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棄耀(13)

 「なんじゃっ!?」

 よろけこそしたものの私達の誰一人として転げ落ちたりしなかったのは単純な理由がある。最初に傾いたすぐ一瞬後に、城塞が反対側に揺り戻した為である。

 「制御ヲ!!」

 流石の老先生の口調にも焦りの色は隠しきれてはいなかったが、それでもその指示は的確であった。そして老先生の指示が飛んだ時にはポルタ兄弟の内の一人は既にレバー操作に取り掛かっており、もう一人はアーチ状の柱に据えられている計器の類を操作していた。

 その手際の良さからも、非常事態の想定とその対応訓練を密に済ませていたことが分かる。生真面目なバロウルのことだ、さもありなんと私は称賛した。そのような呑気な状況でもないが。

 「駄目だ!」

 逼迫した声は、既に兄弟のどちらが発したものか定かではなかった。

 「城塞の操作権を握られたままだ!」

 「どういうこと?」

 私と同じく状況を把握し切れていないファーラがナナムゥにそっと尋ねる。

 「バロウルが自分の意志で城塞を揺さぶっておるということじゃ」

 「?」

 「制御室の中で気絶しとるもんじゃと思うておったが、その為のポルタ兄弟の操作を受け付けぬというのはそういうことじゃ」

 「?」

 邪気の無いポカンとしたファーラの貌を前にナナムゥがムムムと顔を顰める。

 「要はバロウルが――!」

 そこまでファーラに教え諭そうとしたところで、ナナムゥは再びハッと天を見上げた。そしてそのまま猿のように一階の吹き抜けを転がり出ると、上空を見据えたまますぐに私の名を呼んだ。

 「キャリバー、ファーラを見ておれ!」

 「ヴ!」

 ナナムゥが艦橋の頭頂――すなわちバロウルのいる制御室に向かおうという腹積もりである事は、流石の私もそこまで逐一口外されずとも判った。思い起こせばナナムゥと“主従”となってから既に数ヶ月にもなる。彼女の意図を容易に察することができるようになったのも別段おかしな事ではないのだろう。

 だが、いつまでも感傷に浸っているような余裕もない。

 アーチ状の柱を蹴り上げ宙に身を躍らせたナナムゥが、更に手を斜め上に付きだす。直接目視出来る程の距離ではないが、それがナナムゥの得意とする“糸”の射出であることを私は知っていた。

 「老先生よ、そっちは頼んだぞ!」

 吹き抜けの縁に移動し見上げる私の頭上で、何も無い中空の上に独り仁王立ちとなったナナムゥが足下の私達に向けて叫ぶ。

 あたかも奇術師による空中遊泳の趣であるが、無論“タネ”は存在する。

 ナナムゥが普段より城塞内の至る所の中空に張り巡らしていた半透明の太い“綱”。定期的に――そこそこ頻繁に――張り替えをせねばならぬとは云え、言わば己の為に編み上げた“蜘蛛の巣”とでも呼ぶべき足場の上にナナムゥはサーカスの曲芸師めいた動きで立ち、移動しているのである。艦橋に直接“糸”を巻き付けることをしなかったのは、そのツルリとした外壁に取っ掛かりが無いことを懸念してのことであろう。

 その“主”の雄姿に、私の脳裏に彼女と始めて出会ったあの夜の事が鮮やかに甦る。月明かりの下、今と同じように宙に独り佇み、鎮魂歌を唄っていた彼女の後姿が。

 城塞から落下したあの時にこの身と魂を救われてから、私はその恩を借りっぱなしのままである。

 だが私の回想も野太い男の声によって直ちに現実に引き戻された。ポルタ兄弟が柱の計器板に併設されていたのであろう拡声器か何かを使って、城塞内全体に不用意に動かぬように警告を発したのである。この手際の良さもまた、バロウルが主導して訓練していた賜物なのであろう。

 城塞が左右に揺れつつもジワジワと降下を始めたことで、手近な物に掴まって衝撃に備えるよう矢継ぎ早に吠えるような声で指示するポルタ兄弟。その対角線上にあたる向かいの柱の前では、老先生を傍らに従えたコルテラーナが右手の平を儀式めいた面持ちでその柱の表面に押し当てていた。

