奇郷(6)
「お嬢!」
獲物を捕らえた網を見ながら何か記録を付けていたバロウルが、我々へと顔を向けナナムゥに優しい声をかける。
「少し休憩した方がいい」
「平気じゃ!」
私の頭越しに応えるナナムゥの返事は一々大きい。
「あと三っつで10体じゃ、そこまで頑張る!」
触覚が無いので気付かなかったが、いつの間にやら私の頭頂にまでよじ登ったナナムゥが、ヒョイと逆向きに私の単眼の前に顔を突き出す。
ニンマリと笑う彼女の貌が大写しとなり、私はもうこの時点で幼子に抵抗することが如何に困難か再認識した。
「よいな!」
「ヴ」
降りろ危ないと騒いでいるバロウルをこれ以上刺激しないよう、私は差し障りが無い程度に小さい返事で彼女に応える。
幼子に対し改めて「兄」としての庇護欲に駆られる一方、実は私は内心別の様々なことに心捕らわれていた。
大道芸人かと思わせる手にした巨大な銅鑼。
“幽霊”と呼称される人の似姿めいた白い霞の塊。
そして、“幽霊狩り”と銘打たれた完全な追い込み漁。
(――なんだこれ……)
胸中で己への力無いツッコミを済ませた私は、改めて昨夜のコルテラーナとの会話に思いを馳せた。
*
“密封世界”――固有名詞を日本語に訳さないことにした今の私の耳には“ガザル=イギス”と響く、それが今居る世界の呼び名だという。
幼主ナナムゥとの顔合わせ――謁見の類を予測していた私にとっては良くも悪くも拍子抜けであったが――を終え再び工廠に戻った私は、その場で再び四肢を外されハンガーに吊るされた。
ハンガー自体が出立した時とは異なる位置に移動されており、今私は私の思考をモニターに表示するという例の端末の真正面に据えられた形となっていた。
利便性の面からもそれは理解できる。しかし有無を言わさず四肢をもがれ吊されるという扱いに、自分はまるで物扱いではないかと心中で憤りを感じたのもまた事実である。
それでも私は抗議の声は上げなかった。
そもそも発声機能がないので「抗議の声」が物理的に不可能だということは置くとしても、今は辛抱の時であった。妹の為に。逐電の機会を伺う為に。
『お前、わざとやってるのか!』
ナナムゥの問いに対して頷き返すという私の行為は、やはりバロウルには見逃してもらえなかった。
わざとではないと、今でも胸を張って言える。
だが私の頭を一発だけ叩いて憮然と大股開きで歩み去る彼女を、弁明することでこれ以上無駄に刺激する気にもなれなかった。
逆に、軽い一撃だけで済ませてくれたのは意外でもあった。ゴリラは優しいというのはまんざら嘘でもないようだ。
後には私とコルテラーナと、そして床上掃除機型の何体かの汎用三式だけが残された。
天井と壁とに埋め込まれた水晶体が光を発し、部屋の中を仄かに照らす。
その輝きに目をやりながら、私は正直なところ、この世界の文明の度合いを測りかねていた。
照明があり、書類といった紙の類も当たり前のように使われており、そして何より機兵と呼ばれるロボットを思わせる魂無き自動人形がいる。
その一方、漫画やゲームを思わせる亜人がおり、改四型と呼ばれる機兵はこれ見よがしに巨大な槍を携えていた。
銃火器の類いでは無く、わざわざ近接用の武具である。純然たる機械式兵器であるならば理に適わぬ武装でもあった。
他にも不審な点を挙げれば数えきれない。
例えば機兵にしろ、私の知るユダヤの人造巨人ゴーレムと名称が酷似していることは、とても偶然とは思えない。
加えてバロウルが持っていた「寿司」という漢字が描かれた湯呑、何よりもこの世界の言語を日本語に翻訳できているという事実。
(考えるまでも無い……)
この世界に先達がいる、私と同じ世界から堕ちた。
それが私にとって吉か凶かは分からない。今もその先達が健在なのかさえも分からない。
だが、いつかは出会う日もあるだろう。それは根拠こそ無いが確信でもあった。
「今日はお疲れ様」
コルテラーナに優しく声をかけられ、私はようやく我に返った。
端末の前にチョコンと座り、キーボードを操作しつつも吊られた私の方に目をやるコルテラーナ。その蜂蜜色の瞳に見つめられるだけで、私は自分の胸が奇妙に高まるのが分かった。
男として生まれたからには、このような可憐な女性に仕えることも本懐の一つなのだろう。
妹を探すという大望が無ければ私も迷わずその道を選び、そしてこの閉じた世界で骨を埋めても悔いは無いという気さえしていた。
反面、危ういぞともわたしは思う。美人にはきっと、必ず裏があるから。
「ようやく落ち着いて話ができるわね」
三式の一体からティーカップを受け取りつつそう語りかけて来たコルテラーナの貌は、僅かに曇り伏せがちであった。
「最初に言っておくわ。辛い話になるから、覚悟だけはしておいて」
この世界が如何なる世界か、貴方は知っておかなければいけない――それが、コルテラーナが私の為に一人ここに残った理由だった。
