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棄耀(16)

 「……紛いものか……」

 不意に、メブカが去り際に残した言葉をザーザートはポツリと呟いて返した。寂し気に。苦し気に。その声色には常に付き纏っていた冷淡さは消え失せ、かつてまだデイガンの許で“姉”のティティルゥやオズナと共に過ごしていた頃のような大人しさが垣間見えたのは決して気のせいなどではあるまい。

 「この世界そのものが『紛いモノ』だろうに……」

 半ば吐き捨てるようにそう呟いたザーザートであったが、伏せた顔を不意に上げると座礁した浮遊城塞を再び注視した。今彼が居る崖上からは浮遊城塞の足下に対してあまり細部が確認できるような距離ではない。それでも何らかの騒動が巻き起こったことが知れたのは、三貴族の手勢の上げたと思しき切れ切れの怒号が僅かにザーザートの耳に届いた為であった。

 「早いな……?」

 半ば呆れたようにザーザートが漏らしたのは、先程の約定通り『半分』を間引く為にメブカが――無節操にも――まずは進行上に居る三貴族達に狙いを定めたのだと踏んだ為である。

 幾ら何でも城塞に到達するには早過ぎるという疑念も確かにザーザートの脳裏を掠めはした。つい今しがたまで自分の眼前にいた“亡者”を統べる者メブカが地の底を自由に移動できるとは云え、一瞬であの位置にまで移動可能なものなのかという単純な疑問もある。

 だが、些事であるとザーザートはすぐに思い直すと自らを律するように頭を振った。『半分』減らす対象がどうであろうと、戦端が開かれたという事実があればそれでいい。『半分まで』という約定すらも実のところザーザートにとっては大した意味の無い話ではあった。

 後は如何にこの戦禍を商都ナーガスに、妖精皇国に、そして何よりも彼にとって全ての発端であるコバル公国にまで広げて回るのかこそが、これからのザーザートが熟考すべき課題である。苦しみと共に死んだ(ティティルゥ)への手向けとして、如何にそれ以上の苦しみと悲しみを生み出す業火として。

 この閉じた世界(ガザル=イギス)に生ける者に等しく死を与えるという一点において目標が等しいが故に、“亡者”メブカと主導権を争うような羽目にもならない。

 メブカの側が『その後』どうするのかは興味も無いが、ザーザート自身は全ての復讐を終えた後は自らにも『幕引き』をする心積もりであった。

 騒乱の始まりを見届けた以上、次は商都ナーガスを囲む軍勢を意のままとする謀略を練らねばならない。商都ナーガスの会合衆の結束を崩す為の調略については言わずもがなである。

 浮遊城塞オーファスに背を向け歩み去るザーザートが最後に漏らした呟きが、風に吹かれて消えていく。


 「楽な策略だ……」


        *


 「冗談じゃないわ、こんなの!」


 三貴族の一人、猫目のタウルが女のような金切り声を上げたのも無理なからぬことではあった。

 何もない筈の空間に青く長いマフラーだけが蛇のような動きで奔る度に、確実に手勢の一人が呻き声と共にその場に昏倒していく。それもまるで嬲るかのように次々と一人ずつ餌食となる様を見せつけられれば尚更である。

 コバル公国は元来険しい山腹の合間や元は単なる洞穴を拡充した地下空間に居を構えざるを得ない苛酷な地であった。金にはなるという理由で採掘を生業としそのような天然の要害で代を重ねた住人は、訓練など無しに自ずから屈強な肉体を得ることとなる。ましてや普段から鉱山に従事する炭鉱夫などではなく正規の衛兵の、それも手練れを引き連れてきたつもりであった。

 その精鋭と呼んで差し支えない集団が、突如として出現した青いマフラー一本によっていいように蹂躙されるなどとは猫目のタウルは予測もしていなかった。まだ浮遊城塞に取り付いてもいないにも関わらず。

 その特徴的な青いマフラーそのものについては、タウルのみならず残るハンガンもイッシュ=ガッドも何度も耳にしたことはあった。先日の公都地下深くの “紅星計画”(アルシュート・ベルマ)の為の召喚陣を破壊した許されざる狼藉者として、公都の貴族の間に――そもそも “紅星計画”(アルシュート・ベルマ)自体が公にできない類の謀り事であるが故に――秘密裏に捕縛斬首の為の特徴を記した注意書きが出回ったという理由もある。

 浮遊城塞オーファスを護る六旗手が一人“青の”カカト――その綽名の由来となった青く長いマフラーを常になびかせていると云うその男は、方術士ザーザートの話では確かに死んだ筈であった。

 「どこに行くとか!?」

 離れた場所にいながらもこちらの様子を目敏く見咎めたイッシュ=ガッドの怒声をタウルは完全に無視した。

 猫目のタウルが人並外れた視力を誇っているのは生来のものであった。それ故に空間に出現しては消える青いマフラーだけでなく、それを首に巻いた男の姿とその素顔を一瞬とは云え垣間見ることができたのが自分だけである事もタウルは充分に心得ていた。もし他の二人も同様にその貌を見ていれば、この場の騒ぎはこんなものでは収まらない筈であった。

 (嵌められた!)

