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棄耀(14)

 全ては私の憶測になる。しかしそうであるとしても私は確信していた。

 あの日、所長の館で遺児達(ラファン)がバロウルの全身を絡め取りその心身を奪った際、その内の幾片かが口腔から彼女の体内に潜り込み、来るべき時まで寄生虫のように眠りに就いていたのだろう。その布と等しい平たい体を折りたたみ、或いは――その数から間違いなく――増殖までして。

 今ならば全ての疑念が一本の軸として繋がる。バロウルがずっと体調不良であったのは秘かに遺児達(ラファン)の言わば“苗床”と化していた影響であろうし、浮遊城塞が左右に揺れ傾くだけに留まり何とか落下だけは免れたのも、精神を乗っ取られかけたバロウルがそれでも必死に抗った為であろう。

 この機兵(ゴレム)の石の躰に魂魄を移されてから自分の感情が――特に『怖れ』に対して顕著であった――稀薄となりつつあることを私は常日頃から実感していた。だが今、懸命に成すべきことを成し力尽きて地面に倒れ伏しているバロウルの無残な姿を目の当たりにした時に、わたしの胸に沸き上がったのは確かな怒りの感情だった。

 だがと、自分でも驚く程に冷静に、心の片隅で訝しむもう一人の私がいた。所長の館で対峙した時の遺児達(ラファン)に寄生されたバロウルの得体の知れなさはこんなものではなかった。バロウルが一時的に自我を取り戻した後も互いに喚き、叫び、偽りの無い本心を曝け出したが故に、これだけは他の誰よりも私には確信があった。

 まるでボンテージ衣装のようにギチギチに体全体を黒い“布”で覆われた見た目の異様な“圧”のみを言っているのではない。バロウル本人の意志を完全に塗り潰していた悍ましい“拘束具”。あの時はここまでバロウルの身体は剥き出しではなかったし、ましてや寄生された当人の抵抗を許す存在ではなかった。

 (――そういうことか!)

 天啓と共に私が弾かれたように顔を上げた時は、既に老先生が頭上のナナムゥに向かって機械音声のような抑揚の無い、しかしそれ故に聴き取りやすい大音声で告げていた。

 「来ルゾ! 阻止シロ! “旗手”ノ遺児達(らふぁん)ヲ!」

 一瞬、私は老先生がナナムゥと同じように超感覚的なもので旗手の存在を感じ取ったのかと錯覚した。だがすぐに老先生は旗手ではないと思い直す。所詮私が考え付くようなことなど、他の人間ならその何倍も早く同じ結論に思い至ったとしても何ら不思議ではない。

 館で完全に自我を奪われ私と対峙した時のバロウルと、今の半死半生でありながらも遺児達(ラファン)の精神支配に抗うバロウルとの間の決定的な差異。

 のたうつに任せる黒布の遺児達(ラファン)の群体を、真に六旗手が一人ティティルゥの遺児達(ティティルラファン)として昇華せしめるモノ。

 それこそがすなわち“旗”であり、ナナムゥが察知した天から迫り来るモノは正確には“旗手”などではなく、単なる旗の“運び手”に過ぎない可能性があった。不完全にしか操れていないバロウルの許に旗を届け、旗手として浮遊城塞の“操舵手”の心身の支配を盤石のものとする為に。

 だが私も老先生も、上空のナナムゥを最後まで見届ける事は叶わなかった。突如として城塞内に高らかに響き渡る警報。それは城塞内に元から備えられている機構なのであろうが、それまで徐々に加工していた浮遊城塞の下部が遂に湖畔に座礁する瞬間が訪れたということであった。

 ポルタ兄弟がその間際に上げた聴き慣れぬ雄叫びは、おそらくは神仏への祈祷の類であったのだろう。神無きこの世界でしかしその必死の祈りが聞き届けられたのか、地面を断続的な振動が襲いはしたが、私達が危惧していたような人死にが出るような激しい衝撃には程遠いものであった。

 “浮遊”城塞が慣性を相殺していることが幸いしたのだろう。それは無論のこととしても、俗にいう軟着陸に漕ぎ着けるまでに手動で城塞の動きを制御しきったポルタ兄弟の手際をまずは賞賛せねばなるまい。

 だが最悪の事態を免れたとは云え、それでも私達の足元は依然としてゆるやかに前後左右に不安定に揺れていた。それ故に私達がまず目視で互いの無事を確認し、次いで手早く周囲の施設の倒壊や出火が無いか見渡したのも殆ど本能のようなものであった。

 その隙を見計らったかのように、私の粒体装甲に阻まれて地面に塵芥のように積もり固まったままであった遺児達(ラファン)の山がいきなりザザリと動いた。四つん這いの体勢のまま共に蹲っていたバロウルの躰を諸共に。その一斉に地を這う様は獲物を運ぶ蟻の絨毯のようでもあった。