 「ヤハリ制御ヲ受ケ付ケナイカ?」

 そう尋ねる老先生に対し、珍しくもあからさまに眉を顰めつつ無言で頷くコルテラーナ。両者が城塞の制御権限を強引に奪取しようとしたことは朧気ながら察することは出来たが、『炉心に火をくべる』役目を司るというバロウルの城塞制御の権限はそこまで最上位に認定されているという事だろう。なればこそ、ナナムゥがファーラに言い掛けたように、今のこの城塞の不可解な降下はバロウル自らが意図して操作しているということになる。

 その真意は分からねど。

 何れにせよ、現在の浮遊城塞の状況が非常に危険である事に変わりはない。今でこそ湖面に対しゆっくりと降下している感じであるが、これが一気に落下した場合、そこまで高度が無い事と下が水面である事を差し引いても大惨事となることは明白であった。祈る事しかできないという状況は、比喩でもなんでもない厳然とした事実であった。

 「――動いた!?」

 その時、それまでレバーに掛かり切りだったポルタ兄弟が上げた唐突な叫びは、内容に反し喝采にはほど遠いものであった。柱の計器板に張り付いていた兄弟の片割れが、慌ててそのレバー操作の補助に入る。

 額に油汗を流しながら互いに掛け声を上げてレバーを巧みに操作するポルタ兄弟。息の合ったその操作は見事だと言う他はないが、それはそれとして飛び交う掛け声の内容からも彼等の狙いは明白であった。

 怒号めいたやり取りの端々から、操作自体は受け付けたとは云え浮遊城塞が再び上昇するだけの浮力を得ていないことだけは私にも分かった。となれば、現在残された最善の手段はと云うと湖畔への軟着陸ということになる。だが、かと言って――この湖の正確な深度は知らねども――そのまま単純に真下に降ろせば城塞の上半分にある居住区が水没する恐れがある。また城塞下部が接地した場合、その後の事がどうなるのか――すなわち城塞が再び正常に浮上できるのか否かは私には知る術も無い。それでも浅い角度で故意に湖畔に擱座させる他に手は無いと思われた。

 本来なら巨体の私こそ兄弟のレバー操作を手伝うべきなのであろうが、中央の立体映像を確認しながら短い掛け声と共に三本のレバーを目まぐるしく押したり引いたりしている様を見るに、とても私如きが立ち入れる空間とは思えなかった。実際、兄弟から助勢を求める声が上がらないということは、足手纏いという私の自覚に間違いはないのだろう。

 ならば、私は他にやるべきことをやらねばならない。実際、老先生を始めとする残る異一行はこの場を兄弟に託し、既に一階の吹き抜け部分から表に出ていた。

 単純に考えるならば“主権限(メイン)”であるバロウルから“副権限(サブ)”であるポルタ兄弟に城塞の操作が移ったということは、元々過度の体調不良であったバロウルが制御室内で失神したと考えるのが妥当である。

 だが、それでも根本的な疑問は残る。

 浮遊城塞が予定にない降下を始めてしばらくは操作の優先権はバロウルに有り、それ故にポルタ兄弟のレバー操作を一切受け付けなかった。つまり、他ならぬバロウル自身が城塞の航行機関に対し降下の指示を出したという事になる。

 だが、何故そのような予定にない勝手な指示を出したのかが分からない。ましてやあの生真面目なバロウルがである。

 「制御室が下に降りるぞ!」

 私の疑念はしかし、上空からのナナムゥの一オクターブ高い喚起の声に掻き消された。

 艦橋の頭頂部そのものは私のいる下部から目視することは位置的に不可能であったが、それでも艦橋全体が僅かに振動しているところは見てとれた。ちょうど艦橋の壁そのものをガイドレールとして、制御室自体がエレベーターの箱と化してその中を降下して来ているのだろう。老先生がアーチ状の柱に据え付けられた階段の場所に地を滑るような独特の挙動で駆け付けたことからも、二階のその部分が外部と内部の仕切りとして開閉する造りであることは明らかであった。

 だが元々は甲板(じめん)の下に隠されていた制御室が伸びて“艦橋”を形成した以上、本来の手順であるならば制御室の運用を止める場合は逆に壁そのものが順に縮んで収納されていかなければおかしい。今更改めて言うまでもないが、バロウルにとっても何か不測の事態が生じ、緊急に退避したとしか思えなかった。

 その制御室の異変を上空より我々に先んじて伝えたナナムゥであったが、私の予想に反しそのままこちらに降下してくるような事はなかった。

 「そっちは任せたぞ!」

 ナナムゥは手短にそれだけを叫ぶと――無論、私にではなくコルテラーナや老先生に言ったのであろうが――依然として中空の“綱”の上で油断なく空を見渡していた。

 いまだその姿を目視できぬとは云え、“旗手”が依然としてこちらの様子を窺っていることをわたしは知った。

 (マズい)

 旗手だけじゃない。湖の周辺にはカカトを殺した集団が今も潜んだままでいることをわたしも忘れたわけじゃない。

 (マズい、マズい、マズイ!)