「この呪われた世界、密封世界に墜ちて来たからには、貴方はもう逃れられない当事者なのだから……」
「ヴ」
頷く私に、コルテラーナは語り始めた。
忌まわしきこの異世界の成り立ちを。
呪われしこの異世界のあらましを。
密封世界――平野と山間部、そして幾つかの大きな湖からなる、そこだけを聞くとどうということのない世界。
だが決定的な特徴として、この世界には海が存在しない。正確に言うならば、湖が有り平野を流れる河川も有るけれど、決して海には辿り着くことの出来ない世界。
何故ならば、この密封世界は不可視の障壁により完全に外部との接触を断たれており、その内部に海は存在しない為である。
後で知ったことではあるが、その半径はkmに換算するとおおよそ50km。高速道路で1時間とすると日本でいうところの一つの小さな県位の面積かと私は漠然とイメージした。
尤も徒歩で端から端まで旅する場合、まったく障害が発生しない――有り得ない仮定だけれどと、後日私にこれらkm換算の情報を与えてくれた所長は言った――としても、真っ当な道が少ない為に8〜10日はかかるという。
正直な話、私にはこの時ピンと来ていなかった。
それは人が、人々が、居を構え村として集いやがて国を興すには狭い世界であるということを。
「――如何なる力によるものか、この世界に引かれ墜ち命を落とさなかった人々は、それでも肩を寄せ合い生き延びようとした。様々な異なる世界から集い、言葉すら通じなくても懸命に」
淡々と語っていたコルテラーナの声が、この時初めて震えた、そんな気がした。
「この世界を造った“彼等”が姿を現すまでは……」
“彼等”が如何なる者達だったのかは定かではない。
神だとも悪魔だとも、或いは自らを『遊戯の進行役』と名乗ったなどと笑う気にもなれない漠とした伝承が数世代を経た今わずかに残るのみである。
この世界に囚われた異邦人達は決して少なくはない犠牲を払いこの世界の地勢を知り、身振り手振りや絵図で相互の意思疎通を図り、墜ちて来た時にかろうじて保持していた雑多な資源を元に耕作を始め、何とか拠点と呼べるものを築いた。
この世界への転移の対象が個々人ではなく、一定の区域で成されているらしいことも幸いした。
先に述べた作物の苗も工具の類も、何よりも同時に墜ちて来た同朋を得ることができたからこそ人々は、この見知らぬ異境で支え合い生き延びることができた。
やがて拠点が村と呼べる規模となりそれが点在を許される程に安定した頃に、まるでそれを見計らったかのように“彼等”は現れた。
その手に六本の“旗”を持って。
この世界が二度と出られぬ閉じた世界であることを触れ回りながら。
「“六旗手”――無作為に旗を授けた六人を、“彼等”は讃え、そしてこう告げたわ」
――この六本の旗を全て集めし者に我等の祝福を与えよう
“祝福”が具体的に何を指すのかは分からない。或いは敢えてボカした言い方をしたのかもしれない。
だが一つの噂が残った。“彼等”の一人がこうも告げたという噂が。
――元いた世界に還してやろう。勝ち残った最後の“旗手”と、それを盟主と仰ぐ者達も
この過酷な閉鎖空間で、誰が望郷の念を捨て去ることができようか。
この異世界から解放され、元の世界に戻れる唯一の希望。まして競うべき相手は姿形こそ似ているとは云え異種族である。免罪符には充分であった。
かくして争いが始まった。
『馬鹿な……!』
聞くだけで、吐き気を覚える昔語り。私はコルテラーナに縋るように聞いた。
『そんなもの、代表を一人決めてこの世界に墜ちた全ての者の解放を願えば終わる話では!』
端末のモニターに表示された私の想いを読んだのだろう、コルテラーナは頭を振って応えた。
「それが通るならそうしたでしょう。でも、この世界を造った“彼等”には明らかに悪意があった。悪意しかなかったと言ってもいい。そんな都合のいい願いが通るなんて、当時の六旗手は誰も考えなかった」
六旗手――“彼等”から与えられた“旗”を振るう者。“旗”から何がしかの超常の力を付与された者。
真に忌まわしきは“旗手”に成るには資格は必要ないこと。
手段を問わずに“旗”さえ奪取し“旗手”を名乗れば、その時点で誰でもが超常の能力を得る事ができたのである。
超常の力――他者を害する為だけの力を。
そして“彼等”が与えた制約は実に巧妙であった。
“旗”によるその超常の力を振るうには、手で掲げ“旗”を顕現させる必要がある。
すなわち、もし2本の“旗”を得それを左右それぞれの腕で掲げると、単純に二乗の力を振るうことができるのである。
普通ならばそこから加速度的に差異が生じ他の旗手を圧倒できるが、そうはならなかった。
仮に3本目、4本目を得たところでその“旗”を掲げる腕が無い以上、その力を上乗せすることができない。すなわち、メリットが得られないのである。
それどころか、2本目を得た時点で残る旗手に徒党を組まれ、早々に潰されるのがオチだろう。