 「ヴ!!」「あっ!?」

 私や所長が思わずそちらに気を取られる中、ただ老先生の声だけが鋭く響いた。

 「――ななむぅ!」

 矢のように放たれた老先生の警告に釣られ、私達の視線も思わず同時に天を向く。空より降り来る幾つかの黒い点。あたかも老先生の言葉の矢に対して撃ち返された石礫のように、見る見るうちに迫り来るそれらの黒点が全て猛禽の類であることは、翼を持つそのシルエットからすぐに知れた。

 私の中で、決して消えない悔恨の記憶がまざまざと甦る。無様にもこの右腕を遺児達(ラファン)に操られ、危うくバロウルとミィアーを粉砕するところであった恥ずべき記憶。あの時に遺児達(ラファン)が遺した光の珠(はた)を奪い彼方に飛び去ったのも、同じく“鳥”の類ではなかったか。

 (――やはりか!)

 私の頭の中で、それまであくまで仮組でしかなかった全ての断片(ピース)がカチリとはまる。“旗”を持ち去られたあの時とはちょうど真逆に、鳥が“旗”を運んできたのである。“宿主”として制御下にあるバロウルを、真の六旗手たるティティルゥの遺児達(ティティルラファン)と化して浮遊城塞オーファスを完全に掌握する為に。

 その悪しき目論見に対し、バロウルは必死に抗ったのだ。身も心も穢されても尚、たった独りで。

 私の胸を再び怒りの炎が満たす。義憤の炎が。だが、私以上に怒りを露わとした者がもう一人いた。

 「――そうなんでもかんでもっ!」

 何羽もの猛禽が一斉に飛来したのは元より旗が一つしかない以上、その目晦ましの意図があったのだろう。その数は五羽か六羽か。だが見守る私の拡大した視界の内でナナムゥは唯一羽以外には目もくれることなく、足場である“綱”を蹴って宙に舞っていた。憤怒を纏った叫びと共に。

 これまでナナムゥが大声を上げる時は、基本はしゃいでいる時に限られた。元々が幼女であった為に、私には特にそのイメージが強い。しかし今、六旗手“(みどり)の”ナナムゥはこれまでどれ程の鬱憤を腹の中に貯め込んでいたのだろうか、珍しくも怒気を露わに更に叫んだ。

 「お主らの思い通りにいくと思うておったら大間違いじゃ!!」

 鷲なのか鷹なのか或いは私の知らぬ良く似た別の鳥なのかは定かではないが、明らかにその内の一羽を目掛けナナムゥが肉薄する。一見すると飛んでいるように見えるのは、足場の“綱”を必要に応じて蜘蛛の巣のように継ぎ足しているからだと私は知っている。

 その一羽を残し残る四羽の猛禽が綺麗に左右に別れる。宙を駆るナナムゥの貌が、今度はその内の一羽へと不意にキッと向けられる。その不可解なナナムゥの動作の理由に、私は一拍挟んでからようやく気付いた。“鳥”達が空中で“旗”を受け渡したのであろうことを。飛行ではなくあくまで跳躍しているに過ぎないナナムゥは、その鳥達の動きに追い縋ることがすぐにはできなかった。

 まるでそんなナナムゥを嘲笑うが如く、ピュイという短い鳴き声と猛禽の編隊が一斉に急降下の体勢に入る。錐の切っ先のような頭部が向いた先が、バロウルを抱えたまま地を這い逃げる遺児達(ラファン)の許であることは火を見るよりも明らかであった。

 だが――

 まるで刻そのものが凍りついたかのように、襲い来る猛禽達が空中であるにも関わらず一斉に動きを止めた。それが足場とは別に中空に秘かにナナムゥが張り巡らしていた“糸”に絡め取られたからだと私が悟った時には、既に全ての決着はついていた。

 空を自在に舞っているようにも見えるナナムゥであったが、それは彼女が事前に自らの“庭”として浮遊城塞の中空に張り巡らしておいた“綱”を、時には踏み台として蹴り飛ばし、時には定点として命綱代わりの“糸”を巻き付けているからである事を側に控えていた私は知っている。それに加えてナナムゥは飛び跳ねる傍らに、文字通り猛禽を一網打尽にする為の“網”を秘かに仕込んでいたのである。

 「後ハ任セヨ!」

 私の横で再び老先生が頭上のナナムゥに向けて叫ぶ。その後に起こった現象は、私にとっても予想を超えたものであった。

 老先生が杖代わりにいつもその身を預けていた箱状の手押し車。その上部に据えられた二本のアームの一つが天を、残る一つが地を指差し、手押し車本体からは私にとっても馴染みのある起動音声が鳴り響いた。


 “――電光石(グリドソール)!”