 ジワジワと真綿で首を締められているように状況が負の連鎖と化して悪化していることは明らかであった。天も地も死地であり、カカトもナイ=トゥ=ナイも“去った”今、進退窮まったと言う他はない。

 「開クゾ!」

 老先生の呼び掛けに私がそこに意識を集中したのも現実逃避の一種だと罵られても仕方ない。だが幾ら賢しいフリをしようと『目の前の問題の一つ一つに専念する』以上の代案を出せないのが、恥ずかしながら私という男の限界であった。

 私達が揃って注視した柱の上に据えられた開閉部は、二階内部に通ずる扉と云うよりは隔壁に近い造りであったのだろう。私達が固唾をのんで見守り身構える前で壁が――予想よりも遥かに軽快に――シュと横に開き、まずは黒々としたその口を開けた。次いで、内部照明の一つもないのかと言いたくもなるような深淵の口から、ソレ(・・)は私達目掛けて殺到した。

 「ヴ!!」

 嫌な予感はあった。自分にしては珍しく気が利いていたとも思う。あらかじめ開閉部を見つめる視界に遅延を掛けておいたおかげで、止まっているに等しい刻に包まれ素人の私でも余裕を持ってソレ(・・)に対応できた。

 黒い濁流としか見えないソレ(・・)の中に忘れもしない忌まわしき群体を認めた時、私は迷わず皆の前に飛び出し粒体装甲を展開させていた。

 戯れに向けられたホースの水を咄嗟に傘を開いて防いだように粒体装甲の“力場”の効果は覿面であった。最もここまで見事に対応を決める事が出来たのは、多分にまぐれと云うか運が良かったというのもあるのだろう。自画自賛には程遠いとは云え、それでも紅く染まった私の躰から生じた“力場”が、醜くのたうち回り殺到する濁流のようなソレ(・・)を押し留め、元来た開閉部に押し戻したのは事実である。

 「――ティティルゥの遺児達(ティティルラファン)!?」

 所長の驚愕の声が収まらぬ内に、二階のその深淵のような開口部より一つの人影がよろめきながら姿を現す。そしてそのまま何歩か歩み出たところで、足を踏み外し地面に転がり落ちる。それを幸いと云って良いのかは疑問が残るが、その巨女はちょうど私の“力場”によって弾き返された遺児達(ラファン)の上に落ち、それが期せずしてクッションの役割を果たす形となった。

 (――バロウル!?)

 所長の館の時のようには全てを覆いきれていないとは云え、全身のかなりの部分に遺児達(ラファン)が貼り付いたバロウルのその姿は、あたかも墓場から甦ったミイラか何かのように陰惨なものであった。そして遺児達(ラファン)が姿を現したことで、これまでの私の抱いた疑念がたちまちの内に氷解した。

 バロウルが自ら望んで城塞の浮上を拒んだのではなかった――深い安堵と共に私はその事実を噛み締める。かつて所長の館で、それまで“芯”としていたファーラの躰を捨て逃走したと見せかけた遺児達(ラファン)は、新たにバロウルの躰と意志を乗っ取り最後まで私達を苦しめた。そして今再び、それとまったく同じことを繰り返したという訳である。だが――

 (いつの間に!? 一体どこで!?)

 バロウルやファーラの躰の表面に巻き付き締め上げていた遺児達(ラファン)は全て死滅した、その筈であった。

 誰かの手荷物の隅にでも紛れて浮遊城塞内に持ち込まれた可能性が零だとは確かに断言できない。だが普段は隠されている制御室の中に潜みひたすらバロウルが来るのを待ち構えていることなど到底有り得るとは思えなかった。あまりにもその狙いが限定的に過ぎる為である。

 と、バロウルがフラフラと拙い動きで立ち上がり、そしてすぐに再び崩れ落ち四つん這いの体勢となった。ゴホゴホとそのまま苦し気に激しく咳き込む。

 その口腔から吐瀉物ではなく細く黒い布が――捻じれ小さくその身を畳んでいるとは云え紛れもなく遺児達(ラファン)が吐き出されたのを目撃した時に、私は知った。私は覚えた。

 この胸の内に広がる激しい怒りの感情を。

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