるように全身全霊で努めよう。この“力”の及ぶ限り。


 例えこの身そのものに代えようとも――


おかげさまでようやく後三章を残すのみとなりました。進捗としては起承転というところです。

何よりも人員整理が始まったこと物語が終盤に向かっていることを実感しています。

我ながら嫌な実感ではありますが。


投稿ペースも何とか週一更新近くに戻せはしたものの3月4月は実生活でコザコありまして

また少し休み気味になるかと思います。

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