 二本のアームの先のそれぞれに赤い電光が宿り、その内の地を指し示した方がバロウルを連れ去ろうとした遺児達(ラファン)の群れの端を撃つ。

 “頭”たる“旗持ち”を阻止された悲しさか、撃たれた遺児達(ラファン)は唯々己が生存本能に基づいた行動を選択する他なかったようであった。すなわち重荷でしかないバロウルをその場に残し、四散五裂してバラバラに逃げ去っていったのである。

 だが、もう一方の天を差したアームの雷撃に撃たれた空中の猛禽の一団はそれすらも出来なかった。ナナムゥの張っていた“網”の目に寄生している鳥の躰ごと絡め取られ、離脱できなかった為である。

 “網”に捕らわれたまま電光石(グリドソール)の直撃を受けた猛禽が揃って断末魔の叫びを上げる。出鱈目に吹いた笛のような鳥の絶叫の中に、あの遺児達(ラファン)特有の『ティス』という擦れた魔物めいた怨嗟の鳴き声が重なる。

 「可哀相じゃが、仕方あるまい……」

 ストンと、上空から私達の元に一気に降り立ったナナムゥの最初の言葉がそれであった。その白目の少ない碧色の瞳は、同じく地に“網”ごと落ちて来た猛禽の骸に向けられていた。

 無残に焼け焦げた鳥の傍らには、同じく力尽きたのかピクリともしない遺児達(ラファン)の剥がれ落ちた姿があった。猛禽達も又バロウルと同じく、遺児達(ラファン)に寄生されその意志を奪われた犠牲者であることは、ナナムゥの哀悼の言葉を聞くまでもなく一目で知れた。

 だがナナムゥはそれ以上は悔いる姿勢を見せず、すぐに視線を置き去りにされたバロウルへと移した。そして打ち捨てられた彼女の許に既に駆け寄っているコルテラーナや所長へと尋ねた。

 「どんな案配じゃ?」

 私がバロウルの許に向かわなかったのは、自分と同じように幅を取るクロが、既にバロウルの上に屈み込んでいた為でもあった。黒と白の二色からなる所長の護衛機(ガード)は、今は彼女の簡素な命令の下にバロウルの腹の辺りに右手の掌を当てていた。

 パシリと、青白い燐光がクロのその手の平の中に宿ったと見えた瞬間、それを押し当てられたバロウルの躰がビクンと痙攣した。

 所詮文系の私に原理は分からねど、バロウルの躰に何らかの電流を流したことだけは朧げに察せられた。体内に残留している可能性のある遺児達(ラファン)をバロウルの体内から排除する目的であろうことも。

 バロウルが苦し気に嘔吐とする音が響き、私は女性に対する礼儀として――その行為が妥当かどうかまでは分からないが――目を背けようと背中を向けた。

 ファーラの珍妙な叫び声を聞く限り、少なくとも何匹かの遺児達(ラファン)はいまだにバロウルの体内に潜んだままであったのだろう。だが流石に今回の処置でバロウルに秘かに寄生していた遺児達(ラファン)は一掃できたと思いたかった。

 バロウルを放り出して雲散霧消した遺児達(ラファン)も、その殆どはそれが最後の足掻きであったのか点々と地にひしゃげたまま微動だにしていない。念の為に後で止めを刺して回る必要があるだろうが、今は放置する他なかった。或いは僅かに逃げおおせた個体がいたとしても、同様に後回しにするしかない。

 それが悪手である事は充分に理解していた。だがそれでもバロウルへの“旗”を受け渡しを阻止できただけでも今は良しと自分に言い聞かせるしかないというのが実情であった。

 所長の指示で近場に水を汲みにファーラがパタパタと走り去る。一人だけ成す術も無くただ立ち尽くすしかない不甲斐ない自分に対し、後ろめたさを感じない訳でもない。

 と、老先生の電光石(グリドソール)により余さず息絶えたと思われていた猛禽の一羽が不意に身を起こし、そのまま宙に舞い上がろうとした。だが完全に我々の虚を突いたとは云え、半死半生の鳥は勢いよく飛び上がった直後にすぐにその速度と高度を落とし、フラフラと飛ぶだけの存在と成り果てた。あまりの遅さにその胴体にいまだに遺児達(ラファン)が纏わり付いているのが目視できる程であった。

 「逃さぬわ!」

 すかさずその後を跳ぶように追うナナムゥ。この時点で鳥の命運は定まったに等しく、その逃走は最後の悪足掻きでしかなかった。

 事後の、城塞内の隅々に対し気の遠くなるような探索と掃討戦が残っているにせよ、これで遺児達(ラファン)の脅威を全て退けたことになる。


 ――呆気なさ過ぎる


 心の片隅にその疑念が掠めなかったと言えば嘘になる。それは私だけに留まらず、この場にいた誰もがそう感じていたのではないのかとも思う。だが城塞を襲う諸々の変異があまりに急で、目の前の事態に対処するだけで手一杯であった。


 カカトとナイトゥナイさえ健在であったならば……。


 「キャリバー!」

 ファーラが手桶になみなみと水を湛えて戻って来た――平時であれば、何らかの超常の補助でも無ければファーラの細腕では持ち上げることすら困難である筈の不可思議な光景を見過ごすこともなかった――と共に、ようやくポルタ兄弟から私に対しお呼びが掛かる。

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