 元よりタウルを始めとして三貴族の誰一人として『大公の名代』であるザーザートを信用していた訳ではない。利害の一致によるあくまで対等の取引相手に過ぎないと云う認識はあった。意に沿ぐわなければいつでも手を切ることのできる、そのような一時的な謀り事であると思っていた。

 だがそれすらも甘かったことにタウルは背筋を凍らせた。今、自分達を翻弄している青いマフラーの主の素顔を見た時、タウルはザーザートの甘言が全て虚偽であったことを知った。

 “青の”カカトについては噂ばかりが先行しておりその貌をタウルは知らない。だが知る知らざるにも関わらず、それが“青の”カカトに扮した紛い者の類であることを流石にタウルも認めざるを得なかった。

 何故ならばその男の貌にタウルは見覚えがあったからである。それもつい今しがたと言って差し支えないまでに直近に。

 「ベク、退くわよ!」

 タウルは常に己が傍に控える初老の従者に合図すると、独特の音色を発する木笛を短く三回吹かせた。それは以前よりタウルが己が手勢にのみ徹底させておいた退却の合図であった。

 慎重なタウルの性格上、配下の衛兵に平時より“撤退”に重点を置いて訓練させていた事もあり彼の手勢は潮が引くように湖畔から退却を開始した。

 (嫌な予感は当たるものね)

 こんなこともあろうかと、タウルは先陣を残る二人に譲って後方に陣取り様子見に徹していた。青いマフラーによる被害がほぼ先陣に集中しているところを見るに、その甲斐は充分にあったというものである。

 ハンガン・ホウとイッシュ=ガッドの手勢のどよめきと動揺など端からタウルは無視を決め込んでいた。既に先陣の手柄を譲った以上、いの一番に退却したところで後で咎められる謂われなど無い。

 恥も外聞も無く一目散に撤退しているように見せかけつつも、タウルは既に胸中で次の目的地を見定めていた。今更おめおめ商都の包囲網に加わる訳にもいかない以上、自ずとその向かう先は限定される。

 (掛かった費用の元は取って帰らないとね)

 今回の商都ナーガス、そして妖精皇国領への遠征費用は各々の“洞”の自己負担である。その代わりとして『戦果に関しては不問に処す』というお墨付きがクォーバル大公より与えられていた。無論謀り事の一環として『名代』であるザーザートが発した宣言であり、彼はまた反目する“洞”同士でその軍備を競うように裏から焚き付け煽りもした。

 猫目のタウルもまた見返り目当てであるその軛を逃れた訳ではない。彼の向かう先は手付かずの“伐採場”――すなわち妖精皇国領である。

 妖精機士団に出くわさないように、猫目のタウルの軍勢は街道から外れやがてその姿を隠した。


        *


 ポルタ兄弟による城塞の拡声機器を用いた中央の塔への避難勧告が響く中、私達はコルテラーナに先導され左の塔に向かっていた。

 偶にすれ違う住人もいるにはいたが、私達一行の些か珍妙な行進を目の当たりにした為か、特に呼び止めるような者も無く皆ポルタ兄弟の指示通り中央の塔へ向かって走って行った。

 私の腕の中にはコルテラーナが、同じくクロの腕の中には所長が抱えられていた。石の腕で不器用にコルテラーナを抱き抱えている私とは異なり、クロの腹部から迫り出した簡素な座席の上に所長はチョコンと腰掛けていた。急ごしらえにはまったく見えないところからも、護衛機として貴人を避難させる機能の一環として元々そのような運用をクロは想定されていたのだろう。

 艦橋に残してきたナナムゥ達のことが気掛かりではある。例えナナムゥが私などよりも数段しっかりしていたとしてもである。ましてバロウルがあの惨状であり、加えて浮遊城塞が地に引き摺り下ろされた今ならば尚更であった。

 だが、コルテラーナの指示に従っていれば間違いのない事を私は確信していた。

 すぐに左の塔に行き着きその内部の巨大なゴンドラに乗り込んだ私達は、そのまま塔の中層の階に昇った。元々工廠が資材や機兵(ゴレム)の上げ下げに使用しているゴンドラである為に、私にとってもここまでは馴染みの経路であった。

 その工廠の有る中央の階層から上が全てコルテラーナの居住区に割り当てられていた。正確には門外不出だと云うコルテラーナ独自の研究室なども併設されているということだが、少なくとも私はそこに招かれたことはない。この知識も許可無く立ち入らないようにとの警告と共にバロウルから与えられたものであった。

 と、工廠に到着して早々にゴンドラから降り、先頭に立って足早に歩み始めたコルテラーナに対し、所長が始めて訝し気に声を掛けた。

 「コルテラーナ、一体何処に向かっているのですか?」

 「……」

 所長の問い掛けにも、コルテラーナは意味有りげに目配せはしたもののそれ以上何も言わずに奥の暗がりに向けてひたすらに歩を進めた。

 「……」

 所長がほんの僅かに眉根を寄せたのも無理なからぬ事ではあるが、無論私は迷うこと無くコルテラーナの後に続いた。ここまで昇って来た工廠用の大型ゴンドラとは異なり、流石にコルテラーナの居住区に昇る為に普段使用している昇降設備――それがエレベーターなのかすら私は知らない訳だが――では 機兵(わたし) 護衛機(クロ)をまとめて運ぶには重量超過ではなかろうかと危惧していたこともある。

 それ故に、辿り着いた単なる袋小路に見える突き当たりの壁が隔壁であり、コルテラーナが脇の目立たないパネルに触れることでそれが天井に収納され勾配のきつめの“上り坂”が出現した時にも、これで徒歩で目的地に向かうのだろうと単純に納得してしまった。

 壁にさして明るくも無い視界を確保する為だけの役目であろうオレンジ色の灯りが点々と灯り、私は不意に自分がこの世界で始めて目覚めた地下廃棄場の光景を連想した。

 最初に“上り坂”に一歩を踏み入れたコルテラーナの足元が、そのまま動く歩道と化す。正確には上に昇っているのでエスカレーターに近い、言わば動く勾配と呼ぶべきであろうか。戸惑いの表情を浮かべる所長とそれに付き従うクロ、そして殿を務める私も無言でその後に続く。動く勾配は途中で二度程切り返した後に、終点である開けた小部屋とでも云うべき空間に私達を運んだ。

 「ここは……!?」

 所長がようやく心底戸惑った声を発したということは、この場所が彼女にとっても初見である事を示していた。障壁で入念に隠されていた昇降用の通路。それも途中で折り返すことで無駄に場所を取らないように配置されてあったことに、今居るこの小部屋が誰からも秘匿された場所であることを私は確信していた。

 その小部屋――と云っても簡単な倉庫並の広さはあるのであるが――の中央、すなわち私達の眼前には、何か大きな物体が鎮座していた。

 私が暗視機能でその細部を確認するよりも早く、小部屋の壁面と床に照明が煌々と灯り、その物体の全容を私達の前に明かした。

 「ヴ……!」

 それは私にとっても所長にとっても見知った乗り物であった。色黒のバーハラと名乗る“司書”によって移動図書館より浮遊城塞手前まで私達を運んだ、空飛ぶ軽トラックとでも云うべき“早馬”。それとまったく同一の機体が今、私達の前に露わとなったのである。

 「――!」

 コルテラーナの意図を察した所長が一歩進み出て言葉を発するよりもその前に、更にその気勢を制してコルテラーナが私達に告げた。

 「所長はキャリバーを連れて城塞から脱出してください」

 「皆を置いて私だけ逃れろと言うのですか?」

 或いは私であれば侮辱されたと声を荒げたかもしれない。だが所長は毅然とした態度を崩さず、それが私に持って生まれた気高さというものを実感させた。

 その一歩も退かぬといった体の所長に対し、コルテラーナが再び諭すように口を開いた。唯々静かに、ひたすらに穏やかに。

 「長い長い、本当に気の遠くなるような歳月をかけて、ようやく私達は“牢獄”を突破できるだけの 試製六型機兵(あしがかり)を得ました。それを失う訳にはいかない」

 コルテラーナの説得の言葉は、至極当然の内容であった。その証拠に、固い決意に溢れていた所長の瞳が見る見る内に普段と同じ穏やかな色に落ち着いていくのが傍から見ている私にも分かった。

 コルテラーナの言う事に間違いは無いのだから。

 「……ヴ?」

 そこまで得心してからようやく私はもう一つの重要事に気付いた。コルテラーナの言う『足掛かり』というのが 試製六型機兵(わたし)の事であり、客人である所長のみならず私まで逃そうとしているのだということを。

 自分が生来何の取り柄も無い男であることは私自身が一番良く自覚している。それでも自分だけ逃げよという情けに嬉々として従うには、私はこの城塞で多くの人々の世話になり過ぎた。コルテラーナは勿論、ナナムゥもバロウルもポルタ兄弟も、更にはその他数多の住人達にも。

 コルテラーナが奥側の壁に向かい、最初に隔壁を開けた時と同じ様にそこに手の平を押し当てる。錠前を開けた時の音を増幅したようなガキッという響きと共に、“早馬”を間に挟んだ私達の正面の壁が向こう側にゆっくりと倒れていく。完全に床面へと転じたそれが非常に短いとは云え 射出機(カタパルト)であることは、吹き抜けと化して私達の眼前に外部の風景を露わとしたことからも明らかであった。

 「気取られぬ内に早く乗り込んで。自動操縦なので、後は移動図書館が回収をする手筈に――」

 そこまでだった。

 コルテラーナは私達への今後の指示を最後まで言い終えることが出来なかった。

 私自身、その瞬間何が起きたのかすぐには理解できなかった。

 コルテラーナの背後からその胸の中央を刺し貫いて伸びる長く鋭い暗黒の刃。まるで彼女の身体から直接生えたと錯覚するまでに、それはあまりにも唐突過ぎた。

 私に分かった事と云えば、それが人の身であるならば致命傷であるということだけであった。

正月から死ぬ女

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